33.ナイジャーは色男
「いらっしゃい。初乗り一キロ五アレス銅貨、それ以上は百メートルごとに一アレス銅貨だよ」
扉をくぐると、目の前のカウンターにどっしりと気だるそうに座る女が自身の爪を見つめていた。
おそらく店の口上なのだろうセリフをこちらを一瞥もせずに棒読みしたが、ナイジャーは気にせず声をかける。
「どうも。四人乗りを一台借りられるか?」
女が顔を上げる。瞬間、そばかすの散った頬に薔薇が咲いたような色が差した。
「あ……」
「ついでに、ちょっとゆとりのあるタイプだと良いんだけど。俺には窮屈でさ。相棒もあの体格だから」
ナイジャーはカウンターに肘を付き、長い指で後ろに立っていたルーシャスを指す。女の黒い目がルーシャスを見やり、またはっと息を呑んだ。――と思ったら、次にその隣のエデルに目を留め、あからさまに舌打ちをしたのだった。
――わたし、なんかした……?
実に心の内のわかりやすい受付嬢だが、エデルが何か粗相をしただろうか。そもそも、この店に入って十数秒の出来事である。何かをしようにもする暇さえなかった。
「なあに? どしたの? なんかあった?」
女が睨んだ方向をナイジャーも振り返って見やる。彼女が何を見ていたかなど言われずともわかっただろうに、光球虫でもくっつけて来ちゃったかな、とすっとぼけた。
「いいえ、何でもない。それより、大きいタイプの籠だっけ。確かあったよ」
女は立ち上がると、まず紙を取り出してナイジャーの前に置く。そこに必要事項を記入するように言ってから、一旦奥へと引っ込んでいった。
「ラダンー! 四人乗りの籠あるっしょ!? ――違う、ユーギュラ製じゃない! ナマワの! ――あ⁉ 予約とか知ったこっちゃないんだよ! 今すぐ回しな!」
何やら会話が不穏すぎるが、ナイジャーはこっちを振り向いてこっそりサムズアップした。
「あいつの顔はああいうときに役に立つ」
隣のルーシャスが腰を少しこちらに傾け、そうボソっと呟く。
エデルは唖然として問い返した。
「ご……強引過ぎない?」
「俺は特に何も言ってないからなあ。ゆとりのあるタイプがあったらそっちのほうが良いって言っただけで」
と、ナイジャーがうそぶく。確信犯である。
「ところでさあ、ふつう、ああいう反応になると思うんだけど」
ナイジャーが唐突にエデルをじとっと見つめる。
エデルは首をかしげた。
「なにが?」
「あの子、顔赤らめてただろ」
「そうだね」
傍から見ても明らかだった。改めて、彼の見目の美しさを認識したものである。
確かに、こんなにきれいな人ににっこりと微笑まれたら、要求された以上に何らかのサービスをしてしまいたいと思うこともあるのかもしれない。――彼の造作の美しさの恩恵に与れる見返りを期待して。
「エディは俺のことどう思う?」
「大きな街の広場にいそうだなって」
「広場?」
エデルは小さい頃、養父に連れられて緑層の大きな街に行ったことがある。まだ養父が元気な時分で、仕事のついでだと連れ出してくれたのだが、村の外ではエデルが魔力を満たせない子どもだと知る人はほとんどいなかったから、誰もかれもが優しかった思い出がある。だから、村の外に出られる日は楽しみで仕方がなかった。
そんな楽しい思い出の大きな街の中心部に、人々がたくさん集まる広場があった。街のほとんどの道がその広場に通じていたから当然なのだが、中には街の音楽家が子どももよく知る童謡を奏でていたり、即興劇をしていたり、人目を引く催し物がたくさん行われていたものだ。
そして、その中心には像が立っていた。
何を模した像なのかは、幼いエデルには理解できなかった。けれど、厳かな雰囲気のそれがひどく美しい人間の像であったことは覚えている。
もっと大きな街にある、国の宝を集めた美術館には、ああいう美しい像や美しい人を描いた絵がいくつも飾られているのだ、と教えられたことがあったものだ。
「そのときの像がね、別にナイジャーに似てるわけじゃないんだけど、きれいだなーって思った気持ちが一緒っていうか」
「……あ、そう……」
彼は美しい人だ。それは、先程のカウンターの女が頬を赤らめていたことからも事実である。
ではどんな美しさなのか説明をしろと言われたら、エデルには「あの街にあった像をきれいだなと思った思い出」が一番近いのだ。
そう説明すれば、ナイジャーは竜の目をきょとんと瞬いてから、力なく笑ったのだった。
「おまえ、ほんとこれ、大丈夫そ?」
彼が質問を向けたのはルーシャスにである。
「別に、見てくれでどう思ってほしいかなんて考えたことはないぞ、俺は」
「マジかよ」
ナイジャーが更に言葉を重ねようとする前に、店の奥から先程の受付の女が戻ってきた。
「お待たせ。すぐに用意できるよ。ナマワ製の最新型だから籠の広さも椅子の質も期待していいわよ」
「ほんと? ありがとうな」
ナイジャーがにっこりと笑みを作ると、受付の女は惚けたようにナイジャーを見つめた。
「ねえ、お兄さん。旅の目的は聞かないけど……。いつここまで戻ってくる?」
名残惜しそうな声音は、きっとふつうの男が問いかけられたのなら、すぐにその意味を解して期待を持つだろう。そうあからさまにわかるほどに誘われていた。
しかし、ナイジャーもただの男ではない。この手の声掛けなど日常茶飯事で、ただしなを作って髪をいじり、上目遣いに尋ねられたところで何も思わない。とはいえ、だからといって無下にしないのがナイジャーだった。
「んー、ちょっと目処が立たないんだよな」
「それってあの子と関係ある?」
黒い目がちらりと横に向けられる。
その視線の先にいたエデルは、ルーシャスとともに早速用意された飛空車が何なのかを確かめに行ったようだった。
ナイジャーはきれいに唇に弧を描くと、彼には低いカウンターに肘をついて、受付の女を覗き込むように背を屈めた。
「……目的は聞かないんだろ?」
「でも……」
彼は内心、この女が無理に引き留めようとしないところをきちんと評価していた。
黒層は上の階層への出入り口が限られているから、目的を持ってやってくるだいたいの旅の人間は、帰りに同じルートを辿って出ていく。そうすると、帰りにもう一度彼女に出会うことになるのは必至だから、そのときにナイジャーを誘いたいのだろう。
黒層ではよくある誘い方ではあるが、それでも目先の欲に囚われて、今なんとしてでも、と強引に引き止めようとする輩は引きも切らない。そのあたり、この女はきちんと公私をわきまえようという気概があったし、彼女のそういうところは好ましいなと思った。
彼女の意図に否を唱えるつもりはない。別段、彼は行きずりの相手と駆け引きを楽しむことを忌避しないのだ。
ナイジャーは軽く笑った。
「また見かけたら声かけてよ」
女はぱっと喜色に顔を輝かせて、しかし慌ててそれらを隠して調子を合わせたのだった。
「絶対よ」
そんな、欲もあるがどこか初々しい反応に笑いを噛み殺し、ナイジャーはルーシャスたちのもとへ向かった。




