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74.誘拐劇

 あれはエデル・マーシュロウだ。

 シーファはその姿を見つけたとき、自身が今どこでなにをしているのかも忘れて店を飛び出しそうになった。

 だが狭苦しい店内の椅子やテーブルに身体をぶつけ、進路を阻まれる。


「おい、テメェ! どこに目ェつけてやがる!!」


 ぶつかった酔客に怒鳴られても、まるで耳に入らなかった。

 シーファは、道の奥へと消えて行こうとする銀髪の後ろ姿を見やって、慌てて追跡魔法をかけようと魔粒子(まりゅうし)を練り上げる。


 ――隣にあのときの男がいた。仲間らしき別の男と囲んでいる。追跡魔法はさすがにバレるだろうか。

 ――それにあのウィットランドーグもそばにいたなら異変に気づくかもしれない。だが。


 迷ったのは一瞬。

 シーファは練り上げた自身の魔粒子を小さな羽虫のような形に変えて飛ばした。

 エデル・マーシュロウの姿がシーファの視界から消える前に。


 祈るような時間はほんの数秒にも満たなかっただろう。手応えを感じた瞬間、ついに雑踏のさなかに消えていった。

 あの追跡魔法は自身の魔粒子を対象者へ付着させて追いかけるものだが、その際に使用者が対象者を目視できていないと成功しない。ぎりぎりの賭けだったが、成功したのだ。


「テメェ、聞いてんのか、このクソガキ!!」

「うっ――!?」


 エデルに意識が向いていて、今しがた蹴飛ばしたテーブルの酔客のことなど忘れていた。だがあちらはしっかりと追いかけてきていたようで、シーファは胸ぐらを掴まれうめき声を上げた。


「俺にぶつかっといて無視たぁいい度胸だな!」

「――はっ。おまえこそ簡単にキレすぎじゃないか? 図体ばかりでかいんじゃ余計に器の小ささが目立つぞ」

「てっめ……!」


 殴られる。シーファは後ろ手に魔粒子を練り上げた。防御魔法でどうにかなる範囲なら恐れることもない。逆にカウンターを食らわせて沈めてやる。

 そう好戦的に考えた瞬間、襟首をぐいっと後ろへ引かれてカエルが潰れたような声が出た。


「ちょっと待ちなって! シーファ、あんたね、いちいち煽るんじゃないよ」

「カリガ」


 燃えるような赤い髪が揺れる。カリガだった。

 止められた男はカリガを見るなり、心底嫌そうな顔をした。


「テメェかよ、カリガ……」

「あら、あたしを見知ってくれてるの? 光栄だね」

「ふざけんな! 俺の仲間はテメェに……」

「ん?」

「……んでもねぇよ」

「お仲間があたしにヒンヒン泣かされたって?」

「っせぇ! わかってンならいちいち口にすんな!」

「あんたが言い出したことでしょうに。――ま、あんたもあたしにいじめられたくなったら言ってよ。すぐ弱音吐きそうで好みじゃないけど、お望みなら考えてやらないでもないからさ」

「っせぇな! テメェなんざ願い下げだよ!」

「おい、カリガ! いつまで人の襟首を引っ張ってるんだ!」


 仔犬か仔猫のようにシーファの襟首を引っ掴み、ぷらぷらと遊ばせているカリガに怒声を上げる。魔法で抵抗しようとしたところで、この女もまた手練れだ。発動を感知した段階で反撃される。


「あんたがキャンキャン吠えてあちこち喧嘩売りまくるから押さえてやってんでしょ。ほら、行くよ」


 襟首を掴まれたままずるずると引っ張られる。「離せ」だとか「やめろ」だとか何度も抵抗したのだが、力の強いカリガにはついに敵わなかった。


「だいたい、なんだってあんなところで油売ってたのよ」

「うるさいな。注文が来るまで暇だったから外を眺めてただけだ」

「外ォ? この坊っちゃんは変なところに興味を示すねえ。誰か知り合いでもいた?」

「いや」


 もう姿も見えないし、カリガが見たところでエデルだと気づく由もないだろうが、それでも興味を示されると心臓がひやりとした。


 エデル・マーシュロウは確かに幻影魔法を施していた。以前よりよほどマシな出来栄えだったといえる。だが、シーファにそれが見破れないわけがない。

 幻影魔法を見透かすとき、シーファには幻のように本来の姿が透けて見える。あのとき一瞬見えた銀髪は、確かにあの女の本来の姿だった。


 カリガはシーファをもとの席に座らせ、自身で追加の注文を受け取りに行った。「使えない下っ端だねえ」などと小言を残していくことも忘れない。だが、シーファにはもう言い返す気もなくなっていた。

 先程追跡をかけたエデルがどこへ移動しているのか、いつ気づかれてしまうのではないか、と半ば焦燥を覚えながら探るのに忙しかったのだ。


 あの女を捕らえればすべてが解決する。金に替えれば傭兵団もやめられる。

 こんな傭兵団などクソくらえだ。

 今すぐにでも追いかけたい気持ちはあったが、シーファは懸命にもぐっとこらえた。


 ――追跡魔法は成功している。ここで下手に追いかけてカリガに不審感を抱かせたり、エデルの周囲にいる男たちに気づかれたら終わりだ。慎重になれ。


 シーファはその日、夜半過ぎまでじっくりと耐えた。そうして仲間に怪しまれることなくひとりになり、追跡魔法を追いかけてついに突き止めたのである。

 エデル・マーシュロウのいる宿屋を。


「……はは。バカめ。やはり妨害結界を張っていないな」


 妨害結界の種類はさまざまだが、エデル・マーシュロウほど多方面から狙われる女を守りたければ、まず必須魔法だ。それさえしていれば追跡魔法を仕掛けたシーファがここまで探ることも、これからしようとしていることも妨害されたはずなのに。


 だが、あの女自身も、女の周囲を固めていた男たちもそれをしていない。

 愚かすぎて笑い出してしまいそうだった。

 以前の幻影魔法もそうだったし、本人がご丁寧に申告していたが、補助魔法の類は相当苦手なのだろう。

 しかしシーファにとっては僥倖だ。


 一か八か、シーファは移動魔法を試みた。

 一般的に、移動魔法は消費が大きい上、基本的には使用者の目視できる範囲内でしか移動ができない。しかし、シーファはそれを越え、屋内の一角、追跡魔法の反応がある場所をめがけて一足飛びに飛んだのだ。

 魔力の消費はより大きくなるから連発はできない。せいぜい侵入と脱出の二回、それから目視できる範囲の移動魔法が数回で限界だ。

 リスクは大きい。だが、やる価値はある。


「――逃げ切ったらおれの勝ちだ」


 簡単な話だ、と残して、シーファは魔法を発動させた。




 *




「ルース!」


 伸ばされた手が空を切る。掴めるはずだった。もう離さないと決めたはずだった。なのに、あとほんの指先ひとつ分の距離が足りなかった。

 シーファだ。補助魔法の得意なあの男が、移動魔法でエデルを攫っていった。


「くそ!」


 宿の部屋の中で、手の届くところにいたはずなのに攫われた。


 ――いつ気づかれていた? どうやってこの居場所が割れた?


 思考を巡る疑問に答えが出るはずもない。あらん限りの罵詈雑言を吐き捨てた。

 あのシーファとかいう男は補助魔法に長けたやつだと知っていたのに。妨害結界さえ張っていれば。だが、ルーシャスもナイジャーも補助魔法は不得手だった。下手な魔法を使うと失敗のリスクも高くなる。


 特に結界は、魔術式を失敗しただけで求めていた効果がまったく得られない上、壁を作ろうとした魔粒子ばかりが目立つのだ。エデルの存在をなるべく隠しておきたいのに、それでは逆効果になる。

 だから結界を作らない代わりに、自身の目の届く範囲に置くことで守ろうとしたのに。


 ルーシャスは歯噛みする。失態を悔いていてもエデルとの距離は離れていくばかりだ。相手は移動魔法に長けた人間なのである。逃げるときにも必ず移動魔法を使うだろう。


 ――ここまで大胆なことを仕出かすやつだと思わなかった。


 あの倉庫で対峙した限り、シーファは傭兵として未熟なように思えたのだ。それだけならこんな大それたことを仕出かす可能性も十分にある無鉄砲なだけの男だが、彼は思慮深さも持ち合わせていた。冷静に場を処理し、合理的に動ける頭脳もあった。


 ――いや、だからこそ今この瞬間を狙ったのか。


 完全にルーシャスが油断していた。

 ルーシャスは部屋を飛び出し、一階の酒場にあふれる客を蹴倒す勢いで外へと飛び出していく。黒層(こくそう)のほとんどの宿は外とつながる窓がない。それがひどく不便で苛立たしかった。

 エデルは必ず取り戻す。今度こそ、手放さないと決めたのだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] エデルを助ける為に動き出しましたが、果たしてどうなるのか楽しみにしています!
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