廃駅は静まり返る
一瞬で目の前が真っ暗になった。いや、薄暗いとはいえ一応昼間の世界から突然夜中の場所に出たからそう感じたってだけなんだけど。
私の右手にはなぜか「昼間」では持っていなかったはずの提灯があった。灯りは消えていたけど、落とさなくてよかった。
私は廃駅を背中にして階段の前に立っていた。階段を降り切った位置だ。そして少し前方にたくさんの人の気配がする。村のみんなはここまで廃駅に、――異界に近寄れなかったんだろうな。神様は誰よりも廃駅に近い特等席に私を案内してくれたわけだ。
……お見送り、しないとね。
意を決して振り向いたそこに、私が突撃しちゃう前と変わらない場所に神様がいて私を見ていた。その目はとても穏やかで、どこか懐かしい。お狐面を頭にくっつけて、子供の頃の私自身の姿をしているのに神々しいのが不思議だった。
目が合う。にこーと笑顔を向けられる。すると――
ふと、神様の後ろにあるお神輿がシュッ! と宙に浮かんだ。そして少しずつ後退していき、線路の真上に静止する。そこが正しい居場所だと言いたげに揺れもしない。
ついさっきまで乗っていた神様が輝いていたからこそほんのり明るく見えていたはずのお神輿の中だけじゃなく、木の屋根も持ち手も全てが明るく光っている。むしろ明るすぎて目に悪そうな輝きに、さっきまで感じていた神々しさとかお別れのせつない気持ちがどこかに消えた。考えがまとまらない私と違ってエネルギー満タン、準備完了、みたいな力強さをお神輿から感じる。
ねえ……もしかして、いやもしかしなくても、この廃駅から神様が乗っていくのって電車じゃなくてお神輿なの……?
後ろがざわついているのが聞こえてくる。私もだけど、大人たちもあのお神輿の移動は人力オンリーだと信じて疑わなかったらしい。神様パワーか何かで揺れ一つなく浮かんでいるのは確かにすごいし人の想像を越えてはいる。神様のための乗り物といえば電車よりお神輿なのも理解できるし、廃駅なので電車はないしそもそも線路も錆びているはず。うん、ここまではいいと思う。
でもあのお神輿、何かの力があまりに強すぎて光っているというレベルじゃなく、今は黄金色に輝いちゃってる。大昔のすごい成り上がりが作らせたっていう金色の茶室みたいな輝きが、廃駅や村人たちを照らし――いや照らすなんて優しい言い方ができないくらい眩しすぎて、みんな手を翳して目をそらしている。正直に言うと私もお見送りどころじゃない。目が開かない。感動的なお別れになるもんだと思っていたのに、なんだろう、サイケデリック? なライブステージを前にした観客の気分。行ったことはなくてそんな映像を見たことがあるだけなんだけど、多分あれくらい眩しい!!
「あはははははーーーー!!!!」
そしてなぜだかとてもご機嫌な神様! そういえば神様はあの眩しさをそのまま見なくていいんだ! ずるい!
「いやあみんながたくさん貢ぎ物をくれたからすっごく力が漲るよ! また遊びにくるからその時もおまけしてね!」
じゃあまたね! と神様が叫んだ瞬間に、これまでで一番眩しくなって――――それから真っ暗になった。たっぷり十秒はみんな静かで、きっと今の光には誰も目を開けていられなかったんだと思う。
そしてようやくちょっと誰かが動くような気配がし始めて、それから私がやっと目を開けたときにはもう神様はいなかった。
明るいのは廃駅の灯りだけで、お神輿はただの木でできた置物になっていて、光ることもなく駅のホームに残されていた。
……結局、乗り物に乗って帰るわけじゃなかったんだね……。
とりあえずそれだけはわかった。……それ以外のことはもう、帰ってから考えてもいいかな。
突然村人たちの最前列に現れた私にびっくりしているお父さんたちを見て、とりあえずそういうことにした。
あれからなんとかそれぞれが持っていた提灯の灯りをつけ直して、廃駅の灯りは全部消して、多分、何もないまま家に帰って寝た。覚えてはいないんだけど、そうだと思う。
朝になるとお父さんはお祭りの後片付けに出かけていて、お母さんだけが家にいた。一人暮らしのお姉ちゃんは今年のお祭りには予定があって珍しくこの実家に帰ってきていなくて、そして私にやっぱり妹はいなかった。
私はお母さんに、昨日のお祭りを「妹」と過ごした話をした。
「山本のじい様もね、あなたと同じようにいないはずの家族とお祭りを過ごしたことがあるそうよ。小さい頃に死んだ弟さんそのままだったって、とても楽しい思い出なんだってよくお酒の場で言ってるそうよ」
私が妹と二人でお祭りに行くと言ったとき、お母さんはそれを疑問に思わなかったんだと言った。夜になってふとおかしいと気が付いたお母さんは、じい様にすぐ話しに行ったんだって。
「じい様は大喜びしていたの。ずっと神様に、弟の明るい笑顔をまた見せてくれたお礼を伝えたかったんだって。残念ながらそれは出来なかったみたいだけど」
「そういうことがあったんだね。だったら私が神様を独り占めしちゃって怒ってるかなぁ」
「でも昨日のじい様はなんだか満足そうだったから大丈夫だと思うわ」
うふふ、なんてお母さんが笑っているなら、多分大丈夫なのかな。あとでじい様が神様とどんな風に過ごしたのか聞いてみようかな。私はずっと本当の妹だと思っていたけど、じい様はどうだったんだろう。なんて思っていたら、お母さんは容赦なく言葉を続けた。
「神様がわざわざ一緒にいたくらいだから、ちいちゃんに何か伝えたいことがあったんだろうって言うのよ。何か言ってなかったかしら? 例えば、ちいちゃんの未来のお仕事のお話とか、村のみんなで始めたネット配信? とかいう動きが当たるかどうかとか、または村に危険が迫っているとか……。そんなお告げみたいなもの、なかった?」
……言えないよね。幼なじみに素直になれなんて言われた話なんか。お告げだって神様にはっきり言われちゃったけど、これは隠しちゃダメかな……。
そのあとじい様に話を聞いてみたら、じい様も神様に恋愛のアドバイスをされていた。なんなの神様って人の恋愛話が好きなの?
しかも話の流れで私も言われたってバレた。じい様が満面の笑顔で「孫はいい男じゃぞ~」なんておすすめしてきたけど、それはもう知ってるから!
「お前、神様と会ったのか?」
何もかも普通に戻った廃駅の掃除をしていた時、何も知らないかずきに声をかけられた。もうかずきの掃除は全部終わったらしい。
あれだけあったお供え物はきれいさっぱりなくなっていて、器を片付けたら軽く掃き掃除をするだけの簡単なお仕事だ。提灯は昨日、みんなで帰るときに外して持っていったので今はもうないし、目を焼くような眩しいものも、階段を降りたら暗闇なんてこともなくすぐ帰れる。ここに神様はもういなかった。
「会ったよ。かわいかった」
「マジか~俺も神様見たかったな」
昨日の昼間に会ったお神輿のおじちゃんたちも、イカ焼きをまけてくれたおじちゃんも、わたあめを大きくしてくれたおばちゃんも、金魚すくいのお兄ちゃんも、誰も、私と一緒にいた「妹」を覚えていなかった。神様が言っていた「呪い」の効果なのかもしれない。かずきも、今思うと「妹」が一緒にいたこと自体、気が付いていなかったんじゃないかと思う。
「それよこせ」
「え?」
廃駅から歩きだしてすぐにかずきが声をかけてきた。どうやら私が持った、お供え物を載せていた器のことらしい。
「持てるよ? 重たくないし」
「いいんだよ。ほら、お前昨日は隣にいたのが突然廃駅の真ん前にいただろ。また変なところに行かれちゃ困るからちゃんと歩け」
「うわっ」
強引に器を持っていかれた。あれは本当に不思議なことがあったってだけで、もうそんなことは起きないのになんなんだ。
「……急に消えたから、本当に神隠しだと思ったんだぞ」
バカかずき、そんなわけないでしょ――と言おうと思ったけど、そう言われればあれは一瞬だけの神隠しだったのかもしれないと思い直した。人の世界じゃない、神様の世界に行ったのは確かだから。
それに、それに……わざわざあの子が私に伝えてくれたんだから、それを無駄にしちゃだめだよね。
急に風が吹いて、さっさと帰れと言わんばかりに私たち二人の背中を押してきた。緑の葉っぱたちがほんの僅かな日光を次々に反射して光って、また元の暗さに戻った。
――私はいつでも……じゃないけど、結構村に来てるから、もしかしたらわかるかもよ――
もしかして、いるのかな。いるといいな。
「……もういきなり消えたりしないから大丈夫だよ」
「本当にやめろよ」
「ほんとうほんとう」
「なんか軽くないか……?」
振り返らずに私たちは村に帰っていく。なんとなく、後ろにお狐面を被った誰かの視線を感じるような気もしながら。