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16.窮地を脱したところで養父が帰ってくるわけではない

 息を詰め、次に来るであろう衝撃に身を固くして――しかし訪れることのなかった最悪の事態に、エデルはそろりと目を開けた。

 するとフロウが差し出したエデルの髪をくわえ、その場に伏せたのだった。そうしてから、骨でも咀嚼するように灰色の髪を食べ始める。


「…………」


 フロウの態度を見て、巣穴の奥からわっと獣魔が集まり始める。フロウよりも身体の小さな同種の幼体や、見慣れない姿の獣魔もいる。

 それから、白く細長い形をした、羽毛に覆われたイタチのような獣魔も。

 おそらく、このフロウが群れの仲間と認めて子育てしている他種の獣魔の妖獣たちなのだろう。それらが一斉にエデルの髪を奪い合うようにして貪り始めた。


 あとはもう、フロウはこちらに見向きもしなかった。まるで、髪を対価に見逃してやると言われているような気さえした。

 エデルは詰めていた息を細く長く慎重に吐き出し、抜けた腰をなんとか引きずって、ようやく巣穴から立ち去ったのだった。


 魔力はその生物の肉体に宿る。とりわけ人間は髪に魔力が溜まりやすい傾向にあり、だから人々は自らの髪を伸ばし、己の魔力を放出しやすい形に結うのだ。

 どうあがいても勝ち目のない獣魔に襲われたとき、髪を囮にして逃げるという唯一の方法がある。だがしかし、このやり方は致命的な欠陥がある。

 その髪の持ち主の魔力量が格上の獣魔にとって魅力に思えなければ、囮として差し出した髪は対価になり得ず、獣魔は髪に見向きもせず人のほうを殺しにかかるのだ。

 相手がフロウだった場合、髪を差し出して生き残れるのは、二級獣魔を容易に倒せる実力を持つ傭兵くらいだろう。そしてそんな人物は世界でもそれなりに限られてくる。


 しかしエデルの髪は例外中の例外だった。

 並外れて魔力量の多いエデルは、髪だけでなく本人そのものが獣魔から好かれるのである。

 獣魔はそれぞれ魔核(まかく)を持ち、魔法を使うことで生きている。その性質上生きているだけで大量の魔力を消費するから、どうしても他者から魔力を補う必要がある。だから他の獣魔を、そして人間を捕食する。


 だが捕食対象が有り余るほどの魔力を持っていた場合、獣魔は相手を殺さず友好的に魔力を譲り受けようとするのだ。

 殺してその場限りの魔力を奪い取るより、生かして友好関係を結び、継続的に魔力の提供を受けるほうが理にかなっているからではないか――と養父は考察していたが、その真偽は定かではない。


 ともかく、エデルが獣魔に好かれるのは、獣魔たちに備わる本能的な部分に訴えかけられるほどの魔力を持っているからではないか、と推測されていた。

 エデルはようよう巣穴から這い出ると、そこから数メートルほど離れた木陰に座り込んだ。

 そうしてもう、一歩も動けなくなったのである。


「た……すかった……」


 緊張が緩むと全身が痛んだ。

 もうどこを怪我していて、何が痛みで、どれが気のせいなのかもわからなくなっていた。


 次第に痛みを思い出してきた右足を引っ込め、膝を抱える。

 窮地は脱したのかもしれない。けれど、この先どうしたら良いのか皆目検討もつかなかった。

 ルーシャスもナイジャーもいない。ドゥーベもいない。こんなところでうずくまって、他の誰かが助けてくれるわけでもない。


 何がなんだかわからない。わからないが、とんでもないことになっている。

 エデルはぎゅっと膝を抱え込む。顔を埋めるように丸くなると、ずっと胸のうちからこぼれそうになっては押し留めていた、心の軛が転がり落ちる。


「……おとうさん」


 もう口にはしないと決めていた言葉だった。声に出したら、もう我慢できないとわかっていたから。


「――ふ……っ、う……」


 涙がこぼれ落ちる。だから呼ばないと決めていたのに。

 それでも、今のエデルにはもう堪えられなかった。


 養父が死んでから、心にぽっかりと空いた穴に気づかないふりをしてきた。人並みに生きることができない自分はやることが多くて、だから悲嘆に暮れている暇はなかった。

 誰かに迷惑をかけることの多い人生だ。養父を亡くしたからといって、この世で一番可哀想な自分を見せたって誰も喜ばない。辛気臭い顔をしていたら余計に嫌われる。だから笑っていなければならなかった。

 だというのに結局、村長には裏切られ、奴隷として売られた矢先に襲われ、ルーシャスたちに出会った直後にまた命を脅かされたのだ。


「お、とうさん……おとう、さ……っ」


 嗚咽の合間に養父()を呼ぶ。エデルに何かあればすぐに助けてくれた彼は、もういない。呼んだって仕方がない。泣いたってどうしようもないのに、泣けて泣けて涙が止まらなかった。


「おとうさん……」


 脳裏に描いた養父の顔が涙と一緒にこぼれ落ちる。

 その名を呼んだってどうしようもないのなら、次に思い出したのは忘れたはずの名前だった。


「……ルウ」


 その名を持っていたのは、もう顔も覚えていない、昔少しだけ一緒に過ごした少年だ。

 親からも捨てられ、頼りを求める相手もいなかった幼子(エデル)が初めて得た、兄のような友人のような人だった。


 ――その彼だって、大きくなったら迎えに来ると約束したまま、二度と会うことはなかったけれど。

 誰もエデルを助けてくれないのなら、傷だらけのこの身体でどうやって立ち上がれば良い。


 エデルは暗闇の山の中、わんわんと声が枯れるまで泣き叫び、そのままいつの間にか意識を失っていた。

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