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  砂漠の澱と篝火の光②


 パチパチはぜる焚き火を囲み、誰も寝ようとしないのは、恐らく、森の川辺で聞いたアルヴァの話の影響だ。


 自分たちを取り巻く闇が、一瞬後には牙を向いてきそうな不安。アルヴァが語った心の傷の一端に起因する不安が空気に満ちているようだった。


 カレンなど、余程怖いのか青い顔でギリギリまで焚き火に近づいて背を丸めている。彼女は気がついていないが、光源に誰より近い彼女からは長い長い影が伸びていて、その影は焚き火の光の外の漂っている闇に捕まりそうになっていた。



 川辺での話。

 それを思い出して、ルカは静かに眉を寄せた。

 


 死のサーカス団。姉上の心に深い傷を追わせた化物。



 心の中で唱えて、ルカは砂漠に満ちる闇を睨む。


「――みんな、寝て大丈夫だよ」

 優しい声が乾いた空気をゆっくり揺らす。


 私が見張りで起きてるから。


 ことも無さそうに言うアルヴァの笑顔は普段通りのようでいて、弟のルカからすればいっそ滑稽なほどの作り笑いだった。


「馬鹿言うな、お前二晩連続だろ。俺が起きてる」

 アルヴァと似たような格好で岩に背を預けるケネスがそう言った。困ったように笑う彼女の目は、隣のケネスのその後ろ、闇の奥を探るように覗いている。


「眠くないんだ」

「寝ろ」


 間髪入れずに短く告げたケネスが、アルヴァをじっと見つめている。ゆる、と視線を闇の向こうから動かしたアルヴァが、やっとケネスを見つめた。


「――眠れない」


 静かな声で言いながら、姉の手は剣に縋るように柄を確かめている。ルカの隣、心配そうな顔でフィオナがアルヴァを見ながら、そっと口を開いた。


「あの、アルヴァさん。どうかお休みください。砂漠に入ってからずっと、気を張り詰めていらっしゃるでしょう」

 フィオナがゆっくり、言葉を選ぶようにしながら胸の前で指を組む。


 ケネスをじっと見つめていたアルヴァが一瞬周囲に目をやって、それからフィオナを見た。焚き火に照らされる姉の顔には柔和な笑みが乗っていた。

 ルカは小さく唇を噛んだ。


「心配してくれてありがとう、フィオナ」

 顔と同じく優しい声で言う姉の二の句が予想出来て、ルカはすいっと視線を下げた。


 優しい声の癖に、優しい顔の癖に、とルカは静かに息を吐く。

 そういう声と表情の時ほど頑なさを見せるアルヴァを彼はよく知っている。


「でも、今日は私が不寝番をする」

 柔らかく、しかし、決して自分を曲げないであろうことがよくわかる声。フィオナが言葉を返そうと息を吸って、そしてそのまま黙り込んでしまう気持ちが手にとるようによくわかる。

 

 そう言うと思った、という言葉をなんとか腹に押しとどめたルカがちらりと目を上げれば、彼女は再び闇の奥に蠢きがないか、周囲に目を巡らせていた。 

 

 今日何度目の溜め息だ、と考えるルカの口から漏れ出る息は重いものだった。

 薪も何もないのに燃える焚き火の中、エクリクシスはイグニアが放出している火の魔力だけでルカたち全員を照らしながら、難しい顔でアルヴァを見上げている。


「でもじゃないんだよ、寝ろ」

 ケネスの低い声にも動じず、アルヴァがゆっくり首を振る。


「寝ろ」

「いやだ」

「寝ろって言ってんだろ。駄々っ子かお前は」

「なんでもいいよ。とにかく私は――」

 

 寝ない、と言う言葉をアルヴァが放つ前に、焦れたケネスが彼女の肩をぐっと押した。ケネスのいらだった気配に空気を読んだのか、イグニアは起き上がってぽてぽて歩くとカレンの隣に腰かけた。

 状況さえ整えれば演劇のワンシーンにもできそうな、見目麗しい二人の絡みに目を奪われて頬を染めていたカレンがびくっと座ったまま跳ねて、蛇に睨まれたカエルのように体を固くしたのを横目で見てから、ルカは姉とケネスを注視した。

 アルヴァの頑固が二人の喧嘩……と言うより、ケネスの長期の不機嫌の引き金になったことが、ままあるのだ。

 

 そのまま体重をかけてアルヴァを押し倒そうとするケネスが、彼女にぐっと顔を寄せる。


「いいから、寝ろ」


 しばらく難しい顔でにらみ合っていた二人だが、先に降参した――ように見せたのはアルヴァだった。


「――わかった、わかった。少し休むよ。……ルカもケネスも、顔が怖いぞ」

 眉間のシワが取れなくなっちゃうぞ、とくすくす笑いながらアルヴァが目を閉じる。

 


 絶対寝ないくせに。

 形だけ、小さく小さく口でなぞって、無音の声をアルヴァに投げる。


 それがわかってるから、僕もケネスも眉間のシワが取れないんですよ姉上。


 ルカはそう考えながら膝を抱えた。春の砂漠の夜は少し寒い。

 

 でもまあ、と思いながら、彼は岩に持たれて寝ている――ように見える姉をじっと見つめる。

 目を閉じるだけでも結構休まることを身をもって知っているルカとしては、ほんの少しだけつかえがとれた思いだった。




 焚き火の前でカレンがうつらうつらしている以外、全員がはっきりした意識のまま、一行は深夜を迎えた。


 がく、と頭を揺らしたカレンが口の端から垂れていたよだれを白衣の袖で拭って背筋を伸ばす――が、彼女はまたすぐ船をこぎ始めた。

 もう君寝ればいいじゃねぇですか、と思いながら、ルカは自分の羽織っているマント――もとはカレンが羽織っていたマントを脱いで、彼女の肩にかけてやった。


「……ふぉっ、ねてない、寝てないです」

 びびくん、と肩を揺らしてカレンが顔をあげる。存外近い顔の距離に驚きつつ、ルカは静かに声を返した。


「寝ていいですよ別に」

 冷たい言い方になってしまったが、他意は一つもない。


「ね、寝ません!」

 だがカレンはそうは感じ取らなかったらしく、むっと口を尖らせてそう言った。ルカは押し留めることなくため息を吐いて、半目で彼女を見た。


「なに意固地になってるんですか、姉上の真似です? それ」


 違います、ともごもご言うカレンをおざなりにあしらって、ルカは彼女の隣に腰かけて空を見上げた。


 星は依然、雲に食われたまま。遠くを眺めても、見えるのは闇ばかりだ。

 それにしたって、とルカは眉を寄せて視線を下げた。

 

 いくら何でもこの暗さは――と周囲を見回したルカの背中を、怖気が走った。

 唐突だった。前触れすら無かった。しかし――。






 いる。






 隣のカレンがルカに抱き着いて、ふ、ふ、と短く息をしている。彼女を宥めようと伸ばしたルカの手は小さく震えていた。


 息が詰まる恐怖と、微かに臭うこれは――。

 

 ルカの額を汗が伝う。

 この焚き火の光の外、少し先すら見えない闇の中に何がいるのか、ルカが一瞬のうちに理解したその瞬間、座っていたアルヴァが素早く立ち上がって剣を抜いた。





ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

少しでも、続きが気になる、と思っていただけたらとっても嬉しいです

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