一
私は今、オレンジ色の世界にいる。その色はまるでこの錆び付いた門戸に寄り添って咲くマリーゴールドのようで。先週なんとなく買った新作の口紅のようで。私も、コンクリートの地面も、目の前に佇む白塗りの家も、空も、全てが濃いオレンジ色をしていた。そして湿り気を帯びた空気がいつもより濃い夕焼けを連れていこうとしている。
カァ──と私を見下ろす声に促されて一歩、重い足を前に進める。足が地面に擦れて砂混じりの音が耳に入る。他の音は聞こえない。周りには誰もいない。私はこの家を知っている。でも、私の家じゃない。
戻りたくても戻れない。もう手を伸ばせばドアノブに届く所まで来ていた。
「ただいま」
私の口が勝手に言葉を紡ぐ。私の手がゆっくりと扉を開こうとする。
────ガチャリ。
そんな筈はない、だってこの家は空き家だ。私は鍵を持ってはいないし、開けてもいない。どうして。後ろのカラスが私を置き去りにして羽ばたく。
扉の先が見える。
暗い──暗くて、そして、私も暗闇に包まれる。
『おかえりなさい』
◇◇◇
「友達を……助けてほしいんです」
依頼人の女子高生は蚊の鳴くような声で言った。そのか細さは彼女自身の性格か、それとも向かいに座っている少女の人間離れした姿に畏怖の念を抱いているかのどちらかだろう。
「きみはここを交番か何かと勘違いしているの?見ての通り、わたしは華奢でとてもとても誘拐犯に太刀打ちできそうにない。……まぁ、累なら多少はなんとかなるかもしれないけど」
ちらりと僕を一瞥して冷えた水を飲む。おかわりも一緒にご注文いただいた。出会った時から水一択という健康に対する意識が高い。もしかしたら他の飲み物を知らないだけかもしれないから何か買ってきてみよう。
「違うんです!──いえ、違わないんですけど、そうじゃなくて。そうですね、えっと……」
視線を僕らに向けて言い淀む。そういえば自己紹介がまだだった、気がする。なんなら依頼人である彼女の名前すら知らない。
「僕は猫柳 累。彼女は橘花 累」
さらりと名前だけ紹介する。生憎のところ事細かに伝えるつもりはない。もし僕が僕と累のことをどういう人間かと話し始めたら髪の毛と髪の毛が絡まった時くらい複雑で解いて綺麗にまとめるとなったら一日、いや一週間で整えられるかすら分からない。
要は全面真っ白なパズル並に複雑怪奇な間柄だ。
「わ、私は片桐 香澄といいます」
制服姿の彼女は胸元まで伸びた黒髪で見た目は真面目で話し方通り大人しめの印象だが、こんなところに依頼をする時点でまともかは怪しい。
「それで…………お二人は【変わらない家】の話をご存知ですか」
正直言って知らない。おかわりを飲む彼女も興味ないですといった顔だ。
そもそも累には散歩の習慣がないし、普段は寝ていることが多いため外の情報に疎い。そろそろテレビでも買って、人としての生活に触れさせるべきなのではないか──といけない、話が逸れた。
「近所に十数年前から買い手がつかない家があるんです。買い手がつかないこと自体は珍しくないんですが、その家の周りは新しくなったり誰かが住んでいたりしていて。……その家だけがずっと昔から変わらないんです」
累は「それときみの友人が消えたことに何の関係があるの」と表情を変えることなく、淡々と聞いた。
「それだけじゃないんです。この家には『この家が気になるとある日突然いなくなる』っていう噂があるんです。私、瑞希に話しちゃって、この家のこと。だからきっと瑞希は──」
彼女の目から涙が溢れ、一滴二滴とスカートに滴り落ちていく。
嘆息混じりに水を注ぐ。おかわりが早い。確かに、俗に言う都市伝説的なモノのせいでこの子の友人が消えたのであれば、警察に行っても取り合ってもらえはしないだろう。ただ面倒がられて失笑か苦笑されてお終いだ。
「ちなみに、いなくなったのはいつ頃か教えてほしいんだけど」
僕の問いかけに彼女は顔を上げた。
「瑞希が学校に来なくなったのは二週間くらい前です。最初は、風邪を引いたのかなと思っていたんですけど中々来なくて、一週間過ぎても来ないから心配で家に行ったんです。そうしたら、瑞希が家にいなくて。でも瑞希のお母さんに聞いたら変なことを言うんです」
「変なこと?」
「はい。瑞希のお母さん──瑞希ならまだ学校から帰ってきてないだけだって」
個人的には紫陽花が好きです。