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76.シーファの立場

 たどり着いた宿屋の一角で、担がれていたシーファは雑に放られ、エデルは赤い髪の女によって寝台の上へと降ろされた。


 エデルが泊まっていた宿の一室よりもよほど狭く薄汚い埃っぽさが目立つ部屋だった。

 壁は土塊がむき出しになり、簡素な寝台がひとつある以外は何もない。その寝台も直接掛布だけを敷いているかと思うくらい薄っぺらく、ところどころ破れたりほつれたりしていて、黄色だか茶色だかよくわからない汚れがシミのようになっていた。

 相変わらず身体は動きそうになかったが、その段階で初めて上半身がふっと緩んだ。しかし腕は自由にならない。


 首元にしがみついていたウィットランドーグの幼獣は剥ぎ取られ、今はもう姿も見えない。どこか別の場所へ連れて行かれたようだ。早く助け出してあげないと、本当に売り物にされてしまう。

 焦りはするものの、身体が動かない上にこうも大柄な人たちに囲まれては動きようもなかった。


「こんな薄汚いところでごめんね」


 いえ、と咄嗟に答えかけて、エデルは口をつぐむ。別段、もてなされたわけではない。ここは離せだとか、何をする気なのかだとか、そういうことを聞くべきだろう。けれどもそのどれも口にする元気もなくて、エデルはただ無言で彼らが次に何をするかを待った。


「おい、シーファ! いつまで寝てんだ!」

「うっ、――ぁ」


 男のひとりが床に落ちたシーファを蹴り飛ばす。誰かが暴力を振るっている姿は見ていたくなくて、エデルはぎゅっと肩を縮こませて顔をそむけた。


「あらま。荒事は苦手な感じ?」

「…………」

「まあ素直になればそんなに乱暴なことにはならないわよ。こんな小さな女の子をいじめる趣味はないしね」

「なにを……するつもりなんですか」

「なにをしたかを聞くのはこっちのセリフ。あんた、ウィットランドーグを盗んだらしいじゃない」


 エデルは瞬いて、それからなるほど、と納得した。

 彼らの中ではエデルが幼獣を盗んだことになっているのか。

 エデルは首を振った。


「盗んではいません。あの子がわたしについてきたので、それで」

「そ。じゃあ返してくれるんだね?」

「それは……」


 決して盗み出したような真似をした覚えはない。それは本当だ。しかしだからといって「ではお返しします」と素直に言うわけにもいかなかった。


「返さないってんならやっぱりあんたが盗んだことになるわけよ。だってあんなに懐いてるの、おかしいもの。いくら幼い個体とはいえウィットランドーグなのよ。そもそも人に懐かないし、懐かせるっていうより上下関係を叩き込んで飼い馴らす(・・・・・)もんなのよ。一体どうやって懐かせたの?」

「それはわたしに言われても……。本当に最初からあんな感じだったんです。最初に会ったときもあの子のほうから近づいてきてわたしにべったりでした。あの子が特別人に馴れやすい個体だったんじゃないんですか?」

「そんなはずないんだよねえ……。緑層(りょくそう)でも一度脱走したって話だし」


 緑層。

 エデルの脳裏で、ひとつ断片的だったピースが嵌った気がした。


 ――じゃあやっぱり、ギレニア山脈でフロウの巣穴にいた子と同じ個体だったのかもしれない。

 だとしたら、あのウィットランドーグは〝エデルの味〟を覚えていたのだ。正確には、エデルの魔粒子の形と質の高さを。だからあのとき、エデルを見つけてすぐに寄ってきたのか。

 そう口からこぼれ出そうになったが、なんとか押し留めた。ここでそれを口にしたら、エデルがウィットランドーグに関与したこととは別に、エデル自身が彼らの違法事業を後押ししている緑魔鉱石(りょくまこうせき)の大元であることに気づかれてしまう。


「ウィットランドーグに限ってそんなことないと思うんだけど」

「おい、みんな!」


 どこかへ出向いていたらしい男のうちのひとりが乱暴に扉を開け放つ。びくりと身をすくませると、入ってきた男はぎらぎらと血走った目をエデルに向け、まっすぐに指さして怒鳴り立てたのだった。


「そいつ、エデル・マーシュロウだ! 緑層のゲルニッシャー商工会が手配書出してたやつ!」


 さっと血の気が引く思いがした。口をつぐんでいようとしたそばからバレている。


「バカ野郎! 大声出すんじゃねえよ!!」


 後ろから入ってきたもうひとりの男がエデルを指さした男を思い切り殴る。ぎゅっと目を瞑ると、やさしく肩を叩く手があった。赤い髪の女の人だ。どうやら暴力に怯えるエデルを宥めているつもりらしい。


「ちょっと。ただでさえ狭くてむさ苦しい部屋の中なんだから図体のでかいあんたらが無駄に動き回るんじゃないよ」

「でもよう、カリガ。そいつ、エデル・マーシュロウだって……!」

「だからでかい声を出すなっつってんだろテメェは!」

「どっちの声がでかいんやら……。それで? エデルのお嬢ちゃんがどうしたっての」

「ゲルニッシャー商工会の会長が()の捜索依頼を出していただろう。今確認してきたら今週も報酬金が更新されていた。ガルタ金貨五十枚だ」

「ごじゅう……!?」


 その場のほとんど全員が驚愕した。エデル自身も言葉が出ない。

 ガルタ金貨五十枚などと言われても、もうエデルには想像もつかない額だった。緑層の一般的な考えでは、金貨四枚あればふたり家族が一年間十分に食べていけると言われているから、とんでもない金額であることだけはわかる。

 エデルの肩に手を置いていた女の人がこちらを見た。彼女の名前はカリガというらしい、と彼らの会話の中で聞いた名を頭の片隅に記憶した。


「念のために聞くけど、マニュエル・ゲルニッシャーは本当にあんたのパパなの?」

「いえ、知らない人です……」

「まあ、そうよね。明らかに関係性を偽ったただの手配書だもんね」


 カリガがため息をつく。


「その依頼、この子を連れてったところで本当にそんな法外な報酬金がもらえるの? 捜索依頼の類は基本的に詐欺でしょ」

「どういう関係かは知らねえが、信頼性を高めるためにわざわざ商工会長の名前まで出してきてるんだろ。俺たち相手に踏み倒そうってんなら、そんときゃいつも通りお支払いいただくだけだな」


 そそっかしい茶髪の男をどつき回している黒いくせ毛の男が彼らの長であるらしい。顔に目立った傷のある大男だった。

 彼が軽い調子で肩をすくめると、嫌な笑い声がさざめき立つ。〝いつも通りの支払い〟が決して良い意味ではないことくらい、エデルにも伝わった。それを堂々と実行し、仲間もそれに追随する人たちなのだ。


「完全に話の向きが変わってきたわ」


 カリガだけは呆れた様子だが、否定する素振りはない。彼女もまた彼らのグループのうちのひとりなのだ。やさしそうに思えてもその本性は窺い知れなかった。


「おい、そいつはおれの獲物だぞ!」


 部屋の隅から苦しげに吐き捨てる声がする。シーファだ。ようやく意識が戻ったらしいが、まだぐったりと座り込んでいた。

 彼も拘束されたようで、両手が使えず不自由そうにしている。だがこちらを見据える眼光は鋭い。

 そのシーファの前に進み出たのは黒髪の男だった。口元には薄ら笑いを浮かべ、呆れたように見下ろす。


「ああ、ご苦労だったな。あとは俺たちがしっかり金に換えてやるから安心しろ」

「おまえたちに分け前を与えるために捕まえて来たんじゃない!」

「それがどうした? おまえは俺たちの仲間(・・)だ。だからおまえが得た報酬は俺たち全員が分配の権利を得る。契約書にそう書いてあっただろう?」

「気に入らなきゃ依頼も簡単に放り出すおまえらが契約を語るな! そうやって得た報酬がきちんとおれに分配されたことがあったか?」


 男の中のひとりが笑い出す。


「そりゃあシーファ。おまえが一番新人なんだからしょうがねえよ。みんなで依頼を片付けたってその報酬金が全員に平等に分配されるわけがねえ。こういうのには序列ってもんがあんだよ。お坊ちゃんには難しいかもしれねえけどな」

「そういう建前で何度おれの報酬が不当に引かれた!? 報酬が支払われなかったときさえあった! あったとしてもその日の食事を買うのでやっとの金額が正当な報酬だと!?」

「シーファ」


 黒髪の男が一言シーファを呼ぶ。それだけで空気がぴりりと緊張した。


「報酬に不満があるなら報酬の相談をしろ。それなら応じてやる。だが、おまえの報酬金の話とこの女の捜索依頼は別の話だろ。おまえが捕まえてきた。だから俺たち全員が報酬金を受け取る。その報酬金の分配額については、そのときに相談すりゃ考えてやるよ」

「不満を訴えたところでなにも変わらなかった! それがおまえたちだろうが!」

「そりゃおまえの働きがその程度だと俺たち全員が判断したんだから仕方ないな。ま、今回捕まえて来たのはおまえの手柄だ。ちょっとは考えてやるよ。……だがな、勝手に足抜けしようとしたのは契約違反だぜ。その分はしっかり差し引かなきゃな」

「待て、ロッズ!」

「一晩そこで頭冷やしてな」


 ロッズ、と呼ばれた黒髪の男はひらりと手を振り、部屋を出ていく。その彼に従って全員がぞろぞろとついて行った。最後にエデルのそばを離れ、男について行ったカリガがこちらをちらりと見る。その紅茶色の目がどこか案じるように揺れているように思えたが、結局、声をかけることもなかった。


「で、ウィットランドーグのほうはどうすんだ?」

「朝んなったら引き渡しゃ良い。俺ァもう寝る」

「朝じゃあ競りは終わっちまうぜ」

「どうせ今からでも間に合わねえよ。明日か明後日か……まあ近いうちに奴さんらが勝手にどうにかするだろ。ウィットランドーグを引き渡したら警護の依頼は打ち切りだ。あの女をゲルニッシャー商工会に引き渡す」


 扉が閉まると、狭い部屋の中にはエデルとシーファのふたりだけが取り残された。


 シーファは後ろ手に縛られたままうつむき、その表情は窺えない。

 彼が起こした騒動だったが、エデルにはどうにも彼だけを憎む気にはなれなかった。だが、かける言葉も見つからない。


 不安に震え、一睡もできないまま夜が更けていった。

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