61.改めて考えずとも見目麗しいふたりなので
今朝の――というにはもう昼も過ぎていたが――〝深淵の館〟は、いつもよりいささか活気があった。
エデルとナイジャーが待っていたルーシャスがようやく到着したので、従業員の女性たちが口々に「良かったね」と声をかけてくれたのだ。しかしそれだけでなく、ルーシャスの容貌に騒ぐ女性もかなりの数いた。そこはご愛嬌である。
なにせ、エデルたちが先に到着したときもナイジャーが散々騒がれている。ミューリアは「ごめんなさいね。男性が珍しいのよ」と呆れた様子だったが、一般的にナイジャーの容姿はどこへ行っても目立つし、道を歩くだけでたいていは誰かしらの視線を奪う魅力的な容貌をしていた。
なんといってもまず、ナイジャーは背が高い。エデルなど並ぶと彼の胸のあたりに目線がくる。事実、外を歩いていても、ナイジャーはいつでも雑踏から頭ひとつ抜きん出ていた。
すらりとした長身痩躯は、しかしどこもひ弱そうなところがない。ぎりぎりまで引き絞られた身体は筋肉質で、褐色の肌は鞣した革のように美しく光沢がある。
髪はまっすぐな漆黒をしていて、ミューリアと同じようにも思えるが、彼のほうが硬い髪質なのか広がりやすい。豊かな髪はまっすぐに背に流れ、黒層のやわらかな明かりに照らし出され、きれいな光の輪を作っていた。
その滝のような黒髪から覗く顔立ちは、それこそエデルが本人に聞かせたように、彫刻のように美しく整っている。高くまっすぐに通った鼻梁、薄い唇、なにより、人のものではない、縦に絞られた竜の瞳孔。薄青い虹彩には温度がなく、その視線だけ亜人の血を引いた人外のものであるのに、甘く垂れた目尻がどうやったって愛嬌を振りまいている。
表情のわかりやすい太い眉も、人とはかけ離れた生き物の容貌をした彼を人たらしめる、そういう親しみやすさを生んでいた。
この絶妙なバランスは、人が精巧に作り出した人形にさえ生み出せまい。
そう思わせる絶世の魅力がある。
彼の顔立ちの良さはエデルもわかっていた。たとえその容貌に惹かれずとも、一般的に彼の顔立ちがどう評価されるかは想像できる。
そのときから予想はしていたのだ。たぶん、ルーシャスのことも大騒ぎになるなあ、と。
そして見事にその通りになった。それだけだ。
ルーシャスもまた、ナイジャーの隣に並ぶのに負けず劣らずの容貌をしているのである。
背丈は確かにナイジャーより頭半分低いかもしれないが、それでも、平均よりはかなり上背のある部類に入る。エデルと並んで会話をするとき、多少どころでなく首が疲れるのだ。
彼はナイジャーの長身痩躯と違い、偉丈夫、という言葉がぴたりと当てはまる。しっかりと鍛えられた筋肉が厚みのある確かな肉体を形作っているが、しかしどこにも鈍重そうな気配がない。磨き上げた鋼のようだ。実際、これまでにエデルを抱えたり戦ったりしているところを目の当たりにしたが、あの圧倒的な存在感からは想像できないほど気配もなく機敏だ。
そしてなんといっても、その存在感だ。凛々しい眉に、目鼻立ちのはっきりとした華やかな顔立ち。そして豊かな紫。特にあの太陽のような金の双眸は、見つめられるだけで心の内側まですっかり見透かされた気分にさせられた。
ふたりとも美男子に違いはなかったが、系統がまるで違うのである。
よくもまあ、こんな種類違いの顔立ちの整った男がふたり揃って、エデルが注目を集めたのとは違う意味で騒がれなかったな、と思ったものだ。――実際にはふたりとも立ち寄った街々でそれなりに騒がれていたのだが、エデルが気づかなかっただけなのだが。その上、どちらも自身の見目の良さを正確に理解して目立たないようにする術は心得ているから、思ったより騒ぎにならないだけなのである。
エデルはその彼らが日常的にそばにいたものだから、すっかり慣れてしまっていた。だから余計に、館の従業員が浮足立っているのが新鮮に思えてしまうのだ。
――みんな、ようやくナイジャーの顔の良さに慣れてきたところだったんだよね。
なんとはなしに考えるが、しかしルーシャスにあからさまに入れあげる女性たちを見ると、なんだかすっきりとしない気持ちになるのも確かだった。
「エディはナイジャーとルーシャス、どっちが好き?」
そんなことを聞かれた日には、頭を抱えるしかなくなってしまった。
まさか、バカ正直に「ルーシャスです」だなんて言えるはずもない。
つい昨日の今日自覚したばかりなのである。この気持ちが本当に彼を想うものなのか、そもそも勘違いだったりしないかと自分が疑っている。しかしだからといって、どちらにも恋心など抱いていないと言い切って、誰かがルーシャスに色目を使うのも見ていたくなかった。
「忙しい……」
エデルは身体ばかりは与えられた部屋でぼうっと過ごしながら、ため息交じりに呟いた。
考えることが多すぎる。しかも脳内に浮かぶ考え事のどれもたいして重要でもなく、独り善がりで答えがない。
そもそもだ。エデルは売られそうになってそこから逃げ出し、ルーシャスたちに助けられて今がある。手配書は取り下げられておらず、まだなにも解決していないし、彼らがもともと抱えていた問題も山積している。
己の感情にばかり思考を割いている場合ではないのだ。
「そろそろおやつの時間だね。下に行こっか」
寝台の上で構ってやっていた白蛇に話しかけると、撫でくり回され遊んでもらって満足して寝転がっていたウィットランドーグの幼獣が、ぱっと身を起こした。こちらの言葉を少しは理解しているようで、ごはん、おやつ、あそぶ、と言うと露骨に言葉に反応する。現金だが、かわいらしかった。
するすると蛇のように這ってエデルの首元で落ち着いた白蛇だったが、エデルが与えられた部屋の扉を開いたとき、事件が起こった。
「あっ」
扉を開けた瞬間、なぜか白蛇はするりとエデルから離れ、あっという間に隣の部屋へと吸い込まれるように消えていったのである。
「待って……!」
そちらはルーシャスが休んでいる部屋だ。彼が自ら起きてくるまで誰も近づくなと言われている。なのにどうして、階段とは反対側のそちらへ向かったのだろう。それに、消えたように見えたのはどうしてか。
一体何が起こったのか、にわかには理解できなかった。白蛇は扉を開けずに中へ入っていったように見えたのである。
ルーシャスが休んでいるのに邪魔をしたくない。けれど、このままにはしておけない。
エデルはルーシャスの部屋の前でしばらく葛藤して、結局、中に入ることにした。白蛇をあのまま放っておけないし、もしあの幼獣にしか使えない魔法があるのだとしたら、それを眠っているルーシャスの前で使われても困る。
意を決し、そうっと扉を開いた。昨日の朝にナイジャーがミューリアに頼まれてこの部屋の蝶番を直したばかりだったから、音もなく開いてくれるのが救いだった。
「白蛇ちゃん」
できる限り声を潜めて呼べば、白い竜は寝台の上、紫の髪を散らす枕元に這い上って、寝入るルーシャスを興味深そうに見つめていた。
「白蛇ちゃん、戻って。邪魔しちゃだめ」
扉の近くからそっと呼びかけたが、幼獣はこちらをちらりと見やるだけで、あとはじっとルーシャスのそばから動かない。
不思議だった。ナイジャーにさえ、最近になってようやく警戒せず姿を見せられるようになったばかりの幼獣が、ほとんど会うこともなかったルーシャスには無防備に近づいている。彼が眠っているからかもしれないが、それにしても、今は警戒して離れてくれたほうがマシだった。
「白蛇ちゃんったら」
呼んでも一向に離れようとしないので、迎えに行くしかなかった。
なるべく足音を立てないよう、息をも殺して一歩ずつ近づく。
ルーシャスは確かにそこに眠っている。紫色の、すこし艶を失った髪を白蛇がぱくりとくわえた。
「あ――」
やめなさい。
とっさに叫びそうになって、慌てて口元を覆う。
掛布に紛れて、ルーシャスの顔までははっきりと見えなかった。
心臓が跳ねる。できる限り急いで駆け寄り、眠るルーシャスにいたずらする白蛇を捕獲しようと手を伸ばして――。
「ひっ」
がっちりと手首を捕まれて悲鳴をもらす。存外強い力に引かれ、エデルは頭から突っ込むように寝台へと倒れ込んだ。
「いたずらしてるのは誰だ?」
視界が反転する。くらくらしながら目を開くと、こちらの心の内まで見透かす金の双眸に射抜かれた。




