繰り返す死の果て《リグレッション》
「女になったりしたんですよね」
「急にどうしたお前」
前回の話を説明しようとするとまず避けられない話。
ループによって元の男の体に戻ったからよかったが、あのままだったら戻れないかもしれないと思うとゾッとする。
リバースギフテッド、つまり特殊な侵蝕地の魔物を連れている敵のことや、それを倒したあとの隠密系だかなにかの異能者に人質に取られて、2体の魔物に襲われる。
この一連の流れははっきりと記憶に残している。
「というわけで対策立てないといけないと思うんで……晴美さん?」
説明したら晴美さんが難しい顔をしている。薫さんはというとだいぶ不機嫌そうだ。
「侵蝕地の魔物はハピタリ産の魔物よりも数段強い。それを従えているとなると、特殊な異能者か、新しい霊術でも使ってるかってことか」
「まあー……霊術方面じゃね? 多分犯人藤原系列ならどいつもこいつもオーソドックスな異能者だろうし」
そういや前回も藤原系とか言ってた気がする。異能者の血統の話だろうか。
気になることはあるがそれよりも目前のことだ。
「どーすっかな……渋るのは……愚策か」
「体力保つか?」
「最悪荷物になる覚悟はしておけ」
晴美さんが意を決したようにメガネを外して二階を示した。
「お前ら、あたしの視界に入るなよ」
そう晴美さんが言うと、薫さんが「ゲッ」と嫌そうな顔をする。
晴美さんはもう異能を使っているのかその眼差しは鋭い。
常時発動させていれば強いのは間違いないが、晴美さんの体力では維持し続けるだけでも負担が大きい。
二階にあがったらまず真っ先に俺に不意打ちした隠密異能者が異能を維持できなくてすぐさま俺たちの視界に映った。
気づかれたことに驚いて隠密の男は後退し、やがてくるであろうピンク髪と魔物が俺たちの前に立ちはだかる。
「なに、すぐバレてだっさ~」
「黙れ! いいから余計な男二人を排除するぞ!」
隠密の男も魔物を2体呼び出して異能者2人、魔物3体というまともに相手したらきつすぎる状況。
しかも当然のように魔眼対策をしているのか晴美さんがメガネなしで襲撃者たちを見て顔をしかめた。
晴美さんに大丈夫なのか視線を向けてみると、晴美さんの横顔は苦しげではあるものの――ゴミでも見るように冷酷だった。
「警戒もせずぼっ立ちしてんじゃねーぞ、有象無象が」
突如、薫さんに襟首を掴まれて晴美さんの後ろに下がる。
次の瞬間、目の前の異能者と魔物たちが”石化”した。魔物は小柄なのはあっという間に。大柄なのは半分ほどだが関節が石になっているからかろくに動けないまま完全に石化。
異能者の方は徐々に石になっていくのを理解してか、悲鳴があがる。
「なんで!? 魔眼対策が効いてない!?」
「そもそも目を合わせていな――」
「目を合わす必要すらないぜ。あたしを誰だと思ってる」
その声は怒りか、それとも別の感情か。
「あたしの二つ名も理解してねぇバカどもに時間使ってらんねーんだよ」
――メデューサ。
異能者殺しという二つ名を持つ晴美さんのもう一つの異名。晴美さんの体力面やメタられやすいことを考慮しても、こうなってしまえば晴美さんは圧倒的に有利。
この人が健康だったらきっととんでもない脅威だっただろう。
魔物も、襲撃者も全て石化して、晴美さんは念の為と言わんばかりにピンク髪が操っていた方の魔物を霊術で粉々に砕いた。
圧倒的だった。俺たちはすることなんてなかったし、これが最初からできれば強いなんてものじゃない。
しかし晴美さんは舌打ちするとメガネを掛け直すとともに、ふらついて壁に寄りかかった。
心配して顔を覗き込むと鼻血を出しており、それを止めるようにティッシュを詰めてから薫さんから預かった薬を無理やり流し込む。
「ったく……終わったら一週間くらいは休みてぇ……」
「あ、あの……大丈夫なんですか? すごく消耗して……というか魔眼対策どうやって……」
「あ? どうもこうもねぇよ」
魔眼対策の仕組みはダミー情報を一度に大量に流し込むことで処理落ち……要するに情報の洪水で魔眼や脳に負荷をかけて対象を見ていられないようにするもの。
別に魔眼そのものを封じているわけではない。
だから、ダミー情報に耐えてそのまま魔眼を使用しただけだそうだ。
いやそれ多分クソしんどいと思うんですけど。夕子さんの反応を思い出すと眼が半端なく痛くなってそうだし。
「晴美の処理能力があってギリギリゴリ押せるってだけで普通の魔眼使いは最悪気絶することしてるからな」
真似すんなよと薫さんが石化した異能者を通路の脇に移動させながらぼやく。
晴美さんは砕いた破片……石化した魔物の欠片をじっと見下ろしてそれを手に取る。
「核潰しても石化した肉片は残ったままか……ちょうどいい」
欠片を数個ポケットに仕舞い込んだかと思うと、さっきよりも顔色がどんどん悪くなる晴美さんはふらつきながら3階を目指す階段の方を見た。
「これで解決……とはいかねぇな……。まあなんとかするしかねぇな」
「本当にこれで大丈夫なんですか?」
隠密のやつをすぐに異能封じで不意打ちを防いだだけで、あとは3人で戦うっていう手もあったのではないか。
「しゃーねぇだろ。いくらこっちが3人でも、侵食地の魔物3体と異能者2人はたとえ弱くても馬鹿正直に相手したら3人ともきついだけだ。最悪あたしは使い物にならなくても薫が動けなくなるほうが現状ヤバい」
俺たち三人の中で今戦闘できなくなって困るのは薫さんだ。極論、俺と晴美さんは後方で支援していればいい。特殊能力という意味では俺も晴美さんも切り札ではあるが、だからといって薫さんがダメになれば俺たちは最悪一瞬で終わりだ。
「お前が見たあたしは多分リソース配分に気を使いすぎていた。あとどれだけ敵がいるかもわからない以上、体調に影響が出るあたしの切り札は迂闊に切れない。普通はな」
俺が持ち帰った情報でそのリソースの切りどころを判断した上でのこの消耗。
確かに魔物と異能者合計5体抑えたと考えれば切りどころとしては妥当……なのか?
「死人だして総崩れするより、体勢整えられる方を選んだだけだ。薫の方に余裕は残るしな」
石化したやつらの処理を終えて薫さんはポーチの中からケースを取り出して晴美さんに差し出した。
「薫……あたしはしばらく眼は使えねぇ。お前がしっかりしろ」
「ったく、わかってる。魔眼保持者用の薬も少量はあるからそれ使え」
何も文句も言わずに薬を飲み込んでいることから晴美さんもだいぶ限界が近そうだ。
「霊力は……時葛以外カツカツか。きちぃ……」
晴美さんがぼやきながら汗を拭って足を奮い立たせる。
薫さんはアバターを動かしながら俺たちに確認を取るように言う。
「念の為、アバターはここらで待機させておく。もう下から来るとは思えないが、万が一伏兵がいたら困るし」
一通りの準備をして、石化させたやつらの近くにアバターを残して、晴美さんが以前作業していた部屋へと向かう。あのモニターが大量にあった部屋。晴美さんはいるならあそこだろとほとんど決め打っていた。
初手から魔眼を使い、扉を蹴飛ばして部屋に入る。
そこには一番最初に晴美さんを殺したリーダー格の男。そして、その脇に気味の悪い目玉がたくさんついた魔物。
物凄い濃い瘴気だと俺でもわかる。
「ここまで来るとは……他の奴らは捕獲も足止めもできないのか」
「藤原のバカどもが今更あたしの魔眼目的か? 十年はおせぇ」
話を聞くつもりはないとばかりに石化の魔眼を晴美さんが発動させようとして、異変が起こる。
「――っ!?」
異変を感じた晴美さんがすぐさま霊術で結界を張り、薫さんは晴美さんの動きに合わせてなにか防御手段を取ろうと俺の前に出た。
「え――」
次の瞬間、魔物からとんでもない勢いで瘴気と霊力が弾け、部屋中に充満する。
全員霊力による衝撃を回避しきれなかった。最後に見たとき、敵すらも予想外だった様子だ。
「はる、みさ……ん」
「かおるさん……」
あ、ダメだ。
この死が近づく感覚は何度も体験した。
やっと終りが見えてきたのに、最後の最後でこんな、こんなことで躓くなんて。
次は、次は、次は死なないで、揃って――
――――――――――
2回目。
すぐに晴美さんに説明してどう切り抜けるのかの相談が始まる。
「薫、お前アバター突撃させて被害をなんとか抑えられないか?」
「また壊すつもりかお前。はあ……命かかってるならしかたないか」
渋々という薫さんを説得し、作戦を変えての戦闘。
アバターを使って被害軽減。
なぜか薫さん本体のほうに魔物が迫ってきて、薫さんが死亡し【失敗】。
――――――――――
3回目。
また同じ説明。それに加えて2回目の情報も追加しての作戦会議。
「倒し方を変えるしかないな。操ってる方から倒すか?」
「魔物刺激するよりか建設的だな。となると石化は使えねぇ」
晴美さんの石化の魔眼はかなり繊細らしく、今の体調では細かい調整が効かないらしい。『視た』生き物すべてを石にしてしまう。
本調子であればもっと色々できるらしいが、とにかく今は難しい。
薫さんがリーダーと戦闘になるが、魔物を抑える俺たちがデストラップで吹っ飛んで晴美さんと俺が死亡し【失敗】。
――――――――――
4回目。
今までのことを全て総括して、そもそも魔物と対面しないという行動が頭に浮かんだ。冷静に考えれば悪手ではあるが、何度も死ぬせいで冷静さを失い始めていたような気がする。
「ここにきて出口開ける方針!?」
「あんま気乗りはしねぇけど即死トラップあるならそっち試してみるか……」
俺以外が微妙な反応はしつつも挑戦することになった出口からの脱出。
三階のリーダーと魔物を放置し、出口の解除を試みようとするが当然のように死の運命が迫り、薫さんと俺が死亡し【失敗】。
――――――――――
【失敗】【失敗】【失敗】【失敗】【失敗】
薫さんの本体がやけに魔物に狙われるのもそうだし、晴美さんが石化を試すもそれすらも魔物の破裂は防げない。
魔物から離れても、この閉鎖空間にいる間に隙ができたら当然襲撃を仕掛けてくる。
最初の倉庫のループ以来、初めて【詰み】の文字が頭をよぎった。
9連続の同じ原因による死因。正確に言えば自殺も4回含むがただ一点、即死トラップとも言える霊力爆発。晴美さんの推測では死亡時や死の間際に発生するもの。すなわち俺がループする際に使っている現象と同じではないかということ。
であれば魔物を刺激しないで解決する方法も試した。しかし、なぜか晴美さんの魔眼や薫さんとの交戦でも発生する。
原因なんてわからない。俺が見聞きしたことを晴美さんたちが推測するしかできないから。
あと何度やり直したら全貌がわかる?
そもそもやり直し続けていつか突破できるのか?
――駄目だ。誰かが、俺か、どちらかが死ぬ。
たった10回程度。
それだけで俺の心は敗北へと向かっていた。
10度目の挑戦を前にして、俺の精神は擦り切れた布のように脆くなり始めていた。
「はぁ……っ、はぁ……!」
セーブ地点に戻ってきたときの冷や汗が止まらない。心音も心なしか早くなっている気がする。全てが、何もかもが前向きに受け取れない。
「……」
晴美さんがじっとこちらを見ている視線さえ、俺を責めているように感じる。
俺が、俺がすぐに解決できないから。
『どうしてお前は一度でできない? 本気でやってないんじゃないか?』
ごめんなさい。俺が一度で成功しないから。
『お前がしっかりしないから母さんだって――』
ごめんなさい、ごめんなさい。許してください父さん。
パンッという乾いた音で幻聴がかき消える。
音の正体は俺の頬を両手で挟んで叩いたもの。そして、それをしていたのは晴美さんだった。
「――時葛。正直に答えろ」
低い声に、怒られると感じてしまい、びくりと後ずさってしまう。
「お前、何回死んだ?」
「……? 何回ってお前――」
薫さんだけ、その意味がわからず俺と晴美さんを交互に見る。
「何度も死んでんじゃねーよこのアホ! いいか? お前が今するべきことは!」
背が低い晴美さんに引っ張られるように体を屈める。晴美さんの緑の目としっかり目が合った。
「あたしらにしっかり覚えていることを冷静に説明することと! これ以上死にたくないって言うことだよ!」
死にたくない。
でも俺がしないと――
「ぁ……うぁ……」
子供みたいに涙が勝手に出てきてしまって、晴美さんの手を濡らす。
感情の箍が壊れたように、ぼろぼろと、涙も気持ちも溢れてくる。
「俺が……ちゃんとしないから……っ、晴美さんも、薫さんも死んじゃって……これ以上、二人にも死んでほしくない、のにっ、俺が役立たずだから、俺が死ななきゃやり直――」
「うるっせぇな! 最初からおかしいと思ってたんだ。生き残ったなら無駄に死んでんじゃねぇバカ! 薫、お前この先死んでも死ぬな!」
「僕にわからないことを二人の間で話を進めるな! で、僕は何をすればいいんだ?」
「この先、生存最優先。リソースを一切渋るな。使えるもんは全部使え」
ぐいと片手で顎を掴み直した晴美さんは薫さんの持ってきた薬を追加で二錠ほど飲み込んでから息を吐く。
「説明をしろ。その間に冷静さを取り戻せ」
説明を、口で記憶をまとめているうちに冷静さを取り戻して先程の醜態が恥ずかしくなってきたが二人はもうそんなこと気にも留めていないのか、この先の行動を考えている。
「時葛。その魔物のデストラで死ぬのは即死か?」
「即死じゃ……なかったときもあったはず」
即死しているときもあったが必ずしも即死ではなかった。最初の俺のときもしばらく意識はあったし。
「ならすぐに行動したらカバーできる」
薫さんに手を差し出して何かを要求したかと思うと、薫さんは「本気か?」という顔をしつつもなにかのケースを手渡した。
中身はアンプルのようで、不透明の緑色。
「薫がよくタゲられてんのは恐らく薫の体質のせいだ。これはもう避けられねぇ。となると――薫。わりぃ、お前死にかけるかもしれねぇけど死ぬな」
言ってることが無茶苦茶でとんでもない難題を悪い顔で薫さんに投げかける。
てっきり、怒るかと思いきや薫さんはむすっとしながらも問いかけた。
「その言い方は何かアテはあるんだな?」
「あるにはある。だけど、リスクもある。お前、どんなことになっても許すか?」
「許さない。だけど子供の命かかっててこれ以上猶予がないなら仕方ない。必ず繋げ。それならやってやる」
「オーケー。ならお前、あたしらの盾な」
大人たちがもう決定事項のように話が進んで行く。
どうしてそこまで――
「なんで……俺のためにそこまでしてくれるんですか……!」
俺がもっとしっかりしていればいいだけのことなのに、結局二人にまで負担を強いている。
まだ出会って数日しか経っていないし、薫さんに至っては初対面時は敵対していたのに。
「一から十まで説明しねぇとわかんねの?」
呆れるように言いながら準備を整え終わった二人はどちらも悪そうな笑顔を浮かべていた。
「てめぇと同じだよ。目の前で死なれたり不必要に壊れるのは目覚めが悪い」
「ガキはガキらしく大人の世話になってろ。だいたい、僕らが自力でどうにもできないならそれはお前の責任じゃなくて、僕たち自身の責任だ」
薫さんが子供をあやすように生身の手で頭に触れてくる。やけに慣れた様子で落ち着かせるようにとんとんと軽く叩く。
「別にお前が悪いわけじゃないんだからそう思い詰めるな」
――お前は悪くない。
なぜか、ずっと欲しかった言葉を聞いた気がして、もう一度自分を奮い立たせる。
この人たちに死んで欲しくない。
だったら、ここで必ず決着をつける!
移動する間に晴美さんからの作戦が説明される。
「要するに、薫が狙われるのは本体だけ。アバターと薫で衝撃を引き受ければ最悪あたしと時葛は死にかけるようなことにもならないはずだ。受けるのは薫とアバター、そして敵のリーダー。これで二~三人分に抑えられる」
「薫さん本人が狙われるのはどうしようもないんですか?」
「こればっかりは体質の問題だからな。どのみち薫は狙われるのはほぼ間違いねぇ。必ずなんとかしてやるからお前は持てる霊力全部使って死なないように耐えろ」
薫さんとアバターがリーダーを囲んだ上で魔物の衝撃を抑える。それにリーダーも巻き込んでまとめて吹き飛ばす。
「お前が敵の近くにいて、魔物がデストラップしてくるなら向こうも無事じゃ済まない。さすがにバカはバカでも最低限使えるような異能者じゃなきゃこんなことしてないだろうから、死なないように防御手段を持っているはず。その守りに乗っかれ。ギリギリ死なない程度には抑えられるはず」
本体とアバターどっちも結界なりの防御をするのはとても厳しいものらしいが、事前に用意することで無理やり可能にさせるしかない。
晴美さんも結界を使うつもりのようだがそれでもどれだけ衝撃を抑えられるか。
「だが晴美は命に関わる程度の怪我は治せないだろ? お前は療術専門じゃないし」
いくら抑えたところで怪我するのは避けられない。即死しないにしろ、かなり危険な状態になることは間違いないだろう。
「並の療術じゃ間に合わねぇだろうな。だから別の手段を使う」
その説明だけやけにぼかしながら、晴美さんはボウガンを持ち直して死地へと赴くように目を一瞬伏せた。
「さぁて、クソッタレなもんを持ち込んでくれたバカに追い詰められたやつらが何をするか見せてやろうか」




