78.黒層最深部の事情
まんじりともせず過ごして、もう何時間が経ったのかもわからなくなった頃、ロッズはエデルたちの部屋にやってきた。
結局、彼らがやってくるまでの間に、拘束魔法を解くことはできなかったし、ウィットランドーグを助け出すことも叶わなかった。
部屋にやってきた彼らにウィットランドーグの行方を尋ねたが、一言「業者に引き渡した」と言われ、それ以上は何も口にできなかった。これからあの幼獣がどうなるのか、など尋ねなくてもわかっている。
助けたかったのに、エデルにはできなかった。ルーシャスたちはあの幼獣をも助け出してくれるだろうか。一瞬思考を巡らせるが、けれども彼らもまた、今回の依頼は調査だけで、獣魔たちを助け出すことそのものが目的ではないと何度も話していた。もちろん、その調査を依頼主に報告すれば大々的な救出が始まるのだろうが、それは一体いつの話になるのだろう。その間に、あの幼獣はどんな目に遭うのだろう。
考えると恐ろしくなって、エデルは押し黙るしかなかった。
ロッズたちもエデルと会話しようという気はないらしい。それ以上の会話はなかった。
エデルとシーファはふたたび後ろ手に拘束され、今度は足だけ自由になった。といっても、拘束魔法でふたりをもつないでいるようで、一定の距離以上離れることができない。せいぜい腕一本伸ばした分だけの距離を保ち、薄汚い宿屋から連れ出されたのだった。
宿の外には馬車が待ち構えていた。
エデルは目を瞬く。
バガスの街には、馬車ではたどり着けなかった。ルーシャスたちにもそう言われていたし、実際に街に来てみてその意味を理解したつもりでいた。
ここは道が狭い。狭いというより、人が多い上に道のそこかしこに障害物があって、徒歩でも避けるので精一杯だ。確かにこの街では馬車は流行らないだろうと納得させられたものだった。
にもかかわらず、馬車である。
二頭立ての馬に、幌のついた籠を引かせるタイプの馬車だった。
中は驚くほど狭い。エデルは成人した女としては平均的なほうだが、シーファは男性としては小柄な部類に入る。そのふたりが乗り込んで、ほとんどいっぱいになる程度の大きさだった。
乗れと命じられて乗り込むと、改めて拘束魔法を施される。これで足も動かせなくなった。
だが、こんなものでどこへ行くというのだろう。外を見せる気のない囲いが憎い。馬車が動き出すとごとごとと揺れ始め、その乗り心地と言ったら最悪も最悪だった。
なんとか外の様子がわからないだろうかときょろきょろと顔を巡らせていると、隣から不機嫌そうな声が上がる。
「おい、あまり動くな。引っ張られる」
「あ、ごめん……」
あれから、シーファとはまともな会話をしていない。
あんなに怒ったのは初めてのことだった。彼の物言いがあんまりひどかったから怒ったのだし、冷静になって今思い返しても自分が悪いとは思えない。なのに、どうしても怒鳴った自分のほうが悪かったように思えてきてしまって、なんとも後味が悪かった。
シーファも、あれ以降は無闇に突っかかってくることもなくなった。だから余計に会話もなかったのだ。
思えば、彼の言いがかりには引っかかるところが多かった。まるでエデルではない誰かを詰っているように聞こえたのだ。エデルを通して、誰か別の人を見ているかのような、そういう心地にさせられた。
もしかしたら、本当に誰か別の人とエデルとを混同していたのかもしれない。だが、それを尋ねる勇気はまだなかった。
ちらりとシーファに視線をやり、ときどき様子を窺う。その間にも悪路を進む馬車は縦横無尽に揺れ、エデルはあちこちに頭やら肩やらをぶつけていた。
「この街じゃ馬車が走れるような道もないのに……こんなのに乗せてどこに連れてくつもりなんだろ?」
無駄に声をかけまいとしていたが、あまりにも揺れるのでつい疑問がこぼれる。
無視されるかうるさいと一蹴されるかと身構えたが、意外にもまともな返答があった。
「別に、バガスの大穴はバガスの街が終着点というわけじゃない。ここから横につながっている街へ連れて行くつもりなんだろう。でないとおまえを誘拐したところで経路がバレバレだ」
「横につながってる街? そんなとこがあるの?」
「ある。かなり距離があるから馬車なんだろうな。……バガスの街を出れば幾分かはマシになるだろうが、期待はするな。そもそも最低の馬車だ、これは」
エデルもそれは乗る前に理解している。見るからに必要な部品をも取り払った、簡素な馬車だった。こういう馬車は、地面の細かな段差もダイレクトに拾って、籠に乗るエデルたちに衝撃を与える。緑層の一番安価な馬車もこのタイプだった。
「その街までどれくらいかかるの?」
気づけば、エデルはまた質問を重ねてしまっていた。まともな返答があったから気が緩んでいたのもあるが、シーファが情報を与えたのだ。バガスは最下層だというから、てっきり終着点の街のように考えていた。横につながっている街があると聞かされたら気になってしまう。
シーファはちらりとエデルを見やる。その目にもう侮蔑は浮かんでいない。だが、相変わらずこちらを下に見るような嫌な笑いを浮かべていた。
「さてな。ここから先は紛争地帯だ。たどり着けるかどうかもわからんぞ」
「え……」
逸った好奇心が急速にしぼんでいく。これまで、黒層の土地の特殊な造りに圧倒されて、そこに緑層とも似たような争いがあることを失念していた。
怯えたエデルに気を良くしたらしいシーファは、薄ら笑いを浮かべながら独りごちる。
「バガスと横につながるアラメナの街、そのふたつをつなぐ境界に広大な土地がある。一見して平地だが、実際には縦階層をつなぐ大穴だ。これをアラメナの大穴と呼んでいるが。……アラメナの大穴は、途中で街を挟みながら地上からバガスをつなぐバガスの大穴と違い、ほぼ一直線に地上までつながっている。これが何を意味するかわかるか?」
急に質問を振られ、エデルは悩みながら口にした。
「……交通の便が良い? とか?」
求めていた回答ではなかったらしい。シーファは肩をすくめた。
「ローティーン並みの思考だな。――一直線につながっているということは、太陽光を取り込めるんだ」
「太陽光? いくらまっすぐに地上からつながってる大きな穴でも、さすがにこんな地下深くに届くわけ……」
「それを届かせたのは人間だ。人間には魔法と知恵がある。バガスの大穴のように地上から最深部まで曲がりくねっているなど大きな障害さえなければ、その程度のことは誰にでもできる。結果、アラメナは黒層でもほんの一握りしかない、最深部のアラメナまで太陽光の届く街になった。だが今は更地になって、アラメナの住人はその近くにある、太陽光の届かない場所に移住を余儀なくされた。太陽光の届く範囲は余すところなく戦場になったからな」
「……バガスの街とアラメナの街がその太陽光を取り合ってるってこと?」
「正確には、バガスを擁する国とアラメナを擁する国との衝突だな。数年前までは大規模な紛争が多発していたが、ここ近年は小競り合いに落ち着いている。だから通り抜けること自体はできるが、いつその小競り合いに巻き込まれてもおかしくない」
「……太陽光があるかどうかで戦争になるんだ……」
「それが黒層の抱える問題だな。バガスとアラメナだけでなく、黒層の至るところで太陽光を求めて紛争が起こっている。太陽光を届かせるために人工的に穴を作ろうとする輩もいるな」
知らなかった。
地形も文化も何もかもが緑層にないものばかりで、まるでそのすべてが観光地のように見えていた。だが、黒層にも人は住んでいるのだ。人が生活を営んでいる限り、そこには尽きない課題や問題があって、人同士が衝突すれば戦争になる。
緑層でも似たようなことがある。緑層の場所によっては上空に浮かぶ青層の島々が多く、年がら年中薄暗い土地がある。そういう場所に住む人達が、もっと条件の良い土地を求めて移住したり、もとからそこに住む人々と場所を奪い合って争ったりするのだ。あるいは、上空を遮る邪魔な青層の島など消してしまえ、と蜂起する国や街もある。
それが、黒層では〝太陽光のある場所〟が争いの火種になる。
どこにでもある問題なのだ、と思わされた。
「そんな場所に連れて行ってどうするつもりなんだろう……」
「別に、紛争地帯でなにかさせようってわけじゃないだろう。おまえの依頼主は緑層にいるんだ。目指す先は地上になる。アラメナの大穴は一直線に地上とつながっていると言っただろう。そこから上れば最短距離で緑層につく。それだけだ」
エデルの捜索願いを出した依頼主は、緑層を拠点とする商工会の長である。おそらくそこが、エデルを売り物にしようと捕らえていたあの商人たちの所属する商工会なのだ。彼らと会う前に、ルーシャスたちは来てくれるだろうか。
そのことを考えると不安になる。どんどん悪い想像ばかり浮かんで止まらない。
エデルは首を振る。
――ルーシャスたちを信じると決めたんだ。疑うな。
アラメナの大穴まで、気の遠くなるほど長い時間をかけて馬車に揺られる。エデルが不安に押しつぶされそうになる心と戦うには、十分すぎるほどの時間だった。




