忙しない、赤い花と再訪
『ここ2週間で関東は魔物の出現が増加しており……』
覚えのあるニュースを流しながらスマホであることを調べていた。
【ある日突然異能に目覚めることはある?】
異能。この国人間の一部が持つ、不思議な力。
十数年前までは隠されていた存在だが、18年前のある事件を機に公表され、今では異能者は誰もが知ることとなった。
それより昔は基本的に血統によって異能者が輩出されていたが事件の前後から血統とは関係なく異能者が増え始め、現在国が管理していない異能者たちが裏社会やらで好き勝手やっているという話も聞く。
この状況、俺になんらかの異能が発現したのか、それ以外の理由か。
何もわからないため検索をかけてみたが「いかがでしたか?」とかほざいて結局何もわからないサイトが出てきて舌打ちしながらタブを閉じる。
異能者の検査とかってどうするんだっけ。
念の為そちらの方も調べてみるが煩雑な手続きやらが多そうな気配がする。それでも自分の身に何が起こってるのかわからない以上、確認すべきだろうか?
いや、もし本当に異能に目覚めてたとしたら研究機関かなにかで足止めを食らって『あれ』を止められないかもしれない。
荊儀が巻き込んだ、と言っていたし、あの男にも見覚えがあった。
どういう仕組みなのかもわからないなら悠長にしていられない。
前回はゆっくりしていたが調べ物をして前よりも早く家を出た。
荊儀が絡まれる前に彼女を見つけ、なんらかを聞き出せないだろうか。
そもそも、荊儀が異能者だとすれば色々と問題というか、不自然なことがある。
異能者が増えた十数年前から、異能者が必ず通う学園の存在が公表され、高校生に相当する年齢の若者は皆各地にあるその学園に通う必要があるらしい。基本的に、急に異能に目覚めたり、異能者と気づかず、なんらかの拍子に発覚するとかでもない限り高校に異能者はいない。
小中はある程度融通が効くようだが……そう考えると荊儀は異能者であることを隠していたということになる。前回、ほんのわずかに見たあれは異能を得たばかりとは思えなかった。
あれ? 異能者であることを隠すのって……。
ドンッという鈍い破壊音にびくりと体が止まる。進行方向に土煙が舞い、人が逃げていく。
「どけどけ! 魔物が出たぞ!」
驚いて気を取られていると逃げる男にぶつかりながら警告される。
ずしん、と重い音。衝撃で物が浮くような、ニ階建ての建物くらいの大きさの紫色をした存在。
触腕で自分を支えているのか、地面に亀裂を走らせ、非常に緩慢な動きで体を起こす。そして、目なのかわからないが頭部にあるらしき球体がこちらを見た。
「うわああっ!?」
魔物の振るった触腕がアスファルトを粉々にする。やばい、完全に逃げ遅れた。
そういえば前回の、魔物が退治された後の現場に遭遇していた!
「やっべ……」
当然異能に目覚めたからと言ってすぐにどうこうできるのであれば今頃華麗に活躍していただろう。そもそも目覚めているのかすら不明瞭な状況でどうすればいい。
というかさっき調べたついでに目にしたが魔物は安全に討伐するためには3人以上で対処するとか聞いたことがある。俺1人ではどちらにせよどうしようもない。
が、あることに気づく。その魔物は既に手傷を負っている。そもそも俺は目に入っておらず、魔物で隠れて見えない場所に注意を向けていた。
「はぁ……朝から獲物を見つけたかと思えばとんだ雑魚でしてよ」
誰か、女の声が魔物の向こうから聞こえる。聞いたことがない、未知の存在。
不愉快そうに吐き捨てたかと思えば地面から直方体が勢いよく飛び出て魔物を穿つ。異能だと瞬時に理解するとともに、声の主と思わしき人影が大きく跳んだ。
「お逝きなさい!」
真っ赤なそれは傘だった。閉じた和傘で魔物の頭を突き、血のような、青っぽい液体をぶちまける。
その様子は弱肉強食の獣を連想させた。
小さい獲物を狩っているにすぎない獣が、自分を上回る獰猛な獣に狩られるような。
そして俺はその光景をただ呆然と見上げるしかできない。
「私最強! 私最強!! わ・た・く・し、最強ですわ〜!」
獰猛さはそのままに、獲物を屠ったことを喜ぶ肉食獣だが無邪気な猫のようでもあり、魔物を倒していることから悪い人間ではないはずなのだが、1人で魔物を倒すことはかなり危険と耳にしていることもあってとんでもない人物であるというのがわかる。
前回では一度も見たことがない、まったく知らない人物。
あのときの誰が倒したのかわからない魔物の死体。この人がやったのだと察せられる。
魔物の死体を足蹴に、勝ち誇った様子で改めて見上げると目に映ったのはセーラー服の少女。
赤い閉じた和傘を片手に、深緑のボブヘアをした、見た目こそ理知的に見えるが表情が打ち消している。
制服も着ているし、おそらく高校生くらいのはず……高校生1人で魔物を倒せるもんなの?
「あら、観客がいたのですね」
少女は俺に気がつくと指を鳴らす。その一瞬で彼女が浴びたであろう青い液体は洗い流されるように消える。今のも異能なのだろうか?と考えていると少女は怪訝そうに目を細める。
「あなた……何が”ついて”いるんですの?」
「え?」
「なんですの……そのベタついたものは。それに……」
少女の視線が忙しなく動くのがわかる。その視線の動きから俺を観察しているのが伺えた。
「…………校章か学生証、所属、もしくは身分証ナンバーのいずれかを教えてくださる?」
「は?」
校章、といっても制服についているのしかないし、学生証はあるがいきなり同年代の人間に言われて素直に出す理由もない。所属とかもわけがわからないし身分証のナンバーってなんだ?
「そんなもの――」
聞いてどうするんだと言いかけて強い風を感じ思わず目を閉じる。
その風圧の原因は恐る恐る目を開けばすぐに察せられた。先程まで魔物に突き刺していた傘の先端が俺の頭のすぐ横に添えられていた。刃物でもないはずなのに動けば危険だと本能が警鐘を鳴らす。
「反応は素人。霊力の動きはなし。あなた……申告せずにいる隠れ異能者ですわね?」
「ち、ちが……わないけど……」
バカ正直に答えてしまったのは少女の圧に負けたからなのか、未申告という後ろめたさによる罪悪感が勝ったのか。
少女は煮え切らない反応に対して「あぁ?」とまるでチンピラみたいに傘の先端を押し付けてくる。
「ボソボソと聞こえづらいのですが? 申告逃れをしている異能者を突き出せば金一封! ossかそれ以外かは知りませんが私のお小遣いになりたいのであればこの場で――」
「未申告です! というかその……今朝起きてそうなってたっぽくて俺もどうしたらいいのかわからなかっただけです!」
素直に状況を説明すると少女は「む……」と何か思ったのか傘をおろして舌打ちをする。
「後天性……まったく……最近多いですわね。10代半ばで急に覚醒するタイプ」
しかし俺に向ける視線は相変わらず鋭く……いや、俺の方を向いているが俺を見ていない気がする。目が合わないというか……とにかく俺を見ていない。
「チッ、お詫びの代わりに覚醒後の手続きがスムーズにできる相手を紹介しますわ。そこに『夢子からの紹介』だと言えば伝わるはずです」
心底嫌そうにメモを一枚破り取って連絡先らしきものをささっと書いて押し付けてくる。
夢子、というらしい少女はそのへんに置いておいたのか学生カバンを拾い上げて俺に背を向ける。
「あ、ど、どうも……?」
なんだろう。悪い人ではない気がするのだが関わってはいけないタイプな気がする。なぜかさっきからこの人から早く離れろと声が聞こえるかのような。
「じゃあ、俺はこれで――」
そのまま立ち去って早いところ茨儀のことを確認しようと思ったのも束の間。
俺の顔の横を何かがかすめて背後に激突し、パラパラとこぼれ落ちる音がする。
横目で確認してみれば先程まで少女が手にしていた傘……これもう傘じゃないだろ。とりあえず傘が建物の壁に突き刺さっていた。
「チッ、目障りな。まあいいですわ。その気色悪いものが何かは知りませんがあなたの異能に関係ありそうですし、引きずり出してあげましてよ」
「何が!? あの結構なんで――」
「お黙り! この私、鈴木夢子のお散歩コースでその気色悪い粘ついたものを放置すると思って?」
無茶苦茶がすぎる――!
なぜかわけもわからず敵意を向けられている。わかるように説明をしてくれ!
傘がとんでもない速さで頭を狙ってくる。薙ぎ払いとはいえあの魔物をぶち抜いたのを見た後で傘を向けられてびびらないはずがない。
が、早いと思ったそれは非常に遅く見えた。
世界がゆっくりと見える。
前回でもそう感じた瞬間があったのを思い出す。あれはてっきり死を覚悟したからだと思っていた。
違う、俺は動ける!
そう悟った瞬間傘を避けるように後ろへ下がる。ゆっくり動いていたおかげかギリギリ躱すことができた。
そうして、薙ぎ払いが終わると同時にすべてが普通の速さに戻った。
僅かな疲労感が襲ってくる。もしかして、これが俺の異能なのか?
「……素人がかわせるものじゃなかったのですけれど。随分とまあ厄介なモノをお持ちだこと。それだけの異能があれば手加減は――」
懐からなにやら数枚の紙を取り出し、にやりと笑う。
第ニ撃に備えて警戒していると、急に何かに気づいたように舌打ちした少女は傘を持ち直し、開いて日傘を差すようにし肩に預けた。
「次その顔を見せたときにその気色悪いものを”つけた”ままでしたら今度こそあなたごと潰してさしあげましてよ」
そう言い残して鈴木夢子はその場から去っていった。くるりと傘を回したようすはまるで花のようだが、物騒極まりない武器だと思うとそんな可憐なものとは思えない。
人が集まってくる気配を感じて俺も物陰に隠れると前回見たことのある警察やスーツの人がちらりと見えた。
前回は名乗りも上げずに魔物を倒してどこかに行ったようだし、俺とのやりとりでそれが遅くなったのだろうか。
さっきの彼女のように異能者だとバレたら足止めを食らう可能性がある。裏道を使って荊儀を探しに行こう。
それからほどなくして前回で荊儀を見つけた場所へたどり着く。
あのときより少し時間は早いはず――。
「……時葛?」
困惑の声音に振り返ればおかしいものを見るような荊儀がそこにいた。
「荊儀――」
「あんた、何?」
無事な姿を見た安堵で思わず伸ばした手が止まる。
なんでそんな、さっきの少女といい、君といい、俺に敵意を向けるんだ?
「時葛、あんた……何したらそんなことになんのよ!」
怯えが混じった叫びに思わずガラス窓を見る。
いつもと変わらない、俺の姿しか映らない。
いったい、何が見えている?
「なあ荊儀」
「来ないで」
拒絶の声に腹を殴られたような気持ちになる。
どうしてそんなことを言うんだ? 俺はただ、君が俺を庇って死なせてしまったことを償いたいだけなのに。
「異能者だったの? 何が目的?」
「頼む、話を」
「まさか同じ高校なのも私狙いだったわけ?」
「なあ」
「来ないでって言ってるでしょ!」
「話を聞いてくれよ!」
思わずイライラして声を荒らげてしまった。俺の声に驚いたのか、荊儀は萎縮したように後ずさる。
「頼むから……俺の話を聞いてほしい。信じられないかもしれないけど……俺も嘘みたいだと思うけど、それでも一度でいいから俺の話を聞いてくれ」
絞り出した声は思ったよりも切実で、自分が無意識のうちに追い込まれていたことを今更ながら自覚した。
一度死んだときの感覚が今でも鮮明に蘇る。あんな思いを、もう二度としたくはない。
ただ、荊儀があんな苦しい思いをしたことを覚えていないことは嬉しかった。
そして、このままでは前回のように友人たちがまた犠牲になるかもしれない。なんらかの拍子で荊儀もまた死んでしまうかもしれないし、俺だってそうだ。
もう誰も死なせたくない。
「聞いて、信じてくれなくてもいいから。俺は荊儀を守りたいだけなんだよ……」
荊儀の肩が揺れる。迷うような視線に、懇願する。
「なあ、俺に協力してくれ。荊儀」
長い長い沈黙の後、荊儀はまだ嫌悪感はある様子だが諦めたように息を吐く。
「信用するかは別として話くらいは聞いてあげる」
先程よりも警戒心は薄れた様子で、俺を見た荊儀の顔は今の俺のように懇願するようなものだった。
「その代わり、私に絶対、嘘はつかないで」
約束、と呟いて小指を差し出してくる。小学生の頃を思い出して、やり直しの朝で初めて笑えた気がした。
――――――――――
「はぁ?」
包み隠さず説明したらこの反応だよ。
俺が一度、今日を過ごしたこと。
変なチンピラが出した煙で友人が魔物化して、そこを荊儀に助けられたこと。
荊儀が……俺をかばったことは言えず、死んでしまったことを伝え、俺もその直後死んだことも話した。
当然、荊儀は半信半疑だが、異能のおかげか荒唐無稽とまでは思われなかったようだ。
「いや……さすがにちょっとそれを信じるのは……」
「でも俺、荊儀の異能見たし。ロープ出すやつ」
「うーん……それ知ってるはずないし……気配からして眼に関する異能でもないっぽいし……」
ときどきチラチラと俺のこと、というより俺の斜め後ろくらいを見ている気がする。気になってそちらを見るがやっぱり何もない。
「はあ……それで結局、あんたってなんの異能なの?」
「さあ……」
結局よくわからないままなんだよな。朝に戻ってきたのかとも思っていたが世界が遅く見えるようにもなったりするし、意識的に使うことができないせいで説明に困る。
荊儀みたいに使いこなせないとこの先も不安だし、どうしたものか。
「それで、荊儀はこのあと学校サボってなにするつもりだったんだ?」
「……うーん……あんたのその怖いやつが気になるけど」
「なあ、さっきから俺何がくっついてんの? 怖くなってきたんだけど」
「私の目的は……」
「流さないでくれ。さっきからそのせいでめちゃくちゃ被害がでかいんだわ」
荊儀は触れたくはないのか俺についているであろう何かから目をそらし、小さな声で言った。
「行方不明になった兄を探してたの。私と同じ異能で、帰ってこなくなったお兄ちゃんを」
なぜだろう。俺の後ろで誰かが嘲笑った気がした。