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62.離れていた間に何があったのか

「人の寝込みを襲うとは感心しないな、エディ」


 覆いかぶさるルーシャスの紫の髪がさらりとエデルの頬にかかった。その隙間から見える金の双眸がエデルをまっすぐに射抜き、身動きが取れない。

 エデルはルーシャスに引っ張り込まれて寝台にひっくり返され、彼によって拘束されていた。

 そのことに気づくや否や、ぐわっと頬に熱が上ってくる。


「してない! ちがう! 誤解!!」


 大慌てで自由な首を振ると、金の双眸が愉快そうに歪む。そのうち、くくく、と堪えるような笑い声が降ってきた。


「なんでカタコトなんだ」

「だ、だって、だって……!」

「わかったわかった。脅かして悪かった」


 ルーシャスはいよいよ声を出して笑い始めると、ゆっくりと身を起こして寝台に腰掛けた。


「おはよう。――という時間でもないか。寝過ごしたな。すまん、用事でもあったのか?」

「おはよ。ううん、白蛇ちゃんが部屋に入っちゃったから呼び戻そうと思って……起こしてごめん」

「ああ、そういうことか。構わんよ。もう起きるところだったから」


 言いながら、ルーシャスは部屋の隅、テーブルの下に隠れた白蛇に視線をやった。

 自分からちょっかいをかけに行ったくせに、やっぱりルーシャスが起きると怖かったらしい。怯えながらこちらを窺い見る青い目の、十数の飾りがぎらぎらと光っていた。


「……あの子、頭の宝石のところ、あんな光り方するんだ」

「ウィットランドーグの特性だ。魔法を発動する前にああなる」

「白蛇ちゃん、おいで」

「こら、エデル。うかつに近寄るな。驚いたんだろうが、攻撃される――」


 ルーシャスが制止しかけた言葉は、しかし幼獣がぴゅんと飛び出してエデルの襟首の中に収まったことで、不自然に止めざるを得なかった。


「……宝石が光るのは魔法発動の前兆なんだがな」

「わたしに向けて攻撃したことはないよ、この子」

「ならこの腕はどうしたんだ」


 手を取られ、その温かさに心臓が跳ねる。しかしすぐに顔をしかめたルーシャスを見て、エデルは手を引っ込めた。


「これは、なんてことないよ。遊んでたらこうなっちゃうだけで」

「あのなあ。幼獣でも竜系獣魔(じゅうま)だぞ。力が強いんだ。遊ばせるなら相応の装備で対応しないと怪我をするし、興奮して思いも寄らない事故を起こす可能性だってある」

「でも、直接触って遊ばせないと食いつきが悪くて……」


 ルーシャスは膝に頬杖をついて息をついたが、こちらを見る目は呆れながらもどこか笑みを含んでいた。


「遊ばせるための道具があるなら、それで遊ぶことに慣れさせろ。その幼獣の言いなりになるな。おまえが飼い馴らすんだろう?」

「飼い馴らす……わけじゃないけど」


 ルーシャスははっきりと弓形になった眉を片方上げる。


「飼うと決めたからここまで連れてきたんじゃないのか?」

「なんていうか、成り行きで。あの倉庫のあとじゃどこに手放して良いのかもわかんなかったもん。でもこの子を育てるにはすごく大変なんでしょ。お金もかかるし、この子自身も悪い人に狙われやすいって聞いたよ。わたしにはとても責任を持てないよ」


 だから、手放していい場所が見つかるまで預かるだけだ。今のところエデルにしか懐かないので、ほとんどエデルの騎竜のような扱いになっているが。


「それで白蛇なんて呼んでるのか」


 うん、とうなずいてから、エデルは意外な気持ちになった。

 とんでもない叩き起こし方をしてしまったのに、ルーシャスと平然と会話ができている。あんなに、次に彼に会ったときどんな顔をすれば良いのかわからない、と悩んだのに。


 身を起こして乱れた髪を整えると、それに触れる大きな手があった。

 びくりと仰け反ると、ルーシャスが不思議そうな顔でこちらを見る。


「どうした?」

「や、びっくりして」

「そうか。……髪、伸びたか?」

「切ったときに比べればちょっと伸びたかも?」


 肩口で切りそろえてもらった髪は、今はそれよりやや伸びて、毛先が右に左にあちこちへ巻いている。エデルは細いくせ毛だから、肩に当たるとどうしても跳ねる。それらを丁寧に櫛で撫でつけても、どうやってもぴょんぴょんと広がってしまうのが最近の悩みだった。


「自分では結わないのか?」

「あんまりきれいにできなくて……」

「なら俺があとで結ってやる。その前に着替えて顔を洗いたい。待っててくれるか」

「うん。邪魔してごめんね」

「いいや。――寝る前にも言ったが。元気そうで良かったよ」


 金の双眸がやわらかく溶ける。


「……うん。わたしも、ルースにまた会えて良かった。無事かどうかずっと心配してたの」


 ほとんど呆然としながらナイジャーと約束した言葉を口にすると、ルーシャスはやさしく笑って、大きな手でエデルの頭をかき混ぜる。

 心臓がぎゅっと掴まれたかのような心地がした。




 *




 一旦部屋を出て、おそらく一階にいるであろうナイジャーたちにルーシャスが起きたことを伝えに行った。

 とたんに〝おやつ〟の準備をしていた女性たちが色めき立ち、ルーシャスの遅い朝食の準備を始める。ナイジャーは今日もミューリアに頼まれて館のあちこちのちょっとした修繕をしていたようだが、それを済ませた頃にはルーシャスが身支度を整えて一階に降りてきたのだった。


 ルーシャスとナイジャーが揃うと、案の定、女性たちがこれまでの比でないほど黄色い声を上げて騒ぎ出した。都度それをミューリアが窘めたが、しばらくは落ち着かないかもしれないな、とエデルは今日も大量に盛られた果物を口に運びながら考える。


「良いもの食ってるな」


 ルーシャスがエデルの抱えた果物に気づき、にこりと笑った。

 今朝方見たような覇気のない疲れた顔は、もうそこにはない。エデルも安心して、抱えた籠を差し出した。


「ルースも食べる?」

「いいや。エデルがもらったものなんだろう。ちゃんとおまえが全部食べなさい」

「ルースはいつも自分のもの勝手にわたしにくれるのに」

「それはそうだろう。俺はちゃんと食ってるが、おまえはすぐにお腹がいっぱいになったと言って食べなくなる」

「食べてるよお」

「きちんと適正体重に戻してから言うんだな」


 快活に笑われて、エデルは仕方なく今日の〝おやつ〟であるブドウを口に放り込んだ。

 そのエデルが抱える籠に、そっと果物が追加されていく。館の従業員の女性たちからだった。


 振り返ると、なんとはなしに生暖かい笑みを浮かべられている気がして気まずくなる。「良かったね」なんて言われているような――そんな気がしてならないのだ。

 女性たちはエデルに思い思いの果物のお裾分けをすると、うふふと笑みをこぼして二階の従業員用の食堂に去っていった。この場をルーシャスたちに明け渡してくれるらしい。


「――そんで? こんなに長い間どこを逃げ回ってたんだ。宿屋に合流できなくなった時点で多少は時間がかかると思ってたが、そうなったら後は姉さんのところに行くしかないだろ」


 思い出せなかったか? とナイジャーがからかい混じりに尋ねると、ルーシャスは「それくらいはわかっていた」と肩をすくめた。


「だが言っただろう。撒くのに時間がかかったんだ。やつら、面倒な傭兵団を護衛代わりに雇っていた。エデルは見ただろう。あの白髪の男。シーファとかいう名だった」


 エデルは呑気に食べるのをやめてうなずいた。


 ここ十数日、すっかり平穏な生活ばかりしていたので忘れかけていたが、倉庫での出来事は忘れられない。

 あそこで、ナイジャーがエデルに施してくれた幻影魔法を一度で見破った魔道士の青年がいた。その彼に追いかけ回されたことも記憶に新しい。


「覚えてるよ。肩につくくらいの白い髪の人でしょう」


 ルーシャスはうなずいた。


「そうだ。あいつをとっ捕まえて情報でも聞き出してやろうと思ったんだがな。シーファもまた傭兵団に所属する魔道士のひとりだったらしい。飛空車(ひくうしゃ)で逃げようかと思ったところにあいつの仲間と鉢合わせてしまって」

「何人?」

「シーファを含めて六人。うちひとりは女。シーファもだが、この女も補助魔法に長けたやつだった。残りの四人は魔力も大したことはなかったな。――女に追跡魔法を仕掛けられてな。これが消えるのに時間がかかったんだ」


 追跡魔法は対象に物理的な接触をすることで成功する。直接触れなくてはならない魔法だから高度な補助魔法なのだ。

 魔術式自体は驚くほど単純にもかかわらず、使用者本人以外が解くのは難しい。だからこそ成功すると効果がしつこく持続する。数日から十数日は使用者に居場所を補足されるから、仕掛けられると厄介な魔法なのだ。


 ナイジャーは軽く目を瞠った。


「おまえが追跡魔法を? 直接触らせるなんてどうした。ありゃあ触れられさえしなきゃ回避できる魔法だぜ」


 ルーシャスは苦虫を噛み潰したような顔をする。


「我ながら大失態だ。持続効果が消えるまではここへ来たくても来られなかった。それでずっと逃げ回っていたわけだ。だがおかげでわかったこともいくつかある」

「ああ」

「まず、あの獣魔たちの行き先だ。やはりこの穴の深層部、バガスの闇市で間違いなさそうだな」

「あんなでっかい倉庫に結界まで張ってずいぶんと大々的にやってると思ったが、やっぱり直結でこの穴の下が市場か」

「そういうことだ」


 エデルはだんだん話の内容についていけなくなってきた。

 同席を許されてはいるが、そもそも獣魔の違法売買に関してはエデルは無関係である。


 このまま聞いていても良いものなのか、だとしたらきちんと理解しなければならないのではないかと困ってふたりを見比べると、ルーシャスがふとこちらを見た。


「――この街に一番近い大穴があるだろう。あれを〝バガスの大穴〟という。ああいう大穴は、緑層(りょくそう)で言えばつまり、主要都市をつなぐ街道のような役割を果たしているんだ。これはわかるな?」

「うん」

黒層(こくそう)のああいう大穴は、他の場所にもいくつもある。街道だからな。俺たちが最初に飛空車を使って来た大穴とそこの大穴は別の穴だ。最初に下ってきた大穴は〝オマイカの大穴〟」

「一般的に、大穴の名前はその穴の最深部の街から取られるんだ。オマイカの大穴ならその大穴の最深部の街をオマイカって言うし、バガスの大穴なら最深部の街はバガスだ。街の名前を覚える必要はないけど、大穴がいくつもあって、その大穴は階層の途中の街を介して横で複雑につながってるって覚えておきゃ良いよ」

「そ、そっか」


 なんとか黒層の地形を頭に思い浮かべると、ルーシャスが続ける。


「今回あの組織が獣魔を連れて行こうとしたのが、すぐそこの〝バガスの大穴〟の最深部にあるバガスの街なんだ。そこに闇市があって、違法売買も人身売買もなんでも行われている。バガスは無法地帯だからな」

「無法地帯……」

「それから、獣魔の仕入れ方もつかめた」

「へえ?」


 ナイジャーが身を乗り出す。

 あの倉庫内でエデルも一瞬見た獣魔たちは、確かにかなりの数がいた。あれほどの数を短期間で捕らえ、法の目を掻い潜って売りに出そうとするからには、その捕まえ方もまともなものであるはずがない。


 ナイジャーも気になっていたんだ、と口にした。


「ああ。おびき寄せる餌を大量に持っていた。緑魔鉱石(りょくまこうせき)だな」

「ふん?」


 それがどうした、と言わんばかりに首をかしげたナイジャーに倣い、エデルもルーシャスを見やる。

 ルーシャスもわかっているとひとつうなずき、丁寧に説明した。


「獣魔を捕らえるときは魔鉱石を餌におびき寄せるのが主流なんだ。緑魔鉱石も使われる。ここまではふつうに獣魔を捕らえるのと変わったところはない」

「うん」

「撒き餌として使う場合、魔鉱石と緑魔鉱石のどちらが主流かと言われたら、やはり魔鉱石になる。緑魔鉱石はコストがかかるからな。だが、緑魔鉱石のほうが撒き餌としての効果は高い。石屑でもより多くの魔力を持つものでおびき寄せれば、それだけ高い魔力を必要とする獣魔が寄って来やすいんだ」

「ウィットランドーグなんかも、魔鉱石程度じゃ寄ってこない?」

「そうだ。そのウィットランドーグもどうやって捕らえたか、だが。――やつらはその緑魔鉱石を大量に所持していたんだ。獣魔を捕らえるのにあんなに大量に仕入れるには金がかかりすぎるし、それでは利益が出ない。だとしたら、あの緑魔鉱石も法外な手段で入手したものに違いないだろうな」

「なるほどなァ」


 ナイジャーは納得したように椅子の背にもたれ、腕を組んだ。

 エデルも、だからあの倉庫内に緑魔鉱石が大量にあったのか――とまで考え及び、ふと、思考がつながった。


 ――あの緑魔鉱石は、エデル自身の魔力を帯びてはいなかっただろうか。


 思い至って、ざあっと血の気が引いていく音を聞いたような気がした。

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