臆病な撤退
強い相手を探し求めていて、霊力に反応してやってきた前回の彼女。霊力の動きや反応が大きければそれだけ気づきやすいだろう。
そのためにわざわざ霊力を込めたコンテナで霊力を弾けさせたのだ。あれだけの量と銀髪の霊術もあれば気づくのも早いと踏んだが賭けに勝った!
完全に状況が膠着した間に自分の体を確認する。脇腹の傷はそこまで深くない。血は……出ているがまだこれくらいなら死なないはず。
「制服に……赤い……傘!?」
傘女の姿を見て荊儀は今までで一番顔色を悪くする。
「やば、やばいやばいやばい。時葛やばいよあの人!」
「え?」
「二年前に東京に降り立った、十代半ばで単騎魔物狩りレコード45体、ossの天敵、反社会の人間も裸足で逃げる妖怪……!」
「だぁれが妖怪ですってぇ!」
「ひっ!」
今にも襲いかかりかねない気迫だが、荊儀の怯えた様子を見て咳払いをし、傘を閉じて床をゴンゴンと突く。
「……こほん! そ・れ・と! 単騎魔物狩りはあくまで公式記録ですので! あまり数がどうこう言わないでくださる? あんなの、いちいち申請するのが面倒なので正確な数を記録していませんから」
あの、魔物って基本的に3人くらいで狩るはずだよな?
なんで一人で狩ってる記録ついてるんだ……化け物すぎる。
「まったく……人を妖怪呼ばわりするなんて失礼極まりないですわ。あなたもそう思いません?」
いきなり現れた乱入者に困惑していた銀髪は反芻するように呟いていた。
「赤傘……殺戮鉄傘の魔物狩り……鈴木夢子……鈴木…………鈴木一族の暴れ娘の鈴木夢子!?」
荊儀もそうだがなにやらその界隈では有名人なのか、あからさまに銀髪の顔色が悪くなる。
「あら、私もすっかり有名人になってしまいましたわね」
その様子に対しても堂々と、不遜なまでに笑みを浮かべた傘女こと鈴木夢子は傘を肩に担いで名乗りを上げた。
「京の守護者、鈴鳴氏と並び立つ京の用心棒、鈴木一族が一人、鈴木夢子。ここまで言えば、ご理解いただけるかと思いますが」
青ざめていく銀髪に対し、鈴木夢子は歌うように喋りながら傘をダンッと音を立てて床に突き立てた。
「試合の時間ですわよ、対戦者」
もしかしたらとんでもねぇ暴力装置を呼び寄せてしまったのかもしれない。
荊儀のほうを見るとあわわわわと怯えており、今までで見たことない動揺を示している。銀髪よりも多分びびっている。
「荊儀……知ってんの?」
「ossの間じゃ有名人……っていうか東京の異能者なら多分大半知ってるくらい有名で……魔物相手はともかく、目をつけられたら最後、ossなら死なない程度にボコられて防人衆に突き出されるし、反社会的勢力なら再起不能レベルに叩き潰されるし、なんなら普通の異能者でもあの人の気に障ることしたら試合とかでボコボコにされるって……」
それって大半の相手をボコボコにしてない?
じゃあ朝のアレはめちゃくちゃ綱渡りだったってことじゃん!
傘女は指をパチンと鳴らす。その瞬間、銀髪の足元が真上に伸び、直方体が倉庫の天井にぶつかるくらいまでせり上がった。その早さはバネで押し出されたように早く、下手すると天井にぶつけられるくらいだ。
しかし銀髪はその床から即座に逃げたからか、天井まで持ち上げられることはなかったが、傘女が口笛を吹きながら直方体や立方体を生みだして銀髪を撹乱する。
あの異能、よくよく見たらなんかとんでもなくインチキなことしてないか?
荊儀にも言えることだが、特にモーションもなく好きな位置に好きな大きさでものを出している。しかもどちらも出現させるスピードが自在。
荊儀が攻撃的に使ってないだけで、この二人の異能、とんでもなくインチキなんじゃ……?
「生成系はこれだから……!」
銀髪は直方体をかいくぐって銃で応戦するが傘女は傘を開いて銃弾を弾いてみせる。傘の強度おかしいだろ! そして傘女が飛び抜けておかしいだけで銀髪もやっぱり全部反応はできているし、辛そうだが対応できていた。比較対象がおかしいだけで銀髪も強い。
が、そんな銀髪に無慈悲な傘女の声が降る。
「捕まえましてよ」
銀髪はその意図に気づいて「やっば」と漏らしたかと思うと生えてきた直方体が一斉に倒れ、銀髪を押し潰そうとする。見た目からだと重さはわからないが、倒れていく音からして決して軽いものではないと察せられた。
銀髪はその雪崩を間一髪で回避したのか、息を切らしてコンテナの上に登る。よく見ると左腕は潰れたのか、血は出ていないがだらりと力なく降りていた。
「じょ、冗談じゃない……こんなのとやりあってられるか……!」
俺らからしたらあんたもそうだよ。
これだけの攻防でもう俺にはまだついていけない領域であることが痛いほどわかる。
今の俺が相手にして勝つのは不可能だ。
俺がもっと強ければ――。
荊儀が俺の手を握ったのか、その感触にハッとして自分が怪我していたことを思い出す。
「と、とりあえず今のうちにせめて……血を……」
慌てた様子で包帯を出した荊儀は正直器用とは言えない巻き方をする。というか異能で包帯も出せるんだ。
そんな俺たちのことを気にも留めず、銀髪のことをじっと観察していた傘女は淡々とあることを口にした。
「あなた……本体ではありませんね?」
「げっ」
図星なのか、それともバレると思っていなかったのか理由はわからないが、銀髪の顔が歪んだ。ロクに動かない腕を隠そうとする動きをするがそれを見ても淡々とした様子で傘女は続ける。
「霊力の流れが不自然だと思ったら……通りで思ったより弱いはずですわ。本体は……この近くにはいませんわね。遠隔操作だとしたらそれが異能ですか。異能を使ってこないから温存でもしているのか、戦闘向きではないのかと思いましたがなんともまあ――」
最後まで言う前に棒を変形させて頭部を狙おうとする銀髪は今まで以上に苛立った顔をしていた。そして、潰れた左腕は人工物なのか無機質な内側がわずかに見えていた。
片腕が潰れていても平然と動いているのはそもそも体が人間ではないからということをようやく理解する。
「動きはマシですが霊術も恐らく一部制限がかかっていますわね。遠隔操作系の異能者は本人がその場にいなければ霊術にも制限がかかる……当然ですわね。なるほど、だから拳銃でカバーしていると。だいたい理解しましたわ」
淡々と状況を整理するように喋りながら銀髪との攻防を繰り広げ、呼吸一つ乱さないで一旦銀髪を振り払うように大きく傘を振った。閉じていた傘が振るった際に大きく花が咲くように開き、舞うように傘を持ち直す。
「私が負ける要素は1ミリたりともないということを!」
開いた傘を回転させながら距離を取った銀髪に向かって回転したままコマのように傘が襲いかかる。
傘の通り道にあった傘女の出したであろう立方体や足場が切断されており、それらが崩れ落ちていくだけで埃が舞った。
「私、自分が強いと思っている相手をボッコボコにするのが生きがいなんですの! 逃げ惑う姿は最高の余興ですわ~!」
おほほほほほ!と楽しそうに笑う傘女を見て決心した。
生きて帰ったら今後、絶対こいつには関わらないようにしよう。
「殴っても本体は死なないのなら遠慮せず本気でぶちのめすことができますわ!」
絶対に、関わらない。関わりたくない。
嘘だろ? 現代に生きていてその発想がスッと出てきてなおかつ実行できる力がある高校生がいるの?
目の前で銀髪を追い詰める様子を見せつけられているが、これ今のうちに逃げたほうがいいのだろうか。ふと、倉庫内を見渡すと半グレの死体の数が減っている気がする。
もしかして何人か逃げた? 目の前の化け物たちの争いに気を取られて見逃していたらまずいかもしれない。
「荊儀……ちょっとあの荷物取れるか……?」
「え、う、うん」
半グレたちがやり取りしていたであろう危険な薬、ハッピータリスマン。確か12個って言っていたはずだ。荊儀に縄で引き寄せてもらった荷物の中身を確認すると12個、たしかに入っていた。
とりあえず誰かが持ち出したわけではないことに安心していると、俺たちの方に傘女が吹っ飛んできた。
「ぁ~~~~っ! 邪魔!でしてよ! あなた方のようなお雑魚は今食傷気味なんです。さっさとどっか行ってしまいなさいな」
どうやら銀髪に反撃されたようで、怪我こそしていないがふっとばされて俺たちのところまで飛ばされたようだ。
しっしっ、と鬱陶しそうに手で払う姿は多分本気で邪魔だと思っているようで、本当に眼中にないんだろうというのがわかる。
だが、今の状況からすれば救世主でしかない。
「荊儀……行こう。これ放置したらまずいし」
これ、とハッピータリスマンを厳重なケースに戻して抱える。脇腹の傷が熱を主張しているがまだ倒れるな。
「もうわけわかんないよ……!」
ごめん、でも多分一番俺たちが生き残る最適解なんだ。
攻防の合間、銀髪が距離を取ったところを確認して傘女……鈴木夢子に声をかける。
「あ、あの!」
「あん!?」
あまりの早いガンつけにちょっとビビりながら、一応助かった要因なのでお礼を言っておかないと。
「ありがとう!」
多分向こうからすれば意味がわからないだろう自己満足だが、それでも荊儀が死なずに済んだのは彼女のおかげだ。
もう二度と関わりたくないけどそれはそれとして、最後にお礼だけ告げて荊儀と足早に倉庫から抜け出した。
――――――――――
夢子はなぜかお礼を言って去っていった雑魚2人に首を傾げながらも銀髪への注意を怠らない。
「なんだか意味不明に感謝されましたが……まあいいでしょう」
わからないなりに、まあ感謝されて悪い気はしないからいいかと考え、目の前にいる人物……の分身である銀髪の少女、カオルに問いかける。
「あなた、千夜機関の方ですね?」
「……だったらわかるじゃん。僕とお前は今争う必要もないでしょ。ここは穏便に――」
「いえ、確かに私は千夜機関に恨みとか因縁とかは特にありませんし、戦う理由もないですが……別に戦わない理由もないので」
心底くだらないという目でカオルを見た夢子は自分の髪をくるくると弄びながら続ける。
「というか、私、戦いたいだけなので運が悪かったと思って諦めてください」
「理性ある現代人の発言とは思えねェんだよ……!」
まともな良識を持った発言をする者がいない底辺治安会話は合間合間に夢子の異能によって立方体がカオルを襲う。
しかしカオルもやられっぱなしではなく、腕が一本機能しなくなった代わりに武器とは違う煙幕や拳銃以外の飛び道具も駆使してくるようになり、ときたまフェイントで霊術によって夢子を吹き飛ばしたりもした。
「だいたい本体が出てこないで暗躍している時点で後ろ暗いところがあるんでしょうが。なんですか? それとも臆病者ですか? まあどちらでもいいです。対人戦はいつも手を抜かないと大怪我させてしまうので……」
飢えた獣は獲物をいたぶる時間を終わらせ、仕留めにかかることを決めたようにギラギラした目で相手を見据えた。
「あなたであれば、思いっきりぶちのめせますから」
飛ばした傘をいつの間にか回収し、床を強く閉じた傘の先で突く。
その瞬間、カオルの周囲に等間隔で柱が立つ。前後左右、まるで四角形を作るように並んだ柱の意図を瞬時に理解できたのは幸か不幸か。
離脱は間に合わず、柱から横に細めの直方体が伸び、別の柱と繋がる。それが格子状に一瞬で組み上げられ、あるものを彷彿させた。
「一度やってみたかったんですの、これ」
内側にも直方体が伸び、まさにジャングルジムのように組み上がり、銀髪の動きを完全に封じた。身体的にダメージこそないが、格子に絡め取られたカオルは動こうにも格子のせいで動けず、破壊しようとすれば連鎖的に崩れて直方体たちの下敷きになりかねない状況だった。
「私、自分の能力でどこまでできるのか、最近試していまして」
札を2枚傘へと添える。札が溶けるように消えると獰猛な笑みがカオルのすぐそばまで接近する。そのまま開いた傘をまるでツルハシのように振りかぶり、カオルは明確な殺意を感じ取った。先程よりも傘が硬化、そして威力が増している。
――動きが早い。回避は間に合わない。なら防御するしかない。でもこんなふうに動きを封じられたらできるはずがない。
刹那の思考は様々な対策を講じたがすべて間に合わず、倉庫内に轟音と、ガラガラと崩れ落ちる音が遠くまで響くのであった。
「さっきの2人を逃したのは失敗だったかもしれませんわね」
ひとりごちて傘の汚れをコンコンと床を叩いて払う。
既にカオルの気配は消え、異能を解除して本体に逃げられたのだという事実もあり、不機嫌さを増幅させる。
「こんなあっさり終わるんでしたらデザートにあの2人も襲うべきでしたわ」
瓦礫の中でバチバチと、壊れた音をさせながらカオルだったものは崩れ落ち、倉庫の決着は夢子の勝利に終わった。
後に、カオル本体は語る。
――世の中には言葉が通じても会話が成立しないやつがいる。それはまだいい。
――会話が成立しない上にとんでもなく強くて襲いかかってくるヤバ女とはまず関わらない、見つからない、目を合わせない、すぐ逃げるべきだと、思い知ったよ。
まるで野生の熊か何かのような扱いを受けていることをまだ知らない夢子は気ままに倉庫を後にした。
――――――――――
「とりあえず……人がいるところ……あ、でも怪我してるから悪目立ちするか……」
倉庫から抜け出して離れようとする綜真と結依。早足気味だが綜真の怪我のせいで足取りが重い。
この後の行き先はどうするのが正解なのか。今意識を失ってまた美沙杜に妨害されて大変なことになったら冗談ではない。なんとか荊儀を安全地帯に移動させなければ。
綜真はそんなことを考えながらもじくじくと痛む脇腹を抑える。応急処置が適切ではないのか血がまだ流れ続けている。
「時葛、私のお世話になってるところに行こ! あそこなら傷を治してくれる人もいるから――」
――荊儀の声が遠くに聞こえる。
――くらくらとして注意力も散漫になっている気がしてきた。
綜真は朦朧とする意識の中、周囲を警戒している結依の後ろで壁に背をもたれてしまう。
――疲れた。
「時葛!? ちょっと、全然血止まってないじゃん!」
「あー……うん、大丈夫。ちょっと休みたくなって……」
「無理しないでちゃんと言ってよ! ほら、肩貸すから……!」
いいよ、と言っても聞かない結依にされるがまま肩を支えられるが、一瞬よろけてしまい、漠然とした不安を抱える。しかし、あの周回、結依のこういった善良さを見せつけられたから、助けたいと思ったのだと、自分の願いを思い出した。
まだ動ける綜真を支えて倉庫から離れたはいいが、徐々に綜真の足が重くなっていっているのが結依にもわかる。
「荊儀……一旦俺置いていいよ……大丈夫だから……お仲間に連絡……」
「大丈夫なわけないじゃん! もうちょっとだけ、もうちょっとだけ頑張ろう? なんとか――」
そんな二人の隙を突くように、一人が鉄パイプを振り下ろす。ギリギリのところで避けられたが、バランスを崩して綜真がその場に倒れ込む。
襲撃者は先程、倉庫で殺されたと思っていた半グレだったが。やはり生き残りがいた。たまたま仕留め損なっていたのか、死んだふりをしていたのかはわからないが。
綜真にはお前らのせいで!という声が一瞬聞こえた気がしたがかすれて自信はなかった。気配からして二人ほど。復讐か、それとも綜真が持ち出したハッピータリスマンか。
結依は咄嗟に綜真を庇うように前に立つ。異能で縄を出すが狙いが甘く、捉えきれない。
結依たちに鉄パイプが振り下ろされるその瞬間、半グレの一人が急に吹き飛んだ。
吹き飛んだのに驚いていたもう一人も突然その場でもがき出す。そして、ほどなくしてそのまま気絶したのか力なく崩れ落ちた。
何が起こったのか一瞬理解できずにその様子を見ていた結依はいつの間にかすぐ近くに立っていた人物を見てようやく理解する。
「よっ、結依ちゃん。随分とまあ危ないことに首突っ込んじゃってるようで」
結依と綜真を見下ろすのは亜麻色の髪をした男だった。眼鏡ごしに赤い目が綜真を値踏みするように動き、パッと表情を笑顔に変える。
「いや~、無事でよかったよかった。心配したんだぜ? 識文も心配してたしさっさと帰ろうか」
「た、たき……」
「お説教は後ね。話はそいつを治療したあとにゆっくり聞くからさ」
顔は笑ってはいたが、男の目は最初からずっと笑ってはいなかった。