39.自分にできることを精一杯やるだけ
疲れた空気が漂う中、エデルはふたたび口を開いた。
「やっぱり、わたしが一緒に行くよ。そしたらこの子もついてきてくれるんだし」
「エデル」
ルーシャスが眉をひそめる。その表情は不快感というより困ったような顔だ。心配をしてくれているからこそ、彼はエデルが同行することに否を唱えるのだろうとよくわかった。
彼の言い分ももちろんわかっている。それでも、エデルはエデルにできることをしたい。
「だって、埒が明かないんでしょ? ナイジャーだって午後からずっと街中探し回ってくれてるのに、結局なにも掴めなくて困ってるじゃない。それに、このままこの子がいたことをなかったことにして街を出るわけにもいかないんでしょう? ……こんな目立つ子連れてちゃ、わたしも余計に目立つから困っちゃうし。だからなおさら、わたしが行かなきゃ。ここでじっと待ってる間にも、わたしを捕まえようとする誰かが追いかけてきたらって思うと……怖いもん」
「エディ」
「エデル、おまえは何も心配する必要はないんだ。……依頼を請け負うと言ったその日に一晩ひとりで過ごさせて、信用しろと言っても難しいかもしれないが、」
エデルは首を振る。あれはルーシャスたちの落ち度ではない。彼らを信用しきれず、自身の状態さえ正確に口にできなかったエデルにも問題があった。
今なら、同じ状況に陥ったら真っ先に「もう走れない」と頼ることができたのだ。そうすれば、彼らは相応の対策をしてくれたはずだった。
あのときは村長に裏切られたばかりで、この世界の誰もが裏切ってしまうんじゃないかと疑心暗鬼になっていた。
あのときひとりで心細い思いをしながら一晩を過ごすことになったのは、ルーシャスたちのせいではない。エデルの弱い心のせいだ。
「ルーシャスたちのことは信じてるよ。ちゃんとわかってる。でも、わたし自身がなにかしてないと、わたしの気持ちが済まないんだ」
彼らはエデルを守ると約束してくれた。今はそのためにいつもエデルのことを考えてくれていると、身にしみてよく理解している。けれど、その言葉を盲目的に信じて、なにもしなくて良いという言葉に従って、ただ黙って成り行きに身を任せて満足できるかと言われたら、否である。
自分の身に降り掛かった災難に対して、自分がなにかできないだろうかと、常に考えている。じっとしているだけでは、身に迫っている危険ばかりを想像して、焦って不安になる気持ちを押し止められない。
エデルは膝の上で小さな拳をぎゅっと握る。
「本当は、一処に留まってるのが怖いんだ。今日ここで眠ってる間に、わたしを捕まえようとする人が追いかけてくるかもって思うと、怖い。ルーシャスたちが守ってくれるってわかってても、わたしのためにふたりが危険な目に遭うのも、本当はいや。自分にやれることがあるのなら、不安にばかり思う気持ちを慰める方法があるのなら、そのためにわたしも全力を尽くしたい」
「…………」
「違法売買の件はわたしの問題じゃないかもしれないけど……。でも、今はわたしが一緒に行けば解決するかもしれないんでしょ? ならわたしを使ってよ。それでルーシャスたちのやりたいことがすぐに解決したら、わたしもこの街に留まってる間に誰かに追いつかれるかも、見つかるかもって不安に思わないで済むから」
わがままなのはわかってるけど、とエデルは眉を下げる。それから、首元にぷうぷうと鼻息をぶつける白いふかふかの羽毛を指先で撫でやった。
「きみも、わたしと一緒になら行ってくれるんでしょ?」
ウィットランドーグに尋ねると、顔をあげた竜は気持ちよさそうにくるくると鳴き声を上げた。エデルの言うことなら聞くらしい。
これまでも獣魔に懐かれることはよくあったが、あくまでも「初対面にしては敵意を向けられなかった」程度のものだった。
ドゥーベは比較的人に慣れやすい種族だったし、数日は一緒にいたから仲良くもなったが、あれはまた特殊な例だ。出会ったその日は興味を持って近づいて来てはくれたものの、さすがに格子越しでも触れるまでには至らなかった。
それに比べて、この小さな幼獣の人懐っこさは少々危なっかしいものがある。今のところはエデル以外にはちゃんと警戒心も持っているようだが、そのエデルだって初対面なのである。親か何かのように無条件に懐かれてしまうと、なんだか罪悪感のようなものが湧いてきてしまう。
この獣魔は、等級で分ければ特級になるのだという。
この子の主になるには、それ相応の肩書も経済力も必要だ。エデルにはそのどちらもない。今ここで懐かれても、いずれ手放さなければならない。そう思うと、なおさらこの問題は早めに解決したほうが良いように思える。
言葉を強めると、しばらく無言でエデルを見つめていたルーシャスがため息をついた。重く、諦めたような吐息だった。
「わかった。だったら俺も行く。いざというときに動ける人間は多いほうが良いだろう」
しかしこれに嫌な顔をしたのはナイジャーだ。
「あのな、俺とおまえがそろうと目立ってしゃーないんだよ。だから俺ひとりで調査に行ったんだろうが」
「だからこその幻影魔法だろ」
ルーシャスは自分に杖を向け、トントンと胸のあたりを叩いた。
瞬きの間に彼の雰囲気が変わる。
ルーシャスの太陽のような金の目は変わらないが、紫紺の髪はほとんど紫とは言えない黒になった。
目鼻立ちの華やかな印象はずいぶんと大人しくなって、美麗な顔立ちこそ変わっていないものの、眉と唇は薄く、どこか神経質そうな青年がそこにいる。
傭兵の中でも、剣を持って戦う戦士というよりは、魔法の扱いに長けた魔道士のように見えた。
目を剥いたのはナイジャーだ。
「え、マジでやるわけ?」
一見して冷たい印象を受ける生真面目そうな青年――ルーシャスは、その面差しに似合わず自信たっぷりに笑って見せた。
「俺は見た目を変える魔法は得意じゃなくてな。印象を変えるので精一杯だが、おまえならその無駄に高い背丈と目立って仕方がない竜の目をどうにかすることができるだろう? ナイ」
「マジかよー。俺だって変身魔法系は大して上手かないぜ」
諦めたようなナイジャーが杖を構え、鏡の前に立つ。
そうして、ああでもないこうでもないと難しい顔をしてウンウン悩んだあと、ようやくルーシャスのようにトントンと自分を叩いたのである。
すると、そこにはもっさりと長いばかりの黒髪をした、ひょろりと背の高い不健康そうな青年が現れた。
ただし、本物のナイジャーよりはだいぶ背丈が小さい。ルーシャスのほうが指二本分高いくらいだが、それにしても、痩せぎすで骨ばかりの体が背を高く見せている。
何より、滝のように流れる美しい黒髪を持つナイジャーとは似ても似つかない、白髪交じりのボサボサの頭だ。その手入れの行き届いていない髪の隙間から、今にも眼窩に落ちそうなほどくぼんだ目が、彼の象徴たる竜の眼差しを隠していた。
「……どうなってるの?」
思わず唖然とつぶやいたエデルである。
艶のない黒髪に顔の半分ほどが隠れた青年が、今度はエデルに杖を向ける。
そうしてから「おっと」と気付いたように軽快な声を漏らし、杖をしまってエデルの真ん前に立った。
正面からがっしりと肩を掴まれ、エデルは一歩後じさる。しかし、それを許さないために肩を拘束されたのだから、無意味な慄きであった。
不健康で脆弱そうな青年は、その見た目とは裏腹に、血色の悪い唇でそれはきれいに弧を描いてみせたのである。
「さて、最後はエディの番だぜ」
「わ、わたしも?」
「エディにはでこちゅーじゃないと幻影魔法が効かないもんなあ」
「ひーっ!」
こうして、黒髪の神経質そうな青年と、ボサボサ頭の不健康そうなひょろりと背の高い青年、それから、青髪で意思の強そうな凛々しい眉をした年若い少女の、不思議な三人連れが街へ繰り出したのである。




