68.自分で撒いた種は自分で解決しなければならない
「わ、わたしも行くよ、バガスの闇市。どうしても邪魔だって言うなら、その、仕方ないけど……」
起き上がれるようになってから、自身がこの〝深淵の館〟に置いていかれる話が出ていたことを知って、エデルは必死にすがった。
「置いていくつもりはない。連れて行くさ。ただ、一応おまえの意見も聞いておけと言うから」
ルーシャスが恨めしげにナイジャーを見やり、ナイジャーが肩をすくめる。どうやら格好だけ聞いておくつもりのようで、エデルは人知れずほっと息をついた。
「正直、俺はここに残ったほうが良いと思ってんだぜ。この先何があるかわからない。もちろん、エディのことは俺たちが守るが、それでも安全とは言い切れねえからな」
「でも、だからってここで待ってるだけってわけにもいかないよ。違法売買に関わった人たちはわたしのことも知ってたでしょ。きっともうわたしも無関係じゃないし、ここにいて手配書を見た人がわたしを探しに来たら、それこそミューリアさんたちに迷惑がかかっちゃう」
だからといって、エデルがついて行って何ができるのかと聞かれたら、何もない。むしろ足手まといだ。だったらなおのこと、この館に残るべきなのかもしれない。
だがエデルには、ここに残るわけにはいかなかった。
何が何でもついていかなければならない。自分の手で、解決のためにできることをしなければならない。
この件は、おそらくエデルが事の発端だからだ。
エデルが緑魔鉱石に魔力を溜めるようになったのは、自身が村長に売られたのだと気づいたあとだった。
エデルは村長のお遣いとして商隊について行った直後、馬車のひとつに閉じ込められ、一日一度の食事のみを与えられる以外は外の景色を見ることも叶わなくなった。そんなとき、商人は緑魔鉱石が大量に収められた荷をエデルのいる馬車の中に放り込んで言ったのだ。
その緑魔鉱石に魔力を溜めておけ、と。
そのときのエデルは緑魔鉱石なんて知らなかったし、魔鉱石と同じものなのだと思っていた。だから魔力を溜めたところで壊れてしまうと思って、「壊れても知らないからね!」とかなんとか、馬車の外に向かって叫んだ記憶がある。結局、緑魔鉱石はエデルの魔力を注いでも壊れることはなく、そこで初めて緑魔鉱石と魔鉱石の違いを知ったのだが。
たぶん、生かしておくだけで金のかかるエデルに、道中の食い扶持くらいは自分で稼げと、そういう意味で命令されたのだと思っていた。
緑魔鉱石に魔力を溜めることくらい別に苦痛でも何でもなかったから、エデルには難しくない作業だった。それだけは不幸中の幸いだったかもしれないな、などと思っていた。
大量に溜めた緑魔鉱石がどのように使われるかなんて、考えたこともなかったのだ。
――本当に、考えが及ばない。
エデルはそっと歯噛みした。
ここへ来て、エデルがやけくそで溜めた緑魔鉱石が、まさか犯罪に使われているかもしれないとわかった。とても放置しておけるものではない。自分で撒いた種なのだ。できる限りのことはしなくてはならない。
エデルは魔力酔いに倒れていたさなか、ずっと考えていた。
まずはこの問題を、自ら解決しなければならない、と。自分ではどうにもできないのなら、せめて包み隠さず罪を告白し、罰を受けなければならない。
そのためにも、まずは本当にエデルがこの一件に加担したのかどうかを確かめなければならない。
ここで置いていかれるわけにはいかなかった。
だから置いていかれまいと必死にすがったのだが、ルーシャスはもとよりエデルを置いていくつもりはないようだった。
「そう心配するな。おまえを置いていくなら昨日のうちに出発してる。今日この時間になったのも、ミューリアが支度をさせると言うからだが」
「エディを連れて行くにしても、まさかそのまま乗り込むつもりじゃないでしょう? 行くなら相応の支度をなさいな」
三人で話し合っていると、ミューリアが従業員食堂までやってきた。仮眠から起きてきたらしい。
〝深淵の館〟の営業終了時間はもう明け方も近い時間になる。それから睡眠をとるから、館の女性たちは基本的に昼過ぎが起床時間となる。
しかし、今日は朝一にエデルたちが出発すると伝えてあった。だから、本来なら眠っているはずのこの時間にわざわざ起きてきてくれたのだ。
「あちらには、ナイの雑な幻影魔法をひと目で見抜く魔道士がいるのでしょう。あなたたちよりは精密な幻影魔法を施してあげられるのは私くらいしかいませんからね。その私だって幻影魔法のプロというわけではないけれど」
言いながら、ミューリアはエデルに黒い目を向けた。
「おはよう、エディ。昨夜はよく休めた?」
「おはようございます。おかげさまで元気になりました。いろいろとありがとうございました」
「それなら良かったわ。あなたのお顔を隠す幻影魔法だけれど、私が施しても良いかしら?」
「お願いします。お手数をおかけしてすみません」
「良いのよ。むしろ、このくらいしかしてあげられることがなくって……。ごめんなさいね」
ミューリアはエデルに向き合い、白魚のような手をそっと伸ばす。エデルの両頬を包み、そのまま顔を近づけた。
緑層の春の野原のような芳しい香りがする。香水のように、香りをまとっていることを主張するものではない。おそらく、仕事終わりに風呂に入ったからこそ香る、石鹸や化粧水の香りなのだろう。
半ばうっとりとエデルは目を閉じる。額にやわらかなものが押し当てられて、一枚ベールを被ったような、そんな気配がした。
彼女が黒層風の挨拶として額にキスをしたそこへ、幻影魔法を乗せたのだ。
これでエデルは、周囲からは本来とは違う雰囲気の顔立ちをしているように見えるはずである。
鏡で確かめてみたかったが、もう出かける間際だ。あとで落ち着いたときに見てみようと内心で決めて、ミューリアに笑みを向けた。
「ありがとうございます。……今日まで長い間、本当にお世話になりました」
「いいえ。こちらこそうちの子のお友達になってくれてありがとう。楽しかったわ。また落ち着いたら遊びに来てね」
「……はい」
次があるかどうかは、わからない。エデルはきっと捕まって刑罰を受ける。どんな刑罰になるかはわからないが、ルーシャスが言うように〝忘却罪〟だった場合は、もう二度と彼女たちを思い出すこともないのだろう。
約束を守れるかどうかはわからないが、また会いたいと思う気持ちは本物だ。せめてそれだけでも伝われば、とエデルはうなずいた。
ミューリアはもう一度エデルの額にキスを贈る。これが黒層流の挨拶であり、親愛の証でもあるのだが、これにもだいぶ慣れた。
実はこの館にいる間、毎日のように従業員の女性たちから挨拶代わりに額にキスをされていたのだ。何度も繰り返されると順応するものなのだな、と感心したのはもうだいぶ前のことだった。
「それでね、これはユミ茶。こまめに水分補給するのよ。あとお昼ご飯も作ったから持っていってね。それから今日のおやつの分の果物と……」
「姉さん、姉さん。ピクニックじゃないんだからあんまり持たせなくて良いから」
「あら、じゃあちゃんと食事には気をつけてね。ご飯はお肉だけじゃなくて、野菜も食べて栄養をとらなきゃだめよ。それから、適当なおやつで誤魔化さないできちんと果物も食べて」
「わかったわかった」
「これから危ないところに行くことはわかっているけれど、十分気をつけて」
うん、とうなずいたナイジャーが膝を曲げ、腰をぐっとかがめる。そうして高い背丈を丸くして縮めると、ミューリアはその大きな肩に手を置いて背伸びをする。ナイジャーの形の良い丸い額にキスを送ると、ナイジャーも同じように、ミューリアの黒い髪で覆われた前髪の上から薄い唇を押し当てた。
「さあ、ルーシャスも」
「俺は結構だ」
「あなた、いつも断るわよね。断れた試しがないのに。ここは黒層よ。毎回言うけれど、郷に入っては郷に従いなさいな」
「…………」
渋い顔をしたルーシャスだったが、一瞬の戸惑いののち、諦めたようにため息をついた。
ナイジャーと同じように膝を曲げ、額にキスを受ける。
「さ、あなたも」
「…………」
ただでさえ耐えるように寄せられていたルーシャスの凛々しい眉が、もっと寄せられた。
しかしミューリアにはルーシャスでも敵わないらしい。
やがてひとつ深く息をつくと、ルーシャスは身をかがめ、ミューリアの黒髪に唇の先だけを寄せたのだった。
彼らのやっていることはただの挨拶だ。今しがた、ナイジャーもエデルも同じようにした。けれども、エデルはルーシャスが誰かにやっている姿は初めて目の当たりにした。それも、ミューリアはルーシャスとナイジャーどちらの隣に立っても見劣りのしない美女である。
「――――」
なんだか、嫌だなと思ってしまう。嫌だなと思う自分こそがあさましく思えて、嫌悪感すら抱いた。
エデルはくるりと踵を返す。ルーシャスがミューリアに挨拶する姿を見ていたくなかった。自分がそれを見て、どんな顔をしているのか、誰かに知られたくなかったのだ。
エデルがそのとき泣きそうな顔をしていたのは、彼女の首元を棲家とする白い竜にしかわからなかったのである。




