31.ルーシャスたちが黒層に来た目的
「お、お水……」
「はいはい。不安になっちゃうよな。大丈夫か?」
じっと黙っていたナイジャーが、苦笑いしながら水差しを持ってきてくれた。
コップに注がれたそれを一息に飲み干してはみたものの、なんだか喉に支えてしまったような気がする。
「あんまり脅すなよ、ルース」
ナイジャーが太い眉をひそめてルーシャスを見やる。
ルーシャスも苦々しげに息をついた。
「自身の置かれた状況は正確に把握しておく必要があるだろう。そういう連中からエディを守るために俺たちがいるんだから必要以上に怯えることはないが、当の本人が楽観視して軽率な行動に出られても困る」
「う、うん……もう宿から出ない……」
黒層にまで指名手配されているのである。ここに来たからといって安全な場所はない。だったら、もう外に出ないことくらいしか身を守る方法は考えられなかった。
椅子の上でぎゅっと膝を抱えると、ルーシャスは苦笑した。
「必要以上に怯えるなと言っただろう。さっきも言ったが、そもそも手配書が出ることは想定内だった。おまえがここで療養している間も、俺たちは毎日依頼書が出される掲示板に確認しに行っていたんだ。手配書が出ないのならそれで良し、出るまではエディの足が良くなるまでここに滞在。出たらおまえを抱えてでも速やかに黒層の深部に潜るつもりだったからな」
「黒層の深部……?」
ああ、とルーシャスがうなずいた。
「俺たちのもともとの依頼も遂行しなければならん。どのみち黒層のもっと地下深くまで行くつもりだった。今日まではおまえの足の治癒を待ってここに滞在していたが、明日の朝一番にはここを出る」
「もともと、エディの足が治ってきたから明日には発つつもりだったんだ。手配書が出てようが出てまいが結果は同じだったんだし、だからそんなに気にしなくて良いんだよ」
ナイジャーは軽い調子で言う。
それで、エデルもようやく思い出した。彼らはもとから自分たちの依頼を遂行するためにここに来たのだと言っていた。なのに、エデルが治癒魔法で怪我を治せないせいで、ずいぶんと足止めしてしまったのではないだろうか。
自分のことばかりで、彼らの用事のことなんて頭になかった。エデルは反省して眉を下げる。
「その依頼をこなすのにかなり遅くなっちゃったんじゃない……? わたしのせいで……ごめん」
「気にするな。もともと調査依頼だったから設定期間は長かったんだ」
依頼には、獣魔の討伐など終わりが明確に決まっている場合には設定された期間は短く、調査が主体になる依頼など〝何を以て完遂と見るべきか〟が変わるものは期間も長く設定されるのがふつうなのだそうだ。
「どんな依頼内容なの? ……あ、これって聞いて良いの?」
依頼内容には秘密厳守などがあるのかと思ったが、ルーシャスは軽くなずいて教えてくれたのだった。
「簡単に言うと、獣魔の違法売買が行われてるかもしれないから、調査してほしい、という内容だな」
「獣魔の違法売買?」
「ああ。エディの連れていたドゥーベもそうだったが、獣魔は騎獣として人間に使役される種類がいる。こういう、人に使役される獣魔がどうやって手に入るのか、仕組みはわかるか?」
エデルは首を振る。
商隊にはドゥーベがいたが、彼は最初から商隊にいたエスローで、エデルは彼がどこから来たのかを知らない。馴らすことだとかを考えるより前にエデルと仲良くなってしまったので、入手手段など余計に考えたことがなかった。
そこまで思い至ってから、エデルは「あ」と声を上げる。
「そういえば、ドゥーベは……」
「黒層に入る前の宿屋で預かってもらった」
「そうだったんだ……。あ、でもドゥーベが見つかって、そこからわたしがどこにいるかってわかったりしちゃうのかな」
「可能性がゼロとは言い切れないが、ほぼないだろうな」
「そうなの?」
「獣魔にはふつう、捕らえた時期や売買した業者、その素性を識別する番号がつけられるが、ドゥーベにはなかった。商隊が個人的に野生のエスローを捕まえて間もなかったのならなくても不思議はないが、十中八九、あれも違法売買のうちの一頭だろうな。ドゥーベ自身もどこから販路に乗ってきた馬なのか調べなければならないが、今のところは識別番号がないのを良いことに宿屋で預かってもらっている」
勝手に売ったらおまえが嫌がるだろう? とルーシャスは事もなげに言う。
正確には、エデルこそ商隊からドゥーベを盗んできたような扱いになるのだが、エデルを助けてくれた彼と挨拶もなく別れてしまうのは惜しい気もしていたので、少し安堵した。
「売りに出すと、その識別番号が必要になる。識別番号でわかるのは、売り手の名前、出身層、出身国、ギルドに所属しているならその名前。あとはその獣魔をどこでどうやって入手したか、などの詳細な情報だ。そんなものをドゥーベに持たせて売りに出してみろ。その識別番号から足がつく。――逆を言えば、それくらい面倒な遣り取りをしなきゃならないほど違法売買が多いんだ」
「へえ。……ああ、だからルーシャスたちの今回の依頼に話がつながるんだ」
納得してうなずくと、ルーシャスは笑った。
「察しが良いな。そういうことだ。それだけ管理を厳しくしても、ドゥーベみたいに違法売買で誰かの所有物になった獣魔は後を絶たない。――今回の依頼主は獣魔の保護に関わっている人でな。その人が、大規模な獣魔の違法売買が行われているかもしれない、という情報を掴んだ」
出どころは聞いてくれるなよ、とルーシャスは言う。
「で、彼はそれが黒層の深部で行われているんじゃないか、と睨んだ。それが本当かどうかを確かめてきてほしい、というのが今回の依頼だな」
「黒層の深部には闇市が結構あってな。獣魔の違法売買が行われるならまずそこを疑うんだ。俺たちも専門業者じゃないから詳しいことはわからないが、違法売買と聞いたらまず黒層の闇市を考える」
ナイジャーが自身の膝に頬杖をつく。
「闇市は獣魔以外にも何でも取り扱う。それだけに、関わる連中も後ろ暗いのが多いんだよな。暗いし、荒っぽいし、叩かなくても埃ばっかり出てくる。一般の人間はまず近づかない。だから俺たちみたいな荒事に慣れた傭兵に、そういう場所の調査依頼が舞い込んでくるんだな」
エデルはひくりと片頬を引きつらせた。
「そんな場所にわたしが行って良いの……? 邪魔にならない……?」
ナイジャーは大げさにため息をついた。妙に芝居がかった仕草である。
「エディも心配だよなぁ。――どーなの、ルース?」
「今回は何も、現場を押さえて捕り物をしようってんじゃない。ただ行われていることが事実かどうか確かめに行く程度だ。エディは俺たちがついていれば何も心配することはない。ただ、言うことには素直に従ってもらうぞ」
「う、うん……」
不安はまだ拭えないが、黒層の深部の闇市を覗かなくたって、エデル本人に危険が迫っている。ここにひとりで残るほうが危険だろう。
だったら、彼らを信用してついていくしかない。
エデルが恐る恐るうなずくと、ナイジャーはにっこりときれいな笑みを浮かべた。
「ま、もう以前みたいな怪我は絶対にさせないから安心してよ。それに、下のほうが案外うまいもんいっぱいあるよ」
「えっほんと?」
エデルの碧い目がきらりと輝く。ナイジャーは声を上げて笑ったのだった。
「エディ、案外グルメよな」
翌朝、エデルたちは黒層深部に向けて、数週間逗留していた宿を出発したのだった。




