いざ、砂漠へ! ――精霊魔術とは④
自分を深く愛してくれているフォンテーヌに、ルカは静かな笑みを返しながら続けた。
「命を結んで一つになる。そうすると、人間は、精霊たちの魔力を直接受け取っても、心と体を保ったまま、精霊魔術を行使できるんですよ」
人間にとっての一番の利点がそこだ。
いかに宝石などを媒介にして人間が受け取れる魔力に変えたとしても、仮契約では一度に喚ぶ数が多ければ多いほど、体へは大きな負担がかかる。吐き気、頭痛、昏倒で、そのさらに先まで無理をすれば、心がパキリと壊れてしまう。
その枷が、本契約した精霊と精霊魔術師にはないのだ。
その精霊本来の力を借り受けて行使できるようになる。契約した精霊が高位であれば、その下に連なる精霊すらも精霊魔術師の思うがままに動かせるようになるわけだ。
もちろん、邪な思いを抱いて精霊と契約を交わそうとした人間もいる。そのことごとくが心を壊して生きる屍のようになった、という話を知らない精霊魔術師はいない。
「本契約を交わした人間は、契約相手と同じ魔力の匂いを身に纏うから、すぐにわかります。……ま、本契約を結んでいる人間の精霊魔術師はそうそういないんですけどね。命を結ぶには双方の、魂からの同意がなければいけませんから」
ルカの言葉に、フォンテーヌが「あたしたちは喜んで捧げたいと思ってるけど」と前置きをして、水のクッションに両手で頬杖をついた。
「人間と命を混ぜることで、寿命がすごく減っちゃう精霊もいるのよね。だから、稀に人から持ち掛けられても、そんなのヤダーって、逃げちゃう子がほとんど」
「それを嫌がるの、当たり前のことだと思うよ」
「あのね、ルカ。人間にはわからないかもしれないけど、あるのよ『運命』って。その『当たり前』すら捨て置けるような……この人だけには全てを捧げても構わないって、思っちゃうような出会いがね、あるの」
にっこり微笑むフォンテーヌに、ルカは苦笑を返した。
女性がこういった話に目がないのって、種族を問わないんだなぁ。
小物入れをのぞき込みながらそんな風に考えるルカをよそに、女子二人が盛り上がる。カレンはキラキラした目をフォンテーヌに向けていた。
「じゃあ、フォンテーヌさんにとってルカって、運命の相手なんですか?」
「そうよぉ。ルカってば素晴らしい支配者だもの。貴女も精霊ならこの気持ちがわかっただろうに、もったいないわねぇ」
支配者、と言う言葉とカレンのきゃあきゃあ言う声が耳に入って、ルカは慌てて顔をあげた。
「ちょっと、聞き捨てならない言葉が……!」
支配者って、とルカが目を見開くのを、フォンテーヌが楽しそうに見つめている。
「あら、だって本当のことだもの。自分で魔力を使うより、ルカに使ってもらった方が気持ちいいっていうの、あたしたち四人の総意よ。まるで現世の精霊王って感じ」
「ちょ!」
慌てたルカが「そんな恐れ多いこと!」と二の句を継ぐ前に、フォンテーヌが、ぱん、と手を叩いて口を開いた。
「さぁ、バトンタッチは誰にしようかしらねぇ」
水のクッションを手のひらで吸収したフォンテーヌが小物入れにちょこんと降り立った。ああでもない、こうでもない、とフォンテーヌが選び始めてしまっては、ルカは話を蒸し返すことはできない。隣のカレンが身を寄せてのぞき込んでくるので、少し避けてやりながらルカは宝石たちを眺めた。
リングブレスレットの台座に嵌るよう、全て大振りで、華美ではないカッティングが施されている。
先ほどフォンテーヌが寝かせた水色のアクアマリン。これは彼女の気に入りだ。
それから、火を閉じ込めたようなルビー、空舞う金の風を捕まえたようなヘリオドール、大地を切り取ったようなブロンザイト、と目で撫でていく。
「んー、ここは地の魔力が濃いから……」
ブロンザイトを取り上げようとしたルカの手を、フォンテーヌが押しとどめて、黄色い宝石を指さした。
「砂嵐が起きることもあるかもしれないし、こっちにしておきなさいな」
「ああ、確かに」
二人にしかわからない会話にカレンは、小首を傾げながらルカが手に取った黄色の宝石――ヘリオドールを見つめていた。
ルカがヘリオドールを台座に優しく嵌めたところで、前方から声がかかった。
「少し休憩をとろう」
姉の声に顔をあげれば、すっかり砂の海に変わっていた風景に不似合いな緑の下、太陽の光で煌く小さな泉がそこにあった。
オアシスで休憩をしながら、アルヴァとケネスが空を見上げつ砂海の先に目を凝らしつ、話し合っている。恐らく今晩の夜営をどこでやるかを話しているのだろう、と思いながら、ルカは綺麗な水を湛える泉の前に、カレンとフィオナと共にしゃがみこんでいた。
「何かあったら呼んで頂戴な。ただ、これだけ乾燥してると向こうからは道が作りにくいから、水筒の水、しっかりとっておいてね。何かあったら、その水で呼びかけて」
心配そうなフォンテーヌの声に、ルカは大きく頷いて見せる。
「じゃあ、あたしが戻ったらすぐにあの子を喚ぶのよ」
幼子を見送る母親のような顔で、フォンテールがルカを見ている。
「わかった。ありがとう、フォンテーヌ。向こうでゆっくり休んで」
ルカの言葉にフォンテーヌは名残惜しそうに微笑んで、それから淡く輝く水に溶け込むように消えていった。ふっと泉を覆っていた青い輝きが消える。
「さて……」
フォンテーヌの帰還をじっと見送ったルカが、ヘリオドールを撫でて立ち上がる。
「お手伝いしましょうか?」
フィオナの申し出に微笑みながらゆるく首を振って、ルカは空を見上げた。
輝く太陽に目を細め、そのまま静かに目を閉じる。
目を閉じても感じる柔らかい光に肩の力を抜いて、ルカは大きく息を吸った。
ゆっくり吐き出しながら奏でる鼻歌は、静かにオアシスの空気を揺らす。
真剣な顔で話し合っていたアルヴァとカレンが、動きを止めてルカへと視線を向ける。その視線も、近くに立つカレンと、鼻歌に合わせて体を揺らしているフィオナの視線も感じずに、ルカは鼻歌を続けていた。
風の精霊を唄った童謡の、静かなメロディーが空に溶けていく。
砂漠を吹く風が、それに寄せられるようにオアシスに集まってくる。慌てて髪を押さえるカレンの前で、つむじ風の中心に立つルカが薄目を開けた。
ぽわ、ぽわ、と黄色い光が灯りだす。
ルカの鼻唄に、高くきれいな声が重なる。
時々クスクスと笑う歌声が、ルカの髪を撫で上げる
ぱちり、と目を開けたルカが、周囲の風を眺めて口を開いた。
「――リュヒュトヒェン、力を貸してくれる?」
柔らかい声に、活発そうな明るい声が間髪入れずに答えを返した。
『いーよー!』
耳で聞こえる声と、脳内で聞こえる声がぴたりと重なると同時に、集まった風が形を成した。
さらさらと空に舞うのは、晴れ渡った春の空の色の長髪。
ピンととんがった耳は、エルフの物にも似ている。
健康的な肌色を隠すのは、ヘリオドールの輝きに似た黄色のワンピース。首の後で結わえたリボンが可愛らしい。
ぱっちり開いたその目を彩る、煌く黄色の瞳と太陽のようなオレンジの瞳孔。
風を纏ってルカにじゃれつくように空を舞う彼女は、風精霊。
風精霊のリュヒュトヒェンは勢いのままにルカに飛びつくと、彼の頬を抱きしめて顔いっぱいの笑みを見せた。