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73.エデルの決意

 バガスの街で取った宿は案の定最上の宿で、ふたたび大浴場の使用許可は出なかった。というより、大浴場自体がないのである。

 このひとつ手前の宿でもそうだったからもう残念にも思わなかったが、大浴場自体がないのは驚きだった。

 その上、湯浴みをする設備も整っていないという。そもそもこの宿は、寝るためだけのものという認識のようだった。


「あのシステム自体、黒層(こくそう)では湿気が溜まりやすいからあるものなんだ。客が部屋で湯浴みをすると部屋そのものの湿度が高くなりがちだろう。それを客自身に湯浴みしたら除湿をお願いしますと言ったところで、客は宿が考えるより真剣に除湿を考えてはくれない。それでは設備の傷みが早くなるから、宿側が一元管理するようになった。だが、バガスじゃ宿側もそんな管理は面倒だと考える。夜寝ている間に殺されない場を提供してやるだけありがたいと思え、というような発想だな」

「また極端な……」

「湿度より優先すべきことが多いんだろう。だから湯浴みもさせてやれないのはすまないが」

「身体を拭くものだけでも用意してくれてありがたいよ」


 その濡らして絞った布を用意してくれたのもルーシャスたちである。

 エデルは一通り身体を拭い、埃で汚れたウィットランドーグもついでに拭いてやってから、ナイジャーが買ってきてくれた食事をとることにした。


 一階にも食堂はあるそうだが、基本的にほとんど酒場扱いで治安が悪い。とてもエデルのような小柄な女の行くべきところではないようだった。

 三人で腹を満たしながら今後についてナイジャーが口火を切る。


「俺はこのあと調査に出るから。ルースはエディをよろしくな」

「え? 一緒に行くんじゃないの?」


 ここまで連れてきてもらったのだ。頭数を増やしたほうが彼らの目的である調査もやりやすいのではないかと思ったが、留守番を指示されるとは思わなかった。

 ナイジャーは肩をすくめる。


「三人で固まって動くほうが時間を取られる。それに今歩いてきただけでも目立っただろ。俺ひとりで行くほうが都合が良い」

「でも……」


 言いかけて、エデルは口をつぐむ。

 当然のように調査にも連れて行ってもらえるのだと考えてしまっていたが、エデルが一緒にいて何ができるというわけでもないと思い出したのだ。一緒に行けば何か役に立てる、というのは彼らがエデルの特性を見て仕事を的確に与えてくれたときだけで、自分で見つけ出せるわけでもない。


 基本的に、エデルはお荷物なのだ。

 それを忘れかけていた。


 エデルはぎゅっと唇を噛む。

 エデルをひとりにしておけないから連れてきてもらっただけなのに、出しゃばってはいけない。そうは思うのだが、この獣魔(じゅうま)違法売買に関してはエデルが関与している可能性もあった。だからきちんと調べて、本当に関わっているのならちゃんと罪を償いたい。だがそれをどう口にしたものか、まだ決心がつかなかった。


「競りにかけられるだろう場所はだいたい推測ができる。そこを見て回って、あとは主催者の顔と名前くらい引っ張り出せたらこの任務は終わりだ。そんな難しいことじゃないが、目立たないに越したことはない。だから一晩待っててくれな?」


 ナイジャーに宥めるようにそう言われてしまったら、エデルにはもう、黙って頷くことしかできなかった。


 寝て起きたら帰ってきている、とナイジャーは笑ったが、彼が危険な場所に潜り込んで仕事をしているというのに呑気に眠っているわけにもいかなかった。


 というより、罪悪感で眠れない。

 今回のことはエデルのせいで起きた事件なのかもしれないのだ。そう思うと、どうしたって安全な宿で待っているだけでは落ち着かない。

 ルーシャスだってここに残っているが、それだってエデルのお守り役が必要なだけで、本来エデルがいなければ彼も一緒に調査に出ていたはずなのだ。


「ごめんね、ルース。わたしがいるからお仕事が滞ってるんだよね……」


 すっかり夜になり、ふたりきりの部屋の中、エデルは耐えきれずにポツリとつぶやいた。

 バガスの街の喧騒も、今はいくらかは落ち着いている。しかし夜になるにつれて、大声で商売する明るい声よりも怒鳴り合うような騒音が増えてきた。

 壁もない、ただの土塊の壁をくり抜いただけの簡素な部屋の中、薄い扉の向こうから響いてくる怒声にエデルは身をすくめる。何度目になるかわからない、食器が落ちて割れる派手な音がした。


「いいや? 滞ってはいないさ。急にどうした? 肉だけじゃ飽きたか?」


 エデルと向かい合って夕食を食べていたルーシャスが不思議そうに首をかしげる。

 今日は昼も夜も外の露店で買ってきた肉を食べている。味付けは塩や胡椒だけでなく、香草が混じったような食べ慣れない味わいだったが、硬すぎるほどよく焼かれた肉を食べるには、それくらいのアクセントも必要だと思わせられた。


 バガスの街には、いよいよ野菜というものがなくなった。

 実際には、露店を見ればいくらでも売っている。黒層では野菜が貴重だという話がウソだと思えるくらい、実にさまざまな野菜が取引されていた。しかしそのほとんどが不良品か、ただの野草なのだという。だから口にするなと教えられたのだ。


 今食べているような肉を売っていた露店でも、付け合せの野菜は人気だった。昼間に見たとき、ほとんどの人が串焼き肉と野菜を手にしていたのだ。

 だがナイジャーは、それを固辞して肉だけを持ち帰ってきた。すぐに健康被害が出るわけでもないし、ルーシャスやナイジャーくらい魔法の扱いに長けていれば、もしも中毒症状になったとしても自己治癒できる。


 しかしエデルには治癒魔法も効かないのだ。薬もろくに手に入らないこの場で、何が起こるかわからないものを食べるわけにはいかなかった。

 だからエデルの食事は見事に肉だけだ。これだって、衛生面を考えれば決して好んで食べて良いものではない。しかし食事をとらないわけにもいかなかったから、よく火を通して炭になりかけた獣の肉を口にするしかなかった。


「ううん。お肉は……まあ、独特の味わいだけど食べられるよ。明日もこれだけでもまだ大丈夫。……そうじゃなくて、きっとわたしがいなかったらルースもナイジャーと一緒に調査に出てたんだろうなと思ったらさ……。わたしってものすごく邪魔なんじゃない? って思って」

「なんだ、そんなことか。おまえをひとりにしておけないのはおまえのせいじゃないだろう。俺たちの気持ちの問題だ。気にする必要はない」

「でも」

「もともと、俺たちはこの案件を抱えていた。そこへ偶然とはいえエデルの問題も抱え込んだのも俺の責任だ。そのときに連れて行くことは決めていたし、連れて行くならこうなることも想定済みだった。本当に邪魔だと思うなら、ギレニア山中でおまえに出会ったときに助け舟など出さないさ」

「…………」


 けれど、それでは済まないように思うのだ。

 どうしたら、この焦燥のような、罪悪感のような気持ちを拭えるのだろう。

 やっぱり、素直に緑魔鉱石(りょくまこうせき)のことを打ち明けるしかないのだろうか。

 話したら、彼は急に態度を変えたりしないだろうか。おまえのせいなのかと怒り、詰ったり、暴力を振るうことはないだろうか。


 エデルの脳裏に、悪い予感ばかりが募ってくる。一瞬、手を振り上げる大人の姿が見えた、そんな気さえした。

 けれども首を振る。


 ――ルーシャスがそんなことをするはずがない。


 エデルはルーシャスを知っている。彼がどんな人で、どんな正義を持っていて、他者にどういう振る舞いをする人なのか、たった数ヶ月とはいえ、そばで見てきて知っているはずだ。もう顔も思い出せない母親(・・)とは違う。

 エデルは、今エデルが知っているルーシャスのことを信じるべきなのだ。

 だからきっと本当のことを打ち明けても、彼なら取り乱さず、冷静にどうすべきかを教えてくれる。

 たとえそれがエデルにとって苦しい結末になったとしても、それはエデルの罪なのだから仕方がない。それよりも、今素直に告白するほうが、大事なことのように思えたのだ。


「あ、あの、さ。ルース」


 既に肉を食べ終えたルーシャスが顔を上げる。

 エデルは残りの串を包んでいた葉の上に置いた。

 食べてしまってから口にしたほうが言いようにも思われたが、告白しようと決めたら、もうこの硬い肉を口の中に転がしておける気もしなかった。


「前に入った、あの倉庫のことでなんだけど――」


 緑魔鉱石が、と口を開こうとした瞬間、なにかに拘束された。


「エディ!」

「やはりここにいたか、エデル・マーシュロウ! 見つけたぞ!!」

「くそ……っ、おまえ、シーファだな!?」


 ルーシャスが椅子を蹴倒す。だが既にエデルはシーファによって拘束され、後ろから首をがっちりと押さえられていた。

 一体どこから入ってきたのだろう。扉が開いた様子はなかった。なのになぜ。


「獣魔などちまちま売るよりこいつが一番金になる。おれに正体が割れているのにこんなところで気を抜いて結界を張らなかった自身の落ち度を悔やむんだな!」

「おまえ……!」

「ああ、それとも、剣を振るうしか能のない貴様には結界を張る腕もなかったか? 残念だったな」


 視界が霞んでいく。なんらかの魔力が働いている。おそらく、背後でエデルを拘束するシーファのものだ。


「エディ!!」

「ルース!」


 豊かな紫の髪が膨れ上がる。ルーシャスの魔力が暴走しかねない勢いで膨らんでいた。だが、それよりもシーファのほうが早い。


「じゃあな」


 こちらを射抜く金の目が、エデルが一番頼りにしているルーシャスが、視界から消えた。

 シーファの挑発的な最後の言葉が、いつかルーシャスが彼を出し抜いたときに残した挨拶だとは、エデルには知る由もなかった。

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