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  砂漠の澱と篝火の光⑥

 ルカたちが歩きだして直ぐのこと。


 砂漠に満ちる死の気配も何のその、普段通りに見える様子でぷかぷか空を漂っていたリュヒュトヒェンがルカの頭にぽすん、と降りてきた。そのままぱたりと倒れるようにうつ伏せて、彼女は駄々っ子のように手足をばたつかせ始める。

 ルカの額を小さな腕がポスポス殴ってくるので、流石に無視して歩くわけにもいかず、ルカは彼女をなだめるように背を撫でてやってから口を開いた。


「どうしたの、リュヒュトヒェン」


 声をかけると、リュヒュトヒェンはルカの額をポコポコ殴るのをやめて今度は彼の前髪をグイっと持ちあげたようで、額が涼しくなった。そのままもそもそとルカの前髪をいじりながらリュヒュトヒェンが答える。


「あのね、空気がぬるーんと腐ってて、それに重たくて嫌だったから、雲をどかそうとしたんだけどね、ぜーんぜんいなくなってくれなかったんだよ」


 風でまったく吹き飛ばせないということは、と昏い空を見上げるルカに濁った声がかかる。


「ソりゃそうだヨ、空ノ黒イの、僕たちダモん。風で闇ハ飛ばセナイよ」


 カンテラを下げた手のずっと向こう、闇に溶けて先頭を歩く不定形の影がそう言った。ぬめりぬめりと砂漠を行く不定形は、続くルカたちに濃い腐臭を残して迷いなく進んでいく。


「えっ、じゃあ空を覆ってるの、全部……」


 驚きを隠さないアルヴァの声に、カンテラが頷くように上下に揺れる。


「そうダよ。あれ、全部俺たチダよ。夜はこウシて、砂漠を全部、覆ウンだ。直グに、わかルヨうに」


「すぐにわかるようにっていうのは、私たちみたいに、君たちがいるときに砂漠に入った人間に気づけるようにってことか?」


 アルヴァの問いに、黒い手がゆらゆら揺れる。その先に繋がっている、蠢く闇本体の震えが伝わって揺れているようだった。


「ん……違ウよ」

「じゃあなんでなのか、聞いてもいいか?」


 ほんのり固いケネスの声にそちらを見れば、彼は何かあったらすぐにアルヴァを抱き寄せられる位置をキープして歩いていた。彼の問いに、死のサーカス団の断片たちは戸惑う様子を見せてから答えた。


「それは……ワカ、らない……でも、ソウする約束……? ダッた、ような……」


 蠢く闇の足――と言っていいのか、ルカにはよくわからないが――の進みが遅くなる。何か物思いに耽りだしたように見える闇の尻――と言っていいのか、以下略――を黒い腕がせっつくようにうねっている。

 話題を変えようとしたらしいアルヴァが口を開いた。


「ああ、それじゃあ――えっと、君たちは、どうして砂漠や沼地を練り歩くんだ?」


 その問いには、間髪入れずに答えが返った。


「待っテルの」


 待ってる。

 何を? とルカが問う前に、蠢く闇がこぽこぽと言葉を続けた。


「待ッテるんだ。あのネ、何を、待ってるのカはわからないんだけど……ズット昔に、お願イサレたから、僕らは、俺たちは、ズットずっと、待ってる。ほんとウは、もっと沢山の場所ヲ廻らナキゃ、イケナいんダけド……今は、ココで、待ッテるノ」


 こぽり。

 泡立つ闇が、恍惚にも似た響きを溢す。


「夜ヲ、任されたカラ……ごぷぷ……ズット、カエってきてクれるまで……ごぽッ……待つんだ」


「そうなんだな」


 騎士の忠義とどこか似た物を感じたのだろう、アルヴァがゆっくりと呟いた。こぷこぽ、と闇が笑った。


「俺たち、僕たチハ、待っテルだけ。でも、あたしはみんなとはやっぱりちょっと違うみたい」


 黒い腕がふりふり、とカンテラを揺らす。


「あたし、そこまで待たなきゃとは思えないんだ。だから、きっと、あたしがコレに混ざるずっとずっとずーっと前に頼まれたことなんだと思う」


「そうか……君たちも、大変なんだな。」 


 アルヴァの言葉を最後に、夜に沈黙が落ちる。さくさくぎゅむ、と一行が砂を踏む音以外、生き物の気配が砂漠から消える。


 黙々と、闇について歩く。

 それまで静かに動いていた闇が、不意にごぽりと騒めいた。


「あ、まずい」


 名無しの影たちの言葉に身構えたルカたちの肌を、最初にこの優しい影たちと出くわした時とは比べ物にならないくらいの怖気が舐めている。

 喉が引きつる恐怖。生きたままに内臓から腐っていった何かに息を吐きかけられているような、腐臭と死臭を混ぜて濃縮させたような匂いが、空を覆う闇を伝ってルカたちに落ちてくる。


「ミつかった……まだ、遠クにいる……うん、大丈夫だ。あたしに任せて!」


 腕がアルヴァにカンテラを差し出して、それからそれを地面に置いた。


「これ、君がもって。それでね、ここからずっとまっすぐ行けば、あたしたちが出ていけなくなる()()()()()があるんだ。そこまで、走って」


 口元を手で覆っていたアルヴァが、その手をゆっくり外してカンテラを拾い上げた。そして彼女は薄く開いた唇から言葉をひねり出した。


「見えない壁って……見えないんじゃ、どこまで行けばいいのか……」

「大きなオアシスと一緒になってる町を目指して走って。そこまでいけば、絶対に大丈夫」


 君ならみんなを先導できる、と黒い腕がぴんぴんと忙しなく指を弾きながら言った言葉に、アルヴァがぐっと眉を歪めて、それから笑みを浮かべて頷いた。


「わかった。任せてくれ。……でも」


 君は、と細く続けたアルヴァに、黒い少女の腕は、彼女が体を持っていれば胸を張って笑っているだろうことが想像できる声で答えた。


「あたし、足止めするよ。アレとくっついちゃうと、多分あたし、今みたいな振る舞いはできなくなっちゃうけど――アイツらを少しのろまにするくらいは、対抗できるはず」


 みんなを、守るんだ!


 そう言い切った黒い腕は、するすると闇に引き込まれていく。それに小さく手を伸ばしたアルヴァだったが、ぐっと拳を握りこんで腕を下ろした。

 小さく手を振って腕は完全に闇に溶ける。

 

 どんどん近く濃くなる死臭に、アルヴァが顔をあげて全員を見回した。強さを孕んだ金と目が合って、それだけでルカの体からは恐怖が抜けた。


 彼女につられてルカも目を動かす。ケネスは自分の剣の柄を握って脂汗を流しながら、それでも恐怖に抗って強い目でアルヴァを見ている。カレンは怯えを隠せていないが、それでもしっかり立っていた。フィオナは涙を浮かべて震えているが、目には強さが宿っている。イグニアは同じ輝きの強い金の目で、アルヴァを見上げていた。


「彼女は、必ず死のサーカス団(やつら)を足止めしてくれる。だから、私たちは彼女に報いるためにも――」


 全力で、逃げるぞ。


 アルヴァの言葉に、全員が頷いて、砂漠を蹴って駆け出した。


  


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