35.屋台飯に鼻腔をくすぐられて
飛空車というのは、二人がけの小さな長椅子が向かい合った箱に扉と屋根を付け、屋根の四隅に出っ張りがついたものをアブトが掴んで飛ぶ、というものだった。
アブトは、野生下ではコウモリのように足で黒層の天井を掴んで逆さまになるので、足の力が強いらしい。その特徴を利用して、人が乗った籠を掴んで飛んでもらう。
籠の中にはいろいろな計器がついていて、行き先を示したり、乗った距離に対する料金を示してくれている。これは客側で動かせるものではない魔導具のようだったが、エデルには物珍しくて、飛行中ずっと眺めていた。
目的地までは数十分の飛行だ。獣魔に運ばれて空を飛ぶことが、どれほどの揺れを伴うのかと戦々恐々としていたエデルだったが、乗ってみれば何のことはない。時折左右へ振られるくらいで、馬車での移動よりずっと穏やかなものだった。
「そういやさっきの仔アブトもそうだったけど、エディはよくよく動物に懐かれるな」
ナイジャーが思い出したようにそう言ったのは、無事に目的地に着いて発着場を出たあとだった。
「思えばドゥーベもそうだったよな。商隊で積極的に関わってたわけじゃないんだろ?」
つい今しがたも、発着場で降りてからここまで運んできてくれたアブトの成獣に群がられたエデルである。発着場であとを引き受けてくれたスタッフもやや引いていた。人によく慣れた獣魔とはいえ、初対面の客を相手にそこまで好意的な振る舞いはしないのだという。
エデルはちょっと苦笑いした。
「あー。たぶん、これが原因だと思うんだよね」
言いながら、切りそろえた髪を一房つまんだ。
ナイジャーに切りそろえてもらった髪は、今はエデルの肩あたりの長さになっている。年頃の女がこの長さでは、人によっては眉をひそめかねない。けれどもそれを編み込みにしたり、ハーフアップにして髪飾りをつけることで、うまく誤魔化していた。
切りそろえて髪飾りを選んでくれたナイジャーもだが、日々アレンジして髪を結ってくれるルーシャスも相当手慣れている。
髪に触れられることについては、もう抵抗するのもバカバカしくなってすっかり慣れた。が、それにしても、改めてふたりともに疑問を抱いたものである。――過去、こういうふうに髪に触れる相手がいたのだろうか、と。
今は日々美しく銀色に保たれている髪を持ち上げて、エデルはため息をつく。
「髪の毛の魔力に寄ってくるみたいで……。ルーシャスたちはわたしの魔力は感知できないのに、なんで獣魔はわかるのかな」
エデルもずっと不思議だったのだ。
小さいときから獣魔にはよく好かれた。おそらくエデルの持つ膨大な魔力量を魅力に思って、恩恵に預かろうと――つまりはちょっとつまみ食いしようと――近寄ってくるのだろうが、養父もエデルの魔力は感知できなかったのである。なのに、どうして獣魔はエデルの魔力が豊富なことを知っているのだろうか、と。
おかげでこれまで、人に嫌われても獣魔とは仲良くしてこられた。何より、ドゥーベがいなかったら、エデルは人身売買の憂き目から逃れる術はなかっただろう。それに、フロウの巣穴での窮地からも逃れられなかったはずだ。
つくづく助けられている部分は大きいのだが、如何せん、エデルの体質は扱いにくい。
ため息をつくと、ルーシャスが納得したようにうなずいた。
「ああ、それであんなに好かれるのか。……確かに、獣魔がどうやって他の生き物や人間の魔力を感知しているのか研究する人間は大勢いるが、はっきりとしたことは明らかになっていないな。それさえわかってしまえば、こちらから獣魔の居場所を把握して獣魔被害を減らせるんだがな」
獣魔というのは、人が感知していない場所から突然攻撃をしてくることがある。彼らの魔力感知能力は明らかに人のそれより優れているのだ――という論説はあるものの、ではどうやって他の生物や人間の魔力を察知しているのかは、実はまだ解明されていないのだとルーシャスは言った。
「人に聞こえない音域を聞き取る獣や獣魔がいるように、獣魔は人には感知できない範囲の魔力まで感知できるってのが定説だけどさ、エディみたいにそもそも魔力が流れてない人間の魔力も感知できてるとなると定説がひっくり返りそうだな」
「…………」
ナイジャーのぼやきに、ルーシャスが押し黙る。
エデルもちょっと嫌な予感を覚えて口を閉ざした。
「……エディ、絶対に他人に魔力のことを知られるなよ」
「そもそも魔力のこと知られただけで売られかけたのに……!」
一瞬、エデルの脳内に、かつて村で捕まえて解体した小動物の絵面が思い起こされた。村では冬の作物が育たない時期に備えて狩猟も行っていたから、大人たちが定期的に小動物を狩ってきては、子供向けに解体の仕方を見せて学ばせていたのである。
手足を開いて木の板などに固定し、腹を捌いて内臓を取り出されている動物の光景が、どうしても自分に変換されてしまう。
青ざめてぶるぶると震えると、ナイジャーが大げさに嘆いてエデルを抱きしめるようにした。
「可哀想に……。そんな悪い奴らに捕まらないように俺たちが守ってやるからなあ」
「おまえがろくでもないことを言い出したんだろうが」
エデルに寄せたナイジャーの頭に、ルーシャスは手刀を落としたのだった。
発着場を出てから間もなく、次の街に到着した。
ここも街の雰囲気は今朝発った入口に近い街と変わらない。
地層をくり抜いた店が道なりに並んでいて、等間隔に設置された外灯に光球虫が群がっている。
しかし、ここは観光向けの街ではなさそうだった。
行き交う人はみんな軽装で、道端で知り合いに会えば挨拶がてら額にキスを送り、子どもたちがそこらで遊んでいる。
特に目についたのは、屋台の多さだった。
馬車くらいの大きさをした二輪、あるいは四輪の手押し車が街のそこかしこに停まっていて、その主らしき人が何かを作っている。そこにパラパラと並ぶ人がいて、作ったものを買っている。
「あれ、何を売ってるの?」
「軽食だな。ここは職人の街だから、仕事の合間に簡単に食べられるものが好まれるんだ。売るほうはわざわざ店を持たなくても販売できるし、買うほうも昼飯時にふらっと近くの屋台に立ち寄って買っていけるだろ。だから流行るんだよ」
ナイジャーに説明されて、へえ、とエデルがうなずいたときだった。
ギョロギョロコロコロと盛大に主張する音があった。
両側を歩いていたルーシャスとナイジャーが立ち止まり、じっとエデルを見下ろした。
「…………」
――ぎゅるるるるころろろろ……。
エデルはぱっとお腹を押さえた。押さえたが、腹の虫は止められなかったし、それでは自分が音の主であることを主張しているだけだ。
「エ、エディ、そうだよな、お腹空いたよな……!」
一拍置いて、わははとナイジャーが盛大に笑い出す。ヒィヒィと腹を抱えるので、エデルはカーっと頬に血が上る気配を感じながら助けを求めるようにルーシャスを見やった。
言葉にするなら、あの人なんとかして! である。
しかし頼りのルーシャスも口元を手で覆い、必死に肩を震わせて笑いを堪えていたのであった。
「すまん。昼にするなら街についてからと思ってたんだが……。すぐに飯にしよう。何が食べたい?」
笑い含みに聞かれるて、エデルは「もう!」と羞恥に地団駄を踏んだのだった。
「すぐに食べられるのが良い! あの屋台みたいな!!」
「わかった、わかったから怒るな」
何はともあれ昼休憩にしようということで、エデルの興味のある屋台を物色することになった。




