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25.身繕いに気をかけられるのは楽しいことだ

 風呂は男女に分かれていて、中に入ると脱衣所がある。更に奥に扉があって、その先が洗い場になっているようだった。

 脱衣所も洗い場もぜんぶ、石壁をくり抜いたような造りをしている。どういう魔法が施してあるのか、触った質感は確かに石なのに、脱衣所も洗い場もほんのりと温かかった。

 宿泊客の共用風呂と聞いていたが、今は空いている時間帯なのか他に客がいない。自分が相当汚れている自覚があったから、湯を浴びるのに他の客がいないのは気楽で良かった。これなら思う存分身ぎれいにできるだろう。


 捻挫した足に注意しながら衣類をすべて脱ぎ去って、引き戸になった扉の向こう側、洗い場へ足を踏み入れる。

 てっきり蒸し風呂のようなものがあると思っていたのだが、きちんと湯船が備え付けてあるのには驚いた。それも、エデルが知っているものよりかなり大きい。何人も入って足を伸ばしてもぶつからないほどの大きさがあって、ほとんど貸し切りで使えるのかと思うと少しばかり興奮した。


 だが、それよりもまずは汚れを落とすところからだ。

 これがなんとも苦戦することになった。

 ナイジャーが用意してくれた身体を洗うための石鹸も、洗髪用の洗剤も、手に取るだけで高級品とわかる。にもかかわらず、泡立ちがすこぶる良くない。

 高級品がそういうものかと一瞬勘違いしかけたのだが、それが誤りであったと知ったのは、同じシャンプーで三回目に髪を洗い直したときだった。


 自分が汚れすぎて泡が立たなかっただけだったのだ。

 己のことながらほとほと呆れつつ、何度も丁寧に泡を揉み込む。そうして三回目に泡を流し去ったあと、ようやくエデルの髪は、くすんだ灰から本来の青みがかった銀髪に戻ったのだった。

 見た目の汚れは落ちたが、毛玉になったもつれはシャンプーでは取り切れない。

 エデルの癖のある細い毛は絡まりやすく、これは洗うだけではどうにもならなかった。


 それで、ナイジャーが用意してくれたもうひとつの髪を洗う洗剤――整髪剤(コンディショナー)の出番である。

 これはシャンプーの洗浄力で失った油分を髪に与えて、櫛のとおりを良くしてくれるものだ。

 養父が元気だった時分には家にもあったし、村長の家でも使ったことがある。しかし村長の妻はエデルが何かをしようとすると逐一文句を言う人だったので、彼女に苦言されて以来、洗髪だけにしてきた。


 ぬるぬるとしたそれを髪のもつれた部分につけ、ナイジャーがお風呂セット一式の中に一緒に持たせてくれた櫛でできる限りほぐす。取り切れないもつれは多少残ったが、どうにもならないものはあとで切ってしまえば良い。


 ――どうせフロウにあげた部分は一房ごっそりなくなってるし。


 ある程度で諦めて、あとはなんとかかんとか頭の天辺から爪先まで洗い上げた。


 入っている間、他に客が来なかったのはありがたかったが、ただきれいにするだけでずいぶんと時間を食ってしまった。

 ルーシャスに長湯をするなと言われたばかりである。

 入ったときには泳げるほど大きな湯船でゆっくりするのだと意気込んでいたのだが、ようやく洗い終わったときにはもうそんな体力も残っていなかった。


 お風呂に入っただけなのに疲れた。

 それでも大きな湯船に入ることを諦めきれず、エデルはほとんど一瞬肩まで浸かり、逃げるように上がったのだった。

 また明日か明後日か、ここに泊まるのなら絶対に一度はゆっくり浸かりたい。

 この宿にどれほど滞在する予定なのかはわからないが、あとでルーシャスたちに確認してみようとエデルは心に決めた。


 それから着替えも驚きの連続だった。


「わっスカートだ」


 まず、ナイジャーが持たせてくれた衣服がスカートだったのである。

 しかも、結構ゆとりのある裾幅だ。


 エデルがこれまで着ていたのは、養父のお下がりの男物の衣服だった。上着は前開きで、片側のループにボタンを引っ掛けて留めるタイプで、長さは膝上丈。その下に男物のズボンを履いて、余った裾は捲っていた。

 養父のお下がりなら改めて買う必要がなく、女物の衣服より安いからずっとそうしていたのだ。スカートは布量が多くて高いから、村で仕事ももらえず、ふつうの魔鉱石も満たせないエデルでは手に入らない。だからスカートを着るのは久しぶりだった。


 エデルはまず、身体にぴたりと沿う綿素材の肌着を身につけてからアンダースカートを履き、紐を腰で留める。上にはハイネックのシャツを着て、その上から前開きになっているワンピースを羽織り、ボタンを留めた。

 ロイヤルブルーの、胸元の刺繍が見事なスカートだった。その模様も独特で味がある。

 スクエアに切り取られた襟から、下に着たハイネックの差し色がきれいに見えるのがおしゃれだ。


 男物も女物も、凝った留め具のついたものは値段が張る。その上、模様が染め抜いてあったり刺繍などが施されていると、それはもうエデルのような小国の辺境の寒村民が着られる水準を越えている。

 エデルに用意されたこの衣服、いったいどれほどの値がしたのだろうか。想像するだに恐ろしくなってきた。

 腰帯(サッシュ)に入れていた残りの緑魔鉱石は、すべてルーシャスに預けてある。この先の旅路にかかる生活費は考えなくて良いと言われているが、これはさすがに贅沢をし過ぎではないだろうか、と思えてきた。


 足元まであるスカートのボタンを留めて、最後に腰帯を巻く。女物の腰帯は腹部まで覆うように幅広だから、これも男物よりも値が張るものだった。

 これが金具のついたベルトになるとより高価だが、ベルトはどちらかといえば男性向けのものだ。

 腰帯にしろベルトにしろ、腹部を留めないと子どもっぽく見える。子どもはすっぽりと足まで隠れる上着を着て、腰帯を巻かないのが通常だからだ。


 エデルは衣服をすっかり着込むと、今度は髪をどうにかしようと濡れて青みの強くなった銀髪を布で拭った。

 もつれた部分を切ってしまいたい。だが腰帯に入れていたはずのナイフももう手元になかった。

 仕方なくそのまま女湯から出ると、待ち構えていたらしいルーシャスが顔を上げる。


「長湯はするなと言ったはずだが?」


 ずっと待ってたの? と聞くまでもなく開口一番に尋ねられて、エデルはぎゅっと首をすくめた。


「何度洗っても汚れが落ちなくて」

「湯船にはしゃいでたんじゃなく?」

「お風呂に入る前に、洗うだけ疲れちゃったよ。……あ、明日か明後日は大きいお風呂に入りたいんだけど、いつまでここに泊まるの?」


 わくわくしながら尋ねると、ルーシャスは片眉を跳ね上げて呆れたような顔をした。

 そのまま大股にエデルまで近づくと、またひょいと持ち上げられる。子どもを抱き上げるように、片腕にエデルを座らせるような格好だ。

 今度は汚れるから離れてほしいとは思わなかったものの、たかだか宿屋の中でそう何度も運ばれるのには抵抗がある。


 エデルは眉を下げた。


「ねえ、わたし歩けるよ」

「無理をするなと言っただろう。治るものも治らないぞ。俺たちのどちらかがいるときはしばらく運ばれてくれ」


 他のお客さんに鉢合わせたら、きっと何事かと思われることだろう。一階の浴場から三階の部屋まで戻る間にはらはらとしていると、エデルの心を見透かしたようにルーシャスがくすりと笑った。


「食堂にでも行かない限り他の客には会わんよ」

「え? なんで?」

「俺たちが泊まってるのはこの宿で最上の部屋だ。浴場を使うときは貸し切りだし、浴場と部屋をつなぐこの階段は最上階の利用者だけが使うからな」

「…………」


 エデルが目覚めたとき、なぜあんな高級そうな部屋だったのかすとんと理解した。

 しかし、そんなところに泊まって何日も寝込んでいたのだとしたら、宿代は一体いくらになったのだろう。

 質問できずにいると、ルーシャスは金の目をこちらに向ける。


「ちなみに、俺とおまえは兄妹ということになってるからな」

「キョーダイ?」


 なんで? と首をかしげると、ルーシャスは初めて困ったような、ちょっと羞恥を滲ませたような顔になった。


「そうとでも言っておかないと怪しい三人連れになるだろう。特におまえはここに運び込んだとき、誰がどう見ても何事か事件に巻き込まれた風体だったし……」

 確かに、怪我だらけで意識を失い、ルーシャスに背負われたエデルは目を引いただろう。

  そこへ律儀に「自由戦士と行きずりの女」などと説明したなら、どんな誤解を生むかわからない。その点、血縁であれば「事故に巻き込まれた妹とそれを救出した兄」として自然だし、他人の目は憐れみからやさしくなる。

 説明されてなるほどとうなずいたエデルだったが、ふと首をひねった。


「じゃあナイジャーは?」


 ルーシャスの大きな目がふいっと逸らされる。それから実に不本意そうにぼそりとつぶやいた。


「……俺の夫」

「ふたりって結婚してたの?」

「違う!」


 噛みつくような切り返しに、エデルはぽかんと目を瞠ってから、堪えきれずに吹き出したのだった。

ものの名称について、この世界での独特の単語があるかもしれませんが、歴史小説ではないのでわかりやすく現代語で表記しております。

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