諦めるという決断
やられた。やられた、やりやがった、やっちまった!
あのクソアマ、なんてことしやがったんだ!
完全に詰み手前の状況でのループ再開に全身から冷や汗が吹き出る。
考えろ。この状況で荊儀だけでも逃がすことは可能かどうか。
半グレたちが来る前にここから離れることは可能かどうか考えるが駄目だ。この直後に半グレが来る。今出たら遭遇は避けられないし、半グレたちを撒いてる間にあいつが来る。
「荊儀、頼むから俺の言う事を今だけでいいから聞いてくれ。ここにヤバい敵が来る。相手にする前に逃げるぞ!」
声を潜め、荊儀の手をつかむ。荊儀は混乱したように「え?」と聞き返してくるが半グレが倉庫に入ってきた。
「とにかく荊儀。こっからは死なないこと、自分の身を守ることを優先――」
「はぁい、カスども。ご機嫌いかが? 僕は最悪」
ハッとして状況を確認すると早速半グレたちと銀髪……カオルって名乗ってたっけ。見覚えのある状況が既にできあがっていた。
「走れ!」
流石に半グレを相手にしている間はこちらに集中できないはず。
困惑はしつつも、俺の手を握り返した荊儀はついてくる。走る早さは荊儀がわずかに遅いくらいだが大差はない。
「あら、わざわざ出てきた」
「何がどうなってやがる!」
銀髪と半グレが俺たちのことを認識して何か言っているが無視して倉庫から抜けた。
あとは追ってくる間の時間稼ぎ。
「荊儀! お前の異能であいつらが追ってくるの妨害できる!?」
「え、何!? やってみるけど――!」
倉庫の入り口を封鎖するように縄が張り巡らされて行く手を阻む。それを走りながら確認してそのまま逃げ続ける。目的地は人が多い場所。さすがに人の多いところで凶行に走ろうものなら警察か防人衆が動くはず。
「荊儀、俺の前走れ! 人通りの多いところまで走る!」
「もう! あとでちゃんと説明してよ!」
後ろから発砲されたらさすがにどうしようもない。
俺の異能は恐らくあくまで死に戻りのループであって、あの少しの間時間を遅くするだけではきちんとタイミングを考えなければ太刀打ちできない。
ああ、もっと異能がどれくらい使えるのかとか確認しておけよ俺!
遠くでほんの僅かに、絶叫が聞こえた気がする。荊儀があそこを封鎖したからきっと半グレは全員逃げられない。
あっちが時間を稼いでくれたら俺たちの生存確率が上がるが絶対期待はできない。
「あっ! 時葛! 封鎖破られた!」
「破るの早すぎだろあいつ!」
1分も保たなかった。荊儀の異能はあくまで縄とか紐を出せるだけだからどうにかできる手段があればすぐ破かれるのだろう。
「みっけ」
特に焦ることもない声。いつの間にか回り込まれていて終わりを予感する。
右手に銃、左手に長い棒のようなものを手にしており、棒の方には荊儀の縄の残骸がわずかに残っていた。
とっさに荊儀を庇うように立つと銀髪は嘲笑する。
「いやぁ、騎士気取り? すごいすごい、面白い面白い」
こちらを見下しているうちはまだ隙があるはず。荊儀にこっそり耳打ちしてチャンスを伺う。
「荊儀、あいつの武器取り上げたいから合図したら奪って」
「……わかった」
「コソコソ何話してるのか知らないけどそろそろいい?」
荊儀を狙うかと思ったが邪魔だと判断したのか俺に棒で横殴りしようとしてくる。
銃は撃っていない。このタイミングを逃すな。
強く、時間が止まることを望む。
そして狙い通り、世界の時間が遅くなった。銀髪の動きがある程度読める!
横殴りにしてくる棒だがゆっくりになっているからか、棒が分離しかけているのがわかる。仕込み杖みたいなものなのか、普通に避けるだけではフェイントに引っかかってしまうようなものだ。
できなければ死ぬ。その覚悟で銃を持つ手を霊力をこめた足で蹴り、棒を掴んで分離させないように動きを止める。
その時にはもう時間は元通りに動きだしており、弾かれた拳銃が宙を舞った。
「荊儀!」
合図のつもりで声を張る。察した荊儀は目論見通り拳銃を縄を伸ばしてつかみ取り、銀髪に銃を向けた。
一連の流れに少し驚く……いや、感心したように微笑む銀髪は蹴られた手をぷらぷらと振る。痛みはないのか平然としている様子だ。
「そっちも手を離せ」
掴んだ棒を離さないと強く握る。銀髪はどこか気の抜けた顔で棒も手放し、がら空きの両手を降参でもするように掲げた。
「へぇ、判断は悪くないね。判断は」
実質勝利したかと思い、わずかに安堵する。が、その掲げた両手に突然新たな銃器が出現する。
予想してなかった追加の拳銃に荊儀を守ろうと体が動いたのは半ば本能だった。異能で時間を遅くしたときにはもう銃弾は放たれている。
すべて対応できるか、肉の盾だけでも庇いきれそうにない。奪った棒で防ぎきれない銃弾を弾いたがそれでも1発、荊儀の足に銃弾が命中する。
「い、っあ――」
「いば、らぎ……!」
荊儀は足だけで済んだが俺は致命傷。これは、助からない。
血が流れていく感覚に何度目かの死を覚悟する。痛みと恐怖が麻痺し始めた時、銀髪が跪かせるように俺を地面に叩きつけた。
「時葛!」
「たかが霊術、ロの段を使っただけだってのに知らないって顔してるねェ……買いかぶりすぎたかな?」
嘲笑うように背を踏む銀髪に反抗するように腕に力を込めるが全身の痛みに起き上がることができない。
肉盾は効率が悪すぎる。そもそも俺が死んでも意味がない。どうすればこいつを、倒せるんだ。
「お前たちみたいな恵まれた異能持ちのことが嫌いでね」
なんでもない日常会話をするように呟く銀髪の声も、耳鳴りがしてよく聞こえない。
「使いこなせもしない異能を僕に見せびらかすな」
銃声とともにまた俺は一度意識が途切れた。
――――――――――
「辛い? 苦しい? もう終わりにしたい?」
美沙杜の声がする。
「嫌だよね? 何度も死ぬのは苦しいものね。でもね、綜真くんが悪いのよ。わたしの言うことを聞いてくれないんだもの」
頬を撫でるような感覚。体がまったく動かない。今どんな状況かもわからない
「あなただけは助けてあげる。だから、あの荊女を捨てる気になったらいつでもわたしを呼んで」
優しい声のはずなのに、どこか地を這うような低さと、薄ら寒さが同居する。
「|あなただけは生かして進めてあげるから《そうかんたんにしねるとおもわないで》!」
――――――――――
「時葛? ちょっと起きてよ。ねえ」
その荊儀の声で目覚めたことに安堵した。
そして同時に、どうやったらあいつに勝てるのか思いつかず、絶望に包まれていた。
1回目は銃で撃たれて。
2回目も銃でトドメ。
3回目は殺されなかったのでコンテナから飛び降りた。
4回目は撲殺。
5回目は血が流れすぎて死んだ。
6回目は多分コンテナに潰された。
7回目、8回目、9回目、10回目――
――11回目。
「しっぶと……」
呆れるように銀髪が呟く。
今まで一番長く生き残ったと思う。ひたすら時間を稼いだ。荊儀が逃げられるだけの時間を稼ごうとした。
だが一人で足止めしても荊儀がどうなったかわからない。失敗だったかもしれない。
全身痛いし、血はそんなに出ていないが体は悲鳴を上げている。
半グレたちの死体と、死ぬほどではない俺。それを見て鬱陶しそうな顔をする銀髪。
こいつは俺を積極的に殺そうとはしなかった。邪魔だったり、恐らく地雷を踏んだかなにかで怒らせると殺されはしたが優先して殺そうとするのはいつも荊儀だ。
異能を使うと機嫌が悪くなるためわからないように使う小技を身に着けたのはいい。だがそれじゃやっぱり勝てない。
「……」
しばらくして銀髪が面倒そうにため息を吐いたかと思うと、スマホを操作して俺に背を向ける。
「こっちはやること済ませたし帰るわ」
「……?」
銀髪はどうでもよさそうに倉庫から出ていく。荊儀を追うっていうなら止めなくてはならないが、様子が妙だ。
倉庫から出て沈みかけた陽に目を細めながら周囲を確認する。銀髪の後ろ姿と、一緒に目に映ったのは倒れている荊儀だった。
もう一人、誰かいる、と気づいたときには地面に叩きつけられる。
荊儀を抱えた銀髪はひどく冷めた目で俺を見下ろした。
「しつこい」
「返せ、返せ返せ返せっ!!」
「お前のもんでもないでしょ。それとも何? 死体が欲しいわけ?」
叩きつけられた後、上になにか重荷でも乗せられたのか、起き上がることもできず、もう一人の姿も確認出来ない。
そして、死体という言葉に、深い絶望が頭を支配した。
「荊儀……」
ショックが一番大きかったのは今までで一番うまくいったと思った反動か。
確かに、ぴくりとも動かない荊儀は生きているようには見えなかった。
言葉を失っている俺を無視して、銀髪は荊儀を抱えて去っていく。
「あああああああああああああっ!!」
自分への怒りか、誰かへの憎悪か。
また失敗した。死ぬこともできなかった。
このままだと美沙杜にまた邪魔されてしまう。
死ななきゃ、早く死ななければ。早く、早く早く――!
動けないなりに地面に頭を強く打ち付ける。1回だけではうまくいかない。何度も、何度もやればそのうち……そう思っていた時だった。
カラスの鳴き声が聞こえた。
そして、それと同時に俺の動きを止める誰かの影が差す。
「そんなことしたら死んでしまいますわよ」
閉じた傘で頭を打ち付けるのを止め、こちらを見下ろしているのは興味がなさそうな顔をした、鈴木夢子と名乗ったことがあるあの傘女だった。
そのまま、俺の上に乗せられていたであろう重石代わりの荷物をどけて、心底つまらなさそうにため息をついた。
なんでそんなどうでもよさそうな癖して死ぬのを止めるんだ。
俺の気も知らないで。
「随分と辛気臭い男ですこと。助けてあげたというのに礼もなしとは」
「死にたかったんだよ」
「あら。なら私、お邪魔だったようですね」
俺の言葉に何の感情もないかのように淡々と返して傘女は背を向ける。
「なぜ死にたかったのかはどうでもいいですし、聞くのも面倒ですが、安易に死ぬ前にもっと助けを求めるなり、人に頼るなりしてみたらどうです?」
背後のやつ……美沙杜が見えなくなったからか、最初に会った周よりあたりは強くない。だが、そんなことよりも今は死ぬのを邪魔されて苛立っていた。
「じゃあ……あんたは助けてくれるのかよ」
どうせ助けてくれるわけでもないのに、中途半端に関わってこないでほしい。
今だって、邪魔されたことで死への恐怖がにわかに湧いてきたのだから。
「は? 嫌です」
嫌そう、というより面倒そうに切り捨てた彼女はカラスを手に止まらせて言う。
「私は誰彼構わず助けるようなお人好しではございませんので。私は手頃な強い相手と戦うことができればいいだけですので、人助けはそのついでですの」
「強い相手……」
「せっかく濃い霊力の気配を感じて寄ってみたというのに……とんだ期待はずれでしたわね」
霊力の気配、さっきの俺と銀髪の争いのことだろう。俺が霊力を銀髪にぶつけることしかやれることがないから。
――そうか、そういうことか。
そもそも前提が間違っていたのか
帰ろうとしているのか、背を向けた夢子を見送ることなく、3回目にも立ち寄った場所へ向かう。
1発でできたら楽なんだけどな。
コンテナに登る音で気づかれたのか、夢子がこちらを見た。その目は冷ややかを通り越して蔑みが込められている。
「――随分、お安い命ですこと」
軽蔑する声が聞こえる中、重力に身を任せたときのひやりとする感覚を味わいながら、何度目かの命を絶った。
――――――――――
「時葛? ちょっと起きてよ。ねえ」
荊儀の声で目が覚める。このやり取りも12回目。
前回の荊儀のことを思い出して、思わず荊儀を抱きしめていた。
「え、ちょ、何何何!? そんな急に……!」
「荊儀、絶対俺が守るから。だから俺のそばから離れないでくれ」
知らないところで殺された荊儀を思うと、もう離れるべきではない。
きっと、俺の関与できない部分はもっと複雑で、荊儀も俺もあっさり死んでしまうような世界なのだ。
「……時葛?」
「俺のこと、信じてほしい」
嫌われてもいい。荊儀が死なない未来をつかめるなら。だが、きっと俺を犠牲にしたところで美沙杜が邪魔をするだろう。だから……
「荊儀のことを守りたいって気持ちに嘘はないんだ。だから、どんなに俺が荒唐無稽でも、信じてくれないか」
荊儀の体温が伝わってくる。この熱が、失われる瞬間を何度も見た。
もう俺はおかしくなっているのかもしれない。こんなことをいきなり言われても荊儀からすればなんのことかわからないだろうに。
それでも、荊儀は子供をあやすように俺の背中を撫でる。
「よくわかんないけど……時葛が私のこと心配してくれてるんだってことはわかった」
半グレたちが入ってくる音がする。もうすぐあの瞬間が来る。
「うん、だから信じるよ。昔から変わってないあんたを」
「ありがとう」
今回こそうまくやってみせる。荊儀に不審に思われても、嫌われても、なんでも使ってふたりとも生き残る。
美沙杜に中指つきつけてやるよ。
腹をくくって一旦離れると、半グレたちの様子からもうすぐ銀髪が来る。
「荊儀、合図したら倉庫の入り口を封鎖してくれ」
「……うん」
少し間はあったが信じるといったからか、素直に頷かれた。
そして、もう聞きたくないあの声が聞こえてくる。
「はぁい、カスども。ご機嫌いかが? 僕は最悪」
今だ! 手を握って合図を送ると荊儀が早速入り口を封鎖する。
これで半グレは逃げられない。銀髪はあれをどうにかできるが銀髪への足止めではないから問題ない。
「あ? なにこれルフ……あ、妹のか」
銀髪には既に気づかれた。が、まだ問題ではない。
「てめぇ! 千夜機関のやつか!」
半グレどもは入り口の封鎖を銀髪の仕業だと思い込む。俺たちに気づいていないから仕方ないだろう。ここまでは想定通り。
銀髪を取り囲む半グレたちに条件は揃った!
半グレたちと銀髪の争いで俺たちは銀髪を妨害する!
「荊儀。あの銀髪の動き妨害してくれ。一瞬でいい」
「い、いいの!?」
「いいよ! あれ俺たちよりも強いから!」
小声でやり取りしつつ、銀髪の動きを阻害するように荊儀の縄が銀髪をほんの僅かに拘束するが、銀髪は襲ってくる半グレたちを利用して拘束を解き、半グレたちを迎撃する。
瞬殺から多少の工程を挟む程度だがそれでもいい。とにかく時間を稼ぐ。
荊儀の異能は閉鎖空間の方が向いている。なにもないところより、こういった倉庫なら縄を引っ掛けたり吊るす場所が多いからだ。
「ちまちました妨害しやがって――」
銀髪が苛立ったように舌打ちするのが見える。そして、次はこれだ。
倉庫にある小さめのコンテナ。荊儀の異能で縄を巻き付けて、荊儀の能力で縄を動かす。これでコンテナが銀髪の真上に飛ばせる。
一瞬、怪訝そうな顔をしたと同時に、銀髪は意図に気づいて「げっ」と嫌そうな声をあげた。
そのコンテナには俺の霊力を込めてあり、ぶつかればコンテナの衝撃だけでなく霊力によるダメージを受ける。
回避した先で半グレたちからの攻撃に、髪を乱して銀髪はついにキレた。
「あーーーーっ! もうめんどくせェな!」
コンテナが落下した衝撃で大きな音を立て、霊力が弾けるように爆風を巻き起こす。
あと何分だ? あと何分耐えたらいい?
「ロ段術――!」
銀髪が霊術を使おうと足元を強く踏む。
その術は7回目に見たことがある。
「荊儀、上に跳ぶぞ!」
「う、うん!」
2人分を支えるのは縄1本ではきついはずだが一瞬でいい。
荊儀が出した縄を掴みながら荊儀を抱えると2人で地面から跳ぶ。縄を縮めることで地面から離れた直後、床全体に電撃が走った。
銀髪がまとめて電撃で攻撃し、痺れたところを7回目に殺された。なんでなにかするたびに隠し玉が出てくるんだよとキレそうになるが今回は知っているものでよかった。
「チッ、本命には当たんないか」
電撃でぴくぴくと倒れ伏す半グレたち。まだ生きてはいるが恐らくこのまま殺されるだろう。現に、今銀髪が一人一人撃ち殺していく。
一番最初に煙を撒いたあのリーダー格も死んだ。
だができる限りの時間は稼いだ。あと、あと少し――!
宙に浮いたままでは的にしかならないので術の影響がないのを確認してから着地すると銀髪がその瞬間を狙って接近してくる。
せめて、せめて致命傷を避ければ!
銃ではなく、棒で薙ぎ払おうとしてくるのを時間を遅くして受け止める。そして、時間が戻った瞬間、予測していたとばかりに至近距離で銃が放たれようとする。
この距離なら届く。拳銃を持つ手を掴んであらぬところに撃たせてなんとか受け流すが、相手の方が一枚上手。仕込み棒から刃が出て俺の脇腹を切り裂いた。
「時葛!」
「しぶといやつ――」
「まあまあまあ、随分と楽しそうなことをしているではありませんか」
コツコツと一定のリズムで刻まれる足音。それが途切れたと思えば一際大きく地面を踏みしめる音。
真っ赤な華を咲かせた少女が一人、倉庫に降り立つ。
「私も混ぜてくださる?」
俺の策とも言えない道筋は繋がった。
――もう、誰がまともに相手するか! 化け物同士で勝手に戦え!