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18.信じてもいい人

 ルーシャスたちが崖上から覗き込むので、少しでもそばに行こうとエデルは立ち上がる。しかしどうやったってその場に膝が崩れてしまった。尻もちをつくと、上から「動くな」と慌てた声が降ってくる。


「待ってろ、今行くから」


 ルーシャスは事もなげにそう言った。


「ん? おいおい、待て待て。その洞窟、獣魔の巣穴じゃないか?」


 ナイジャーがルーシャスの後ろからひょっこりと顔を出した。どちらも元気そうだ。昨夜あんな別れ方をしたあとだったから、エデルはホッとした。


 ルーシャスが崖上の縁から躊躇なく踏み出す。目測でも十五メートルは高さがあるにもかかわらず、だ。

 まるで投身自殺でも見ているかのようだった。エデルは悲鳴を飲んで、しかしルーシャスから目が離せなかった。そうして崖上から一気に飛び降りた彼は、実に軽やかにエデルの目の前に着地したのだった。


 鮮やかな紫紺の髪が舞う。やっぱり、昨夜見たルーシャスの髪は黒ではなく紫だったのだ、とこのとき理解した。

 陽の光の下で初めて見る彼は、エデルより頭ひとつは上背がある。身体の厚みも立派なもので、改めて彼が名乗った〝自由戦士〟の意味を思い知らされた。


「エデル!」


 ルーシャスが長い脚で一歩を踏み出す。エデルが何かを言うより早く、そのまま駆け寄って大きな両手でエデルの頬を包んだのだった。


「生きてるな? 手と足はくっついてるか?」


 顔を覗き込み、それから検めるようにエデルの手を取り足を見て、それからもう一度目を合わせてから大きな金眼を歪めた。


「怪我だらけじゃないか。……本当にすまなかった」


 かさついた指がエデルの頬を撫でる。なんてことはない、と答えたかったのに、エデルよりも痛そうな顔をするルーシャスを目の当たりにしたら、何も言えなかった。


「どうした? 声が出ないか?」


 喉に怪我をしたかと首元を覗き込もうとするので、エデルはゆるく首を振ってようやく声を絞り出した。


「だいじょうぶ。あの、ありがと」


 エデルは笑った。心から微笑んだつもりだった。真実、ルーシャスが見捨てずに、それどころかこんなに心配して探してくれていたことが嬉しかったのだ。けれど疲労から表情まで強張ってしまったのか、なんだかうまく笑えていない気がした。

 ルーシャスが大きく息を呑む。それから形の良い唇を開いて、しかしそのまま何も言うことなくエデルを抱きしめたのだった。


「すまなかった。おまえの体力を見誤った。昨日は元気そうに話してたから、ひとりでも街道に出て身を隠すくらいはできると……」


 こんなふうに誰かに包みこまれるのは初めてで、エデルはなんと言って良いものかわからなくなった。

 大きな体にすっぽりと抱きしめられながらうろうろと視線を彷徨わせる。抱き返したほうが良いような気がしたのだが、しかしルーシャスの大きな背中に手を伸ばす勇気がなくて、宙に浮かせた手は所在なくゆらゆらと揺れだけだった。


「俺が抱きかかえてでも離れずにそばにいれば良かったな。悪かった。一晩、よく耐えてくれた」


 苦しいくらいの力に、エデルはぎゅうと目を閉じる。痛かったわけではない。そうでもしないと涙がこぼれてしまいそうだったのだ。


「……でも、ルーシャスは来てくれたから」


 何度も息を吸い込んで、嗚咽がこぼれないように慎重に、ようやく吐息と一緒にそう返す。ややあってルーシャスの身体が離れると、彼はエデルを見つめてから痛ましそうな顔をした。

 そんなに罪悪感を持たないでほしかった。ちゃんと逃げ切れたのだし、転がり落ちてあちこち擦りむいたり打ち付けたりはしたが、その程度だ。命を脅かすような大きな怪我はない。

 それよりも、ふたりがエデルを大事なもののように扱ってくれることのほうがずっと嬉しいのだ。

 養父は死に、良くしてくれたと思っていた村長に裏切られ、他に頼れる人はもういないと思っていたから。

 この人たちは信じて良いのだと心から思えることが、今のエデルにとっては何よりも得難いものだった。


 ルーシャスの大きな背中の向こうで何かが動いた気がして、エデルは自身を労る金眼から視線を外す。

 見やれば、山肌にぽっかりと空いた巣穴から、のっそりと大きな暗褐色の毛むくじゃらが姿を表したところだった。


「あ――」


 エデルは息を詰める。

 あれは昨夜、惨劇を繰り広げたメスのフロウだった。


 さっと青ざめたエデルを片腕に抱き込んで、ルーシャスはてらいなく振り返った。

 彼にとっては二級獣魔(じゅうま)であるフロウに背後を取られた形になる。しかしルーシャスはさしたる動揺もせず、むしろ気楽な態度で言ったものだった。


「子育て中のフロウか。ふつうはこんなに人の往来の近いところに住み着く連中じゃないんだがな」


 ルーシャスの言葉は軽いが、対峙するフロウは低く唸っている。縄張りを荒らされて怒っているのだ。

 ルーシャスが剣を取る。しかしエデルは慌てて引き止めた。


「待って。髪」

「髪?」

「あげれば、見逃してくれるから」


 震える手で昨日も活躍したナイフを腰帯(サッシュ)から取り出し、もつれた髪をまた一房、無造作に切り落とそうとした。

 が、それを日に焼けた大きな手が留める。


「やめろやめろ、もったいない」

「でも」

「エデル、さっき魔力を放出したな。魔鉱石でも持ってるのか?」


 問われて、エデルは腰帯から今度は緑魔鉱石(りょくまこうせき)を取り出した。


「ああ、良いのを持ってるな。もらうぞ」


 手にした緑魔鉱石は既に粉々になっている。ルーシャスたちに居場所を知らせるために過分な魔力を注いだから、緑魔鉱石でも耐えきれずに壊れたのだ。

 彼はそれには構わず砂粒のようになったそれをエデルからもらい受けると、自らも袷から石をいくつか取り出す。ふつうの魔鉱石だ。そうしてそれらを唸るフロウの前へと置いたのだった。


「縄張りを荒らして悪かった。彼女を連れてすぐに立ち去る。これで許してもらえまいか」


 ルーシャスの声には、怯えも媚びる色もない。尊大に力を誇示する響きもなかった。ただ、対等に取引きを持ちかけているだけである。

 フロウはじっとルーシャスを見つめ、ややあってその場に座る。もうこちらに敵意を向けてはいなかった。


「さすが、二級ともなると話が通じるな」

「あれで良いの?」

「ああ。だからって長居を許されたわけじゃないがな。ここはそもそもあのフロウとその家族の縄張りだ。意図したわけじゃないが、俺たちが許可なく侵入した形になる。邪魔者は早いとこ退散しなきゃな」


 ルーシャスは明るく言った。

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