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  砂漠の澱と篝火の光⑦


 静かな闇の中を、光が揺れる。


 古びたカンテラをカチャカチャと鳴かせながら先頭を走るアルヴァの背を、ルカとカレンとフィオナが必死で追いかける。アルヴァは随分と加減して走ってくれているというのに、ルカたちは砂に足を取られないようにしながら引き離されないようにするので精いっぱいだった。

 そんな彼らをチラチラと見上げながら、イグニアがルカと手を繋いで彼を引っ張るように走っている。少しでも明るさを保てるように、と気を使ってくれているのだろう。その小さな口を薄く開いて、彼女は竜の姿の時にしていたように火を咥えてくれている。


 必死で走る三人の後ろにも火は灯っていた。エクリクシスがしがみついている燃える火竜牙のナイフの灯りだ。それを手に持ち走るケネスはしきりに背後を確認しているらしい。息遣いの聞こえがほんのり近くなったり遠くなったりを繰り返している。

 

 ルカは荒い呼吸のたびに肺まで侵していく色濃い死臭に眉を寄せていた。げほげほ、と咳き込んでその分一気に息を吸い込むと、咳き込む前より随分濃い臭いが空気を満たしているのがわかる。

 

 生き物の鼻はある程度すると同じ臭いを感じにくくなるようにできているというのに、とルカは舌打ちの代わりに荒く息を吐く。


 慣れが一向に来ないのは、闇に染まった砂漠に満ちるこの臭いにいくつもの腐臭と死臭が混ざり合っていることと――この臭いの大元がどんどんルカたちに近づいてきていることが原因だ。

 ひと呼吸ごとに強くなる死の香りに、隣を走るカレンが嘔吐(えず)きそうになって口を押さえたのが見えた。


 カンテラを揺らしながら、アルヴァが振り返った。

 黄色味を帯びた琥珀に火の赤を足しながら、彼女はルカたちの向こう、しんがりのケネスの更に奥、闇のずっとずっと先を睨んでからルカたちへ目を向けた。


「速度、上げても大丈夫か?」


 焦りを押し殺した早口に、自分たちの後ろに死のサーカス団の本隊が迫っていると嫌でもわかってしまう。

 大丈夫、と返事をしようと息を吸ったら、乾燥で喉が張り付いて声が出なかった。ルカは盛大に咳こみながら、それでも姉を見て大きく頷いてみせる。カレンもフィオナも同様だったのだろう、アルヴァがほんの少しだけ、スピードを上げた。


 どれだけ必死に走っても、名もなき影が教えてくれた『オアシスと一緒になっている町』の明かり一つ見えてこない。

 必死に。

 必死に夜を走って、走って。

 走って、走って、走って……――それでもルカたちは、闇を泳ぐ死のサーカス団を引き離すことはできなかった。


 今、ルカたちは具現化した死に囲まれて、それでも取り込まれることなく生きていた。

 六人が身を寄せ合って縋るのは、火神竜の魔力の残滓を湛えた小さなカンテラの炎。全員で寄り添うようにカンテラに近付けば、どうしたって影は長く伸びてしまう。その揺らめく影が光でくりぬかれた円の外をかすめそうになるたびに、蠢く闇が悍ましい指を伸ばしてこちらに入り込もうとしてくる。

 

「どうすんだ、コレ……」


 ケネスの声が震えている。


「ここで、灯を絶やさないまま……夜を明かす」


 カンテラを掲げるアルヴァが、苦い声を返した。


「夜を明かしたとして、消えるのか、こいつら」

「わからない……けど、それくらいしか……」


 小声で言葉を交わす二人の傍、ルカは拳を握り締めながら、隣でガタガタ震えているカレンを庇うように立っていた。ぶっ倒れられるならそうしたいほどの恐怖がルカを襲っている。でも、ほとんど自分に抱き着いて肩に顔をうずめるようにして、喉を引きつらせて泣きながら震えているカレンのためにも倒れることなどできなかった。

 抱きしめるようにカレンの肩を擦ってやっていると、ルカの手にほっそりした手が乗った。フィオナだった。彼女は顔を真っ青にしながらルカの反対側からカレンと、それからルカのことも守るように背中に手を回してくれていた。


 がうう、とか細い唸り声がルカたちの足元から聞こえた。闇から逃げるように視線を下に向けたルカの琥珀に映ったのは、自分の妹分だった。イグニアは自分も恐怖を感じているだろうに、気丈にもカレンを守るようにして寄り添って、光の円の外へ威嚇を行っていた。

 それに勇気づけられたルカは頬の内側をきつく噛みながら、ごぼごぼと滑った音を立てている闇をきつく睨みつけた。



 まんじりともせずに、どれくらい経っただろうか。

 空を覆う昏い闇のせいで、どれくらい時間がたったのかわからない。

 鼻が慣れることを拒否したかのような腐臭は依然ルカたちにまとわりついている。目の前を蠢く闇も、変わらずルカたちの影に触れようとしている。


 あの中に、少し前までルカたちを先導してくれていた黒い幼い手は溶けてしまったのか、とグッと眉を寄せるルカの頭の上。

 この状況に我慢ならずに、爆発した者がいた。


「あー! もうやだやだやだー! 空気が腐ってる! 淀んでる! 我慢できない! こんなの、こんなの――」

「リュヒュトヒェ……ッ!」

『ぜぇんぶ、吹き飛んじゃえーっ!』

 

 ルカが言葉をかける前に、死んだ空気が大きく震えた。同時に、ルカの頭にリュヒュトヒェンの苛立った叫びと、内側から殴られているような痛みが響く。危うく膝をつきそうになったルカだが、何とか耐えて空を見上げた。

 

 今まで静かだったのは、まさしく嵐の前触れだったのだろう。砂を舞い上げるように、地面から空に向かって、リュヒュトヒェンが溶け込んだ風が吹く。


 煽られたカンテラの炎が大きく揺れる。円が歪んで、闇がルカたちの目前まで迫る。


「おいリュヒュトヒェン! お前、それやったら……!」


 そこまで言って舌打ちしたエクリクシスが、ケネスの持つナイフから大きく跳躍してルカの肩にしがみついた。


「ルカ、ルカ、大丈夫か?」


 耳元で潜めた声で尋ねられて、ルカは何とか表情を変えずに小さく口を開いた。


「だ、いじょう、ぶ……!」


 噛み締めた頬の肉が裂けて血が出るが、その痛みすら搔き消されるほどの頭痛がルカを襲っている。

 右手、リングブレスレットのヘリオドールが焼けるように熱くなっている。リュヒュトヒェンが膨大な魔力を流しこんでいるせいで、この世界に合った魔力への変換が間に合っていないのだ。そうやって流れてくる異界の魔力がルカを苛む。


先ほどとは違う意味で気を失いそうになるルカ。だがしかし、歯を食いしばって、ギリギリ立っていた。自分に抱き着いて震えているカレンに少し体重をかけられる状況だったのも幸いしたのかもしれない。

 とにかく、ルカは立っていた。立てていた。


 不調をリュヒュトヒェンに気取られないようにしながら、ルカは何とか荒れ狂う暴風の手綱を取ろうと必死だった。その必死さを、周囲に――特に姉には気づかれないように、ルカは平静を装う。


『リュヒュトヒェン! いったん落ち着いて……このままだと、カンテラの火が……!』


 そう念じて空に目を凝らす。


『あ、そっかぁ! その火を使えばいいんだぁ!』


 ルカの言葉を聞いているのかいないのか、リュヒュトヒェンは振り切れた明るい声でそう言うと、急降下を始めたようだった。空から押しつぶすような突風が吹く。


「カンテラ、もーらい!」


 そう言いながら、リュヒュトヒェンは持ち手であるアルヴァごと空に攫う勢いでカンテラに突進していった。


『リュヒュトヒェン、駄目……!』


 ルカの懇願もむなしく、カンテラはアルヴァの手からもぎ取られる。そして、そのまま空中で揉みしだかれてバラバラになった。


 火神竜イグニスの魔力の満ちた炎が空に投げ出される。


 終わった、と誰もが思った。

 ルカも、一瞬は絶望した。


 そう、一瞬は。


『……その手があったか……!』


 リュヒュトヒェンのイメージするものが流れ込んで、頭痛がひどくなる。手の甲に感じる熱も洒落にならないレベルになっていくが、ルカはそれをこらえる。

 脂汗を額に浮かべ、しかし、ルカは薄く笑んでいた。


「エクリクシス、もしものために火の制御を」


 リュヒュトヒェンがしようとしているのが何なのか、エクリクシスは想像がついているのだろう。多分、()()すればこの場を切り抜けられることに一番に気がついていたのは彼だ。

 彼がその方法をルカに()()()()()()のは、ルカへの負担を度外視しなければなしえないことだったから。


「――わかった!」


 ルカの言葉に彼は苦い顔で、しかし、一も二もなく頷いた。、それからアルヴァのもとへ跳ねて、彼女の首元から火神竜の鱗のネックレスを引っ張り出す。


「僕は――」


 激しい頭痛と、それとともに引き起こされる吐き気を無視して、ルカは燃えそうなほどに熱いヘリオドールに手を触れる。

そして、未だ流れ込んでくる凶暴な風の魔力を何とか束ねて、腕を振り上げた。額に浮かんだ汗が重力に逆らって空へ飛ばされる。風に溶け込むリュヒュトヒェンの歓喜の笑い声が砂漠に響く。


「彼女と一緒に、風の制御を……!」


 ルカたちの周りを、オアシスで風の壁を張った時のように風が巻く。それにあわせて、ルカは荒れ狂う風を整える。均一にルカたちを覆い始めた風は、神聖な炎を孕み始め――炎渦巻く風が、ルカたちを闇から切り離す。


 ぶっ倒れそうな頭痛の中、眉を寄せ歯を見せて、それでもルカは、不敵に笑っていた。


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