狂気に笑う
識文さんの顔に前回のあの狂気の姿が重なる。
いったいなぜあんなことになっていたのか、なにもわからないというのに、ただあの最期に刻まれた恐怖が体を震わせた。
和泉さんに対しては確かに乱暴なところやキツイ面はあったが、俺たちには優しいところをよく見せていただけにギャップでひどく混乱する。
それとも今まで俺たちに見せていた姿が嘘だったのか?
わからない。とにかく情報が足りない。
「頭痛とか吐き気とか何か症状ある?」
和泉さんが心配してかペットボトルの水を差し出しながら聞いてくる。
それを受け取りつつ「大丈夫です。ちょっと疲れが出たのかも」と誤魔化しておいた。
受け取ったペットボトルを見て、水……昨日の和泉さんの異能を思い出し、識文さんの異能を一切知らないことに気がつく。
「あの……そういえば識文さんってどんな異能ですか?」
震えをなんとか抑えた俺の質問に、識文さんは面食らったような顔をした。
そして明後日の方を見ながら「あー」と呟いてヘラッと笑う。
「そのへんについては……そのうち説明しますね」
ほら言うと思った!
そのうちがこないような瀬戸際にいるから聞いてるんだけどそんなことを言ってしまえば異能の説明をしなければいけない。でも俺も似たようなことをしているので責められない。
いや、もういっそ信用して全部明かすか?
どうしようかとうつむいていると結依が肩を叩いて心配そうに耳打ちしてくる。
「ねぇ、どうかした?」
倉庫でのことを経験したからか、結依は俺の様子があの時のようにおかしいと思ったのだろう。
心配されて、ますますまたあんな風に死なせるわけにはいかないと強く思う。
俺の様子を見てか、識文さんたちはふむ、と腕を組んで顔を見合わせた。
「無理に詰め込んでも辛いでしょうし、今日はこの辺にしておきますか?」
識文さんが何気なく立ち上がろうとした瞬間、あの光景がフラッシュバックしてしまい、思わず後ろに倒れ込んでしまった。
ちょうど近くに椅子があったせいで背中にぶつけてしまい、大きな音が立つ。
「だ、大丈夫ですか……?」
「本当にしんどいなら休みなよ」
どうしよう、どうしよう、どうしたらいい?
真っ白になる頭をなんとか落ち着かせようとは思うものの、まだ思考がうまく働いてくれない。
あの識文さんと今目の前にいる識文さんが同じとは限らないのに――。
「なーに騒いでんの? こっちまで聞こえてきたんだけど……」
ハッとして振り向くと寝起きの吉田さんがいた。
確かこのあとすぐに俺の家に行く誘いがあったはずだ。
「あ、たっきーもう起きた?」
「とりあえずなー。んで、綜真。お前これから出かけるから」
来た。だけどここで出かけてしまえばいったい何が起こるのかわからない。
……いや、待て。
そもそも俺たちが家に行くことがバレてたからあんな風に足止めされるようなことになったわけで、俺たちが出かけない場合は何か変わってしまうんじゃないか?
何度も結依が死ぬところを見たくないし、そのつもりもない。どうするのが”最善”なんだ……?
恐らく、吉田さんが俺の言うことを信じてくれて、そのために協力してくれるのが一番手っ取り早いと思う。
が、今のところ俺がループについて結依を含めて誰にも明かしていない以上、絶対に事情を説明したところで一旦隠したことが裏目に出る可能性がある。嘘を重ねるのも手だが、正直なところ、いつか絶対にボロを出す自信があった。
「ん? どうした?」
俺がずっと黙っていたからか吉田さんは不思議そうな顔で俺を見る。
すると和泉さんがフォローするように言った。
「なんかさっきから具合悪そうだから外出控えたほうがいいかもね。別に急ぎでもないし」
「はーん。行かないなら俺、別件片付けに行こうかね。綜真、どうする?」
吉田さんと出かけないなら吉田さんはどの道別の用事でアジトから離れるのか。
本当は吉田さんにも残ってほしいが……。
「じゃ、じゃあ今日はやめときます……すいません」
「ん、いいよ別に。んじゃ俺ちょっと出かけてくるわ」
そう言い残して吉田さんは出かけていった。
本当にこれで良かったのか?
全然何もわからない。胃がキリキリするような感覚。本当に具合が悪くなってきたかもしれない。
「時葛、ちょっとこっちきて」
結依に腕を引っ張られ、リビングから連れ出される。
そして少し控えめな声で言った。
「ねぇ、倉庫のときもそうだけど、なんか様子おかしいときあるよね」
「……わかるんだ?」
「まあ、見てたらなんとなく」
怒ってるわけでもなく、ただ、拗ねた子供のようにそっぽを向いた結依は優しい声で続ける。
「深くは聞かないよ。言いたくないなら今はそれでもいいし。ただ……その……私がなにか手伝えることってないかな」
結依の言葉を聞いて改めて深呼吸をした。
いざとなったら結依は俺を信じてくれるだろう。今ここで明かしてしまうのもいいが、まだ何もわからない以上、変に異能に関して期待させたり、ループする原因でショックを与えたくない。
「……識文さんの異能、知ってるか?」
「え? ああ、詳しいことは私も知らないけど……身体能力強化系のはず」
身体能力強化系。
異能者の中でも単純かつ戦闘特化の能力とされており、結依や和泉さんのような能力の応用はきかないが、その分戦闘においては上位クラスらしい。
「ただ使うと少し荒っぽくなるみたいだからあんまり人に言いたくないみたい」
荒っぽくなると聞いてまた前回のことを思い出す。あれは荒っぽいなんてものではなかった。猟奇的で、暴力的だ。いっそ狂気に満ちていると言っても過言ではないだろう。
今はまだ落ち着いているようだが、あの後、何が起こってあんな惨劇が発生したんだろう。
「ありがとう。とりあえず今は大丈夫だ」
「……ま、お返しは明日にでもココア淹れてもらうから。それでチャラね」
「甘めのホットミルクの次はココアとか太るぜ」
バシッと背中を強めに叩かれる。だけどおかげで少し落ち着いた。
リビングに戻ると和泉さんと識文さんが何やら話し込んでいる。
「だーかーらー! 異能に関する知識を先に教えておくべきですって!」
「どーせあとからついてくるし基本の霊術指導したほうがいいだろ!」
「いきなり霊術で躓いたらモチベーション保てないでしょう!」
俺たちの教育方針についての話だったらしい。
「あ、二人とも! やっぱり次も知識学習したいですよね!?」
「いや、霊術講義だろう!?」
いきなりどっちか選ぶように言われて思わず後ずさる。結依は「どっちでもいいよー」と呑気な返事をしていた。
先のことを考えると……霊術の方がいいよな、これ。
「俺は霊術が気になります、ね……。なんか霊力多いみたいですし」
俺の言葉に和泉さんが勝ち誇ったような目を識文さんに向けていた。
和泉さんの視線を無視して識文さんは少ししょんぼりしたような顔を一瞬だけ浮かべ、切り替えるように「わかりました」と言った。
「確かに買い物するにも3歩歩けば野良異能者かチンピラにぶつかるようなクソ治安ですからね。護身のために覚えておきたいでしょうし、身体強化をできるようになるのを目標にしてみましょうか」
「あ、それと少ししたら具合良くなったのでこのあとやっていいですか?」
「いいですよ。じゃあまず……」
識文さんはまだ怖いが、やはり優しい人であるのは嘘ではないと思いたい。
霊力の扱いについて手ほどきを受けながら、結依と並んで霊術について指導してもらう。和泉さんはたまに補足するように口を挟むが主に識文さんが教えてくれた。
「うーん、下手ですね」
俺の横で結依が識文さんの物言いに打ちのめされていると、リビングにひょっこり顔を覗かせるように見てくる人物がいることに気づく。
鈴檎だった。
「あ、あの……」
もじもじと目線は合わせないように斜め下を向いている。
随分おどおどした子だなと思う一方で、そういう仕草はかわいいなとも思う。
「えっと……お水がほしくて……」
控えめな頼みに俺が立ち上がって持って行こうとすると、なぜか結依がぶすくれたような顔でそれを止め、水の入ったペットボトルを手にしてずかずかと鈴檎の方に向かっていく。
後ろで和泉さんが「どうしたんだろ」と呟く一方で識文さんが「わぁ……」となんとも言えない声を漏らしていた。
「はい、お水。早く戻りなよ」
「あ、えっと……その……」
「何よ」
「あ、いえ……その……」
ちらちらと俺の方を見てくるので俺に用があるのかな。立ち上がって二人の方に行こうとするとふと嫌な予感がする。
……ん? よく考えたらこのタイミングで鈴檎がこの面子と顔を合わせるって……。
「言いたいことあるならはっきり言いなよ。それにさっきから目も合わせないとか失礼でしょ」
「そ、そんなつもりは……!」
鈴檎が半泣きになりながらゆっくり視線を上げる。
苦笑していたはずの識文さんがその一瞬で動いた。
いつの間にか識文さんが俺に結依を押し飛ばし、結依を受け止めようとして少し後ずさる。
「和泉!」
識文さんがただ一言、和泉さんに何か伝えようとしたその瞬間、識文さんが壁の方へと弾き飛ばされた。
「識文!」
『識文さん!』
識文さんが吹っ飛んだ軌道はさっきまで結依が立っていた場所の流れだ。あのままだと結依が叩きつけられていたはずだ。
「あ、あ……ああ……!」
鈴檎が吹き飛んだ識文さんを見ながらショックを受けたように口を抑える。
吹き飛んだ識文さんに追い打ちがかかるように何度も識文さんが壁に叩きつけられる。
ひび割れた壁にもたれかかる識文さんは頭から血を流しており恐らく意識を失っている。
「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
錯乱したようにその場にしゃがみこんだ鈴檎は下を向いて頭を抱えてしまう。
あれは鈴檎がやったのか?
「綜真! 僕より前に出ないで――」
和泉さんが逡巡するように一度手を胸の前にやったかと思うとすぐに下ろしてしまう。
その一瞬だった。
識文さんが立ち上がった。
「識――」
焦ったように鈴檎ではなく識文さんの方を向いた和泉さんだったがもうその時には既に遅かった。
和泉さんの背に何かが生えた。
いや、違う。
和泉さんの胸から背中にかけて何かが貫通していた。
「なん、がっ――」
「いーずーみーくーん」
楽しそうな、どこか子供みたいな声。
この感覚を俺は知っている。
「心臓、潰してみようと思ったんだけどそのまま刺さっちゃった。あはは、失敗失敗」
笑いながら引き抜いたのは識文さんの腕だった。
赤く染まった腕から血が滴り落ち、引き抜いた勢いで和泉さんがその場に倒れる。
床に落ちた鈍い音に怯えるように鈴檎は更に縮こまり、結依も俺の袖を強く握って息を忘れていた。
「うっわぁ、甘い。ヤだねぇ、和泉は美味そうなのに食べる気失せる」
手についた血を舐めとる仕草がひどく様になっていて、そのまま蹲っている鈴檎に視線が移る。
「さっきのはなかなか痛かったよ? なんの異能かなぁ」
「ご、ごめんなさ……!」
「謝らなくていいよ! だって俺今めちゃくちゃ楽しいし!」
ドンッという音とともに鈴檎の顔面を掴んで床に叩きつけたかと思うと、ミシミシという不快な音を立てながら床に強く押さえつける。
「ほら、もう一回吹き飛ばしてみてよ。ほらほらほら。やらないの?」
じたばたともがくように足が動いていたがそれも空いた手でスカートごと押さえつけ、身動きを封じる。
「なら俺が手本見せてあげるよっと!」
鈴檎を持ち上げたかと思うとそのまま外にあるアジトの塀めがけて投げ――いや、叩きつけた。
吹き飛ばされた鈴檎は窓を突き破って外の塀に叩きつけられ、血を吐いた。
驚くほどあっさりと、鈴檎は力を失ったように崩れていく瓦礫とともに倒れてしまう。
「な、なん……和泉さん……!」
結依がその間に和泉さんを椅子に寄りかからせて起こそうとするが、胸を貫かれていたからおそらく死んでいる。脈をとってみたがやはりダメだった。
あんな一瞬で状況が一変するなんて思ってもみなかった。
和泉さんが死んだ以上、やり直した方がいいか?
そんな考えが脳裏をよぎった。
結依は当然だが和泉さんだって俺は死なせたくない。
死んでしまった以上、俺が死んだ方がやり直せる。
そうわかっているのに、目の前の結依を見捨てられなくて手を引いてこの場から逃げる。
「逃げるぞ! 吉田さんが戻ってくるまでは――」
「なんで逃げるの? あれぇ? ほら、こっちに来てよ」
不穏な声とともに手を引いた結依がやけに軽く感じる。
あれ?
振り返ると結依の腕だけがあった。
「ゆーいちゃんっ」
やけに楽しそうな識文さんの声。いつの間にか腕をもがれた結依を奪われていた。
「い、やああああああああああ!!」
腕から血を流しながら痛みで泣き叫ぶ結依に対して識文さんはケラケラ笑う。
「やっぱりさぁ。男より女の子がイイんだよねー」
小動物でも愛でるように結依の顎を掴んで顔を上げさせる。
「もっとかわいい声出してほしいなー。内臓いっとく?」
自分が死んだらやり直せる?
だからって、目の前の出来事を止めないなんてできるわけないだろ!
さっき教わったばかりの身体強化の霊術を付け焼き刃だが発動させて結依を奪い返そうと飛び込む。
しかし、相変わらず楽しそうな識文さんの目は狂気の中に確かな冷静さが宿っていた。
「邪魔だよ」
その瞬間、異能が無意識のうちに発動していた。遅くなって見えるはずなのに、識文さんの動きが全然遅くならない。いや、正確には本来よりはスローなんだろう。それでも異能で緩和できないほどの早さでこのまま殴られることだけは確信があった。
避けなければ、避けさせてくれ――!
そんな願いも虚しく識文さんの拳を頭に食らって意識が途切れた。
――――――――――
「綜真くん、大丈夫ですか?」
心配する優しい声と、さっきまで直面していた狂気の姿で頭痛がする。
識文さんが攻撃を受けたと思ったらいつの間にか識文さんがおかしくなった。
ちょっと荒っぽくなるの限度を超えている。
「大丈夫ですか?」
識文さんの声が頭に入ってこない。
どうするのがいい?
全部明かしてしまおうか。
そうすれば結依以外は皆強いし、対応もできるだろう。
『本当にいいの?』
ああ、俺がループについて隠そうと思ってしまうのは美沙杜が原因か。
いつの間にか刷り込みのように植え付けられていたようだが、実際、切り札でもあり、弱点にもなるこのループ能力を気軽に明かすのは刷り込みがなくとも忌避感がある。
もし、明かすなら一番影響力があって信頼できそうな相手。
結依の方をちらりと見る。
彼女にはいつか明かすつもりだが今この局面では違う。
「あの……ちょっといいですか?」
頭痛を抑えながら識文さんたちを見上げる。
「吉田さんに伝えることを思い出したので、吉田さんの部屋に行ってきても、大丈夫ですかね」
吉田さんの存在が今回の鍵になるはずだ。
――――――――――
誰もいない、独りきりの空間で美沙杜は嗤う。
「ねぇ、綜真くん。わたしは止めたのよ?」
くすくすと綜真の判断を嘲笑いながら美沙杜はひとりごちる。
「わたしはなーんにも知りません。これ以上はなーんにも助けてあげないんだから」
綜真に届かない独り言。
わざと届かないように呟くのは故意か、無自覚か。
「ま、それでも。大好きな綜真くんが呼んでくれるなら考えるけど。待ってるからね。わたしを頼ってくれるのを」