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17.泣き止んで、晴れ

「おまえ、なんでそんなヘラヘラ笑ってんだ?」


 唐突に突きつけられた問いに、エデルはにこにこと緩めていた表情を引っ込めた。


 骨ばかりが目立つ小さな手は、相変わらず眼前の少年の服を掴んだままだ。彼がいなくなってしまったら、エデルにはもう頼る人がいない。絶対に手放したくなかった。だというのに、彼はその気持ちがわからないとでもいうように首をかしげる。

 少年がはっきりとした眉を下げて、呆れたような顔をした。


「俺と離れ離れになりたくないって言ったのはウソなのか? オルドーと一緒に行くほうが良い?」


 オルドー、と言って少年はエデルの隣を見やった。

 これからエデルを連れて行くと言った、傭兵の男だ。つられて見上げると、深い皺の刻まれた老兵がにこりと笑った。


 やさしそうな人だ。けれど、エデルは少年と一緒のほうがいい。だから少年の――ルウの服から手を離さない。離したら、もう一緒にいられないのをわかっていたからだ。


「やだ。ルウといっしょがいい」


 小さな手にぎゅっと力を込める。


 傭兵の男たちは、エデルとルウは一緒には暮らせないのだと言った。エデルはこれから、仲間の少年少女たちともルウとも別れ、オルドーと一緒に暮らすのだと。

 どうしてかと聞いたら、オルドーはいろいろと説明はしてくれたけれど、エデルには理解できない言葉だらけだった。でも、どんな説明をされたって、ルウとだけは離れたくないのだ。


 ルウは自分の服を掴んだエデルの小さな手ごと包んだ。眉根をぐっと寄せ、怒っているような顔をしているのに、その手はどうしたってやさしい。


「じゃあ笑うな。悲しいなら泣いて良いんだ。じゃないと、エデルがどう思ってるのかわからないって前にも言っただろう」

「…………」


 へく、と喉が鳴った。


 ルウはそう言うけど、泣いたらダメなのだ。

 泣いたら怒られる。鬱陶しいと嫌な顔をされ、殴られる。だから笑っていないといけないのだ。

 母親はエデルが泣こうが笑おうが嫌な顔をしたけれど、それでも殴られるよりはマシだ。それに、母親以外の大人なら、泣いているよりも笑っていたほうが好意的なことが多い。


 だから泣いたらダメなのだ。なのに。

 なのに、ルウにそう言われたら、もううまく笑えなかった。


「……ルウといっしょがいいぃー」


 わぁん、と声が上がる。それが自分の泣き声だと、大好きだった少年に抱きしめられるまで気づけなかった。




 *




「――――」


 誰かが呼んでいる。

 ふっと意識が浮上すると、眩しさが目に刺さった。ぎゅっと目を眇めると、緑の濃い木々の隙間から明るい空が覗いている。


 朝だ。

 どうやら眠っていたらしい。

 太陽が昇っているわりには少々薄暗いが、たぶん、ここから見えないどこかに青層(せいそう)の島が影を作っているのだろう。


 エデルは何度か瞬いて光に目を慣らしていく。そうする間にも目元がカピカピと引き攣るような気がして、両手で無造作にこすった。

 頬に涙の跡がついている。ぱりぱりと乾いたそれをこすって剥がし、エデルはようよう身を起こした。


 体を起こした瞬間、頭がぐわんと揺れた。

 全身が痛い。自身を見下ろして、ひどい惨状に閉口した。

 淡い色をしていた養父のお下がりは、今は血と泥にまみれ、灰色と黒、暗褐色が混じり合った模様になっている。下衣(ズボン)はあちこち引っ掛けてやぶれているし、靴は片方が脱げていた。むき出しになった肌は余す所なく傷を負い、大なり小なり出血の痕がある。


 ぐらぐらと揺れる視界をなんとかまっすぐにして、エデルはあたりを見回した。明るい陽の下で、ようやくここが崖の中腹あたりにある、わずかに突き出た岩場の上であることを理解した。

 正面に数歩でも歩けば転がり落ちてしまうような場所だ。動けなかったからここで意識を失っていたのだが、動かなくて正解だった。あのまま歩き回っていたら、早晩また足を踏み外して崖から転落していただろう。

 そう考えると、お腹の底が冷える思いだった。


 今エデルが座り込んだ場所から右手にすこし行った先に、ぽっかりと山肌をくり抜いたような空間がある。あれが昨夜、フロウと鉢合わせた巣穴だ。

 どこからかここから脱出できそうな場所はないかと首を巡らせていると、また自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。


 立ち上がろうとして、しかし叶わないことを知る。昨晩のように痛みを堪え、無理にでも力を込めようとしても、もうまるで身体が言うことを聞かなかった。その上、動こうとするだけで右足首に刺すような痛みが走る。


 そういえば昨夜、この崖を滑り落ちてひねったのだった。

 無理にでも立ち上がろうとして、ぐらりとよろける。その拍子に隣の崖からまた落ちるのではないかとヒヤヒヤした。


「エデル!」


 今度こそはっきりと自分の名を聞いた。

 ルーシャスたちの声だ。間違いない。探してくれていたのだ。


 エデルは驚きのあまり呆然とした。

 彼らはエデルを見捨てたり、裏切ったりしないのか、と思ったのだ。昨夜偶然会っただけの、厄介事を抱えた初対面の女を。

 散々泣いたのに、また涙が少しこぼれた。それを急いで拭い、エデルは口を開く。

 声を出そうとして、喉がべったりと張り付いて声もあげられないことに気づいた。


 エデルを呼ぶ声は頭上から聞こえる。昨夜転げ落ちた斜面の上だ。

 気づいてもらいたいのに、視覚からも聴覚からも訴えることができない。どうしようかと迷って、エデルは腰帯(サッシュ)から緑魔鉱石(りょくまこうせき)を一つ取り出した。

 ルーシャスは、エデルの魔力探知はできないと言っていた。おそらく、エデル自身が〝自分には魔力がない(・・・・・)〟と伝えたから、ないものは探れないという意味でそう言ったのだろう。

 魔力探知は、魔道士だとか、魔導具師、あるいはルーシャスたちのような戦闘に長けていて魔力の扱いを心得る者なら誰でもできる。どれくらいの精度で探知できるかは個々人の能力に寄るが、自由戦士として生計を立てている彼らのことだ。昨夜早々に追っ手に気づいていたことからも、それなりの実力者であることは十分に窺えた。

 エデルは魔鉱石に魔力を溜められずに壊してしまうが、例外もある。それが緑魔鉱石だった。


 腰帯から取り出したそれは、透き通った緑色をしている。エデルの知っている限りでは、緑魔鉱石は村長や行商人くらいしか持っている人を見たことがない。ふつうの魔鉱石の何十倍も魔力を保持することができる高価なものだからだ。


 養父が言うには、エデルの魔力は大きすぎるらしい。

 だから魔鉱石に魔力を溜めたくても、魔鉱石のほうがエデルの膨大すぎる魔力量に耐えられずに粉々になる。しかし、より多くの容量を持つ緑魔鉱石ならば溜めることができた。ただ、緑魔鉱石そのものがエデルにとっては高価すぎるもので、日常的に手にする機会がなかっただけで。


 これは行商人に誘拐されていたとき、一緒に馬車の中に放置されていた緑魔鉱石だ。

 エデルは、商隊と一緒に村を離れて数日した頃に、この緑魔鉱石に魔力を溜めるよう指示された。魔鉱石への供給は壊してしまうと説明したのだが、壊しても良いと言われたのだ。

 その時点で怪しいと思ったが、もう遅かった。

 村からは既に遠く離れていて、エデルは村長のお遣いの途中だった。立場を考えたら強く断ることもできず、言われるままに魔力を提供した。


 それからだ。彼らがエデルを商品として扱うことを完全に隠さなくなったのは。

 結局、逃げ出すときのどさくさに紛れていくつか盗んできた形になったのだが――これは、そのうちのひとつだった。

 既にエデルが魔力を溜めたものだから、透き通った石は中に淡い緑色が揺らめいている。そこへ、エデルはさらに魔力を込めたのだった。

 たぶん、魔力が発露すれば気づいてもらえるかもしれないと思ったのだ。


 本来、緑魔鉱石は、ごくごく一般の大人が十人がかりで魔力を溜めてようやく満たされる。ひとりで満たそうとすれば当然疲労するし、そもそも自らの許容量を越えて魔力を放出することはできない。魔力切れを起こすからだ。

 だがそんな緑魔鉱石でも、エデルにはやろうと思えば簡単に破壊できるものだった。それだけの魔力を放出してなお、魔力を使いすぎて疲労する、などという感覚もわからないのだ。


「――っ」


 魔力を放出した瞬間、周囲のゆらぎを覚えた。

 空気が震える。木々がざわめく。エデルの魔力を感じ取ったあらゆる生物が、突然の強大な魔力の発露に動揺していた。


「なんだ?」

「獣魔か? この魔力量、特級レベルだぞ」


 そしてそれは、崖上からエデルを探していたルーシャスたちも同様だった。

 声が近くなる。見上げると、エデルが滑り落ちた崖の上に人影が現れた。ルーシャスだ。


「エデル! 無事か!?」


 夜闇でも印象的だった金の目が、今は朝日を浴びてさらにきらきらと光っている。

 こちらを見下ろしたルーシャスと目が合うと、凛々しい眉を険しく寄せていた精悍な顔立ちがやわらいだ。


 それを見て、ようやくエデルも心から安堵できたのだった。

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