回帰者《リグレッサー》
薫さんは6本腕の異形を右腕の銃で狙ったかと思うと、着弾する直前に大きく弾けて異形が甲高い悲鳴を上げる。
すると左腕の手袋を口で強引に外したかと思うと、メカメカしい義手があらわになる。銀色に光る腕から鋭利な刃が伸びて魔物を三分割すると晴美さんが核の部分にボウガンの矢をを撃ち込んで無事魔物を仕留めることに成功した。
「ゴホッ、げほっ。やっぱ武器あるだけで違うわ」
ボウガンを見てやれやれというふうに晴美さんは口元を抑えてぼやく。
そして、俺は窮地は脱したものの、薫さんの正体に頭がまだついていけてなかった。
「さ、詐欺野郎!」
「誰が詐欺だ! お前が勝手に見た目に引っかかっただけだろうが!」
いやさすがに美少女の本体がアラサーの眼帯おじさんは予想できないじゃん。
しかも左腕が義手で、俺が物珍しそうに見ていると嫌そうに手袋をはめ直して隠す。
「ていうか声も違うじゃん! まるで違うじゃん!」
「僕のこの声があの見た目から聞こえたら嫌だろうが! 配慮してやってんのに文句言うな!」
「配慮じゃなくて罠仕掛けてるだけだろ!」
ああだこうだ言いながらも通路を進んで階段を駆け上がる。地下二階から一階まで移動すると、晴美さんが心底どうでもよさそうに言った。
「うるっせーな。静かにしろバカ2人。音で敵に察知されたらお前ら二人とも口縫い合わせるからな」
ふと、一つ上に上がったところでセーブを更新するべきかを考える。最初からまたあの地点からやり直すかもしれない。死なないのが一番だし、繰り返しが多いと忘れることも出てしまうからセーブしたほうがいいようにも思える。
が、致命的に詰んだりするとそれ以上やり直せないかもしれないと思うと安易にセーブができなかった。
悩んでいると階段をのぼりきり、また反対側にある地上への階段を目指すことになる。
地下一階も瘴気があちこちに浮かんでおり、晴美さんは口元を抑えたままあまりよくない顔色で舌打ちした。
「まーだきつそうだな……薫、物資どんくらい?」
「とりあえず一通り持ってきたから戦闘補助の霊具の心配はしなくていい。治療薬もそこそこある」
「……浄化系の薬は?」
「うん? そこまで強くないのならいくつか……ってお前!」
むせるように咳き込んだ晴美さんは口元を手で抑えながらも血が口から溢れていた。
「晴美さん!?」
血で白衣の袖が赤く染まる。それを「あーあ」という顔で見ながら、汚れていない方の手で頭を押さえた。
「おい晴美! 自前の薬は!」
「んなもん上にしかねぇよ……」
今は魔物の気配はまだないがいつ出てきてもおかしくない。だからといってどこかの部屋に入り込んだら袋小路になる。
薫さんがいるとはいえ、晴美さんがこんな調子じゃそのうち一人で歩けなくなるんじゃ……。
「晴美さん、どうしたんですか? いつからですか?」
「瘴気浴びすぎたんだよ……この状況になった以上、防ぐのは無理だから気にすんな」
俺や薫さんはまだ問題ないようだが、晴美さんは体が弱いから瘴気の影響を強く受けてしまっているらしい。
ひゅーひゅーと嫌な呼吸音に自分の心臓が嫌な早さを主張してくる。
最初からやり直したら少しは変わるんじゃないか?
そんな考えがよぎると、晴美さんの弱々しい平手で叩かれる。
「余計なこと考えてんじゃねぇよ。けほっ……どのみち遅かれ早かれだ。それよりお前は上書きしとけ。あたしを信じないでお前が決めてもいいが、どちらにせよお前がすべて背負う必要はない」
まっすぐと緑の目が俺を見据える。
どうするのが正解なのか。
わからないし、自分の頭で決めることがこんなに不安になるなんて思っても見なかった。
瘴気を吸い込まないように、生唾を飲み込んで、セーブ地点を上書きするよう強く意識する。
前よりも、少しだけはっきりと更新できたという奇妙な感覚があった。
「なんの話か知らないがそろそろ進むぞ」
薫さんが俺たちのやり取りの区切りを見て声をかけてくる。
そしてアバターの方が少しゆっくり動いて、晴美さんを背負う。
とりあえず移動は大丈夫だろう。
アバターの方は喋っていないのは薫さんが意識して同時に別のことを喋るのは疲れるから本体しか喋るつもりがなさそうだ。
「クソ……昼飯食べる前に急いで飛んできたから腹減ったな……
「余ってるたまごサンド食べます?」
「もらう」
瘴気の中で食べて大丈夫なのかな……。俺の心配をよそに、2切れほどのたまごサンドを綺麗に食べると、薫さんは「ごちそうさま」とだけ呟いて少しはマシになったような表情をする。こうして見ると怖いけどそんなに悪い人には見えない。
ふと、さっきは混乱で結構乱暴なことを言ってしまったが、眼帯や腕はもしかすると昔に起こったと言われる侵蝕災害や魔物被害が原因かもしれない。さっきの反応もそうだが、あまり人に見られたくないのかもしれない。そう思うとなんか少し悪いような気がしてきた。
いやでも今まで美少女だったから違和感がすげぇ〜。
色々考えながら進んでいると、薫さんは俺というより晴美さんに話しかけるように呟く。
「ひとまず上を目指すのは確定として、1階で外に脱出が目標か?」
「どーすっかな……。薫、お前なら素直に脱出できるようにしとく?」
「しない」
「そういうことなんだよな」
確かに、俺が敵でも万が一に備えて逃げられないようにすると思う。だから一階まで到達してもすぐに逃げるのはきっと難しいだろう。
「窓も対霊術、対異能用強化ガラスだからなー……」
「外からの襲撃に強いのに内側に入られたらただの檻だろ」
窓から逃げるということも難しいようだ。
こうなってくるといよいよ襲撃者たちをどうにかするのが最終目標だろう。
「とりあえず……一階に上がる――」
晴美さんがなにか言いかけて言葉を失う。
視線の先には通路を塞ぐなにかがいた。
成人よりもふたまわりほど大きく、ギリギリ天井に届かないほどの魔物。
人型に近いそれはブツブツとした斑模様がびっしりと体表に現れており、思わずゾッとする。
「やっべ――」
晴美さんが慌ててメガネをかけ直して目を閉じようとするが、その前に「がっ――」と呻く。
「晴美お前、倒すまで見るな!」
薫さんは察したのか、本体の方が魔物と対峙する構えを取った。
晴美さんの様子は似たようなものを見たことがある。
アジトで俺を見て目にダメージを負った夕子さん。あのときと似た反応。つまりこの魔物も晴美さんの眼の対策用。
とことんメタられている。薫さんがいなかったらとっくに詰んでいる状況だ。
俺と薫さんは見ても影響を感じていないところから魔眼メタだろう。
薫さんが右手で銃を撃つがあまり効いていない。
「あークソッ! だから対魔物戦は苦手なんだ!」
銃が効かないことを察してすぐさま銃を戻して俺を片方の目で見る。
「10秒稼げ。できない禁止な」
「いきなり無茶を……」
「僕相手に組み手したんだからそれくらいやってみせろ、見習い」
そう言い捨てて霊力が高まるのがすぐそばにいるからわかる。
霊術の戦闘に切り替えたんだ。なら発動まで時間を稼ぐ、つまり俺が引きつけておけということだ。
さっき異能使うのに焦って失敗したせいで緊張するが、冷静になって魔物をよく見る。
動きは全体的に緩慢だ。だけどブツブツしてる部分はよく見れば石のようで硬そうだ。
きちんと狙わないと刃は通らないだろう。薫さんの銃があまり効いてなかったのも弾かれたせいか。
時間をほんのわずか止めてから刃が通る部分にナイフを走らせる。
接触とほぼ同時に時間停止が解けるが、刃は通り、魔物は悲鳴を上げる。
劈く絶叫に耳を抑えたくなるが、なんとかこらえて薫さんから意識をそらす。
10秒経ったのか、それとも思ったより早くできたのか、薫さんの霊術が完成し、魔物が霊力の塊によってひしゃげて形が大きく歪む。
「そのまま核を潰せ!」
歪んだせいか内部の核がわずかに露出し、薫さんの声でハッとしてそのまま核をナイフで突き刺した。
ほどなくして魔物は解けるようにドロドロと崩れていく。
魔物の見た目や特性はここまで見た中だけでもかなり違う。もしこれが元々人間だったとして、普段防人衆が相手にしている魔物はどうなんだろう。晴美さんの口ぶりからして全部が人間と関係あるわけではなさそうだったが。
ようやく眼が回復したのか、目を開けるのが辛そうに薄目で俺たちを視認すると、魔物浄化の術で死体が消えた。
「全部ハピタリ製の魔物だな。何もでない」
「普通の魔物は何かあるんですか?」
「まあ爪とかウロコとか、そこそこ素材になるものを得られることがあるんだわ。浄化用の術だって、そういう素材になる部分以外を消すためのものだ。そういった素材は強い霊力や呪詛がこもっているからできるんだが――」
何もない通路を見下ろして晴美さんは舌打ちする。
「人間の死体に使える部位なんて、そうそうねぇからな。あたしみたいな一部例外や、強い術者ならともかく、普通の人間ならなおさら」
そうか、ハピタリで魔物化するなら元々一般人。一般人ということは霊力もないから魔物化しても霊力は魔物化によるものであって本来持っているものではないから……。
素材になりそうな人間はそもそも異能者になれるだけの素養があったってことだからハピタリで魔物化したやつからは何も得られない、ということなんだろう。
晴美さんの咳は波があるのか時々けほけほと口を覆っている。薫さんの持ってきた薬で一旦緩和したのか、今は血が出ていないようだが早く瘴気をなんとかするか、晴美さんの持つ薬を手に入れなければそのうち倒れてしまいそうだ。
「しかし3人いるとはいえ、術の時間稼ぎがカツカツだな……」
晴美さんのぼやきに、ふと、あることを思い出す。
時間稼ぎ……いや、時間短縮……?
「あの、晴美さん」
「あ?」
「時間のかかる術を準備してる人の時間を、俺が異能で加速したらどうなるんだろ?って……といってもそんなうまくいくわけ……」
10秒かかる術の準備を倍速にできたら5秒。必要な時間が長ければ長いほど効果的なわけだがもしそれができるのなら……。
晴美さんと薫さんが互いに顔を合わせ、そして二人して俺を見る。
『戦闘中の時短は最強クラスの補助能力に決まってんだろ』
役割が決まってしまった。
薫さん、メインアタッカー。
晴美さん、後方で術を撃つ。
俺、加速装置。
「これ俺必要ですかね!?」
「1分かかる術が30秒! 10分かかる術が5分で使えるんだぞ! いるに決まってんだろ!」
長めの術を用意しながら晴美さんが俺の手を掴む。
晴美さんの術のインターバルが明らかに短縮される。
薫さんは引きつける役割があるから近くにいないと使えないが、リロード動作の時短には俺の近くにまで下がってくる。
何これ? はたから見たら意味わからない絵面だろこれ。
こんな流れで倒される階段前の魔物もびっくりだろ。
「もうこの際酷使するか? 多分時葛より僕らが使い方考えたほうが早い気がする」
「俺のことなんだと思ってるんですか!」
もう便利な装備品かなんかだと思われてない?
「生きるか死ぬかの状況ならしゃーねぇだろ。相手魔物だし。見目のよさと生存なら後者一択になるんだわ」
「というか晴美、お前術のとき以外は加速するな。瘴気の進行も早まる。だから僕にそいつよこせ。そっちのほうが早い」
「てめーが後衛になったら時葛しか前衛できねーんだよ! だったらあたしが後ろ支えるしかねーだろうが!」
「喧嘩しないで!」
やめて! 俺の取り合いしないで! 俺の意思を介在させて!
階段前の魔物をトラブルもなく倒せたのは嬉しいが、あまりにも絵面と空気が微妙すぎる。こんなことがあっていいのか?
ようやく一階に戻ってこれたと思ったら地下よりは瘴気が充満しているわけではないがあちこちに瘴気やら魔物の足跡のようなものが点在している。
晴美さんの部屋に薬を取りに向かうか、出入り口の確認をするか。
ここでセーブ更新しておこう。地下よりは選択肢が広いはず。
「どこ向かいます?」
「薬……さすがにそろそろ意識がやばい」
目に見えて顔色が真っ青だ。薫さんの持ってきた薬じゃ限界があるようだ。
元々の持病もあるようで、どの道晴美さんの体調問題は薬を入手しないと改善できない。
「僕がアバターの方で出入り口を見てくる。そうすれば安全確認にもなるだろ」
晴美さんを支えていたアバターの方が先程までよりしっかりと動いて出入り口の方へと向かう。
俺たちは晴美さんの部屋へと移動する。
薫さんのアバターがやられても薫さんは本体がこちらにいるので万が一出入り口が危険ならその情報を持ち帰ることができる。
こうしてみれば薫さんの能力は便利そうだが……。
「ホント……薫の異能がこんな役に立つこと何年ぶりなんだ?」
「年単位とは随分喧嘩売ってきてんじゃねェか」
「だってお前の異能、マジで微妙だし」
なんで喧嘩腰なんですか晴美さん。
ほら、薫さんめっちゃイラッとしてるじゃないですか。
「微妙でも役に立たないってことはないだろ!」
「だいたい他の異能か霊術の方がいいじゃんってなる時点で……」
「揉めないで! 俺を挟んでギスギスしないで! 今は仲良くして!」
なんでこんなギスギスしてんだよ。なんか急にギスりだしたから鈴檎のときみたいに何らかの影響が出ているのか疑ってしまう。
それとも元々あんまり仲がいいわけではないのか? どちらにせよ今どこから襲われるのかわからない状況でギスらないで欲しい。
でも俺から見たらまあまあ便利そうなんだけどな……。なんだろう。明確に上位互換がいるとかだろうか?
晴美さんの部屋まで魔物や他の人間と遭遇することはなかったが、逆に不気味で警戒心がマックスになる。
ここまできて何もないってことはないだろう。
「薫、出入り口は?」
「術で封鎖されてるっぽいな。お前解けるか?」
「魔眼で解析していけそうなら。術にもよるから、それ狙いで罠かもしれねぇし、術者か黒幕叩く方が安牌だと思うぜ」
警戒するにこしたことはないのだが、どちらにせよこの状況が敵の後手に回っているから何にせよ不安は残る。
罠のことを考慮してか、薫さんが晴美さんの部屋の扉を開けると何もいない。
安全を確認すると晴美さんのベッド横にあるテーブルの薬を見つけ、それを薫さんが取ろうとして、薫さんが沈んだ。
文字通り、部屋の真ん中で、見えない穴に落ちるように。
「しまっ――」
薫さんの姿が完全に見えなくなると、一番危険なのは背後。
咄嗟に振り向いて晴美さんを守ろうとするが、隙が生まれた時点で、詰みだった。
背中に一閃、痛みが走る。斬られたのだとわかると同時に、ゴキッという何かが折れる音がして、痛みに耐えながら顔をあげる。
晴美さんが倒れて、立ち上がろうとしているが、足を折られたのか、見るに堪えない方向に曲がっていた。
そして、犯人である人物が俺の視線に気づいて、前回とが違うものの、赤茶色の髪をした人物が俺の首を刎ねた。
――――――――――
背中の痛みが消えない。
もう戻ってきているのに、さっき斬られた痛みが、ないはずの傷がじくじくと痛む。
頭がおかしくなりそうだ。
「時葛?」
俺の違和感に気づいたのか、晴美さんが咳混じりで俺を見る。
「お前まさか死――」
さすがというべきか、すぐに気づいてくれた晴美さんが表情を変える。
セーブを地点を自分で決められるようになってよかったと、心から思う。
すぐにでもリベンジができるから。
「晴美さんの部屋は危険です。待ち伏せがあります」
あくまで予知というていで、薫さんにも何が起こるかを説明すると、晴美さんは複雑な表情をしていたが、起こった出来事を聞いて切り替えたように真剣な顔になる。
「落とし穴、いや、沈んだってことはいくつか思い当たるものがあるな。どれにしろ、あたしが魔眼を使ってなかったのはこれまでのメタのせいか。つーかそれなら建物にどうやって侵入したのかも察しがつく」
「逆に言えばお前の魔眼さえ使えばどうとでもなるだろ?」
念のため全員声を潜めて打ち合わせしながら、出入り口の確認は取れているので揃って晴美さんの部屋へ向かう。途中でアバターの方は身を潜めて、不意打ちに更に不意打ちを重ねていく。
部屋を開けて、一見薫さんが中に入るフリをする。
その瞬間、姿を現した男をアバターが取り押さえ、晴美さんが魔眼で男を見下ろした。
「がっ、あ、あぁ!? 異能が――」
「知らねぇなんて言わせねぇぞボンクラ」
"異能者殺し"の伊藤晴美――異能【特級星眼・天贈無効の魔眼&■■の魔眼】
天贈無効。つまりそれは異能と霊力の動きを全て無効化するというもの。
文字通り異能者の天敵であり、こうなってしまえば相手は普通の人間と何ら変わらない。
強い、便利と言われるだけあって魔眼の効果が突出している。ハピタリ産の魔物は霊力を使わない身体能力がそもそも高いタイプだから有効的ではなかったという点では相性が悪かった。
「げほっ、ああー、なるほどな。すり抜けの異能か。薫、部屋の罠も解除できてるから取ってきてくれ」
取り押さえたアバターと薬を確保した薫さんが両方襲撃者を睨む。
「おい、この髪色……」
「んまあそんなとこだろうと思ってたけどな。とりあえず、時間があるうちに尋問するとしようぜ」
襲撃者の男以外にも黒幕はまだいる。もしかすると他の異能者もまだいるかもしれないし、魔物だって全部倒したかもわからない。
取り押さえられた男はまさかこんなことになると思っていなかったのだろう。混乱した様子で這いつくばりながら俺たちを見上げた。
「な、なんでバレ――」
「自分の胸に手でも当てて考えてみな!」
当然、前回の記憶なんてないのでわかるはずもないのだが。
"回帰者"時葛綜真――異能【時間操作】




