23.幕間 ルーシャス・ダユン
ルーシャス・ダユン。その姓であるダユンは、奇しくもエデルが訪ねたがっているアドラス・ダユンと同じである。――というより、ルーシャスの姓こそアドラスの名からもらったものなのだから、同じで当然なのだ。
ルーシャスは金の眼を静かに伏せると、再びエデルへと向ける。その深い琥珀には、長い付き合いであるナイジャーでも目を瞠るような慈愛に満ちていた。
「エデルは昔の知り合いだ。俺がアドラスに拾われる前のな」
「アドラスに拾われたときだって、おまえ、十をいくらも越えたかどうかだろう。ならエディはいくつだったんだ」
「さてな。本人は六歳だか七歳だかと言っていたが、正しいところはわからない。何せあの魔力量のくせに、その一切が使いこなせていなかったからな。自身の生命維持もだ」
「……マジで言ってる?」
ナイジャーには甚だ疑わしかった。
人間は生まれながらにして魔力を持っている。そして自身の心身に関わる部分に消費される魔力というのは、本人も無自覚のうちに使いこなしているものなのだ。
その最たるものが、肉体の強化と生命維持。つまり、怪我や病気の自然治癒力を高めたり、老化を抑制することだ。
これらは、子どものときから誰もが自身の内側で魔力を循環させて、無意識に行っている。その程度は個々の魔力量に左右される。だから、魔力量が多い人は身長の何倍もある高さから飛び降りてもけろりとしているし、二十歳程度の見た目ながら実際年齢は倍以上の人もいるのだ。
子どものうちは、見た目と実年齢の差はほとんど出ない。子どもの肉体の成長はあくまで成長であって、老化ではないからである。
そういう、ふつうの人が当たり前にしているはずの身体強化や生命維持を、エデルはできていない。生まれたときからずっとそうだったとすると、彼女の自己申告は果たしてどこまで正しかったのか。同年代の子どもより肉体年齢の進行が早くて、見た目以上に実年齢が幼かった可能性すらあった。
「ってことは、エディも浮浪児仲間だったってことか?」
ルーシャスは、育ての親であるアドラス・ダユンに拾われるより以前、浮浪児として緑層のとある街にいた。同じように身寄りがなく、身を寄せ合うことでしか生きる術を持たない同年代の子どもたちと協力し合い、日々生き抜くことに必死だった。
そういう浮浪児たちの中に、飛び抜けて幼い子どもがいたのだ。
それがエデルだった。
「魔力循環なしで? マジで浮浪児やってたの? よく生き延びたな」
「俺もそう思う」
どこの階層でも、どこの国でも、残念ながら親を持たず、家もなく、ただあてもなく街中をふらついている子どもというのはいる。国によってはそうした身寄りのない子どもの救済に力を入れていて、ほとんど浮浪児がいない国もある。だがそういう国は稀だ。
浮浪児の大半は、然るべき保護を受けられなければ遅かれ早かれ死ぬ。しかし中には生き残って大人になる子どもも一定数いるのだ。
それはたまたま施しをくれる人がそばにいたり、寒さや暑さをしのげる環境であったり、運が良かっただけに過ぎない。その〝運〟の中に、持って生まれた魔力量というものがある。
魔力量が多い子どもは、生命維持に消費できる魔力も潤沢にある。生命維持に魔力を割けば、飢えてもしのげる時間は長く、寒さや暑さにも耐性がある。外傷で死ぬリスクを下げられるし、病気にも強い。
だから、浮浪児としてある程度生き延びている子どもというのは得てして魔力量が多い。――多くなければ、それをきちんと循環させて活用できていなければ、生きていけないはずなのだ。
エデルは何もかもが例外だった。
「出会ったとき、エデルの発語や行動を見ている限りはせいぜいが四、五歳程度だと思ったがな。それよりもっと早くに親と離れて大人と関わる機会もなかっただろうから、そういう意味でも年相応の情緒や知性が育っていなかった可能性はあるが」
ルーシャスはほろ苦く笑う。
「俺が何をするにも鳥の雛のようにどこへでもくっついて来た。俺がいないと、この世でひとりぼっちみたいな顔をして……」
ルーシャスには、まだ鮮明に思い出せる。いつでもにこにこと信頼の目を向けてくれていた、白々層の春の空のような青の目が。
あんなにルーシャスにべったりだったのに、今では覚えている素振りもない。
「いろいろあって俺たちはアドラスたちに引き取られることになったが、何せエデルはこの魔力量だ。アドラスでも面倒を見切れんということで、彼の傭兵団の中でもっとも優れた魔道士だったオルドーがエデルを引き取った。そのときに約束したんだ。――俺が大人になったら迎えに行くと」
子どもらしい、実に曖昧で不確実な約束だった。けれどもルーシャスは本気だったし、エデルもそう信じていたはずだ。
結局叶えられず、こうして意図せず再会することになったけれども。
ナイジャーは、決してルーシャスが不義理をして約束を反故にしたのだとは思っていない。
どうして迎えに行かなかったのかと尋ねることはできた。しかし眼前の、手が白くなるまで拳を握りしめているルーシャスを見てしまったら、そんな意地悪な質問もできなかった。
「……それで意図せず再会して、エディがおまえのこと覚えてないから初対面のフリしてすっとぼけてんのか?」
しかしナイジャーにはどうしても解せない。それほどまでに再会を望んだ相手なら、どんな形でも出会った瞬間に互いの素性を明かし、再会を喜べば良いのではないか。
これまでのエデルの状況を思えば、出会ったばかりの自由戦士に拾われるよりも、信頼できる昔の知り合いと再会したのだと思えるほうが心強いだろうに。
頑なに行きずりの自由戦士を演じるルーシャスには何か意図するところがあるのだろうが、ナイジャーは首をかしげずにはいられなかった。
それどころかちょっとからかうように笑ったのである。
「その年で昔の女に覚えられてないからって拗ねてもかわいくないぜ」
「別に拗ねてるわけじゃない」
言いながらも、どこか不満げな顔をしている。
ナイジャーは「素直じゃねえな」と思っていた。
子供じみた感情以上の理由があって黙っているのだろうが、同時に拗ねる気持ちもしっかり抱えている。
昔から素直じゃないところのある難儀な男だった。
「エデルの魔力量を見ただろう」
「ああ、ありゃやばかったな」
エデルの魔力を感知できたのはあのときだけだ。しかしその一瞬でも、これまでにない脅威を覚えた。
特級獣魔と思いがけず鉢合わせたって、あそこまで命の危機を感じることはない。
「こんな無尽蔵な魔力量をもってる人間がいることが知られたら、そりゃ売り飛ばされるよなあ」
エデルがなぜ魔力を持っていることを隠したがったか、彼女がなぜ魔力を理由に誘拐されたのか、アドラス・ダユンがどうして彼女だけを隔離して、信頼できる魔道士であるオルドーに預けたのか――そういうものが一度で理解できるほどの衝撃だった。
この世には、国民の魔力提供を義務化して集めさせ、それを己の身体強化や生命維持に使う権力者が当然のように存在するのだ。もちろん、その是非についてはどこの国でも議論が止まないが。
そうして人間に等しく訪れる老化を止め、寿命を延ばし、半ば永久の寿命を手に入れた権力者がいる。
しかし、そういう私欲を満たそうとする人間には必ず反発があるものだ。
多くの人から少しずつ奪おうとすれば、大勢から反発を買うことになる。ならば、少数を囲い、反発できないよう自由を奪い、己の命のために魔力を提供させ続ければいい。
だが、人の命を永らえさせることは並大抵の魔力では補えない。だから権力者は魔力の多い奴隷を買う。それでも、永遠の命を得るには到底足りない。
――それを、たったひとりでできてしまえる魔力量を持つ人間がいたら?
ナイジャーはエデルを見る。
エデルが売られようとしていた先では、そういう悪どい権力者が手をこまねいていたはずである。それが容易に想像できるから、彼女を売った村長とやらも、それを買い付けた行商人も、エデルを取り逃がしたことを諦めるわけがないと確信できた。
「覚えていないならそれでも仕方がない。だけどな、放っておけるわけないだろう。エデルの魔力量が尋常でないことは知っていた。それを理由に売られた途中だったと知って放り出せるか」
「まあ、わからなくはないけど」
「その場だけ救って放り出してみろ。一生アドラスのもとにたどり着けんぞ。例の商人が先に捕まえるかもしれない。別の人間に魔力のことを気づかれて悪用されるかもしれない。それくらい容易に想像できるだろう」
結局、ルーシャスは大切な少女を危険な目に遭わせたくないのだ。たとえ彼女が自分と交わした約束を覚えていなくても、既に自分に見切りをつけていたとしても。
「アドラスのもとへ行きたいと言ったんだ。だったらきちんと送り届けてやる。もちろん、依頼も忘れたわけじゃないさ。だが、目が離せないんだから連れて行くしかないだろう。面倒は俺が見る。それで良いか?」
ナイジャーに迷惑はかけない。そう言いたいのだろうが、この男は本当に、肝心なところで覚悟の仕方を間違える。
ナイジャーはこれみよがしに深い溜め息をついた。
「そこはエディのことをよろしく頼む、だろうが」
ルーシャスについていくと決めたときから、ナイジャーは彼に魂を預けている。
ルーシャスがエデルを守りたいのなら、それはナイジャーにも守るべきものなのだ。
ルーシャスは金の目を軽く瞠り、それから初めて表情を和らげた。
「そうだったな。――よろしく頼む」
「はいよ。任された。――まあ俺としても、頑張りすぎるこの子は目が離せないからな」
ナイジャーは自身の大きな手を軽く握りルーシャスへ突き出す。
ルーシャスも同じように拳を作って、ナイジャーのそれへと打ち当てたのだった。
幕間のルーシャス・ナイジャー視点はここまでです。
次回より第2章に入ります。
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