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【短編集】癖強め(検索除外作品等)

ポンコツ魔女の惚れ薬が予想外に効果を発揮した件について

「好きだよ、ハナ」


「……え?」



 思わぬことに、わたしは目を見開いた。

 目の前にいる男性は、ずっとずっと密かに想いを寄せてきた魔法騎士、キース様。彼の真っ白な肌がほんのりと紅く染まって、サファイアみたいに綺麗な瞳が熱っぽく潤んでいる。仄かに薫る薔薇の香りは、普段彼が付けている香水とは違う。



(わたしが……わたしの魔法が、効いた…………?)


「ハナ?」



 キース様は、愕然とするわたしの顔をそっと覗き込んだ。太陽の光を直接分け与えられたみたいにキラキラ輝く髪の毛も、めちゃくちゃ高い鼻も、綺麗に弧を描いた桃色の唇も、全部全部浮世離れしている。



(夢? 夢なのかなぁ?)



 自他ともに認めるポンコツ魔女であるわたしの魔法が成功する確立は、限りなく低い。こんなタイミング、こんな形で実を結ぶなんて、とてもじゃないけど信じられない。



「返事を聞かせてくれないの?」



 キース様は低く、少し掠れた声でそんなことを言った。心臓を直撃する甘くて魅惑的な声音に、身体中の血液が沸騰する。このまま死んじゃうんじゃないかって錯覚するぐらい心臓がバクバク鳴り響くし、身体が熱くて堪らなかった。



「わたし……わたしは…………」



 キース様のことが好きだ。もう何か月も前からずっと片思いをしている。この片思いがほんの一瞬でも叶ったら……なんて馬鹿なことを考えて、惚れ薬をこさえるぐらいに、好きだ。

 だけど、効果があるなんて思ってなかった。絶対、絶対失敗するって思っていたから、つい先ほど、めちゃくちゃ軽い気持ちで、出来立てほやほやの惚れ薬をキース様に向かって吹きかけた。その結果がこれだ。正直頭の中がパニくってて、どうしたら良いか、全然分かんない。



「俺はハナが好きだよ」



 キース様はそう言って、わたしの指先にそっと唇を寄せた。チュッて音がすると同時に、身体中の毛穴がぶわって一気に開き、中心に熱が集まる。



「わたしも、キース様が好きです」



 偽りなのに。キース様の本心じゃないって分かっているのに、ズルいわたしはそう言って手を伸ばす。彼の真っ白な騎士装束を掴んで引寄せて、それから必死に顔を上げた。何も知らないキース様は、優しい笑顔を浮かべてわたしを見つめている。涙が一気にこみ上げた。



 そうしてわたしは、キース様の恋人の座を手に入れた。

 ただ、薬の効果っていうのは長続きしない。

 わたしが参考にした著書『誰でも作れる惚れ薬』によれば、惚れ薬の効果が持続するのは24時間。それを過ぎれば、相手は正気を取り戻し、薬を使っていた時に感じていた恋慕も、薬によって吐かされた言葉も忘れてしまう。



(そんなの、嫌)



 魔女って言うのは欲深い生き物だ。初めは一瞬、一時でも良いから、キース様の心が欲しいと思っていたはずのわたしは、気づけば毎日、キース様に惚れ薬を吹き付けていた。

 見習い魔女であるわたしが通う宮殿と、キース様が通う騎士団の詰め所は結構な距離がある。けれどわたしは、足繁くキース様の元に通っては、惚れ薬を使い、彼の笑顔と愛の言葉を独り占めにしていた。



「今日は俺が会いに行くって言ったのに」



 キース様はそう言って、わたしの真っ黒な髪の毛に指を絡ませる。わたしたちの間には拳一つ分の距離すらない。キース様の腕に抱かれて、わたしは夢見心地のまま首を横に振った。



「一秒でも、早く会いたくて」



 だって、前回薬を使って24時間を一秒でも過ぎてしまったら、惚れ薬の効果は消えてしまう。だからわたしは、前日よりも絶対、早い時間にキース様に会う必要があった。



「それは俺も同じだよ」



 キース様はそう言ってわたしの頬を撫でた。大きくてゴツゴツした手のひらが、わたしを宝物みたいに愛でる。鼻先が触れ合って、吐息も重なるほどに近くて、わたしの瞳はキース様の唇に釘付けになってしまう。



「キース様」


「うん」


「好きって言ってください」



 薬を使い始めて今日で五日目。効果のほどを確信したわたしは、そんな大胆なことを口にするに至る。心臓がドキドキ鳴り響いて、顔が真っ赤に染まっていても、キース様はわたしを受け止めてくれる。昼休みを邪魔しても、こんなにズルいことをしている人間であっても、咎めることはない。



「好きだよ、ハナ」



 そう言ってキース様は綺麗に、穏やかに笑ってくれた。だけどその瞬間、わたしの心がズキッと音を立てて痛む。その瞳に映っているのはわたしなのに、わたしのはずなのに、キース様は何だか別の場所を見ている気がした。



「ハナは? 俺のことが好き?」



 キース様はそう言ってわたしの唇をなぞる。



「好きです」



 心臓が飛び出しそうだった。何だか無性に苦しくて、息もまともにできなくなる。



「良かった。同じ気持ちだね」



 そう言って微笑むキース様の顔がわたしには見れなかった。



(ごめんなさい)



 心の中でそっとキース様に謝罪する。わたしの想いは本物だけど、キース様のその気持ちは、わたしが作り上げた偽物だから。そう、ちゃんと分かっているから。

 だって彼には。キース様にはちゃんと――――婚約者がいるのに。



「キース様」


「うん?」


「キス、してくれませんか?」



 この偽りの関係には終わりがある。

 ポンコツ魔女のわたしが、もう一度同じ惚れ薬を作れるとは到底思えない。

 小瓶の中に入っている薬はあと25日分。それだって、一日でも使用し損なったらそこで終わる。だって、正気になったキース様がわたしに近づくことなんて、きっとあり得ないもの。



(だったら、我慢なんてしたら勿体ない)



 わたしはグッと唇を突き出して、そのままギュッて目を瞑る。キース様の吐息が肌を擽って、心臓がザワザワと撫でられる。彼がどんな表情をしているのか、どんなことを思っているのか分からない。



(でも、今だけはわたしのことを好きでいてくれてるのは間違いないから)


「ごめんね」



 けれど、次に彼の唇から紡がれたのは、そんな言葉だった。

 ショックで。頭の中で「ガーーンッ」て音が鳴り響いて、わたしは思わず目を開ける。目の前には困ったように笑うキース様。気を抜いたら涙が零れ落ちそうだったけど、わたしは必死で唇を引き結んだ。



(やっぱり……偽りの恋だから?)



 彼の中では、本心と薬で作り上げられた恋心が戦っているのだろうか。言葉では「好き」と言えても、行動に移すことはできないのかもしれない。そう思うと、胸がズキズキと痛んだ。



「今はこれで許して」



 キース様はそう言って、わたしの頬にそっと触れるだけの口付けをした。嬉しいのに悲しい。そんな複雑な気持ちで、わたしは薬の入った小瓶をギュッと握りしめる。



(薬なんて作らなきゃ良かった)



 一瞬だけ、そんなことを思った。



 翌日はわたしもキース様もお休みだった。見習い魔女のわたしたちには週に二度お休みがある。けれど、騎士であるキース様のお休みは不定期な上に少なくて、こうして二人そろって休日って日は向こう一か月近くない。薬の効果を持続させたくて、思い切ってデートに誘ったわたしを、キース様は優しく受け入れてくれた。



(キスはダメだったのに)



 そう思うけど、休みの日でもキース様に会えることが、わたしは嬉しくて堪らなかった。



「ハナ、お待たせ」



 そう言ってキース様はわたしのことを抱き締めてくれる。それだけでもヤバいのに、私服のキース様を見るのは初めてで、わたしの心臓はお祭り状態だった。



(印象、違う! めちゃくちゃカッコいい!)



 普段の品行方正な着こなしとは違って、キース様は若者らしいラフな服装に身を包んでいる。少し開いた胸元とか、裾の長めの上着とか、ダボっとしたズボンとか、普段のきっちりした騎士装束とのギャップがすごい。でも、それがとっても似合っていて、わたしの瞳は釘付けだ。



「……似合ってる?」



 キース様がそんなことを尋ねるから、わたしはコクコクッて大きく頷いた。



(やっぱり薬を作って良かった)



 昨日と正反対のことを思いながら、わたしはキース様と手を繋ぐ。

 だって、薬が無かったら、こんな風にキース様と手を繋ぐ日なんて訪れなかった。彼の私服姿を見ることなんて、一生叶わなかったに違いない。



「ハナも、すっごく可愛いよ」



 キース様はそう言って穏やかに微笑んでくれた。底知れない幸福感に、心が震えた。



 けれど、幸福な日々はそう長くは続かない。



「キース」



 翌日の昼休み、わたしがキース様に声を掛けようとしたほんの少し前のこと。凛とした美しい声が練武場に響いた。



「姫様」



 キース様はそう言って、恭しく頭を垂れた。

 まるで絵に描いたような神々しい光景。その場にいる誰もが見惚れる美しさだった。

 この王国唯一の後継者、姫君であるマリア様は、騎士たちだけでなく、わたしたち魔女見習いにとっても憧れであり、唯一無二の護るべきお方だ。

 彼女を守り支えるために、わたしたち魔女や魔法使いは城に集められ、魔法を学ぶ。それが国の決まりだった。



「どうしたの? 最近、全然会いに来てくれないじゃない」


「申し訳ございません。不義理を働くつもりは無かったのですが。なぁ、ケン」



 キース様はそう言って、隣の騎士と顔を見合わせる。彼はよくキース様と一緒にいる、ケネスというわたしの同期だ。ワンコみたいな柔らかい髪の毛に、可愛らしい顔をした、弟みたいな男の子で。騎士というより文官向きなタイプだけど、魔力が強かったから騎士見習いとして採用されたらしい。



「寂しかったのよ。あなた達が来てくれないと、お喋りする相手もいないんだもの」



 そう言ってマリア様は、キース様の肩へ手を伸ばした。



(あっ……)



 止めて。キース様に触らないで。

 そう言いかけて、わたしは必死に口を噤んだ。

 マリア様はこの国の姫君で。誰よりもお美しい方で。

 それから――――キース様の婚約者だった。



(止めてって言われるべきはわたしの方だ)



 惚れ薬を使ってキース様の気持ちを操って、マリア様に寂しい思いをさせた。反逆者とみなされてもおかしくない程の、あってはならない行為。

 恋してはいけない人だった。そうと分かっていたのに、いつの間にかどうしようもない位、キース様が好きになっていた。



(だって、わたしを――――わたしの魔法を認めてくれたのは、キース様だけだったから)



***


 わたしの母親は、とても優秀な魔女だった。

 今は引退した先代国王に仕え、戦火から国を守った英雄で。だからこそ、その娘であるわたしには多大な期待が寄せられていた。

 けれど、蓋を開けてみれば、わたしは簡単な魔法すらまともに発動させることのできないポンコツで。周囲の落胆ぶりは火を見るより明らかだった。



(実家では自分を『落ちこぼれ』だなんて思うことなかったのにな)



 母は小さな魔法でも、成功するたびに手を叩いて褒めてくれたし、今みたいに上手く魔法が発動しない、なんてことは無かった。息を吸うみたいに自然に、魔法を奏でられていた。

 そんなわたしがキース様と出会ったのは、皆と行った実習先でのこと。そこでもわたしは、指導役の魔女が命じたとおりの魔法を出すことが出来なくて。一人で居残り演習をしていた。



「何をしているの?」



 そんなわたしに声を掛けてきたのがキース様だった。

 一人じゃ危ないからって、キース様はわたしの側にいてくれた。事情を話すのは恥ずかしいし勇気が必要だったけれど、キース様は優しく受け止めてくれた。

 正直言ってこの時期、わたしは魔法が好きじゃ無くなっていた。楽しくないし、寧ろ苦痛で。だけど背を向けるのも嫌で、一人泣きながら練習していたんだけど。



「ハナは偉いね」



 キース様は、そんなわたしを丸ごと受け止めてくれた。同じ見習い魔女たちに同じことを言ってたら、きっと顰蹙を買っていただろう。けれど、キース様はわたしの気持ちを否定しなかった。それどころか、「俺は君の魔法が好きだよ」って言ってくれて、わたしは涙が止まらなかった。

 その日からわたしは、キース様のことが好きだった。

 ずっとずっと、好きだった。



***


(もうすぐ、24時間)



 少し離れた所で、キース様とマリア様が微笑み合っている。あと数分で、キース様はまた、わたしの手の届かない人になってしまう。

 手の中にある惚れ薬の入った小瓶をギュッと握りしめ、わたしは眉間に皺を寄せた。あんなにも完璧な二人の側に近づけるほど、わたしの精神は図太くない。けれど、今頑張らなければ、わたしはこの恋を永遠に失ってしまう。



(薬の効果が切れた瞬間、キース様はどんな風に思うだろう?)



 頭の中を占めていた『わたし』への気持ちが無くなって、我に返って―――マリア様にどんな言葉を捧げるのだろう。抱き締めるだろうか。わたしには許してくれなかった口付けをして、愛していると囁くのかもしれない。



(いやだ、そんなの見たくない)


「ハナ?」



 そう思ったその時、頭上でキース様の声が響いた。



「あっ……キース様」


「来てくれてたんだね。ちっとも気づかなかったよ」



 そう言ってキース様はニコリと微笑む。傍らにはマリア様と、ケネスがいて、わたしの心臓はドクンと疼いた。



(そうだ……惚れ薬)



 わたしの作った薬は、肌に直接吹き付けることで効果を発揮する。

 シュッ。

 キース様の無防備な手首に惚れ薬を吹き付けながら、わたしは心の中で大きなため息を吐いた。止めようと――――潮時だと思ったのに、またわたしは、好きな人に偽りの感情を植え付けてしまった。



(最悪だ)



 気を抜いたら涙が流れ落ちそうだった。



「まぁ、この子が『ハナ』様なの?」



 そう口にしたのはマリア様だった。

 とびきり美しい瞳を輝かせ、わたしのことを優しく見つめてくれる。なけなしの良心がズキズキ痛んだ。



(わたしは、あなたの婚約者を奪おうとしているのに)



 マリア様はわたしの汚い心なんて、思惑なんて絶対知らない。けれど、こんな風に笑顔を向けられる何てこと、絶対にあってはならない。



「そうです。可愛いでしょう?」



 キース様はそう言ってわたしの肩をそっと抱いた。



(ダメだよ、マリア様の前なのに)



 キース様は惚れ薬に操られているだけ。けれど、この場でそれを知っているのはわたしだけだ。



(顔が上げられない)



 マリア様の顔も、キース様の顔も見ることが出来なかった。

 ついこの間まで、ひたすら嬉しかった。楽しかった。こんな幸せがずっと続くと良いなぁって、そう思っていた。

 けれど今、わたしの胸は後悔で一杯だった。さっき向けられたマリア様の笑顔が、何度も何度も頭に過って、その度に絶望感で苦しくなる。



(被害者ぶるな、バカ)



 苦しいのはマリア様だ。わたしはあくまで加害者で、わたしが苦しいなんて言っちゃいけない。自分の欲を優先したからには、最後までエゴイストでいなければならない。

 頭上では、まだ会話が続いていたけど、わたしにはキース様たちが話している内容が一つも聞こえなかった。



 そうしてわたしが惚れ薬を最初に使ってから、30日が経った。

 小瓶の中に残っている最後の一吹き。これを吹きかけてから24時間後、キース様のわたしへの恋心は失われる。

 結局最後まで、キース様はわたしにキスしてくれなかった。

 好きだよ、って言ってくれるのに。可愛いって言ってくれるのに。それだけはどうしても許してくれなかった。



「ハナ」



 今日もキラキラした微笑みを浮かべて、キース様がわたしを出迎えてくれる。胸を蝕む罪悪感と、どうしようもない幸福感。小さく笑いながら、わたしはキース様の元へ駆け寄った。



「キース様にお願いがあります」



 彼にバレないよう、そっと惚れ薬の最後の一吹きを吹き付けながら、わたしはそう口にした。キース様は「なに?」って首を傾げながら、わたしのことを見つめている。優しい笑顔に胸が苦しくなって、わたしは首を横に振った。



「明日のお休み、わたしと一緒に過ごしてもらえませんか?」



 この30日間、彼と会わない日は無かった。だって、会わなかったら薬が切れちゃう。だから、わたしがお休みの日も、キース様がお休みの日も、何だかんだ理由を付けて会う様にしていたのだけど。



「良いよ」



 キース様はそう言って、わたしと手を繋いだ。温かい手のひら。涙が溢れそうになるのを必死で堪える。



「楽しみにしてる」



 彼の言葉を聞きながら、わたしはコクリと頷いた。



 次の日。初めてのデートとは全く違う心持で、わたしは待ち合わせ場所に立っていた。死刑宣告を待つ囚人みたいな、そんな気分。待ち合わせの時間とキース様の薬の効果が切れる時間はピッタリ合うように設定した。



(わたしはきちんと、罰を受けなければならない)



 魔法で大好きな人を苦しめた。彼だけじゃなく、彼の大切な人まで苦しめた。その報いをきちんと受けなければならない。だからわたしは、今日この日をキース様と一緒に迎えるって決めていた。

 ゴーン、ゴーンと鐘の音が鳴る。キース様に掛けた魔法が溶ける合図だ。



「ハナ」



 その時、少し離れた場所でキース様がわたしの名前を呼んだ。距離にしてほんの数歩。けれど、わたしにとっては物凄く長い距離に感じられた。

 一歩、また一歩とキース様が近づいてくる。わたしは決死の覚悟で目を見開き、キース様を見つめた。心臓がバクバクと鳴り響き、瞳いっぱいに涙が溜まる。



(ごめんなさい! ごめんなさいっ!)



 キース様の眉間には皺が刻まれていて、口はへの字に曲がっている。きっとめちゃくちゃ呆れている。ううん、物凄く怒っているに違いない。

 顔を背けたくなる衝動を、わたしは必死で堪えた。そうしたところで、わたしの罪が軽くなるわけじゃないけれど。



「君って子は」



 見上げなければならないほどの至近距離にキース様は立っていた。彼の右手がわたしに伸びる。



(ぶたれる)



 頬を差し出すように突き出し、必死に歯を喰いしばる。

 けれど、頬を叩く代わりに、キース様はわたしを優しく抱き締めた。



「…………えっ?」



 思わぬことにわたしは素っ頓狂な声を上げる。

 昨日薬を使ってから、間違いなく24時間が経過している。絶対に勘違いってことは無い。それなのに。



「どうして?」



 思わずわたしはそう呟いた。

 さっきとは違う意味で心臓がバクバク鳴っていた。周りの雑音は何にも聴こえなくて、キース様しか見えなくて、混乱で頭がまともに働かない。



「一か月間、長かったなぁ。ここまで我慢した俺を褒めてほしいぐらい」


「あっ……! その、ごめんなさい」



 その時になってわたしは、紳士だから女性に手を上げられないのだと気づいた。手を挙げる代わりに、わたしを目に入れないよう、こうして抱き締めているんだろう。



「わたし、自分の魔法は成功しないからって。ものすごく軽い気持ちでこんなことを……キース様に惚れ薬を使ってしまって――――」


「本当だよ」



 じわっと涙が込み上げた。

 今日までずっと、何度も何度も、ありとあらゆる言葉で詰られる自分を想像してきたというのに。わたしに涙を流す資格なんて無いって分かっているのに。心が苦しくて堪らなかった。



「おかげで、一世一代の告白なのに、偽物だって勘違いされた」


「……え?」



 キース様はわたしをギュッて抱き締めなおしながら、スリスリと頬擦りをする。



(一世一代の、告白?)



 首を傾げるわたしに、キース様はめちゃくちゃ長くて深いため息を吐いた。



「めちゃくちゃ勇気だしたんだよ? ハナに『好き』って言うの」



 キース様はそう言って、わたしの顔を真っ直ぐに覗き込んだ。真っ赤に染まった頬。惚れ薬を最初に吹きかけた時よりも潤んだ瞳に、わたしの胸が震えた。



「そ、んな。まさか、そんな……」


(わたしはまた、失敗していた?)



 わたしが惚れ薬を吹きかけたその時、キース様が「好きだ」と言ってくれた。けれど、それは本当に偶然の出来事で、実はいつものように魔法が発動しなかったとしたら。



(うそ……)



 想像だにしなかった真実に、心臓が変な音を立てる。普段なら自分のポンコツっぷりを嘆くけど、今はそんな余裕すら存在しない。



「おまけに、ハナが『薬の効果だ』って勘違いしてるのに気づくまで、結構時間かかっちゃったし」



 最悪、って小さく口にしながら、キース様は子どもみたいに唇を尖らせた。



「本当に? キース様がわたしを……?」


「さっきからそう言ってるんだけど」



 キース様はゴツンとわたしに額をぶつけた。衝撃のあまり、わたしは目を見開き、キース様から顔を背けようとする。けれどキース様はわたしの両頬をガシッとホールドした。



(嘘……そんな、キース様がわたしのことを好きだなんて…………!)



 そんな、自分に都合のいいことが起きるはずがない。だからこそわたしは、惚れ薬なんて都合の良いものを作ったのだ。自然に偶然に、そんな奇跡みたいなことが起きるなんて信じられない。



「本当に、ほんっとーーに効いてなかったんですか?」


「本当だって。普段なら自分の魔法の方を疑う癖に。タイミングが悪すぎる」



 キース様はそう言ってわたしの頬をグニグニと引っ張った。ヒリヒリとした痛みがわたしを襲う。だけどそれは、わたしが覚悟していたものよりもずっと甘くて、優しくて。さっきまで瞳でスタンバってた涙と違う種類の涙が一気に込み上げてくる。



「だって……だって…………! キース様にはマリア様がいるじゃないですか! 婚約者がいる人から告白を受けるなんてミラクル、誰も信じませんよっ」


「俺や姫様が婚約を公言したことは無い。周りの誰かが吹聴して回ったデマが、そのまま広がっただけだ。第一、姫様には別に想い人がいるんだぞ?」


「うそっ! わたしに都合よく話が進みすぎです! そんなっ……そんなことって…………!」



 ポロポロと流れる涙を、キース様が唇で拭った。彼の唇がわたしに触れるのはキスを最初に強請ったあの日以来で。心臓が変な音を立てて鳴り響いた。



「どうして教えてくれなかったんですか? 途中で教えてくれたって良かったじゃないですか!」


「こっちは一世一代の告白を偽物扱いされたんだ。このぐらいの仕返ししても、罰は当たらないと思ったんだよ」



 キース様はそう言って、意地の悪い笑みを浮かべた。そんなところまで全部、全部好きすぎて、涙が止め処なく流れる。

 これが馬鹿なわたしへの罰だって言うなら甘すぎだ。本当だったら『ざまぁ見ろ』ってどん底に突き落とされて然るべきなのに、神様は随分寛容らしい。



「ハナ」


「……はい」


「ハーーーーナ」


「…………はい」



 めちゃくちゃ抱き付きたくなる魅惑的な、けれど意地の悪い表情で、キース様は二度、わたしを呼んだ。盛大な焦らしっぷりに悶々としながら、わたしの身体が熱くなる。

 抱き締めたい。抱き締めてほしい。

 好きって言いたい。好きって言って欲しい。

 この一か月間、薬の効果があるからと好き放題やって来たツケが、ここに来て一気に押し寄せてしまった。シラフのまま、これまでみたいに「好き」って言うの、物凄く恥ずかしい。「好きって言って」とか、「抱き締めて欲しい」なんてもっと言えない。



「……今なら、あの日の願いを叶えてあげるのにな」


「……っ!」



 キース様はそんなことを言って笑った。

 あの日の願いってのは間違いなく『キスして』っていう、わたしのおねだりのことだ。これだけは、どんなにお願いしても叶えてもらえなかったから。



「言って、ハナ」



 キース様はそう言って幸せそうに笑った。それがあまりにも嬉しくて、わたしまで一緒に笑ってしまう。



「キース――――」



 結局、わたしの言葉は最後まで続くことなく、キース様に奪われた。夢にまで見た彼とのキスは、想像していたより、ずっとずっと甘かった。きっと、『惚れ薬のせい』って思いながらするキスの100倍甘くて、嬉しくて、幸せだ。



(キース様はわたしのことを想っている)



 触れ合った熱い肌が、優しい瞳が、彼の全部がわたしにそう伝えてくる。キース様は、わたしがちゃんと彼の想いを実感できる日を――――今日という日をずっと、待ってくれていたのだと分かった。



「好きだよ、ハナ」



 まるで一番初めに巻き戻ったみたいに、キース様は同じ言葉を口にする。けれどわたしの心は、あの頃よりもずっとずっと、幸せで満ち溢れていた。



「わたしも、キース様が好きですっ!」



 そう叫びながら、ポンコツ魔女は空っぽになった惚れ薬の小瓶をポイっと投げ捨てるのでした。

 この度は本作を読んでいただき、ありがとうございました。


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 どうぞよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とにかくハナが可愛いかったです。
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