42.潜入捜査は変装が基本
「おええ……」
「だ、大丈夫?」
「まあ、うん、大丈夫じゃないけど大丈夫だぜ……。あー、もう、最悪……」
先ほど演技でうずくまっていたナイジャーだったが、今は本気でしゃがみこんでいる。
「あーくそ。ここが敵さんの本拠地じゃなきゃゲロってんだけどな。気持ちわる……」
「急に魔力循環を止めて、すぐにまた回すと魔力酔いを起こすんだ」
うぷ、と気持ち悪そうに何度も唾を飲み込んでいるらしいナイジャーに代わり、そうルーシャスが冷静に説明してくれたが、その彼も幾分か顔色が悪い。
「悪いが、詳しいことはまた今度にしてくれ……」
「ああ、うん。そんなのはいつでも良いけど……。本当に大丈夫?」
「動いていればそのうち良くなる。急ごう」
ナイジャーもようよう立ち上がり、結界の内側に入ったことで見えてきた七つ目の扉に向かう。
「真正面から行くのは悪手だよなあ」
倉庫で働く人に混じって近づきながら、ナイジャーはさっと首を巡らせる。
正面に見えている「隠していた七つ目の扉」に真っ向から入って良いわけがない。正面だからこそ、きっと侵入者を許さないよう警備を厳重に固めてあるはずだ。
「さて、どうするかね」
「裏口があるはずだ。探そう。――エディ、この先は絶対に俺たちから離れるな。ついてこられなさそうならそうなる前に言ってくれ。どうにかするから」
「う、うん」
「それから、その幼獣が勝手なことをしたら追いかけずに放っておけ。一緒に下手なことをするとおまえが危険な目に遭う」
「でも、この子が捕まっちゃったら……」
「捕まってもそいつはすぐには殺されない。利用価値があるからこんな連中に捕まってるんだ。だが、エディ。おまえは違う。侵入しているのが知られたらまずもって口封じされるぞ。向こうがおまえの利用価値に気づいたところで、結局は売られるか、その先で殺されるかだ」
「…………」
エデルは、首に巻き付いたままこちらを見上げる幼獣を見つめる。
この子は今のエデルと同じだ。
不当に捕まって売られようとして、そこから逃げ出し、今はまた捕まらないようにもがいている。そんな幼獣がふたたび捕まってしまったとき、エデルは何もせずに自身の保身だけを考えて黙っていられるだろうか。自信はなかった。
「エディ。――エデル。聞いてるか? 約束だぞ」
「うん……」
だが、ルーシャスにそう言われてしまったら、彼の言うことを聞くしかない。半ば無理を言ってここまで同行したのだから、彼らがエデルを守ると約束してくれている以上、彼らの言葉に従わなければならない。
エデルが最優先にしなければならないことは、身を挺してこの小さな幼獣を守ることではなく、ルーシャスたちを信じ抜くことだ。それを忘れてはならない。
エデルはもう一度しっかりとうなずき、自身の頬を軽く叩いた。
人が通りがかるたびに物陰に隠れ、また見られていない隙をついて隠された扉の周辺を探る。
広い袋小路になった倉庫地帯は、扉の周りにもなにかの作業道具や荷が山のように積み上げられている場所ばかりで、身を隠すのには苦労しなかった。
扉が七つ並ぶ壁に向かって、左手側が似たよな倉庫群の並びで、右側はどうやら飛空車の発着場のようだ。飛空車といってもエデルたちが乗ってきたような小さなものではなく、荷を運ぶための大型のものだった。つまり、発着場の先はまた大穴が広がっているというわけだ。
「あの発着場を通じて上の階層から獣魔を仕入れてきたってわけか。下へ行くのもひとっ飛びってな。だけど、こんな工業地帯で堂々と結果まで仕掛けるとなると、想像以上に関係者が多そうだな」
「ああ。個人の密輸程度かと思っていたが――これだと大々的な組織ぐるみでの犯行だろうな」
そうして、三人はしばらく入口にかけられた仕掛けや裏口を探っていたが、何度目かの人の気配を感じてふたたび手近な物陰に隠れた。
ナイジャーがエデルたちに静止するよう手で合図した。
ルーシャスはその意図を汲んでエデルの肩を引き、じっと息を潜めてその場に待機する。しかし隠れるように指示したナイジャーは、するりと物陰から出ていってしまったのである。
何をするつもりなのかと驚いたが、エデルにはルーシャスがついているのでここで待つしかない。そういう意味での指示だったのだろう。彼が一緒なら恐怖はない。
そっと物陰から窺っていると、ナイジャーは――ナイジャーが扮した具合の悪そうな男は――二人連れの男たちの前に躍り出て、実に気安い調子で挨拶をした。
「よう。順調か?」
「おお、お疲れさん。――って、誰だ、――ぐえっ」
「な、なんだおま――!」
悲鳴も上げさせない、ほんの一瞬の出来事だった。
ナイジャーは手慣れた様子でふたりの男に当て身を入れた、ように見えた。そうして易々と意識を奪うと、今度はルーシャスが物陰から出ていく。
「えっ」
エデルが驚く間もなく、ルーシャスはナイジャーから昏倒したひとりを受け取り、手早くエデルのもとに戻ってきた。
「あともうひとり必要なんだがな」
「な、なにが? っていうか何してるの⁉」
突然、ふたりが突然昏倒させた男たちの衣服を剥ぎ取り出したのを見て、エデルは半ば悲鳴を上げた。
「しーっ。何って、変装だよ」
ナイジャーに窘められてはっと口元を押さえる。
「うーん、中身は要らねえか。上着とベルトで十分だな」
「おい、ナイ」
「ん? ――ああ、良いのがいるじゃん」
言いながら、ナイジャーは剥ぎ取った上着を着込んでベルトを締め、昏倒させた男を跨いでふたたび物陰から飛び出していってしまう。
エデルは唖然とナイジャーの背中を見送ったが、昏倒した男の足がだらんと物陰からはみ出しているのを見て、慌てて引っ込めておいた。
そうこうしているうちに、ルーシャスももうひとりの男から上着とベルトを奪っている。
「なんで追い剥ぎしてるの?」
「ここの連中はみんな似たような上着を着ているだろう。おそらくそれで区別をつけてるんだ。違法売買に携わる者かどうかをな。――思った以上に大掛かりな組織だな、これは」
「魔法じゃなくて殴ったように見えたんだけど」
「発動させるとどうしても魔力探知に引っかかるからな。これだけ緻密な結界を作ったやつがいるんだ。下手なことはできんよ」
「よう。もうひとり分、場所開けてくんな」
なるほど、とうなずいたところで、ナイジャーが戻ってきた。数十秒と経たないうちの出来事だった。
彼の小脇には、またひとり、昏倒した男が抱えられている。
「これ、エディの分な」
「え、え?」
「上着とベルトと……エディの場合は下衣も必要か」
大急ぎで剥ぎ取り、早く着てしまえと渡されたのだから堪らない。
貧しい村で育ってきたが、さすがに追い剥ぎをしたのは人生で初めてだ。
エデルは混乱しながらも、渡されるままに上着を着込み、それを目隠しにスカートを脱ぎ去り、代わりに奪ったズボンを履く。ベルトはルーシャスが留めてくれた。
「服はまとめてこの中に入れておきな」
と、ナイジャーがそばにあった積荷を開く。中身は空のようだった。そこに脱いだ衣服を隠しておけ、ということらしい。
言われるままに放り込み、堂々と物陰から出ていくふたりに倣ってエデルも歩き出す。
あまりに鮮やかな手腕すぎて、ここに至るまでまるで理解が追いついていなかった。
「この壁全体に結界が施してあるな。おそらく裏口も同じような原理で隠されてるはずだが――」
堂々と通りを歩けるようになったことで、袋小路になっていた扉の前から隙間の裏通りを見つけ、そこへ入り込む。
この先は細い路地裏になっている。倉庫から出るゴミが置いてあたり、部屋につながっているらしい配管が飛び出していたり、そういったものがごちゃごちゃと道を塞いでいた。
ふたりは、あたりの壁を見回すようにきょろきょろと見渡す。しかしどういうわけか、目の前に扉があるのにそれには言及しない。
探しているのが裏口らしき入口だとしたら、この扉なんかいかにも怪しいのではないか――と考えてから、「あ」とエデルは気付いたのだった。
「もしかして、この目の前の扉、ふたりには見えてない?」
エデルが触れた扉に、ふたりの目がようやく留まる。
「そこにあるのか?」
「うん」
「……なるほど、また結界を素通りしたらしいな、俺たちは」
苦笑するルーシャスに、ナイジャーも軽く肩をすくめて応えた。
「服に魔導具が仕込まれたわけじゃなかったのか。ま、見つかったんなら魔力循環をいじる必要がなくて楽なこった。肝心の扉を開ける役割はエディにやってもらわなきゃならないが」
こういうのは見えなきゃ触れることもできないから、とナイジャーは言う。
「それくらいわたしがやるよ」
自分にできる役割ならまっとうしたい。そう請け負うと、ふたりもうなずいた。
開けたときに中から目につかない位置に陣取る。そうしてゆっくりと、中の全貌を確かめるために扉を開いたのだった。




