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72.シーファ・フランドールという男

 バガスは露店が並ぶ街だが、当然、他の街のように店舗を構えた屋内の店もある。

 そういう店は大抵、表の市場から離れた場所に存在する。市場のさなかだと人の流れが滞留し、店の入口を通行人に潰されて、そこに店があるのかどうかわからなくなる。つまるところ、通行人が商売の邪魔になるのだ。

 だからこの酒場も、市場の外れから二本ほど通りを跨いだ、宿屋の乱立する地域に存在していた。

 一応、この店の二階以上も宿屋になっている。だがその治安は推して知るべし。ほとんど連れ込み宿だ。


 今もメンバーのほとんどが道すがらの娼婦や男娼を引っ掛けては二階の部屋に籠もっている。今一階の酒場にいるのは、燃えるような赤髪をした女と、女を引っ掛けるような気分でもなかったシーファのみであった。


「あーあ。いい男だったのになぁ」

「しつこいぞ、カリガ。テーブルに懐くな。汚れるだろうが」

「あんたもこんなとこで管巻いてないで上に行けばいいじゃん。――あ、童貞くんには女の誘い方もわかんないかあ! ごめんねえ!」

「うるさいぞカリガ!!」


 グラスをテーブルに叩きつけても、カリガはきゃらきゃらと楽しそうに笑うだけで、まるで堪えたふうもない。

 だから下賤の連中は嫌なんだ、とシーファは思いきり顔をしかめて舌打ちした。


「いやほんと、あたしの趣味じゃないばっかりに童貞も捨てさせてあげられなくて可哀想でさ……。女の子紹介してあげよっか?」

「被虐趣味の女など願い下げだ」


 シーファが吐き捨てると、カリガは茶色の目を瞬いて「誤解しないでよぉ!」と声を上げた。


「虐められるのが趣味の女なんてあたしも嫌だよ。男もね。あたしはふつーの、虐められるのは嫌です! どっちかというと俺が優位じゃなきゃ許さん! ってタイプの男が鼻水垂らしてギャン泣きしながらお願い許してぇーってするのを見たいわけ。あたしよりでっかい男だったら尚良し」


 そういうカリガは背も高い。百八十はある。その上、傭兵団に所属していると言って誰もが納得するような筋肉質な体躯をしていた。癖の強い派手な赤い髪と相俟って、並の男では並び立っても霞んでしまう。

 そのせいなのか否か、彼女は突き抜けた性的嗜好を持っていた。


 とにかく自尊心が高く、強くたくましい、心身共に健康な男を徹底的に屈服させたがるのである。


 ――彼女に言わせれば、男だけでなく女も可、なのだそうだが、シーファにその違いはわからない。


 だが本人が何度も繰り返しているので、いい加減ある程度彼女の好みを覚えてしまった。

 カリガはすぐに屈服するタイプの男に――女もだが――食指は動かないのだ。ありとあらゆる暴虐の限りを尽くしてなお抵抗の意思を見せるような相手に惚れてしまう。あるいは、その片鱗が見える人間なら執着する。

 その上彼女より大きな相手であればなお良いなどと言っているが、そうそういるわけがない。


 しかしカリガは見つけてしまったのだ。自身より背の高い、プライドの高そうな男を。


「その点あの男、マジで良かったよねえ……。なんつったっけ、名前……」

「おれが知るか」

「紫の髪が良い感じでさあ……。ああいうの剃ってやったら男って嫌がるんだけどさ、そういう無駄なプライドへし折るのが余計楽しいんだって言ってんのになかなか理解しないんだよね。バカでかわいいのよ。でもあいつは髪剃ったくらいじゃ折れなさそうですごく良い。それにあの金の眼は最高だね。屈辱に歪むところを見てみたいわあ」


 うっとりと妄想にふけるカリガに、シーファはふたたびできる限り秀麗な顔を歪めた。


 こんな表情も、実家の連中に見られたら、品がないとかフランドール家の人間が情けないとか小言を並べることだろう。そのフランドール家の家系図には載せず、家の者としての頭数にも入れないくせに、シーファが失態を犯すと都合よく「フランドール家の汚点」などとシーファを家の一員として含めるのだ。


 シーファの脳裏に捨ててきた家のことが思い出されて激しく舌打ちした。こんな仕草も、家を飛び出してから学んだことだった。


「全然飲み足りないわあ。シーファ、追加で頼んできてよ。あたし麦芽酒ね」

「自分で行け、そのくらい」

「あらやだ。シーファちゃんには注文はまだ難しかったかなー? あそこのね、カウンターにいるおじさんに、お酒ください! って言ったら良いのよぉ」

「それくらい言われなくてもわかる! いちいちバカにしやがって……!」


 シーファは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、白い真っ直ぐな髪を振り乱しながらカウンターへと向かったのだった。


「……あの鼻っ柱の高さはへし折り甲斐があるんだけどなあ。ああいうコってポッキリ折れちゃったら二度と立ち上がれなくなっちゃうんだもんね。――そうなる前にこんな傭兵団抜けちゃったほうが良いわよぉ、シーファ」


 他人の高いプライドはへし折りたいが、屈服させたらきちんとケアしてふたたび牙を研がせてやりたい難儀な性的指向を持つカリガは、いまだ貴族の坊っちゃん風情が抜けきらないシーファの後ろ姿にそうつぶやいたのだった。


 そんなカリガのつぶやきなど耳にも入っていないシーファは、足取りも荒く酒場の狭い席を避けながらそこかしこで酔いつぶれ、バカ笑いし、ときには喧嘩を始めている周囲の客にしかめた顔が戻らない。

 シーファの傭兵団仲間も――仲間とも呼べないが――おおむね似たような雰囲気だ。声と態度はでかく、頭は足りず、下品。まるで獣そのものである。だがシーファはその中で一番新入りで、特別強いわけでも役に立つわけでもないから、こうして紅一点のカリガにまで小間使いのように使われていた。それでも、自分で選んでこの傭兵団に置いてもらっている。文句は言えなかった。

 こんな仲間とも呼べない上下関係の最下層に配置されるのは屈辱だ。飛び出してきた実家での構造とまったく変わらない。あちらは青層(せいそう)の貴族であったというのに。


 結局、自分はどこへ行っても人に踏みにじられるだけなのかもしれない、と最近思い始めていた。


 シーファは、名をシーファ・フランドールという。生まれ育ちは青層の帝国に領地を持つ、裕福な小貴族だった。

 しかし、その暮らしは決して幸せなものではない。フランドール家の中で、シーファは常に要らない子どもとして虐げられていた。

 どこかの有力な商家が、富だけでは飽き足らず欲を欠いて貴族階級の肩書を求めた。その足がかりに、家柄だけでかろうじて貴族を名乗っていたフランドール家に娘を嫁入りさせ、子を儲けた。それがシーファだ。

 それだけなら、貴族の肩書と十分な財力を持つ母方の商家に守られ、幸せに暮らせただろう。


 だが現実はそううまくいかなかった。

 嫁いだ商家の娘――シーファの実母はシーファが生まれて間もなく病死し、シーファの父であるフランドール家当主はそのわずかな間に援助を得た商家の財で一族を立て直し、それを元手に名のある貴族の娘を後妻にもらったのである。


 そうして、当主と後妻はすぐに子を儲けた。シーファの異母弟だ。シーファの弟は、両親ともに貴族出身の、由緒正しい血筋を持つ男児だった。

 後妻の家の力も得てすっかり商家を追い払ったフランドール家は、その下賤な庶民の血筋を引くシーファをも憎み始めた。


 シーファは常に弟と比べられた。

 シーファが弟より優れたことをすれば下賤の血筋の分際で出しゃばるなと罵られ、シーファが失敗をすればフランドールの者としての振る舞いを心得よと理不尽に叱られる。


 こんな家はこりごりだった。

 だから、強制的に通わされた学府を卒業するや否や出奔したのである。

 幸いにも、学院時代、シーファは魔道士としての才能を認められていた。だからそれで生計を立てていけると思ったのだ。


 ――大間違いだった。

 魔道士というのは、一口に言っても幅広い。〝魔道士〟の中には、傭兵として戦う魔道士や、人々の生活の手助けになる道具を開発する魔導具技師、人の運命や、ときには政治を導く役割も担う占者をも含む。他にも、飛空船(ひくうせん)などの設計士も魔法に長けた人間でなければ就けないし、最近流行りの髪結師も、魔道士の資格を持っていなければなれないものだった。


 シーファはそのどれにもなれなかった。学院時代には持て囃された魔法の精密性も、世に出てみれば並み程度のものだったのだ。

 だから職を得るのに苦労した。あちこち門戸を叩いても、たいていは門前払いされた。――その大半はシーファの魔法の才能を無能と見做したのではなく、貴族に劣等感を持つシーファの癇の強さを憂えてのことだったのだが、彼自身はまだ気づいていないことである。


 何にもなれず、結局、補助魔法を必要としていた傭兵団に所属した。

 実家は頼れない。だから資金援助はなく、もう生活していくだけでかつかつだった。四の五の言っていられず入団したのが、カリガも所属するこの傭兵団だったのだ。


 だが、入って早々に後悔した。

 この傭兵団、とんでもない悪党集団なのである。

 受ける依頼は実入りが良ければなんでも請け負う。違法でもなんでも、だ。気分で依頼者を脅して余計に金品を巻き上げるし、気に入らなければ途中でも放棄した。


 最初は、依頼を受けたのならまっとうにこなすべきだなどとシーファも意見していたが、傭兵団の全員がシーファをバカにして笑うのだ。畢竟、腕っぷしにしろ、社会的階級にしろ、強者は弱者を踏みにじるものなのだ、と学んだ。

 まっとうに真面目に生きようとするだけで、自分だけが割りを食ってバカを見た。こんなのは実家にいたころとなにも変わらない。

 なんとかして見返してやりたかった。だが、先日も任された任務を失敗したばかりである、今、またシーファは危機的状況に立たされていた。


 ――あの、エデル・マーシュロウとかいう女。


 脳裏に銀髪の女の顔が思い出される。なにも考えていなさそうな、守られることを当然と受け入れていた、被害者ヅラをした女だ。

 ああいうのが一番むかつく。

 まるで後妻の子であった弟のようだ。シーファがうまくいきそうになると、「私はシーファに貶められました」というような顔をする。シーファが劣勢になれば「そんなつもりはなかった」とでも言いたげな顔になる。


 ――あの女だ。


 シーファのぼんやりとした思考に、突然光が差したような心地になった。

 あの女を捕まえ、依頼主に差し出せばかなりの報酬が得られる。そうすればこんなクソ傭兵団の小間使いをする必要もない。独り立ちをして――否、あの女の懸賞金で働かずとも生活していける。


 あの女はウィットランドーグを連れていた。女がウィットランドーグを横取りしたのだと依頼主や傭兵団仲間は考えているようだが、シーファにはそうは見えなかった。あの女を守っていた男たちこそが、こちらに用事があるように思えた。

 そもそも依頼主も犯罪組織なのだから、同業にしろそれを取り締まる連中にしろ敵は多いのだ。あの男たちはそのどちらかだろう。

 だとしたら、きっとまた向こうからやってくる。おそらく、あの倉庫で居合わせた獣魔たちが売られるまでには必ずここへ来るはずだ。


 あの倉庫で最後までシーファを追ってきた男に取り入っても良い。あちらの仲間になったふりをして、エデルを攫えば良いのだ。

 癪だが、そんなことにこだわるプライドはとうに捨てた。誰にも頼らず、自分自身の力だけで生きていくのだ。


「――なんでもやってやる」


 シーファは頼んだ麦芽酒を受け取ると、カリガの待つテーブルに向けて踵を返した。その一瞬、出入り口から店の外の景色が視界の端に入る。

 この薄汚い街に不似合いな――両隣の見目麗しい男たちに丁寧に梳らせたのであろう美しい銀髪が翻った。

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