77.あの朝に決意した
「くそっ!」
壁を背にしてどっかりと床に座り込んだシーファに、エデルはまた大仰に肩を震わせてしまった。
白いまっすぐな髪がシーファの顔を覆い隠し、その表情は窺い知れない。だが今の会話からも、彼がロッズと呼ばれた男たちの仲間であり、しかし良い待遇を受けていないことは明白だった。
「……ねえ、あの人たちは誰なの?」
「あ?」
「獣魔の違法売買で儲けてたのはあなたじゃなくて、あの人たち?」
「……違法売買をやっていたのはロッズじゃない。その商工会の護衛を任されてはいたが」
「護衛を任されてたのなら、やっぱり傭兵なの?」
シーファがちらりと視線だけをこちらに寄越す。
「やっぱり、と言うなら、やはりおまえらも傭兵の類か。おまえがそうとは思えんが」
「…………」
言葉一つでこちらの正体まで暴かれてしまう。
エデルは自分が口を開くだけルーシャスたちの不利益になってしまうのではないかと口をつぐんだが、シーファは見透かしたように嘲笑した。
「今更貴様らの素性を知ったところで何になる。どうせおまえはあいつらを雇った側だろう。どう見ても法外な捜索依頼だったからな。護衛を雇っているほうが自然だ」
「そ、そっか……」
「だが貴様があの倉庫に来た目的がわからんな」
「い、言わない」
それだけはエデルが勝手に話して良いことではない。エデルの問題ではなく、ルーシャスたちの問題だ。
首を背けると、シーファは「そうか」とだけ言ってあとは黙ってしまった。
お互いに口を閉ざすと、なんの音もしなくなる。部屋には窓がないし、薄い扉の向こうでざわざわと人の騒ぐ声が遠くに聞こえる程度で沈黙に耐えられない。
余計な口は利かないと決めたそばから、エデルはつぶやいていた。
「白蛇ちゃん、大丈夫かな……」
「案じてどうする? あのウィットランドーグは売り物だ。ロッズが言っていただろう。朝にはもともとあれを捕らえていた商工会に引き渡される。そのあとのことは知らんが、まあ近いうちに売りに出されるだろうな」
「売られたらどうなるの?」
売られる、というところまではエデルも聞いている。だが、ウィットランドーグが違法に売られ、その後どうなるかまでは具体的に考えたことがなかった。
「さあな。ウィットランドーグは額の宝石が美しいことで有名だ。一般的にはそれらを取り出して宝飾品にするが、あれは幼獣だろう。まだ飼い馴らす余地は十分にある。騎竜として売り出すのなら宝石を取り出すより高値で取引されるだろうから、あれもそうなるんじゃないか」
「じゃあ、ふつうに騎竜として飼われるんだ」
すぐに殺されるわけじゃないのか、と無意識ながら安堵の吐息をこぼしてしまう。
シーファがそんなエデルを小馬鹿にするように鼻で笑った。
「騎竜として売りに出されるなら真っ当に生きていけるから良かった、とでも考えたか? バカか。この市場がそもそもまともじゃないんだぞ。あれを買う人間もまともであるはずがないだろうが。どんな躾をされるのかは誰にもわからない」
「そんな……」
エデルはさっと青ざめた。なんとか、あの幼獣だけでも逃げてほしい。
明日引き渡すと言っていたのだから、おそらくはまだロッズが捕らえてそばに置いているはずだ。だとしたら、この宿屋のどこかの一室にいる可能性がある。
エデルは力の入らない下半身がなんとか動かせないものかと上半身をずりずりと動かす。拘束魔法の解き方がわからない。エデルの魔力を放出すれば脱することができるだろうか。
魔法を使うのではなく、魔鉱石に魔力を溜めるのと同じ感覚で、放出するだけなら。
エデルは下半身に意識を集中して魔力の放出を試みた。
普段は手にした魔鉱石に魔力を溜めるから、下半身を意識するのはなかなかに難しい。だが、パチパチと弾けるような音がし始めたのだった。
「おい、なにをやってる」
魔力の放出に気づいてシーファが顔を上げる。
エデルを取り巻く拘束魔法は、次第にバチバチと派手な音を立て始めた。
もしかしたら本当に解けるかもしれない。このままもっと魔力を放出すれば――。
「バカ、やめろ!」
シーファの言葉に従う必要はない。エデルはここから抜け出し、ウィットランドーグの幼獣を助けるのだ。
「やめろと言っているだろう!! 死ぬぞ!!」
「え――?」
死ぬ、と言われて、意識を逸らしてしまう。
放出をやめると、暴れていた魔粒子がふっと動きを止めた。
シーファが信じられないものを見るような目でこちらを見ている。
「おまえはどこまで阿呆なんだ……? 拘束魔法は身体に他人の魔粒子をまとっているんだぞ。それを無理に破ろうとしたらどうなるか想像もつかんのか?」
「え……っと、ごめん、わかんない……」
シーファはぴしゃりと額を打った。正確には腕が拘束されて動かないようなので、天を仰いだだけだったが。
「拘束魔法の他人の魔粒子と自身の魔粒子が反発し合って大爆発を起こすんだ! 今おまえに施されているカリガの拘束魔法は下半身を包んでいる。下半身が丸ごと吹っ飛ぶぞ!」
「…………」
そんなことが起こるのか。教えてくれて助かった。
エデルは言葉もなく瞠目した。
シーファは苦々しげに舌打ちする。
「おまえは子供でも知っている魔法の基礎すら理解していないのか。一体どういう教育を受けてきたらそうなる」
「魔法のことについてはなにも……。使えないから」
「はあ? 今魔粒子を放出していただろうが」
「魔力は持ってるけど、魔法は使えない。……そんなことより、これ、どうやって解くの? シーファは魔法が得意なんでしょ? 知ってるよね」
魔法のことについては深く突っ込んでほしくない。それに、今はエデルの魔法よりウィットランドーグの幼獣を助けることが先決なのだ。
「おまえ、聞けばおれが親切に教えてくれるとでも信じてるのか? どこまでもバカだな」
「バカバカ言わないでよ。こんなところでぼうっとしてる暇はないんだよ。今この場で一番可能性がありそうなのがあなたに聞くことだっただけでしょ。そうでもしないと白蛇ちゃんが売られちゃう」
シーファは不快そうに眉をひそめた。
「なりふり構わず敵に阿呆っぷりをさらしておいて、やることがまず自分が逃げることよりウィットランドーグを助けることか? ――とんだ偽善だな」
どこまでもバカにした態度に、エデルもさすがにムッとして言い返した。
「わたしのことはきっとルースたちが助けてくれるけど、あの白蛇ちゃんが捕まって売りに出されそうになってることはルースたちも知らないでしょ。先に助けないと、わたしだけ助かって白蛇ちゃんは間に合わなかった、なんてことになりたくないの」
「おまえの護衛がおまえを助ける保証がどこにある? おまえを取り巻く敵は多いぞ。ロッズたちを出し抜いたところで別の傭兵がおまえを狙う。ゲルニッシャー商工会も動くだろうな。いくら積んだのか知らんが、傭兵なんて簡単に依頼を蹴るんだぞ」
「ルースたちはそんなことしない! ルースを悪く言わないでよ!」
エデルが噛みつくと、シーファは実に忌々しげに舌打ちした。
「無防備に他者を信じると痛い目を見るぞ」
「無防備になんか信じてないよ。わたしはルースを知ってる。ルースは裏切ったりしない!」
「おまえの!!」
「――――」
急に叫び始めたシーファに、エデルは驚いて口を閉ざす。
「おまえの! その! 他人に施しを受けて当然という態度!! 助けられて当然、自分に親切にして当然、信頼関係が成り立っていて当然!! その無知蒙昧な根拠のない善人面には反吐が出る!! なにがウィットランドーグを助けたい、なにが自分のことはルースが助けてくれる、だ。正直に言ったらどうだ。ウィットランドーグなど助ける気はない、自由になったら真っ先に逃げて、護衛が自分を本当に助けようとしてくれていたかどうかをこの目で確かめてやる、と。護衛がわずかでも自分を軽んじるつもりだったのなら、裏切られたと被害者ぶるつもりだと!!」
シーファの叩きつけるような言葉に、エデルは一瞬怯んだ。だがあまりにも理不尽な物言いに過ぎる。
次第に頭が煮立ってくるような気がした。
怒りだ。
なぜそんな卑怯な人間だと決めつけられなければならないのか。なぜ、ルーシャスよりもシーファがエデルを知ったような口を聞くのか。
エデルは怒りに震える声で吐き出した。
「なにそれ。なにそれなにそれ……!! そんなことシーファが勝手に決めつけないでよ! わたしはそんな卑怯なこと考えてない!! 白蛇ちゃんを助けたい気持ちは本当だし、ルースたちが助けに来てくれるって信じる気持ちを否定しないでよ!! ――わたしが! わたしがルースを信じるって決めたの!! 一緒に過ごした中でルースとナイジャーがわたしをどれだけ大切にしてくれたか思い知ったから! たとえ本当に裏切られたって、それはルースたちのせいじゃない。わたしが勝手に信じて裏切られただけだよ。それで良いの。だから関係のないあなたが勝手なこと言わないで!!」
誰かに向かってこんなに怒りをぶつけたことはない。こんなに大声を出したこともない。
けれども、絶対に否定されたくない気持ちだった。絶対に踏みにじられてはいけない思いだった。
かつて、ギレニアの山中で、エデルはルーシャスたちを信じることができなかった。なのに、彼らはきちんとエデルを助けると言った言葉通り、裏切ることなく、一晩をかけて探し出してくれた。
あのときに決めたのだ。
彼らのことだけは最後まで信じ抜こうと。たとえいつか彼らがエデルを裏切ったとしても、それで良い。あの朝、彼らのやさしさにどれほど救われたかわからない。彼らを信じる気持ちはそのやさしさに報いたいだけなのだから、信じた結果がどうなったって良いのだ。
その決意を踏みにじられることだけは、決してあってはならなかった。
エデルは肩で息をする。息が苦しいのは、叫んだ疲れなのか、怒りからなのか。
猛烈に泣きたくなって、慌てて上を向く。いつだって、泣きそうなときはこうしてやり過ごしてきた。
「……どこを見てる」
ずいぶんと間があってから、シーファが低く尋ねた。どこか、罰が悪そうにも思えたが、エデルには気づく由もないことだった。
「なにも見てない」
泣きそうだ、なんて、意地でも口にしなかった。




