その舞台の裏
「一週間、私の侍女になってください」
それが婚約解消の条件だと公爵令嬢ヴィヴィアンナは皇太子である私にそう言った。もっと無理難題を言われるかと思っていたので、二つ返事でその条件をのんだ。
魔法で変えられた私の姿は黒髪のおさげに大きな眼鏡。一言で言うと地味だ。声を出すと魔法が解けてしまうため、口のきけない侍女としてヴィヴィアンナに仕えることになった。
ヴィヴィアンナの侍女はいつも一週間足らずでやめてしまう。傲慢で我がままな性格らしく、身近な侍女はいつも被害にあうらしい。きっと一週間かけて私をなぶり、いびりたおす気なのだろうが、一方的に婚約破棄を申し入れるような不義理をしたのは私だ。贖罪だと思って真摯に勤めて見せよう。
冷たい水がばしゃっとかけられる。
「さっさとどきなさいよ!下賤な女が」
水の冷たさよりも言葉の方がよりひどく体を冷やす。桃色の髪、可憐な顔。どれも私の好きな彼女なのに、その表情は恐ろしいほど醜悪で……。
「ララさん。私の侍女に無礼は許しませんよ。ちゃんと謝ってください」
「なによ。その女が私の手を掴むから悪いんでしょ。まったく主人がろくでもないとその下につく女も質が悪くなるのね」
「私の侍女があなたの手を掴んだのは、あなたが男性と……はしたない真似をなさろうとするからです」
「なんで侍女ごときに私のすることにとやかく言われなくちゃいけないのよ!」
ララは鋭い目つきで睨む。するとヴィヴィアンナが見つめ返した。
「ララさん。私の侍女をいじめないでくださいな。リリーとジュマみたいに」
とたん、ララは鼻で笑う。
「私は知らないわあ。それにあなたの侍女が頻繁に替わるのは傲慢な公爵令嬢ヴィヴィアンナさまにケガを負わせられるからでしょ?学校中の噂よ?」
「ええ、そうですね。私の侍女はいつも生傷が耐えません。毒虫を仕込まれたクッションや、劇薬がしみこまれされたクロス、いたるところに危険なものがありますもの」
「あら怖い。よっぽど憎まれてるのね。今度の侍女は長く続くと良いわね」
「そう願います」
きっぱりとヴィヴィアンナが言うとララがくすくすと意地の悪い笑みを浮かべた。
「可哀そうだけどそれは無理かもしれないわよ。あなた、学園を追い出されて修道院に入れられるんですもの。院長にお願いしたら快く引き受けてくださったわ。悪に染まった性根を叩き直してくださるんですって」
「出任せをおっしゃらないで。公爵令嬢を院長の一存で修道女にすることはできませんよ」
「なら皇太子殿下にお願いするわ。極悪非道の婚約者のことで悩んでおられたから、私がご提案するの。皇太子殿下は私の言うことならなんでもきいてくれるし、信じてくれるのよ。あなたと違ってね」
おかしそうに笑うララ。
沈黙するヴィヴィアンナ。
たしかに、先日までの私なら迷わずララの言葉を信じてヴィヴィアンナに修道院行きを命じていただろう。盲目的にララに焦がれていたから。
でも今は違う。
「いや、修道院に行くのはお前だ。ララ」
声が響く。
一陣風が吹き、体を覆っていた魔法がほどけていく。
「アル……デルトさま……?」
侍女の姿はなくなり、皇太子の姿が現れる。
驚愕したララを冷ややかな目がとらえる。
「君が水をかけた侍女は私なんだよ。ヴィヴィアンナの傍にいたくてお願いしていたんだけど、まさか君がヴィヴィアンナの侍女にひどいことをしているなんてね」
「な……あ……。ご、誤解ですわ。さっきのはほんの戯れで……!そうそう、ヴィヴィアンナ様にやれと言われていたんですの。本当は嫌だったのに無理やりっ……」
ララは涙声になり、瞳をうるませて僕の元へかける。
僕の胸に飛びつく彼女を優しく抱き留め、ほほ笑みかけてやる。
「アルベルトさま……」
とろけるような甘い声がララからこぼれる。
僕が愛した甘い声だ。
「そんな声でねだられたら免疫のない貴族の子弟はすぐに引っかかっただろうね。毎日毎日、場所もわきまえず腰を振る君を何度目にしたと思う?ご丁寧にヴィヴィアンナの中傷を添えて」
ララの表情が青ざめる。まさか見られているなんて思ってなかったんだろう。
「でも僕は彼らも、君も責められない。なぜって君のような毒婦を信じてヴィヴィアンナを追い込んでしまったからね」
アルベルトが侍女になってまっさきに驚いたのは、ヴィヴィアンナがなんでもできるということだ。湯を沸かして紅茶を入れる。繕い物をする。侍女がする雑用をひととおりヴィヴィアンナはできるのだ。
つまり、そうせざるを得なかったのだろう。
大切な侍女を傷つけさせないために。
長い手袋で隠しているが、ヴィヴィアンナの手には無数の傷跡がある。
気づいてやれなくてごめん。
気づかなくてごめん。
一生かけて償うから。
アルベルトは近衛兵を呼んでララを牢に収監した。尋問官をつけたので明日には悪事をすべて吐くだろう。
「ヴィヴィアンナ。僕のことを見限ってくれてかまわない。こんな人を見る目がない男は玉座にふさわしくないし、君に釣り合わない。でも、どうか君を守らせてくれ。侍従でも下男でも、なんなら奴隷でもいい。君のそばに僕を置いてくれ」
私がそう言うと、ヴィヴィンナは首を小さく振った。
「あなたに気付いていただけただけで、わたくしは満足です。過ちを認められるあなたは立派な皇帝になるでしょう。どうか、良き伴侶に出会われますよう」
「……君が望むなら」
私が答えるとヴィヴィアンナは嬉しそうに笑う。
「でもヴィヴィアンナ。僕は君に償いたい。何かできることはないかな?」
「そうですねえ。では、私を庶民に落としてください。もともと宮廷の暮らしが窮屈で苦手でしたもの。それに私、パンを焼くのが得意なんです。小さな店と工房をいただければ、そこで毎日パンを焼いて楽しく過ごせますわ」
朗らかに笑うヴィヴィアンナは公爵令嬢ではなく、まるでただの少女の顔だった。
胸の痛みをこらえ、アルベルトは引き受ける。
「わかったよ。君に小さな店を工房とセットでプレゼントしよう」
答えるとヴィヴィアンナはやったあと子供のようにはしゃいだ。
皇太子のアルベルトと庶民に落ちたヴィヴィアンナはもう出会うことはない。だが、アルベルトはヴィヴィアンナの住むこの国を良くしようと日夜努力する。
── 僕の生涯を君の生きるこの国に捧ぐ。