言われてみれば当たり前すぎて逆につまらない件
川矢さんは将棋はめちゃくちゃ弱いけど、話す内容はいつも論理的で、彼と話していると思考が整理されて、頭の中がクリアになる感じがする。頭が良いのだ。将棋は弱いけど。川矢さんみたいな人が教師だったら、学校の勉強も多少は面白くなるのかもしれない。
フーダニット、ワイダニット、ハウスダニット。川矢さんはこの三つの考え方を教えてくれた。中でも今回はワイダニット、何故それをしたかが重要になるだろうとも。時間が逆行してるなんて非科学的で突飛な仮説を数日間真剣に考えていた俺がバカみたいだ。まあ実際バカだけど。
そして川矢さんはこうも言っていた。探偵の基本は観察。相手の小さな違和感や変化も見逃さず、つぶさに観察することが重要だと。もしかしたら、髪の毛以外にも何か俺が見逃していたことがあるかもしれない。それでもわからなければ、その時は天音に素直に聞いてみよう。
日曜の夜、ベッドの中で、俺はそう心に決めた。方針がはっきり決まったせいか、その日はいつもよりぐっすり眠ることができた。
!i!i!i!i!i!i!i!i
「いってきま~す」
俺は眠い目を擦りながら玄関を開けた。
このところ前日の疲れが抜けなくてヤバい。月曜日の朝は誰にとっても憂鬱なものだろうが、さらに眠気も相俟って非常にダルすぎる。だが、今日は確かめなければならないことがある。俺は眠気を振り払い、重い瞼をカッと開いて家を出た。
「おはよう、彰斗」
天音は今日も俺を待っていた。まずはもはや日課となった髪の長さの確認だ。土、日と二日間会っていないので、顔を合わせるのは実に三日ぶりとなるが、天音の髪はフロント布の少し上ぐらい。やはりまた短くなっている。川矢さんはあくまで考え方の一例としてノコギリなどで切っている可能性を挙げていたが、毛先は割と綺麗に揃っている。
他に何か変化はないか……?
俺は天音の姿を頭のてっぺんからつま先までじっくりと観察した。
「……な、何? ちょっと……」
と何故か手でスカートを押さえる天音。念のため言っておくが俺はスカートの中までは観察していない。断じて。いやまあ見たいけど。
だが、やはり天音はいつもの天音だ。髪の毛以外に変化は見られない。ギブアップ。俺は率直に天音に尋ねることにした。
「なあ、天音」
「うん?」
「お前の髪、なんか日に日に短くなってないか?」
すると、天音はまた少し頬を赤らめ、髪の毛先に触れながら答えた。
「あ、気付いた? うん、まあ、実はね。最近ちょっとずつ短くしてるんだ、毛先」
「自分で切ってんの?」
「うん。最近急に暑くなってきたでしょ? ちょっと軽くしたくて。でも今こんな状況だし、髪切りに行くのもちょっと怖いじゃん? だからセルフカットしてるんだ」
セルフカット。自分で髪を切って整えることだ。自分でハサミで髪を切っているのなら、それは取りも直さずセルフカットである。昨日川矢さんと話していたときに既に結論は出ていたのだ。
「……なるほど。いや、でも、だったらなんでそんなチマチマ切る必要あるんだ?」
「だって、セルフカットするの初めてだもん。いきなりザックリ切って失敗したくないじゃん。少しずつ切っていくのが失敗しないコツって、ネットの記事にも書いてあったし」
「……はぁぁ、なるほどな……」
目から鱗とはこのことか。言われてみれば至極真っ当な理由である。天音はさらに続ける。
「それにさ、前一気に軽くしたとき、なんか失恋でもしたのかって勘違いした男子にコクられて面倒くさかったのもあるんだよね」
「え? そんなことあったのか」
たしかに天音は男子の中で人気が高い。序盤の人物紹介でルックス的には中の上と表現していたが、実際のところは上の中ぐらいである。さらに器用で何でもできるし、人当たりもいい。モテるのは当然だろう。
天音ははにかみながら言った。
「でもさ、絶対気付かないと思ってたよ、彰人」
「え、なんで?」
「そんなにあたしのこと見てないと思ってた」
「見てるじゃん、毎朝」
「でもいつも眠そうじゃん」
「まあ眠いけど」
実のところ、天音の髪の変化に何故気付けたのかは自分でもよくわからない。思っている以上に天音のことをよく観察していたということだろうか。
天音は優しく微笑んだ。
「ありがとね、気付いてくれて」
「……おう……」
今度は俺が赤面する番だった。不意に天音の手が俺の顔に伸びてくる。と同時に、天音の顔も近付いてきた。
「な、なんだよ……」
天音は俺の髪に触れた。
「彰人の髪も、切ってあげよっか、あたしが」
たしかに、俺も最近理髪店に行ってないからだいぶ髪が伸びてきた。が、天音に切ってもらうのはさすがにちょっと恥ずかしい。俺は照れ隠しも兼ねて答えた。
「やだよ。坊主にされたら困るし」
「坊主になんかしないってば。あ~、もうやる気失せた。いいから早く学校行こ」
拗ねたように頬を膨らませ、歩き始める天音。その少しずつ短くなっている後ろ髪を、そよ風がさらりと揺らした。