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75.仲間なのか、そうではないのか

「離して!」


 エデルは必死で抵抗したが、目まぐるしく変わっていく気配は途切れることがない。


 次々と視界に映る景色が流れていく。まるでドゥーベで駆けていたいつかのようでもあり、それともまた違う感覚だ。

 パッと目の前に景色が現れては消え、ふたたび現れたときには別の景色が見える。見えるのではなく、自分が移動しているのだ、と気づくまでしばらくかかった。


 エデルを捕らえているのは白髪の青年である。シーファとかいう、あの倉庫で出会った、組織の上層部のような人だ。彼がエデルを後ろから羽交い締めにするように拘束しているから、彼の魔法に一緒に巻き込まれているのだろう。


 ならば、振りほどけばその影響を受けないということだ。

 エデルは身体を捩ってシーファの細腕から逃れようとしたものの、しかし後ろ手にされた手首のあたりががっちりとなにかに絡まっていて動かない。紐で縛られているようだが、彼がエデルにそんなことをしている暇はなかったはずだ。だとしたら、これも魔法なのだろう。

 倉庫でナイジャーがエデルに施してくれた幻影魔法を一度で見破ったことといい、何度も移動魔法を繰り返して距離を稼いでいることといい、本当に器用な人だ。


 エデルの首元がもぞりと動く。

 ウィットランドーグの幼獣はずっとエデルの襟首の中にいたから、一緒に攫われてきたらしい。この場合、この幼獣だけでも逃さないとまずいのではないだろうか。このバガスの街でふたたび彼に捕まったら、今度こそ売り物にされる。


 しかしエデルが声をかけるより前に、幼獣は素早く首元から飛び出して背後のシーファに襲いかかった。

 目にも止まらぬ速さだった。にもかかわらず、幼獣は弾き飛ばされたように跳ね返ったのである。


 幼獣は鋭く悲鳴を上げた。


「二度も同じ手にかかるか!」

「あっ!」

「ぎゃ、わ……っ」


 幼獣は三趾足の鉤爪を必死にエデルの服に引っ掛け、なんとか振り落とされないように胴体をくねらせエデルの肩にかじりつく。牙が食い込んだが、幼獣が振り落とされて、どこか、得体のしれない場所に放り出されるよりはマシなように思えた。

 首を限界までひねって後ろを見やると、青年は手にした杖で幼獣を狙っている。また攻撃するつもりだ。


「白蛇ちゃんになにするの!」

「は? 白蛇? ――ッ!!」


 青年がぽかんと目を見開いた、その一瞬の隙を突いて、今度は幼獣のほうが反撃に出る。青年の攻撃では怪我のひとつも負っていないようだった。

 幼獣と一緒に〝深淵の館〟で過ごしてい間に、ルーシャスたちやミューリアなどから、ウィットランドーグの特徴や強さは聞いていたが、やはり打たれ強いというのは本当らしい。


 エデルは目を丸くした。

 あんな至近距離で攻撃魔法を食らったのだ。それをまるで意に介さないとは、おそらくこの幼獣のほうがエデルよりもずっと強い。

 反撃をまともに食らった青年が吹っ飛ぶ。それでようやく青年の拘束からは逃れたが、後ろ手に縛られたなにかは解けそうにもなかった。


「うわっ!」


 急に身体が放り出される。正面から地面に投げ出され、全身を強か打ち付けた。手が使えないから、膝でもろに受け止めてしまったし、顎のあたりも少し擦った。傷みを堪えてようよう身を起こしたものの、目の前では青年も膝を付き、両手で身体を支えるのがやっとのようだった。

 白い髪がすっかり地面にわだかまりを作るほどにうなだれ、激しく息を乱している。今の幼獣の攻撃で重傷を負ったのかと、逃げる好機を得たと閃くより心配が勝ってしまった。


 エデルは荒事に慣れていない。たとえ自身を誘拐した相手でも、その人物が今目の前で苦しげにしているのなら心配してしまう気持ちが勝ってしまう真っ当な善人なのだ。


「だ、大丈夫……?」

「……ハァ……バカ、か、おまえ……ハァ、ハァ……人の、心配してる、場合か……?」

「でも……だって、そんな苦しそうにしてて放っておけないよ」


 言われてみれば、その間に逃げれば良いのである。だが、一体どこまで連れてこられたのか、もうエデルにはまるでわからなかった。バガスの街の中なのか、それとも外へ出てしまったのか。

 あたりを見回しても人気はなかった。どうやらどこかの路地裏に連れ込まれたらしい。

 土地勘もないままひとりで逃げ出しても、いずれまたこの青年に捕まるか、別の誰かの悪意にさらされそうな気がする。そう思うと逃げ出す気持ちもしぼんでしまった。


 首元の幼獣は顔を覗かせ、しきりと青年を威嚇する。今にも噛みつきそうなところを宥めすかし、ようやく体勢を立て直す気になったらしい青年に近づいた、その時だった。


「シーファ、持ち場離れてなにやってんだ、てめぇはよ」

「つくづく使えねえ坊っちゃんだなァ」


 いつの間にか周囲に人が集まってきている。どこからどう見てもガラが悪そうだ。青年の仲間のようだった。


「あらぁ、その子……」


 見上げるような大男たちの後ろから、ひょっこりと女性も姿を現した。同性とあって一瞬肩の力が抜けかけたが、彼女の背の高さに驚く。

 燃えるような赤い髪をした女の人だった。彼女は髪色と似たような明るい紅茶色の瞳を瞬かせ、喜色に歪めたのだった。


「なあに? やだ、シーファ。こんなところで女の子引っ掛けてたってわけ?」


 ――たぶん、この人も間違いなく危ない人だ。


 目の色を見てエデルは身をすくめる。人懐っこそうな笑みの中に、しかし確かな狂気を孕んでいた。


「おい、この女」

「うっ――!?」


 近づいてきた男のうちのひとりに顎を掴まれる。エデルの顔など片手で潰せそうなほど大きな手をした男だった。


「この顔、どっかで見たことないか?」


 じっくりと舐めるように見つめる三白眼が怖い。エデルがにわかに震えると、首元から白い影が飛び出した。


「だめ!!」

「うおっ!?」


 エデルは噛みつこうとした幼獣を制止した。幼獣が驚いたようにびくりと止まる。

 シーファと呼ばれていた小柄な青年にも攻撃を食らっていたのである。いくらこの幼獣にこたえたところがなくとも、こんな強そうな人が相手ではなにをされるかわからない。幼獣が傷つくところは見たくなかった。


「あ、こいつ! ウィットランドーグ!」

「ってことはまさか、この女がウィットランドーグを盗んだ例の……?」

「チッ。――来い!」

「えっ?」


 まだ肩で息をしているシーファがエデルの腕を引き、また景色が変わった。移動魔法だ。取り囲んでいた大柄な男女が十数メートル離れた場所に見えた。


「あ、おいシーファ!」

「あいつ、なにするつもりだ?」

「どう見たって足抜けだろ! クソ野郎! 抜けるんなら違約金払え!」

「言ってる場合か、追いかけろよ!」


 遠目に見える五人がバタバタと追いかけてくる。誰もがエデルを拘束したシーファより大きく、いかにも強そうだ。

 シーファの仲間だと思ったのだが、その彼は味方に会って落ち着くどころか逃げ出す始末である。どういう関係なのか、エデルにはにわかにわからなくなっていた。

 シーファは一度は移動魔法で逃れたものの、ふたたび膝をついてしまった。


「し、シーファ? 大丈夫?」

「おまえに、心配……される、覚えは、ない……!!」


 苦しそうなシーファがふたたびエデルを掴み、また移動魔法で彼らから離れる。しかし既に限界だったらしいシーファにはそれほどの距離を移動することができず、あっという間に追いつかれてしまった。


「シーファ! この野郎!」

「ぐ、ぅ……!」


 男たちのうちのひとりがシーファの襟首を掴み、振りかぶるように投げ飛ばす。シーファは路地の隅に積み上げられたゴミの山に突っ込み、空の箱や大きな廃材のようなものが派手に崩れる音がした。

 乱暴に過ぎる扱いにエデルが息を呑む。その肩をそっと撫でられた気がして振り向こうとしたが、しかし首がまったく動かなかった。

 首だけじゃない。全身が硬直したように固まっている。


「ごめんねぇ。逃げられちゃかなわないからさ」


 くるりと身体を反転させられる。唯一の女性であった赤い髪の女の人だった。

 彼女は硬直したエデルをひょいと横抱きにした。気軽な所作だったが、エデルだって成人女性と同じ体格をしている。ルーシャスやナイジャーもそうだが、魔力の扱いに長けた人は見た目以上に力があるから、彼女も同様に魔法を扱う強い人なのだろう。


 幼獣も、エデルの首にくるりと巻き付いたまま引っかかってはいるが、その状態のまま動きがない。エデルと同じ拘束魔法が施されているようだった。

 シーファは意識を失ったのか、ぐったりとゴミの山に突っ込んだまま動かない。それを別の男が無造作に引っ張り出して肩に担ぎ、捕り物は終わったとばかりに歩き出す。


 一体どこへ連れて行かれるのか、シーファと彼らの関係はなんなのか――この先、エデルはどうなってしまうのか、なにもわからない恐怖に震えることすら許されなかった。

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