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東京リバースギフテッド  作者: 黄原凛斗
厭世者たちの狂想曲
14/33

大混乱の嚆矢



 何度目かの景色が広がる。

 ここは何もない夢の世界だ。だだっ広いだけであとは足元の水面と、時々見かける瓦礫だけ。

 ということは……



「そ・う・ま・く・ん」



「うわ出た!」


 わかっていたのに思わず声が出てしまった。美沙杜はその反応が気に入らないのかぷくっと頬をふくらませる。


「人をオバケみたいな扱いするなんてひどいわ」


 あれ? そもそも俺、眠ったのか?

 いつの間にかこの美沙杜夢空間にいたので前後の記憶が曖昧だ。さすがに死んだとは思えないが……。

 確か洗い物してから勉強の続きをしようとして……まさかの寝落ちか?


「美沙杜。怒らないから正直に答えてくれね?」


「なぁに?」


「俺のこと眠らせた?」


「うん」


 うん、じゃないんだよな。

 やっぱり狙って俺のこと眠らせてるよこいつ。

 俺のループの条件ははっきりしていないが、仮説が正しければきっと『俺が眠りから目覚めた時』だろう。

 となるとまた勝手に眠らされては困る。


「なあ。勝手に眠らせるのやめてくんね? 嫌がらせだろ、これ」


「そんなことないわ。わたしは綜真くんのためを思ってしているのよ」


「俺は迷惑してる」


 倉庫の一件は本当に詰んだと思った。最悪のタイミングでループ地点を更新されたせいでかなりヤケクソな解決方法を取ったのだ。

 そりゃ今の状況ならそう結依も俺も死ぬようなことはそうないだろうが、それでも危険な可能性は摘んでおきたい。


「……じゃあ、わたしの言うこと聞いてくれたら勝手に眠らせるのはやめてあげる」


 どうせろくなことではないんだろうなといつ半ば確信はあったが、念の為聞いてみよう。


「わたし以外の女と仲良くしないで」


 ろくでもないことはろくでもなかったが、なぜ美沙杜は俺にそんなことを要求するんだ?

 そもそも俺、美沙杜に気に入られたりするようなことしたか?


「んなこと言われても普通にしてるぶんは仕方ないだろ? 結依は今一緒に住んでるようなものなのに」


「あの荊女も目障りだけどそれよりもあの白いぶりっ子女のほうが嫌。死んでほしい」


 結依だけのことかと思ったら鈴檎も含んでいたらしく、ちょっと驚いた。

 あれくらいしか会話してないのに!?


「あんなろくでもない女の近くにいたら綜真くんが大変よ。捨てて来たほうがいいわ。うん、そうよ。起きたら捨ててくるといいわ」


 ゴミでも捨てるかのような気軽さで言うが、か弱そうな少女よりお前のほうがろくでもないとしか思えない。


「なんでそんな結依や鈴檎を敵視してるか知らねぇけど……お前の言うことが信用できねぇよ」


 急に、気温が下がったかのように感じる。

 美沙杜の眼差しが突然鋭くなったと、顔を見て気づく。要するに、機嫌が悪くなっているのだ。息苦しささえ覚えるような圧につい謝ってしまいそうになる。

 だが、ここで言い負けたらずっと勝てない。


「だいたい、お前の言うことを聞く義理もねぇだろ、この悪霊女……!」


「……ふーん……そういうこと言っちゃうんだ」


 先程までの威圧感は一瞬でかき消え、美沙杜は俺に穏やかな笑みを浮かべて近づいてくる。


「いいわよ。わかったわ。わたしはなーんにも知りません。だから頑張ってね、綜真くん」


 突き放すように、というか物理的に突き放して水の中に落とされる感覚に陥る。


 そして、それを機に俺は目覚めた。



――――――――――




「綜真くん、大丈夫ですか?」


 ハッと目覚めると、俺を起こしていたのか識文さんが俺の背中に手をやっていた。

 多分、美沙杜のせいで声をかけてもなかなか起きなかったのだろう。心配そうな顔をしている。


「あ、はい……すいません。急に眠くなって」


「体調が悪いなら和泉に診てもらいます?」


「だから……とりあえず僕に任せるなよ。別にいいけどさ……」


 タブレットを置いて立ち上がろうとする和泉さんに「大丈夫です」と言って自分の顔を叩く。

 急に寝落ちするみたいで不審に思われそうだが、先日の怪我や環境の変化があるからか疑われた様子はない。


 結依だけは何か気になるような視線を向けているが特に何も言わない。俺の異能に関係していると思って黙っていてくれているのかもしれないな。


「さて、異能についてのお話ですが……」


「あ、そうだ。識文さん。気になることがあるんだけど……」


 結依が手をあげて質問する。識文さんは「はい、なんでしょう?」と質問を促した。


「魔眼って色んなことできるけど異能って一人一つじゃ……ないの?」


 確かに。そう言われてみると魔眼は十徳ナイフみたいだし、それを一つっていうのはなんかズルく感じる。


「あー、まず一つ誤解がありますね。異能は一人一つとは限りません」


 識文さんは頬を掻いて困ったように腕を組む。


「異能者は基本的に一人一つの異能を持つとされていますが、先程の魔眼は特殊ケースとしても、複数の異能を持つ人がいます。あとは異能の適用範囲と応用が広くて複数あるようなパターンもありますがそれは練度によりますので割愛するとして……」


 魔眼は固有の異能にプラスして鑑定や透視ができるがそれは複数の異能ではなく、魔眼という異能の基本的な能力として扱われるようだ。


「複数異能を持つ人のことを多重天贈(たじゅうてんぞう)とか、二重天贈(にじゅうてんぞう)三重天贈(さんじゅうてんぞう)なんて呼び方をしますね。若い子はダブルとかトリプルとか呼ぶこともあるらしいですが」


「複数持つ人ってどれくらいいるんですか?」

「うーん、そうですねぇ。全体で言えばそこまでいないはずです。高校で一学年に1人2人いればいい方ですかね」


 それは貴重なのかそうでもないのか判断に悩むんだよな。


「そして、異能者は霊力を持つとされていますが、霊力があっても異能者ではない人がいます。これらは霊術師、あるいは霊力保持者と呼ばれています。一般人でもなければ異能者でもないため、微妙な立場の人たちですね。そこまで数はいませんが、多重天贈よりこっちのほうが多いらしいです」


 どちらも少数例なのか。


「多重天贈なら既に実例見たでしょう?」


「え?」


 実例と言われてもそこまで異能者に遭遇した人数が多いわけでもないからなぁ。銀髪の異能は結局よくわからないままだったし。


「鈴木さんは多重天贈者ですよ、確か」


 あの妖怪、とことん規格外してんな……。

 と言っても霊術以外他に何かしてた様子はなかったけど。


「彼女みたいな体質派生の異能血統の一族は多重になりやすいんですよね。確か……鳥使いでしたっけ?」


「鈴木一族はそうだけど、あの子はカラス使いだよ」


 鈴木一族と呼ばれる異能血統は鳥と意思疎通ができ、鳥を操ることができる異能を持つことが多いらしい。

 動物を使役するタイプの異能は副異能扱いされることも多く、彼女はそれに該当するだろうと和泉さんが補足した。


 そういや、どっかのループでカラスと一緒にいたな。あんまり使うことがないから副異能扱いなんだろうか。


「まあカラスの使役がなくても彼女はメイン異能だけで十分厄介ですけど……和泉はどっちも厄介ですからね」


「え? 和泉さん多重なの?」


 識文さんがなにげなくこぼした呟きに結依が反応し、俺も思わず和泉さんを見た。

 水を操っているのは見たが他に何か使ってたっけ?


 すると、和泉さんが地を這うような低いため息を長く吐き出した。


「あのさ……僕、異能のこと本当は黙っていたいんだけどなんでわざわざ言うの? 死にたいの?」


「え? ああ、すいません。隠してたの忘れてました」


 悪気はなさそうだがその反応が気に入らないのか和泉さんが舌打ちし、識文さんがその様子にイラッとしたように眉をしかめる。


「わざとじゃないんだからそんなに怒るのやめてくださいよ。だいたいどうせ今後一緒に生活するのに使うときにわざわざ説明する気ですか? 馬鹿じゃないですか? アジトじゃ結依ちゃんと綜真くんくらいしか知らないし、説明しておくほうが筋じゃないですか」


「今後絶対使うつもりもなければ説明するつもりもないのにお前がわざわざ無神経にもバラしたから怒ってんだよ。デリカシーってものが欠如してんの?」


 あ、これ喧嘩の流れじゃん。

 結依と揃って少し後ろに下がり、危険を回避しようとしていると、二人に声がかかった。


「なーに揉めてんだ、お前ら」


 呆れた声でリビングに入ってきたのは吉田さんだった。

 寝起きなのか、髪が少しくしゃっとしており、眠そうに目を細めている。

 そんな吉田さんの姿を見て、二人は今にも喧嘩しそうな体勢を解いて、空気が戻った。


「あ、たっきーもう起きた?」


「とりあえずなー。んで、綜真。お前これから出かけるから」


 突然話を振られて「え」と驚いてしまう。


「綜真の家とかに荷物取りにいくだろ? 俺付き添ってさっさと行ってこようかなって」


 あ、そういえばそんな話したな。うっかり忘れていた。


「僕が車出してもいいけど」


 和泉さんが佇まいを正して言うが、吉田さんはガシガシ頭を掻きながら返す。


「いや……和泉は捕まえたやつとか拾った子を診る必要ありそうだし、俺がさっさと行ってくるよ」


 確かに、鈴檎や捕まえた侵入者のことを考えると和泉さんは待機していたほうがよさそうだ。


「じゃ、行くぞ」


 さっさと外出準備をして吉田さんの後を追う。一瞬振り返ると見送るように結依が手を振っていた。


 しかし、和泉さんとか識文さんは昨日でやり取りをしたから少し打ち解けてきたが吉田さんはまだ全然やり取りをしていない方なので少し緊張する。


「んな緊張すんなってー」


 俺の考えを読んだかのようにバンッ、と背中を強めに叩かれる。痛いというよりびっくりしただけだが昨日は機嫌が悪かっただけなのか今日はそんなに怖い感じがしない。


「ま、どうせ一緒に過ごすんなら仲良くしようぜ。結依ちゃんも前より明るくなったし、これでもそれなりに感謝してるんだわ」


「結依はもともとあんな感じじゃないですか?」


 確かに昔よりちょっと大人しくなっていたこともあるけどだいたいあんな感じというか……結構我が強いしうるさい方な気がする。


「……ま、それならそれでいいけどよ。あ、俺ちょっと髪変えるから」


 吉田さんがパチンと指を鳴らすと一瞬で亜麻色から黒髪に変化する。びっくりしていると、吉田さんはメガネも飾り紐がついていたものから飾りのないシンプルなものに付け替えた。


「どうして髪色を変えたんですか?」


「あー、これ? まあ保険みたいなもん」


 その派手な上着の方を変えたほうがいいんじゃないですか?とは言えなかった。

 歩きながら、第二江東市を出るとつい最近まで俺が過ごしていたはずの東京を久しぶりに目の当たりにする。

 昼間なのでまだ人がそこまで多くはないものの、行き交う人々はあの第二江東市と違ってあまりにも普通の人たちだった。


「それにほら、俺見ての通り色男だから目立たないようにしようと思って」


 じゃあなおさら服の方変えません?

 確かに似合ってはいるがどう考えても目立つのはその服の方な気がする。いや、案外ちょっと変わったファッションで済むのか……?


「ま、どうせ取りに行くついでに色々済ませとけよ。親はいねーのに何すんの?」


「母さんはいませんけど、親父は基本的に帰ってこないとはいえ、たまには戻ってくるから連絡とか書き置きとかしておこうと……」


 道中、吉田さんとは他愛のない会話をした。

 環境変わって寝付けないんじゃないのか、とか。第二江東市についてだとか。高校での結依はどんなだったのかとか。

 結構色々話題を振ってくるし、なんとなく話やすいので識文さんや和泉さんが歳下だというのに頼ったり信頼しているのに納得がいった。


「あの、そういえば気になってたんですけど……」


「ん? なに?」


「結依のお兄さんの……ルフさんってどうしていなくなったんですか?」


 識文さんや和泉さんから聞いた人物像からして悪い人ではないはずだが、結局どうしていなくなったのかはわからない。結依も懐いているようだし、吉田さんは友人のような関係ならなにか知っているんじゃ……。

 しかし吉田さんは俺の考えをすぐに打ち消すように苦笑する。


「にゃははー……それが俺にもわかんね。なんかあったら結依ちゃんを頼むって言われてたけど急にいなくなっちまったからさ」


 どこか悲しそうな声だった。

 ルフさんはどこに消えてしまったんだろうか?

 結依の目的として、今後必ず直面するであろう問題だ。

 吉田さんが知らないとなると、本当に急に消えてしまったみたいだが……。


「あ、つきました。ここです」


 話をしながらいつの間にか久しぶりの自宅についていた。

 第二江東市に行こうと思えば行ける距離だったんだな、と思うと同時にどこかあの世界が現実感がないことのようで不思議だ。


「あんまり荷物とかないんですが――」


 家に入ろうと踏み出そうとして肩を強く掴まれる。

 急に引き止められて一瞬よろけそうになった次の瞬間



 目の前で家が爆発した。



『えええええええええええええええええええ!?』



 吉田さんとハモってしまうくらい予想外の状況と、急に引き止められたせいでその場に尻もちをつく。

 当然爆発音やらで野次馬が集まってくる。

 吉田さんが「やべ」と呟いて俺の襟首をひっつかんでその場から離れる。

 野次馬に乗じて防人衆らしき人物たちが現場に駆けつけてくる。異能か霊術が関わっているのかやたら到着が早い。


「綜真。急いで戻るぞ」

「何が起こったんですか!? なんで爆発したんですか!?」

「多分罠。防人衆が来るの早すぎるから事前にタレコミがあったんだろうな」


 人通りの多い道から外れて急いで第二江東市まで戻る。走りながらのせいで息苦しい。というかなんで逃げているのかよくわかっていない。

「あ、あの! なんでこんな急いで……!」


「防人衆にタレコミってことは俺とお前をあの場に留めておくつもりなんだよ。未申告の異能者2人とかどう考えても真っ先に爆発騒ぎの原因として拘束される。ましてや俺は――」


 もう一つなにかあるらしいが信号待ちで言葉が途切れる。止まって一呼吸つく中、吉田さんの横顔は今までで一番張り詰めていた。


「吉田さん……?」


「おい……俺の前に出るなよ」


 低い声は警戒するようなもの。なにかと思って吉田さんの視線の先を見る。


 真っ赤なフードを被った人物が横断歩道の先に立っていた。

 赤いフード……赤ずきんを連想させるそれはいつの間にか手に斧を手にしていた。

 信号が青へと変わった瞬間、俺の方へ一直線に跳んできた赤ずきんは斧を振りかぶって襲いかかってくる。

 通行人の悲鳴が遠くに聞こえる。咄嗟に異能を使うがそれでも斧を振り下ろすスピードが早い!

 回避しきれないかと思ったが横に引っ張られて異能が解け、斧を回避するが地面が斧によって大きく抉れていた。手斧。大きくはないが十分な重量と鋭利な刃を有している。だとしても威力が尋常ではない。

 通行人たちが突然人を襲った赤ずきんに怯えてその場から逃げていく。

 俺を引っ張ったのは吉田さんで、周囲を見て舌打ちする。


「ねえ、あなたはオオカミ? それとも――」


 赤ずきんはゆらゆらと体を揺らしながらどこかで聞いたことあるようなことを言う。声はあんな物騒なことをしそうにない可愛らしい声だった。


「あたしの敵?」


 言い切る前に斧が横薙ぎに振るわれる。吉田さんが「持つぞ」と呟いてから俺を俵のように持ち上げてその場から逃げる。


獲物(エモノ)が避けるんじゃないわよ!」


 そのまま駆けて距離を詰めてくる赤ずきんにもう一度斬りかかられるかと思ったが次の瞬間、赤ずきんが目を見開く。


 そしてその直後、真っ赤な傘が回転しながら飛んできた。赤ずきんがそれを回避するために後ろに跳んで距離を取る。


 ――赤い傘?



「あらあら。随分と――躾のなっていないワンちゃんたちですこと」



「げっ」


「うわ」


 吉田さんと赤ずきんの嫌そうな声が同時に響いた。なにかと思って一旦降りると見覚えのあるセーラー服。


「誰の許可を得て(わたくし)縄張り(シマ)で暴れているんですの?」


 うわ出た! 赤い傘の少女は先日見たばかりのあの妖怪傘女、鈴木夢子!

 いや、でも今はめちゃくちゃありがたい。


「あ、あの! 助けてくれてありがと――」



「おほほほほほ! 未登録異能者3匹! 全員とっ捕まえれば今宵はお寿司で豪遊ですわ~!」



 あ、俺たちもカウントに入ってるじゃんこれ! ダメだわ。


「綜真、いいか? 目を合わせないように後ろに下がれ」


 クマの対処法じゃないんですよ。


「んー? あら、誰かと思えば吉田じゃありませんか。御髪(おぐし)染めました? 珍しく掃き溜めから出てきたかと思えばなんですの、これ」


 赤ずきんを指差しながら不愉快そうにガンを飛ばす姿にこいつ、怖いもの知らずなのか……?という感情が湧いてくる。ガンッと音を立てて閉じた傘の先を地面に叩きつける様が威嚇しているようだ。

 赤ずきん、吉田さんと俺、そして鈴木夢子の三つ巴となったこの場所は一般人は逃げたのか人の気配が減っている。これだけ騒ぎになれば警察か防人衆がそのうちくるはずだが……。


「ふかーい理由があってさぁ……その……見逃してくれたりとか……しない?」


「はっ。ゴミ捨て場に閉じこもっているならその限りではありませんが、わざわざ表に出てきた以上――」


 鈴木夢子が喋っているとそれを赤ずきんが斧で攻撃を仕掛ける。

 しかし、鈴木夢子はそれを見もせず閉じた傘で受け止めた。


「あなた、私が喋っているというのになんですの?」


 苛立ちと不快感が滲んだ声。吉田さんすら「うわマジかよ……」と赤ずきんの行動にドン引きしているようだ。しかし赤ずきんは吐き捨てるように言う。


「人の獲物を横取りしてんじゃないわよ!」


「はっ、気が変わりました。お前からシメますわ」


 そのまま鈴木夢子と赤ずきんの戦闘になり、好機と見た吉田さんが俺の腕を掴んで走らせる。

「今のうちに戻るぞ!」


「い、いいんですか!?」


「夢ちゃんが負けるような相手だったらむしろここで相手する方が悪手だから! ていうか多分夢ちゃんが勝つ」


 ほぼ断言されたので飲み込んでそのまましばらく走って第二江東市まで戻ってきた。

 あとはアジトへと戻るだけだが――


 アジトへの道に青いエプロンドレスを着た金髪の少女が壁にもたれかかっていた。

 よく見れば腕が折れているようで、脂汗を流しながら息を切らせている。

 状況的に見過ごし難いが……と思っているとエプロンドレスの少女は俺と吉田さんに気づいて「ヒッ」と声をあげる。


「こ、こないで!」


 折れていない腕で何かを上に投げたかと思うと俺と吉田さんの頭上で巨大になったそれは鉄骨だった。

 まともにぶつかれば重さで潰れる。

 しかしさすがにインチキな攻撃に慣れすぎたからか雑に投げられたそれはまだ回避が簡単だった。

 吉田さんは少女を見て怪訝そうな顔をする。


「まさか――」


 その瞬間、アジトの方から大きな音がした。


「結依――」


 また俺の知らないところで結依に何かあったらと思うと勝手に走り出していた。




「ちょ、ちょっと待て! おい、綜真!」



 吉田さんの制止を聞こえないふりしてアジトへと戻るとアジトの塀が粉々になっている。

 それだけならまだいい。その粉々になっている瓦礫の中に鈴檎が倒れていた。

 目を開いたまま動かない彼女を抱き上げようとして、だらりと力がない腕にぞっとし、息をしていないことに気づいて心臓が早鳴った。


 ――なんで鈴檎が死んでいる?


 識文さんや和泉さんは?


 結依はどうなった?


 開いたままの鈴檎の目を閉じてから、壊れた壁からアジトの中へと入る。


「――え?」


 なぜ今まで気づかなかったのかと思うほど、むせるような血の臭い。


 静かすぎて、瓦礫が崩れるような音だけでもやけに響いて気味が悪い。電気もついていないせいで外の光が入りづらい廊下が薄暗い。

 嫌な予感がして靴を履いたまま、荒れ果てたアジトの中を進む。すると、何かが靴先に当たって、足元を見る。


 目の前に落ちている物体が一瞬、何か理解できなくて体も思考も硬直する。


 腕だ。人の腕。引きちぎられた部分は赤黒く染まっており、血で汚れながらも、その上着は結依が着ていたものだとひと目でわかった。


 ――呼吸が乱れる。


 なぜ、なにがあった?

 俺と吉田さんが出ている間にいったい何が起こった?


「結依――」





「あー、おかえり。綜真くん」




 ぞわっと悪寒が入って振り向くと、血まみれの識文さんが微笑んで立っていた。


「識文さん! なにが――」


 あったんですか、と聞こうとして彼が引きずっているものに気づいて絶句する。


 結依だった。乱暴に髪を掴んで引きずっているからか、瓦礫で傷ついており、失われた片腕から血が滴っている。

 それだけではない。


 腹から下がなくなっていた。

 目の前にいるのは識文さんじゃない。そうじゃなければこんな状況は悪夢か何かとしか思えない。


「――――」


 意味がわからなくて絶句していると、いつの間にか胸ぐらを掴まれてリビングの方へと叩きつけられた。



「あは、はははっ! 吹っ飛んだ吹っ飛んだ! かわいいなぁ、かわいいなぁ!」



 楽しそうな声が遠くに聞こえる。はしゃいでいるような声が今の状況では余計に不気味で聞きたくないがやがて聴力が戻ってくる。

 近づいてきた姿をもう一度よく見た。


 それは紛れもなく識文さん本人だった。


 両手を血で真っ赤に染めた識文さんが、まるで興奮しているかのように頬を朱に染めてゆっくり近づいてくる。

 くらくらとする思考はどこか他人事のようで、正確にはそうしないと耐えられないと防衛本能が働いていることをすぐに思い知る。


 識文さんが素手で腹に手を差し込んできた。


「あ、がっ――!?」


「えへ。これ胃かなー? こっちは腸? 結依ちゃんはすぐ死んじゃったから長持ちしてほしいなぁ」


 抜け出そうとわずかな力を振り絞るも圧倒的な力でねじ伏せられる。

 臓物を握られている感覚というより、痛みが警鐘を鳴らし続けていて言葉が出てこない。ただ呻きと悲鳴が漏れるだけだ。


「し、きふみさ……い、あ゛っ」


「あれ? 今何か言ったー?」


 視界の端に映るものに今更気づく。

 それは和泉さんだ。結依と違って形を保っていはいるが、胸が真っ赤に染まっていてピクリとも動かない。

 全滅、している。

 この惨状を作ったのは誰だ?


 ――いや、本当はわかっている。


「ねぇねぇ、もっと喘いでみてよ。それか絶叫でもいいよ? どっちにしろ興奮してくるからさぁ!」


 楽しそうにかき回す手が体の内側を蹂躙する。

 内蔵を抉り出される音が気持ち悪い。痛みはあるし、そのたびに声が壊れた玩具のように漏れる。

 こんなに苦しい状況は初めてだった。今までは自分で死ぬか、殺されるかだったから。

 生きたままこんな風に弄ばれることなんて、想像していなかった。


「かわいいなぁ、かわいいなぁ。やっぱり生きてるモノが楽しいや」


「た、たすけ……」


 助けてください。

 どうか助けてください。

 いっそ殺してください。

 ――ひと思いに殺してください。



 死を乞う中、識文さんが急に吹っ飛んで、視界から消える。

 そしてすぐに吉田さんが俺を覗き込んできた。



「おい! 綜真! しっかりしろ!」


「吉田さ……ん……」


 言う事聞かなくてすいません、という言葉を絞り出す余裕もない。

 焦りながら俺の顔と腹を見て唇を引き結んだかと思うと呼びかけるように声を張り上げる。


「和泉! 結依ちゃん! ああクソッ、なんで識文が暴走するような状況になってんだ……!」


 吉田さんの呼びかけに応える声はない。全員あんな惨状なのだから当然だが、まだ吉田さんはすべてを把握していないのだろう。

 ぎいぎいと識文さんがこちらに戻ってくるような足音だけが木霊する。


「よしださん……おね、がいが……」


「喋んな。和泉以外にも治すアテはあるから――」


「こ、ころしてください……」


 血が体から抜けていくのにまだ死ねないでいる。

 腹はもうぐちゃぐちゃで、声も掠れてきているし、体を起こすこともできなければ痛みで何もできないような状態。


「おれ、はもう……」


「――そうか……」


 吉田さんは俺の願いをどう受け取ったのか、もう顔もちゃんと見れないせいで彼の感情は声でしか推し量れない。どこか悔しそうな声だけがして、霞んだ視界を閉ざす。

 ちゃんと説明、しておくべきだったかもしれない。

 けどこうなってしまった以上、俺ができるのはもう一度やり直すことしかない。


 俺、ループしてやり直せるんだって。




――――――――――





「綜真くん、大丈夫ですか?」


 識文さんの心配そうな声で目が覚めた。


 ハッとして、俺の背中に触る識文さんの手に気がついて、ループ前のことを思い出してぞわりと息を呑む。

 あまりにも無意識に識文さんの手を振り払っていた。


「わ、すいません。驚かせてしまいましたか?」


 申し訳なさそうに言う識文さんはまるでループ前が夢だったのかと思うほどに優しい。

 結依が俺の様子を見て心配そうに顔を覗き込んでくる。


「ねえ、顔色悪いけど大丈夫?」


 言われて気づいたが今の一瞬で冷や汗をかいており、結依からは顔は血の気が引いたように真っ青に見えているようだ。


「体調が悪いなら和泉に診てもらいます?」


「だから……とりあえず僕に任せるなよ。別にいいけどさ……」


 覚えのあるやり取りに愛想笑いを返すこともできない。


 俺の内側には識文さんに対する恐怖が芽生えていた。



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