44.白髪の青年
まったく気配を感じなかった。
エデルは誇張なしに飛び上がってしまった。
前のルーシャスが足を止め、振り返る。同じようにエデルも背後を見て、その人となりに目を瞠った。
そこには、白髪の青年が立っていた。
中性的な面差しである。衣服は男物、だがエデルたちが着ているような、この組織の者とわかる同じ型ではない。黒いかっちりとした上着に身を包んでいる。襟や留め具、ベルトの装飾は金。それだけでも洗練された佇まいだが、上着の裾が膝下であるところを見ると、おそらく相当高級な衣服なのだろうとわかった。
背丈はさほど高くない。エデルよりは十センチほど上背があるが、ルーシャスやナイジャーと比べてしまうと小柄な部類に入る。けれども、さらりとまっすぐ落ちる長い白髪が、その白い輪郭の鋭利さが、こちらを睥睨する怜悧な眼差しが、彼の存在を際立たせていた。
ここはほとんど一本道だ。人ひとりがすれ違うのも、お互いに譲り合わないと通り抜けられない。エデルたちがこれまで来た道にしばらく分岐点はなく、後ろから追いかけて来たにしても、その気配は唐突に現れたように思える。
では、彼はいつからそこにいたのか。
エデルが口も開けずにいると、背後のルーシャスがしれっと答えた。
「はい。例の逃げ出した獣魔の捜索を」
青年が片眉を上げる。ルーシャスのように弓形になった眉だが、ひたすら華やかな印象の彼とは違い、この青年はどこか冷たさを思わせる。
「こんなところにいると?」
重ねられた詰問に、今度はナイジャーが答えた。
「灯台下暗しってやつですよ。さっきから下と外ばかり探してますが、こういう場合、案外身近なところにいたりするもんです。下はもう全員で何十回も探したけどいない。外からも連絡はない。ついさっき上も探せって命令が出ましたんで、天井までさらってやろうかと」
まったく物怖じしない、飄々とした態度だ。それに呆れたのかどうなのか、青年が息をついた。
「真面目に探せ。明日の朝一には輸送だぞ」
「はい」
素直にうなずけば、青年は呆れたように踵を返す。
「――あ、この階の部屋の中も探させてもらいますよ」
その背中にナイジャーが呼びかけたが、これはまったくもって黙殺された。だがナイジャーは気にせず、何事もなかったかのようにエデルの体を反転させる。気にせず歩け、ということのようだった。
「――ビビった。現れるまでまったく気づかなかったぜ。移動魔法に長けたヤツだな」
青年の姿が見えなくなるまで歩き、背後のナイジャーがぼそっとつぶやいた。
エデルもうなずく。まだ心臓が早鐘を打っていて、素直に声が出せなかった。
ひとりだけ明らかに違う格好をしていた。ここで違法売買に携わる人だったとしても、おそらく下で忙しなく獣魔を探している人間たちとは立場が違う。もっとずっと上の人だ。
「あの人がトップの人?」
息を整えてようよう尋ねたが、ルーシャスは眉をしかめて首を振る。
「さて。本当の首謀者なら、それこそこんなところで下っ端の俺たちを追い立てたりしないように思えるが」
それをするのは、エデルたちと同じ上着を着込んでいる人たちの直属の上司、つまりはさっき最下層で怒声を張り上げていた人たちだ。
今の青年は、その彼らとも違うものを感じた。
「この分だと、この上着を着た人間とその直属の上司はいても、組織を操る連中はいないかもしれないな」
「首謀者の顔だけでも拝んでおきたかったけどな」
ため息交じりのナイジャーに、ルーシャスは同意を見せながらも冷静に言った。
「深入りして刺激するのは得策じゃない。今はせめて、囚われている獣魔の数と種類、関わっている人間がある程度わかれば良いだろう」
「だな。下も確認しなきゃな。――俺が行こうか」
「えっ? ナイジャー、下に行くの?」
エデルが驚いて尋ねると、ナイジャーは落ちくぼんだ眼窩の中の竜の目を和ませた。
「俺だけな。下のほうがまだ面倒そうなのが多い。エディはここに残ってルースと一緒にいてくれ」
「でも、ひとりじゃもし見つかっちゃったら……」
「だーいじょうぶだって。俺ひとりならなんとでもなるから。ルース、それで良いよな?」
「ああ」
「エディだってただ待ってるだけじゃねえぞ。この階層でルースと一緒に他に有益になりそうな情報を探ってくれ。良いな?」
「う、うん」
「十五分だ。それ以上は深入りするな。どのみち上層階にも連中が集まってきている。こちらもそう時間はかけられない」
「了解。トータル二十分後に宿屋に集合だな」
「俺たちのほうは宿屋に戻るのにもっと時間がかかると思うが。――四十分後だな」
「ああ、そっか。エディいるもんな。わかった。気をつけろよ」
「おまえこそ」
ナイジャーが作った拳に、ルーシャスが同じ拳を軽く打ち当てる。
ナイジャーはそこから十数メートル来た道を戻ったかと思うと、身を乗り出して下を覗き込んだ。
「行くぞ」
何をするのかと見つめている間にも、ルーシャスはエデルの腕を引いて先を急がせる。けれど、エデルにはどうしても心配でならなかった。
歩き始めながらも、背後のナイジャーから目が離せない。すると彼はあろうことか、実に気軽に手すりを乗り越え、躊躇なく飛び降りたのである。
「――!」
思わず悲鳴を上げかけ、エデルは慌てて自身の口を押さえた。
「ナ、ナイジャーが……!」
エデルにはナイジャーが着地点を見誤ったように思えた。一階層下へ飛び降りたのなら――それもかなり危ない行為に思えたが――まだわかる。だが、彼は一階層下の同じような鉄筋の上に飛び乗ったのではなく、更に下、最下層の倉庫まで飛び降りた。
実に四階分の高さである。
ナイジャーは一体どうなってしまったのかとエデルも身を乗り出して下をよく見てみようとしたが、その肩をルーシャスに押さえられてしまった。
「俺たちはこのくらいの高さから飛び降りても問題ない。常に魔力操作で身体強化をしているから」
「でも……」
「降りられる場所を探していたのは、下の連中の目につかない場所を探していただけだ。別に誤って落ちたわけじゃない。良いから、俺たちも急ぐぞ」
「うん……」
ルーシャスが大丈夫だというのならナイジャーも問題ないのだろうが、それにしても驚いた。それに、この先ナイジャーは一等危険な最下層でひとりなのである。本人が大丈夫だと言ったのだから、ここで彼のことを考えても余計な心配なのだろうが、それでもエデルには、ナイジャーが無事に戻ってきてくれる姿が想像できなかった。
後ろ髪を引かれる思いだったが、エデルもいつまでもここに留まっているわけには行かない。ルーシャスについて行けと言われた以上、そうするのがエデルの仕事だ。
エデルは無理矢理体を前に向け、ルーシャスについて先を急いだ。
ルーシャスと一緒に細い廊下の先にある部屋に入る。そこで手がかりになるものはないかと探していると、ときどき同じ上着を着た人が現れて、何をしているのかと問いかけた。
「例の獣魔を探してるんですよ。さっき上も探せと命令されたでしょう」
エデルは人に見つかるたびに固まっていたが、ルーシャスは気だるそうに答える。手慣れた様子に、エデルがいちいちビクビクしているほうがおかしいのではないか――とさえ思えてきた。
そんなことを繰り返して、三つ目の部屋を開く。
ここまで見てきた小さな室内は、どこも取るに足らない、おそらくここで過ごす人間が暮らしていくための物資が積まれた部屋だったり、ゴミを積み上げただけの部屋もあった。三つ目にして、ようやく書類仕事をするらしい部屋に行き当たったのである。
こんな違法組織の中でデスクワークもなにもないだろうと思ったのだが、違法行為こそ案外きちんと職場らしい動きをしているものだ、とルーシャスは言った。
「特に組織ともなると、多くの人員を動かさなきゃならんだろう。そうすると結局、やることは大きな企業と同じになってくる。ひとつの商工会と言い換えても良いだろうな」
やってることは違法だが、と付け加えて、ふたりで手分けして資料を漁る。エデルには細かな文書の言葉を理解するには難しかったから、とにかく人の名前らしきものが挙がっていればそれをルーシャスに渡し、仕分けしてもらった。
そうしているうちに、見えてくるものがある。
これまでに捕らえた獣魔の種類、その偏りから想像できる用途。どの商工会とつながりがあるのか。しかし、肝心のこの違法組織の首謀者の名前が出てこない。
どこかにそれらしき資料はないだろうか、とエデルは机上を探す手を止め、壁に積み上げられた荷を探る。
その手に覚えのあるものが触れたような気がして、エデルは目線よりも高いそこからなにかを掴み上げた。
「――魔鉱石?」
握りしめたものを取り出してみて、首をひねる。
緑魔鉱石だ。
通常のものより薄く緑に透けている、手のひら大の石。
エデルが手にしたそれにはなみなみと魔力が注がれている。それ自体は不思議なことではない。
変だ、と思ったのは、そこに注がれた魔力が自分のものであるように思えたからだ。
――わたしの持ってた魔鉱石は全部ルーシャスに預けて魔力も入れ替えてもらったのに……。
溜めた魔力から誰の魔力かを特定できる。
エデルが村長や商人に狙われている以上、エデルの痕跡を残すようなものはすべてなくしておこう、と、ルーシャスに言われたのは、この黒層に入るより前のことだ。
ルーシャスがエデルの緑魔鉱石を上書きし忘れたものだろうか。――けれど、だとしたら、どうしてこんなところに。
彼はまだ、エデルが探っている付近には近づいてもいないのに。
疑問に思ってルーシャスに声をかけようとした、そのときだった。
視界がぐるりと反転する。
首の自由が利かない。なにが起こったのか、にわかには理解できなかった。
「――やはりな。おまえ、どこかで見た顔だと思ったら……手配書に出ていた女だろう」
つり上がった怜悧な目がエデルを見下ろす。その青灰色の瞳が喜色を帯び、にやりと笑った。人を見る目ではない。なにか特別価値のあるものを見つけたような、欲にまみれた、嫌な視線だ。
目を逸らせないでいたエデルの頬に、さらりと流れる白い髪が落ちてきた。




