32.黒層の移動手段、飛空車
黒層は巨大な夜の街、といった風情だった。夜の街、といっても言葉の綾ではない。そのままの意味の、夜の時間帯がずっと続いている大きな街、なのである。
ここはギレニア山脈の洞窟から入った、緑層の地面の下である。地底層だとは理屈ではわかるが、実際に見る黒層は地底であることを感じさせない。
確かに、建物は石壁や地層をくり抜いたような造りをしているし、街ともなると、街の中に上モノが建っているというより、地層を街の形に削って道を造り出したというほうが正しい。
道の脇に沿って建物が立ち並ぶというより、道の両脇に地層が立ち並んでいるように見える。そのむき出しの地層に窓や扉、看板など、建物の外装に見られる特徴が唐突についている。不思議な街並みだった。
扉の中は地層を削り出し、人が過ごすのに耐えうるようにいろいろな形に掘って部屋にしている。
だから、たとえば表から見て並んだふたつの扉は、必ずしも同じ店であるとは限らない。中でつながっていなければ、それは別の物件なのである。
エデルたちが歩く道もよく整備されて、暗いこと以外は緑層の大きな街と変わらない。広くて、人通りも多ければ、馬車も行き交っている。
相変わらず光球虫がふらふらと空中を飛んでいるが、彼らは人を嫌うので、人が作った窓の高さ以上を飛んでいることがほとんどだ。
しかしそれでは、いくら光球虫がわんさかいるといっても光源が遠すぎる。だから街の脇には、等間隔に外灯が立っていた。
外灯自体は緑層の街にもあるものだ。エデルの知っている外灯は、てっぺんには光源を吊るす箱のようなものがあって、そこに魔導具で光を灯す。
しかし黒層では、その光源の魔導具を置くべき部分に光球虫の好む魔鉱石のクズを置いているらしい。そこに光球虫が群がることで光源としているのだ、とルーシャスが説明してくれた。
「ああいう小さな獣魔には、魔鉱石そのものより砕いたクズのほうが餌として都合が良いんだ」
体が小さいから、魔鉱石を食べるにも小さいほうが食べやすいからな、とルーシャスが言う。
「魔鉱石を砕くのって、トンカチでも割れないし刃物でも難しいのに、どうやって?」
「エディは簡単に割るだろ」
ナイジャーに突っ込まれて、エデルはしどろもどろに言い訳した。
「それは、その……勝手に割れちゃうから……」
そこを指摘されると痛い。割ろうと思って割っているわけではないのだ。そもそも道具を使って切っても叩いても割れないものが、魔力をごくごく微量――少なくともエデルはそのつもりである――になるよう加減して流し込んで粉々になるのだから、もうエデルにはどうしようもない。
からかったナイジャーは快活に笑った。
「ごめんごめん。でも魔鉱石をクズにする仕組みはそういうこと。採掘するときや加工なんかの過程で、魔導具に使うには形の悪い魔鉱石が出るだろ。そういうのに敢えて強い魔力を流して割るんだ。そうすると小型の獣魔の餌になるから」
「へえ……。小型の獣魔って、わたしはあんまり見たことないかも。魔鉱石採掘場ではプレロとかレイニードが多かったから」
「プレロもレイニードも中型だが厄介だよな。特にプレロ、あいつら採掘人のにおいを覚えるだろ。んで人間が作業する前から採掘したもの狙ってくるもんな」
「そう、そうなの!」
プレロは、大型犬くらいの犬の形をした獣魔である。犬ならば耳のある部分に後ろに反り返った角を持ち、耳らしきものは実はない。彼らは聴覚を持たないのだ。
その代わり、鼻は泥濘の中でも嗅ぎ分ける力を持つと言われている。
事実、腕の良い魔鉱石採掘人のにおいを一度で覚え、それ以来、においを追ってしつこく採掘現場に現れては人間と魔鉱石を争うのだ。
彼らは、腕の良い魔鉱石採掘人のそばに、必ず餌になる魔鉱石があると知っているのである。
「遠吠えされると失神する人も出るし」
「あの魔核、ほんと厄介だよな」
プレロは魔核に音属性を持つ。声に魔力を乗せ、相手の精神に働きかける魔法を使うのだ。
身体能力だけで言えばフロウや竜を相手にするほどではないが、この魔法が実に厄介だった。
「レイニードはレイニードで、積極的に襲ってくるわけじゃないけど、鉢合わせるとめちゃめちゃ落雷して怖いし……」
「俺は見たことないけど、レイニードってやっぱり魔核に雷属性持ってるの?」
「持ってる持ってる。威嚇なんだよね、あれ。見た目完全に鹿だから、遠目に見つけて鹿かぁって思ってたら、いきなりズドーンって角に雷が落ちまくるの。そこだけ局所的に落雷多発地帯」
「こっわ」
「雷属性って基本的に範囲攻撃だから、こっちが気づいてないときに向こうが威嚇でいきなりズドーンってやられると、もう……」
そんな他愛のない話をしながら、長らく逗留していた街を離れる。
街を出ると、今度は広いながらも洞窟らしい景色が広がり始める。両側は岩のようになった地層だ。といっても、これもやっぱり人どころか馬車が行き交って、十分余りあるほどに道幅があった。
黒層の道はほとんどが一本道だ。それをどんどん下に下っていく。途中、ルーシャスもナイジャーも代わる代わるエデルの足の調子を尋ねたが、まだまだ余裕だった。
なにせ、エデルでさえ「ちょっと多くない?」と言いたくなるくらいの休憩を挟んでくれているからだ。
自身より頭ひとつ分は背の高いルーシャスと、さらにそのルーシャスより頭半分背の高いナイジャーが一緒なのに、どういうわけかエデルは歩くペースを気にしていなかった。気にせずにすむように、ふたりがよくよく気をつけてペースを合わせてくれているのだと気づくまでに、そう時間はかからなかった。
そうして、ちょうど半日くらい歩いただろうか。朝、店などが開店し始めるより前に出発をして、今がちょうど昼を回る直前だ。
そろそろお昼休憩になるだろうか、と考えていた頃に、そこにたどり着いたのである。
*
「――でっかい穴……!」
エデルはまず感嘆の声を上げた。それ以外にたとえようがなかった。
これまで一本道だった道が違う道にぶつかって、左右に分かれている。ここでも坂道を上るほうと下るほうに分かれていた。
その分かれ道まで行くと、壁に木の根がみっしりと伝って、隙間から向こう側が見える。
そこを覗いて、エデルは声を上げたのだった。
穴だ。穴がある。
どのくらい大きいかというと、幅は向こう側がややぼんやりと明かりが見えるくらい、穴の縦の長さは底が見えないくらいである。たぶん、この穴にエデルの住んでいた村がすっぽり入ると言われたら、信じてしまうくらいには大きい。
「下、なんか螺旋状に光ってる……。不思議」
「あれも光球虫だな。暗くて見えにくいが、ここは円柱状に穴が空いていて、その周囲の壁は螺旋状に下へと続く道になっているんだ」
「道でもあるんだけど、ここ、集合住宅なんだよね」
「――は?」
思わずナイジャーを振り返る。ナイジャーはおかしそうに笑った。
「行ってみればわかるよ」
促されて、エデルは穴に沿って螺旋状に下っていく道を進み始めた。
そうして、すぐに気づいたのである。
「左手の壁の向こうが穴だよね? 右手側、なんか似たような扉が続いている気がするんだけど」
洞窟内の螺旋状になった道といっても、その道幅は相変わらず広い。馬車がすれ違って、なおかつ人が上へ下へと歩いていけるくらいの幅があった。
その一方の壁側は言わずもがな穴である。しかし道を渡った反対側の壁には、なにやら似たような扉が等間隔にいくつも並んでいるのだ。
ここは街でもないし、店ならば必ず何の店かわかるように看板が出ているはずだ。けれど、似たような扉はひっそりと静まり返っている。
「これが家だよ」
「家!?」
驚いて声を上げてから、エデルははっと自分の口を塞いだ。この並んだ扉がすべて住宅だというのなら、ここは住宅街にあたる。こころなしか、道行く人も扉側を避け、反対の穴側に寄って歩いている気がする。
「そ。この螺旋状の道を利用してな、こっち側を掘って住宅にしたんだ。似たような間取りでいくつも作った集合住宅だな。ここからもう少し下った先にまた分かれ道があって、その先を行くと街があるんだ。俺たちが泊まってた街より規模は小さいけど、これだけの住民の住む街だからな。そこそこの街だよ。――で、その街に入る分かれ道に」
歩きながら、ナイジャーが言った通り分かれ道に出る。その分岐点に、なにやら大きな建物があった。
正確には、穴側の壁が大きくせり出して、そこに扉がついて、何かの店のようになっているのだが。
「飛空車がある」
「ひく……なに?」
「飛空車。空飛ぶ馬車、ってとこだな」
「空飛ぶ馬車……」
ルーシャスがうなずく。
「ここの螺旋状の道はすべて住宅街だ。ここだけじゃなくて、下のほうにも分かれ道があって、都度その分かれ道の先が街になっている。それが延々と、見えない下の下まで続いていくんだ」
「うん」
「だがそれを歩いていくとなると時間がかかりすぎる。それで、飛空車で目的地まで一気に下降する。または上る」
「なるほど?」
「まあ、説明するより実際に乗ってみたほうがわかる」
ルーシャスに促され、エデルはそのせり出した壁の扉を開いたのだった。




