動き出す非日常
時は少し遡る。
綜真がトイレに行くと席を立ち、少しの間は静かに食事が進むと思われていた。
が、突然識文が立ち上がり、和泉もワンテンポ遅れて立ち上がる。
「遅いです。そっち任せますよ」
「大差ないだろ。ご飯守れよな」
そんな二人のやり取りに結依は首を傾げながらだし巻き卵を取ろうとして箸の先が空を切る。
「あれ?」
空を切ったのはいつの間にか結依が識文に抱えられていたからであり、結依も気づかないうちに食卓は一変していた。
識文に抱えられた結依は混乱していると、識文が知らない誰かの攻撃を受け止めていることに気づいてぎょっとする。
結依は今までアジトに誰かが侵入してきた経験がなく、安全地帯だと思っていたアジトすら安心できないのかと恐怖した。
「まったく、食事中に襲ってくるとか三下ですか?」
切っ先を指先で掴みながら落ち着いた様子で問いかける識文は答えそのものは求めていないというように刃物をへし折ってみせる。
「うーわ、馬鹿力。だけどその程度の力自慢、異能者だったらごまんといるぜ」
折れたナイフを投げ捨てて一笑に付す侵入者。それに対して識文は冷静なまま、食事中には外していた手袋をつけながら言う。
「家主のいぬ間に襲撃とは賢いように見えますが、目の前の相手の実力差を見極められないようじゃやはり三下ですよ」
識文は結依を自分の後ろにしながら、侵入者と対峙する。その余裕ある態度に侵入者は舌打ちしながら別のナイフを取り出した。
「どうぞ。自分が異能を使うほどでもなさそうなので使わせたら褒めてあげます」
――異能【■■■■】
――――――――――
洗面台の水が侵入者に襲いかかる。炎は勢いを弱めるが異能によるものだからか、完全には消えない。
和泉さんは舌打ちしながら指をパチンと鳴らすと襲いかかって散った水が再び寄り集まってくる。
これが和泉さんの異能。水を操るものかと彼の背中を見ながら異能者の戦いを間近で見守る。
傘女のときは異能は使っているのは片方と言っても過言ではなかったので新鮮だった。
和泉さんは派手に動くことはなく、水を操って侵入者を壁際まで追い詰めていく。
「クッソ相性悪いとこに突っ込まされちまったな」
ヤケクソ気味に笑う侵入者が炎を所持している棒にまとわせてくる。熱を持った鉄棒はまるで焼きごてと同じだとすると、当たれば――。
「水遊びで冷やしにくるか?」
どこか嘲るように焼きごてを和泉さんにふるってくる。当然、和泉さんは避けるのだが避けた先に炎を出そうとしたり、異能と直接攻撃の攻防が続く。
その間にも和泉さんが炎を消したり、侵入者に水をけしかけたりしているが決定的な決着には至らない。
「異能頼りの雑魚じゃねぇか――!」
決定的な反撃がないことで勝ちを確信したように炎を更に出現させた侵入者。水で打ち消しても炎の発する熱が肌を焼くようだ。
「時葛くん。異能ってね、内容にもよるけど自分の異能で何ができるのか、どう理解しているかで応用できる範囲が変わるんだ」
和泉さんが冷静に後ろにいる俺に語りかける。
和泉さんはメガネを抑えながら炎をすべて打ち消し、侵入者は再び炎を出そうとする。しかし、侵入者は炎を出す前にふらりとよろめいた。
「ただ水遊びできるだけと思ってるなら浅すぎる。物理的に肉体を傷つけるだけなら一般人にだってできるよ」
「な、なにしやがった……!?」
「君は|今脱水症状を起こしてる」
「――は?」
和泉さんは水を引っ込める。さきほどの炎の影響でこの脱衣所は熱がこもっており、暑く息苦しい。
「異能者だって人間さ。体の水分が足りなくなれば脱水症状を引き起こす。逆の方が一般的だけどこのままだと熱中症も引き起こすかもね」
「だから……! なんで脱水になんか――お、お前まさか……」
「ようやく気づいた?」
ふらつく侵入者は焼きごてを杖にするように床に突く。ジュッという音とともにマットが焼けるような臭いと音もする。
「君の体液を水と認識し、それを体外に少しずつ出しただけさ。一気に汗をかいたようなものだよ」
「それは水じゃねぇだろ……!」
「僕が体液を『水』と認識しているうちは、僕はそれを操れる。異能応用の基本だよ、発火能力者」
舌打ちとともに侵入者を取り押さえようとした和泉さんは俺から少し離れ、侵入者に近づく。
「まあ、やってていい気分じゃないし、加減間違えたら殺しかねないから普段は使わないけど。人の住処に忍び込んできて異能振りかざすようなやつに手加減する道理もないからね」
取り押さえようと手を伸ばした瞬間侵入者は隙を伺うのを待っていたように焼きごてを和泉さんに向ける。
咄嗟の回避によってか、それとも侵入者が既に体調を悪くしたことでしっぽ抜けてしまったのか、焼きごてが後ろの方に飛んでくる。
そして、思わずよけるだけでなく、頭を庇うように腕を顔の近くにやってしまい、その結果、焼きごてが俺の腕に当たる。痛みよりまず熱いという感覚がやってきて、次第に痛みが染みるようにやってくる。
「あっづっ!?」
「うわっ!? ご、ごめん、大丈夫かい?」
和泉さんがちょっと慌てながら俺の方に駆け寄ってきているが、万が一があっては困るのでなんとか患部の痛みや熱をこらえながら和泉さんに向けて首を横に振った。
「大丈夫です……冷やしておくのでさきにそっちを取り押さえてください……」
幸い和泉さんがさっきから洗面台の水を出しっぱなしにしているのでそのまま冷やす。とはいってもかなり肌が焼けるような感じがしたので痕が残るかもしれない。
「わかった。すぐ治すからちょっとだけ我慢してくれ」
そう言ってすぐに和泉さんは布を縄代わりにして侵入者の手首を縛り、燃やされるのを防止するためかバケツに水を溜めてそこに手を突っ込んで置いている。
そこまでする?とちょっと思いつつ、異能者相手だからあれくらい警戒は必要なのだろうかと少し学びを得た。
もうちょっとうまく避けられたら余計な怪我なんてしなかったのだが、まだまだ経験が足りないんだろうな……。自分の行動を省みて憂鬱になる。ループや時間を遅くするだけじゃなくて、ほんの少しでいいから時間を戻せたりできたらいいんだが。
「ごめんね。僕がちゃんと対応できなくて怪我させちゃって」
「いえ……俺も無警戒がすぎたので」
水から手を抜いて診せてくれと手を出す和泉さんに腕を差し出す。
「……ん? 時葛くん、どこにぶつけた……?」
「あれ……?」
《《火傷が消えている》》。
「いや……確かに当たっていたはず……全く痕跡がない……?」
訝しげに腕をくまなく確認する和泉さんはハッとして俺の目をじっと見る。
「君、もしかして……」
何か言いかけて後ろで縛り上げた侵入者を思い出し、和泉さんは首を横に振った。
「ひとまず怪我も問題ないし、戻ろう。こいつらの目的とか警戒することもあるだろうし」
「こいつ《《ら》》?」
まさか結依たちも襲われて……!?
ダイニングに戻ってくると識文さんが誰かを踏みつけながら自分の髪をくしゃくしゃにしていた。何も心配する要素はなかったらしい。踏みつけられた誰かは見るからに気絶しており、顔に殴られた痕があった。
識文さんは恐らく結依の出した縄で誰かを縛り上げており、それを終えるとこちらが戻ってきたことに気づいて縛り上げた相手を一際強く踏んだかと思うと余った縄を和泉さんへと投げる。
「随分と遅かったですね。和泉がしくじりました?」
「違うわ殴るぞ」
開口一番に識文さんが和泉さんを茶化し、和泉さんが半ば食い気味に返答する。逆に仲がいい気がしてきたがやっぱり普通に仲が悪いと思う。
「時葛! 大丈夫だった?」
「綜真だって。俺は大丈夫だよ。そっちは?」
「こっちも識文さんが一瞬で終わらせたから大丈夫」
とりあえず侵入者二人を背中合わせにして改めてきっちり縛り、和泉さんはぼやく。
「色々気になることができた。明日、お前時間空けておいて。あと――」
パチンと指を鳴らした和泉さんに合わせて識文さんが縛り上げた2人を見る。何も見えなかったはずが、和泉さんの指を鳴らしたタイミングで一瞬半透明のレンズのようなものが見える。
「視界共有の術がかけられている」
「……それ、結構レベル高い術ですよね。ロ段でも難易度高いはずじゃ?」
えーっと、ロ段は中級者向け、といっても……ピンキリか。ロ段の中でも格差はあるような口ぶりだ。
「分類はこの際どっちでもいいけど、解除しておかないと余計な情報が漏れる可能性がある。これを送り込んできたのが……忽滑谷響介だった場合……」
「魔眼鑑定で情報が漏れるってことだろ。その辺の解除は任せるわ」
音もなくいつの間にか戻ってきた吉田さんがダイニングに顔を出し、捕獲してある二人を見下ろす。
「ほれ。一応パクってきた拘束具」
そう言って識文さんに何か投げつけると困ったように息を吐いて肩を回す。
「駄目だこりゃ。ちょっと野暮用片付けてくる。俺の飯は残った分冷蔵庫にでも入れといて。多分今夜中には戻れないから」
そう告げてまたダイニングから出て行く吉田さんが一度振り向いて、俺に言う。
「識文と和泉から教わっときな。あと結依ちゃんも一緒に」
それだけ言って吉田さんはまた出ていってしまった。
「飯も食べないで吉田さんは大丈夫なんですかね」
「わりとよくあることだよ。冷蔵庫に入れといたらいつの間にか食べるから」
和泉さんがそう言うと侵入者二人に識文さんが受け取った手錠のようなものをつけ直し、識文さんがかけられているだろう術を解除する。
「なんで自分に押し付けるんですか? 自分だって術解除とか面倒なんですけど?」
「僕よりお前の方がそういうの得意だろ。慣れてるもんな」
「今の嫌味ですか?」
また喧嘩が始まりそうなので術の解除が終わったあたりで割って入る。
「とりあえずご飯食べてしまいましょう? せっかく一旦は解決したんですし」
渋々だが識文さんと和泉さんは一旦落ち着き、そのまま吉田さんを除いた4人で夕飯へと戻っていった。
――――――――――
アジトの面々が食事を再開していた頃。陽も沈みかけた空を背に、赤ずきんがアジトを遠くから見ながらつまらなさそうに言う。
「予想通り尖兵どもはやられたけど。ていうか待機させてたやつらも気づかれて全滅。どうすんの? キョウスケ」
『でしょうね。運がよければあの少年の能力を《《視たかった》》のですが……』
通信越しにキョウスケと呼ばれた男は困ったように呟く。
『厄介な亡霊がついてますね。亡霊というより生霊のようですが』
「なんの話?」
『いえ、気になさらず。亡霊が邪魔で少年の能力を《《視る》》ことができなかっただけなので』
「ふーん。ま、なんでもいいけど尖兵犠牲にしといてあたしたちはまだ待機なわけ?」
赤ずきんはイライラした様子で言うと、キョウスケは駄々をこねる子供をなだめるように優しく諭す。
『堪え性がないですね。心配せずとも機会は与えます。なにせ相手があの3人と、未知数のイレギュラーですから。慎重に動くにこしたことはありません』
すると、その場にもう一人の少女が現れる。
「やぁーほー。アリスがきたよ」
エプロンドレスを着たツインテールの少女。その声に反応した赤ずきんは嫌そうな顔を隠そうともしない。
「あんた、あいつの監視は?」
「ぐっすり寝てるから起きやしないって。それより、きょーすけくんや赤ずきんちゃんとトークしようと思って」
『気持ちは嬉しいですが連絡事項を伝えたら僕は別件があるのでちゃんと監視してくださいね』
少し距離を置くように牽制すると、キョウスケは少女2人に告げる。
『【赤ずきん】、【アリス】、【白雪姫】』
真剣な声に2人は何かを感じ取ってスッと真顔に変わる。
『僕のかわいい成功例たち。頼みましたよ』
キョウスケの言葉に2人は頷くことはない。だが表情が雄弁に物語っていた。
――――――――――
食後、片付けやら、識文さんたちが侵入者たちをどうするかで色々話をしていたので邪魔にならないように使っていいと言われた仮の自室に戻る。
あの時、確かに火傷を負ったはずだった。だが跡形もなくなっていた。
仮説としては美沙杜が何かしたか、俺の異能による影響か。
どちらにせよ、確かめる方法はまた怪我でもしたときだが……。
チラリと部屋を見渡す。ほとんど何もないが、包帯を切るためのハサミが机に置いてある。
――試してみるか?
そんなことを考えているとコンコンとノックが響く。咄嗟にどうぞ、と返事をすると結依が扉を開けた。
「どうした?」
「ちょっと、いい?」
部屋の中に入ってきた結依だが、改めてそう広くはない部屋で二人きりと思うと少し緊張する。
が、ここはあの2人もいる安全圏に近い場所だ。そう敵を警戒することもない。さっきの侵入者のこともあるがあの2人ならすぐに駆けつけてくるはず。
「あのさ……その……」
結依は言いづらそうに口ごもっている。いったいなんだろう、と結依を待っていると、俺の腕を掴んで意を決したように言った。
「やっぱり、何か異能について隠してるよね」
半ば確信があるのか、俺が逃げないように掴む手の力が強まる。
ループのことを話していいのだろうか? 本当に?
何かに失敗してしまえば取り返しがつかないんじゃないか?
だって、ループする能力があるとバレたら、その条件を説明する必要がある。その能力のきっかけについて話す必要がある。結依だけならごまかしもできたかもしれないが優秀な異能者たちに少しでも情報を与えたらどうなるか。
返答に悩んでいたせいで黙り込んでしまうのを見たからか、結依は少し目をそらす。
「……私の都合で時葛をここに閉じ込めるみたいになっちゃったし、時葛だっていきなり知らないところで何もかも話すのは不安だっていうのはわかるもん」
腕から手へと降りてきて、握られた手の温かさにホッとする。
あの時、守れなかった結依が生きている。そのことを実感すると、俺が死んだのは無駄じゃなかったと思えるのだ。
「だから、その、ええっと……いつかでいいから教えて、ね?」
まっすぐ、俺に懇願するように。きっと、嘘をつかれるのが嫌いなはずなのに、俺を信じてくれている。
『その代わり、私に絶対、嘘はつかないで』
あの時助けられなかった君を思うと、素直に伝えてしまいたくなる。
だけど美沙杜のこともある。俺の能力は知られていないからこその切り札にもなる。いつまで切り札でいられるのかもわからないし、明確な条件もはっきりしていない今、知らないということは強みにもなる。
「……約束するよ。そのうち必ず説明する。その、色々整理ができたら」
「うん、じゃあ約束」
指切りを交わし、少し安心したように笑う結依を見て、俺も少し笑う。なんだか小学生時代を思い出してしまった。
「譲歩してもらったし、せっかくだから明日は好きなもの作ってやるよ」
「本当? じゃあ……フレンチトーストって作れたりする?」
おっと、地味に何とも言えないメニューの希望が出た。食パン、確かなかったはずだし。
「食パン、明日買いに行くか買ってきてもらうしかねーかな」
そんな明日の話をしながら少し、結依との距離が近づいた気がした。
――――――――――
翌日。朝食は皆好き好きに食べるとのことで、朝早くに起きた識文さんに声をかける。
昨日結依と話をしたフレンチトーストのために食パンを買いに行きたいのだが、一人で行くのはさすがに憚られるので相談すると、コンビニでよければ散歩がてら一緒に行きますか?と誘われたのだ。
「コンビニあるんですね、ここ……」
「ありますよ。端っこの方ですが、ちゃんと外部から仕入れも届いてますし」
なんか完全に外と隔絶された場所ってわけでもないのでちゃんとチェーン店とかも場所によってはあるらしい。
「識文さん、散歩好きなんですか?」
「ああ、日課なんですよ。さすがに最近はあまり遠くまでふらふらはできませんが――」
玄関を開けて、外に出ようとしたはずが、識文さんは正面を見てぎょっとする。
アジトの目の前に倒れている人がいる。
遠目からでもわかるのは白い髪。そして、気絶しているのか眠っているのかわからないが意識のない様子。
行き倒れの《《少女》》がそこにいた。
「し、識文さん……どうしましょう」
「……たっきーがいないときに困りましたね……」
識文さんは本気で困っているのか、今までになく眉間に皺が寄っている。
一応警戒しているのか、近寄りつつも隙はない。俺も後ろに続くが、周囲に他に人はいなかった。
白髪の少女は一言で言えば儚げな美少女。意識はなさそうだがそれでも醸し出す気配が可憐でか弱いという印象をにじませている。
「……中に入れるのは悩みますが…………うーん…………」
少女を無視するのは心苦しいが、勝手にアジトに知らない人物を入れることに抵抗があるようで、識文さんは頭を抑えて思案している。
俺も昨日今日でアジトに来たばかりの身なので積極的に意見を言える立場でもないし、識文さんの判断を待つが……
「……て……」
ふいに少女がか細い声を出す。
「たす、けて……」
はっきりとではないが、確かに助けを求める声に俺は揺さぶられる。
自分とそう変わらないであろう年頃の少女が助けを求めている。
どちらかといえば喋ったというより、うわ言かのようだったがそれでも、朝からこんなところで倒れているのは何かあったとしか思えない。
「識文さん……助けてあげませんか?」
「……しょうがないですね。わかりました。この件は自分がそう決めたってことにしておいてください。たっきーにはそう説明しますから」
識文さんが少女を抱え上げ、散歩と買い物は一旦断念し、少女を連れてアジトの中へと戻っていった。