前に踏み出す
18年前にある災害が起きた。
正直、生まれる前のことなのであまりぴんとこないのだが、今でもよく語られる……というか現在進行形の火種となっている。
東京の一部が立ち入り禁止区域に指定され、その周辺地域、及び隣接したエリアは犯罪者や異能者が隠れ潜む無法地帯。
通称『裏異界』と繋がる『侵蝕地』。それらすべてを総称したエリアを『反転域』と呼ぶ。
「わからん」
とりあえず知っていることはそんなところだが意味がわからない用語ばかりでさっぱりだ。
コンビニでおにぎりと飲み物を買った後、どれだけの知識があるのか擦り合わせるために話をしていたが本当に基本的なことしか知らない。
「まあ普通の人はそんな熱心……というか必要じゃなければ知りもしないか……いや、時葛がアホなだけ?」
「失礼な。これでもニュースとかは割と見る方だぜ」
「すごいアホっぽい。今の感じ、小4のときの感じと全く同じだった」
そんな昔と一緒にされるのはいささか不満なのだが知らないことは事実なので強く言い返せない。
「まず、政府に異能者とバレたら管理のために異能者登録しないといけないのよ。私やお兄ちゃんはそれをしてない」
「そもそも荊儀、どうして俺のこと異能者ってわかったんだ? なんか判別方法あるのか?」
あの傘女もすぐ気づいていたし、そうなると隠し通すのってかなり大変なのではないかと思うのだが。
「それだけの霊力と変なものくっつけてたら異能者か霊術師のどっちかじゃなきゃむしろホラーだし……。霊力が強いと異能者の可能性はかなり高いよ」
「霊力……?」
「あんたそれも無自覚なんだ……」
コンビニからまたしばらく歩いた先は例の『侵蝕地』に近い場所だった。近いといっても人は普通に出入りしているようで、侘しい場所というわけでもない。
「ossって知ってる?」
「これは自慢じゃないけど、俺のことは何も知らない記憶喪失人間だと思い込んで説明してほしい」
「本当にアホじゃん」
毎回知らないわからないって言うのもなんか申し訳ないんだよ。
oss、outsidersと呼ばれ、政府の管理下にいない異能者たちの総称らしい。
基本的にはよろしくないらしいが表立って取り締まることもできない微妙な立場だったり、思いっきり犯罪者もいたりして火薬庫みたいなやつらがよく集まるのがこの町らしい。
「侵蝕地近くは魔物出やすいし、それこそ半グレやヤクザもよく利用するからね。裏社会みたいなもんよ」
「なんでそんな危ない真似までして政府の管理下に入らないんだ?」
「そりゃ色々あるけど……まあ一番は防人衆入りするか、異能者としての義務がめんどいとかかな」
異能者としての義務。それは魔物の脅威から一般人、国を守るためにその力をふるうことであり、平時はその力を無闇に使ってはいけないというもの。
要するに、好き勝手異能を使うことができないのが不満だったり、国のために働くのが嫌なのが大多数、といったところか。
「お世話になってるところがあるんだけど、そこの住人にも『この制度があるから好きな職につけない』って言ってたし、そういう異能者申告はしてるけど不満があって逃げた人もいるよ」
「へぇ……異能者って職業の制限あるんだ」
「そりゃあるよ。異能は選ばれた力なんだからそれを使わずにいるのは怠慢とかなんとか」
そう考えると不満に思う人がいるのも不思議ではない。特に考えなくても進路が決まるという点は人によってはメリットかもしれないが全員がそういうわけでもないだろうし。
「そのくせ、異能がショボかったりすると職業制限はあるくせに防人衆に居場所もなかったりとかで肩身が狭いらしいからね」
「そういや防人衆ってアレか? 魔物が出てきたときに出てくる……」
「そうそう、アレよ。大半の異能者が防人衆に所属することになるの。だいたい成人するか、未成年のうちは試験とかやって早めに所属するとかあるらしいけど私もそこらへんは詳しくないんだよね」
警察とか自衛隊……の対魔物や異能関連に絞った組織……といった認識でいいのだろうか。
「お兄ちゃんは言ってた。防人衆は信用できないって」
「それを信じてんの?」
「信じるとかいうより……私もあんまり国仕えとかしたくないし、お兄ちゃん探すほうが優先だから」
俺自身、防人衆とやらに関わっていないためそのへんは判断ができない。
異能者は思っていたほど選択の自由がない、というのは間違いなさそうだが。
「そんで、これ今どこに向かってんの?」
「ここまでついてきて今更聞くんだ……」
そしてたどり着いたのは朽ち果てた……工場だろうか? 人の気配はなく、派手に荒れているわけでもないがあちこち古くなっているのか錆びついて少し鉄臭い。
座るような場所でもない何かの台を手で軽く払ってそこに座る荊儀はまっすぐ俺を見る。
「言っとくけど、私はあんたを信用してるわけじゃないから」
「えっ、信じてくれないの?」
「だからむしろなんですぐ信じてもらえると思ってんの……」
呆れながら頭を掻いたかと思うと、手を俺に差し出してきて、真剣な顔のまま言う。
「でも私だってあんたの言うこと、全部無視して誰かに被害がいくのは嫌だから。なにも起こらないで無事に今日が終わればいいんでしょ。それまで協力するってだけ」
「……だいぶ信じてくれてるよな、それ」
「してない! とにかく! 私の異能も既に知ってるっていうならほっといたら密告されても面倒だし、監視も兼ねて逃さないから!」
まあ、ここで過ごす分には人も寄ってこなさそうだし、荊儀が安全ならそれでいい。それでいいが荊儀本人をもう一度見つめ直して……昔の彼女を思い出す。よく笑う子だった……はず。
「荊儀……昔と比べてなんか面倒になったねお前……」
「はぁ!?」
素直じゃないというか、回りくどいというか、一度拒否った手前、面倒な感じになってしまって……。
だけど話を聞いてもらえないよりはマシか。
「俺は俺の異能のこと、まだ完全によくわかってないんだけど、政府にバレないようにちゃんと調べる方法とかないのかな」
「うーん……知り合いにその手のこと、できそうな人はいるけど、忙しいだろうしすぐには無理だと思う」
「そっか……荊儀は自分の異能、把握してんの? ロープ出すだけ?」
「その言い方なんかムカつくんだけど……見たことあるっていうんなら隠す意味もないしいいか」
そう言って見えない何かを引っ張るように腕を動かすと、見覚えのあるロープが何もないところから現れる。そしてそれに続いてリボンやチェーンがどんどん伸びてくる。
「……なにこれ」
「私の異能。細長いものが出せる。霊力さえあればめちゃくちゃ長く出せるし、頑丈にもできるよ」
便利……便利なんだろうな……。ただこれって……。
「なあ荊儀……お前これで半グレ制圧しようとしてたの……?」
「言いたいことあるならはっきり言いなさいよ」
「これ、いわゆる攻撃手段ない系じゃない?」
荊儀があの傘女みたいなタイプには見えないし、異能に依存していると考えるとこの能力で半グレに喧嘩を売ろうとしたの、無謀というか考えなしというか……。
「でもこれなら傷つけずに捕まえられるのよ。消そうと思えば消せるし、残そうと思ったらそのまま残せるんだよ!」
「そうだね、お前殺しにくる相手にそれ通じないってわかってる?」
前回のことを思い出して胃が重い。確かに人間にも魔物にも捕獲とか足止めなら有効かもしれないが、前回の様子を踏まえるとそこまで百発百中というわけでもないのにどうして……そんな自信が……?
「……アホの時葛が随分言うじゃん」
「荊儀が無鉄砲すぎるだけだよ。俺はお前のこと心配してんのに」
心配という言葉に荊儀は僅かに反応を示す。
が、俺の斜め後ろを見て何か言いかけた口を閉ざした。
何が見えてんの?
しかし振り返っても何もないし感じ取れない。
「……何が見えてんのか知らないけど、俺は荊儀もクラスのやつらも死なせたくないからさ、わかってくれねーかな」
「……まあ、信用できるまでは監視するつもりだし、お兄ちゃん探しに利用させてもらうから」
す、素直じゃねぇ~。
とはいっても俺の異能がはっきりとわからない今、どう利用させてやれるのかもわからない。
「異能って使うの難しいんだな」
「慣れるしかないよ。霊力の扱い方練習したら?」
「霊力……それもいまいちわかってないんだよな」
「あー……なんかこう……異能とか霊術使うためのエネルギー……的な」
もしかしてなんだけど荊儀もそこまで詳しくないから俺だいぶ情報詰んでる?
エネルギー的なというからには多分ゲームでいうところのMPとかSPみたいなそういうリソースなんだろう。
「時葛は霊力やたら多いし、さっきから隠せてないから軽く扱い方練習はしたほうがいいよ。そんなに難しくもないし」
「多いんだ……」
「私が知ってる中でも結構多いほうだと思う。といってもみんなうまく制御してるから本当はもっと高いかもしれないけど」
そう言いながら長い布を出現させてその端を俺に持たせた。
「霊力の扱い、初歩中の初歩のやつでいいなら教えてあげる。そのまま持ってて」
言われたとおり布を持つと、布を持つ指先に違和感が生まれる。
表現が難しいもどかしい感覚に首を傾げていると、反対側を持つ荊儀が軽く布をピンと張って言う。
「霊力って直前当てると攻撃手段にもなっちゃうエネルギーなの。だから今、布に霊力通して弱めの刺激を与えてるわけ」
つまり、いきなり霊力を俺に与えると反発するようにダメージを受けるってことか。
そうならないように別のものを介して刺激を弱めている……というのはわかったが。
「時葛、そのちょっとムズムズくる感覚を弾くのをイメージしてみて。指先にいくよう集中して」
「う、うん……」
指先に意識をやるがしばらくはなにも変わらない。しかし、徐々に自分の中の何かが動く感覚がして、それを掴み取ると指先への霊力集中がうまく行く。
「なんだ、割と早いじゃん。感覚つかめたなら今垂れ流してる霊力も自分の中に戻しなよ」
「気軽に言ってくれるなぁ」
「こう、自分の中に吸い込む感じでさ」
言われたとおりを想像して漏れ出ているであろう霊力を自分の中に引っ張ってみる。
まだ完全にではないが、霊力を操るという感覚はなんとなくわかったかもしれない。
「しまえた?」
「だいたいいけてる。……だいたい」
斜め後ろを見て安心したようにほっとする様子だったので後ろの存在も消えたのだろうか?
え? ますます俺の後ろ、何がいたの?
「霊力や異能を使うときね、怖いとか、ムカつくとか、そういう感情は制御するのにノイズになるから、できるだけ冷静になることが大事なんだって。お兄ちゃんが言ってた。……まあお兄ちゃんも結構感情的だったから感情的になっても制御できるようにしてたけど」
「ある意味潔い人だな……まあでもそれでできてるならすごいっちゃすごいな」
多分感情的にならないほうが難易度低そうな様子なのにわざわざその方法め訓練するとか。
荊儀はそんな俺の言葉に表情が明るくなり、強く拳を掲げる。
「そう! お兄ちゃんはすごくってね! ……あっ」
思わずやってしまったみたいな顔で硬直し、恥ずかしそうにそっぽを向く。
なんとなく、昔の荊儀を思い出して少し笑うと荊儀が手にした長布でペラっと叩くようなことをする。勢いがないため全然痛くも痒くもない。
「そういえば昔もお兄さんの話してたわ。思い出したよ。会ったことはなかったけど……」
――他愛のない昔話を続けようとしたところで悪寒が走る。
それは荊儀は俺の様子に不思議そうな顔を浮かべていたが、数秒遅れて表情がこわばり、無意識なのか俺の腕……の服をちょっとだけつまむ。
「あれ、反応はっやいな~。思ったよりできる感じ?」
廃工場には似つかわしくない、銀髪の可憐な少女がそこに現れた。
10人中10人が認める整った容姿。近づいてくる所作も洗練されており、小柄でなければモデルかとも思ってしまっただろう。小柄といっても、その年頃ではありふれた背丈くらいではある。
その可憐な少女はどこか言い表せぬ違和感を纏っていた。
違和感の正体こそ不明だが前回、魔物に襲われたときよりもはっきりと本能が警鐘を鳴らしていた。
「さて……対象確認っと。人違いだったらぶっ飛ばすからね」
それは俺たちに向けられた言葉ではなく、少女が耳につけている通信機器によって誰かと通話しているのだと察せられた。
「はいはい、なんで僕がこんなことまでしないといけないんだか」
そうぼやいて花のような笑顔で俺たちを見る少女は声こそは可愛らしいのに、どこかちぐはぐな様子で喋り始めた。
「で、片方は何か知らないけどはじめまして、結依」
「なんで私のこと……」
「そりゃ知ってる、知ってるよ。心苦しいし良心は痛むくらいには君のことは知ってるよ」
まるで本当に心苦しいとでも言いたげに、大げさな身振りで片手を胸に当ててみせる。
「ここで死んだ方が楽になるってこともね」
パンッという音とともにすぐ隣にいた荊儀が揺れた。
早撃ちで放たれた銃弾は荊の頭に命中し、その衝撃でふらついた荊儀後ろに倒れこみそうになる。
撃たれた、と思ったときには遅く、荊儀が倒れるのを支えることしかできず、呼吸が乱れた。
また、死なせてしまう。
生きているのかを確かめようとする余裕もなく、少女がすぐ近くにいた。
整った顔は怖いほどきれいな笑顔で俺を蹴り飛ばし、荊儀から引き離されてしまう。
なんでこんな時に異能が使えないんだ!
ふと、荊儀の言葉を思い出す。
『怖いとか、ムカつくとか、そういう感情は制御するのにノイズになるから、できるだけ冷静になることが大事なんだって』
そうか、そういうことか。
俺はこの少女に恐怖心を抱いているのだ。
そして、今は怒りで冷静さを失っているのだ。
感情が激しく揺れているのであれば、元々扱いなれていない俺が咄嗟に異能を使うのに失敗してもおかしくはない。今まで窮地に発動したのは運がよかったにすぎないということだ。
「んー、さすがに死ぬか」
2発、銃声が響く。追い打ちのように荊儀の心臓を狙って、それはさっきよりも近くにいるのだからおおよそ目的通りの位置に当たっただろう。
「荊儀?」
嘘だ。
前よりうまくやれたはずなのにどうして荊儀が死ぬんだよ。半グレから引き離して、人が来ないような場所で隠れ過ごせばそれで終わると、思っていた。
命が奪われる瞬間は決して劇的でもなければ、一瞬のうちに済んでしまうのだと、まだ理解していなかったのは俺の方で。
「はー、雑魚でよかった。んじゃ、そろそろ別件あるし移動しまーす」
まるで最初から俺に興味がないかのようにそのまま去っていこうとする少女の肩を強く掴む。
そして、振り返った少女に怒りをぶつけようとして、思い出した。
前回、魔物化した友人たちから逃げるとき、現れた少女。あのときがどうなったのかは把握していない。しかしそのとき現れた――半グレのことを追っていた疑惑がある人物は恐らくこの少女だと半ば確信した。
その確信を得ると同時に、鈍痛が頭部を襲う。
「何勝手に触ってんの。お触り厳禁でーす。ターゲットじゃないから見逃してやってんのにさぁ。……聞こえてないか」
頭がふらふらしてよく聞こえない。
ただ、霞む視界で銀髪の少女がこの場から離れていくのだけはわかった。
足音が遠のいていく。四肢は動く。なんとか荊儀のそばに這いずって、顔を覗き込む。
息はしていなかった。コンクリートの床を濡らす赤いものは素人の俺から見ても多い。
荊儀は死んだ。
また俺は無力なだけでしかなかったのだ。
「大丈夫大丈夫。次は俺ちゃんとやるから」
足場にできそうな土台を引きずって、荊儀が残したロープを柱に括りつける。天井がそんなに高くない工場でよかった。
この柱、俺の重さに耐えられるかな。少し力をかけてみたけど案外丈夫そうだ。この場所でよかったなぁ、なんて場違いなことを考える。
「荊儀のおかげでわかったこともたくさんあったしさ、次は絶対、荊儀を死なせたりしないから」
お前に助けられたあの時から、俺の命は君のものだから。
「さて」
また荊儀に会いに行かないと。
死ぬのは怖いはずなのに、なぜかそこに躊躇はなかった。
台を蹴った瞬間、浮かんだのは荊儀のことだけだったから。