いざ、砂漠へ! ――精霊魔術とは②
昼食をとって、一行は再び歩き出した。前を行くのはアルヴァとケネス。その後ろをイグニアがひょこひょこ追いかけていて、ルカたち三人は並んで歩きながらその背を追っていた。
「じゃあ、精霊魔術って、自分の中の魔力を使うんじゃないんですね!」
ふんふん、と鼻息も荒く目を輝かせるカレンに、精霊魔術のイロハを教えているフィオナがクスクス笑いながら頷きを返している。
すっかり先生を取られてしまったルカはそんな二人の会話をBGMに、周囲の植物を観察しながら歩いていた。
木々の隙間にちらつくピンクは、ペンノプシス・カリブンクルス――ピンクプルムだ。カレンが盛られたピンクプルムが、木々の隙間から咲き誇った花を覗かせている。
ついっと目を動かして、地面を眺める。
落ち葉を持ち上げて、空に手を伸ばすように細い葉を広げているのは、エルプティオム・グラナトゥム。一般名は『跳ね草』と言うそれは、秋の空気が乾燥し始める頃に、細長い葉の根元に小さな小さな白い花を咲かせる植物だ。
本来は火山に近い、ある程度の火の魔力濃度を有する森などに生育する種だが、この森のすぐそばの平原は炎狼の縄張りだ。彼らから漏れ出る火の魔力の影響で、この森にも分布しているのだろう。ルカは頭の中の植物辞典を開き、植物分布図に訂正を加えて、顔をあげた。
隣に意識を向ければ、聞こえてくるのはフィオナの柔らかい声。
「……と、言うように、植物の成長には、根ざす台地が、清らな水が、子を運ぶ風が必要です。それらすべてが、森にはある。必然的に、豊かな自然を好む様々な属性の妖精たちが集まります」
そこで言葉を一息入れたフィオナに、カレンが、ふすふすと鼻を鳴らしながら頷いている。
「妖精が住まうということは、精霊にとっても心地の良い場所ですから、常若の国から遊びに来る精霊が多いんです。すでに場は整っているのです」
だからエルフは精霊魔術の道に進む者が多いのですよ、とフィオナが締めくくった。
「では、エルフの皆さんは火の精霊や妖精とは相容れないんですか?」
すかさず質問を飛ばすとは良い生徒じゃないですか、とルカはカレンの横顔を見つめる。彼女は更に口を開いた。
「だって、火って植物の成長に関係ないですよね?」
フィオナ先生は、カレンが精霊魔術にこんなにも興味を持ってくれて嬉しいのだろう、彼女の質問に表情をほころばせながら首を振った。
「いいえ、植物の中には火の力を借りねば子を成せない物もあるのです。ですから、火の精霊のお力を借りているエルフもいるんですよ」
フィオナちょっといいか、と前を歩くアルヴァから声がかかって、彼女はルカとカレンに断って駆けて行った。
その背を見ながら大きく首肯したルカに、カレンが大きな目を更に大きく丸くした。
「フィオナさんが言ってたの、本当ですか!?」
火を必要とする植物なんて、とカレンがルカをじっと見る。大きな青に自分が写っているのを見ながら、ルカは再び頷いた。
「ええ、本当ですとも」
例えば、とルカは今だに木々の向こうにちらついて見えるピンクを指さした。
「あれ、あのピンクの花。見えます?」
カレンの視線が自分から逸れて花に向く。
「わぁー、綺麗な花ですね」
「あれ、ピンクプルムです」
へぇー、と目をキラキラさせているカレンは、獣人に盛られたのがなんという植物の葉だったのか覚えてすらいないらしい。
あれ君が盛られた媚薬もどきですよ、と言う言葉を飲み込んで、代わりを用意してからルカは口を開いた。
「あれは、火の魔力の多いところに分布します。何故かと言えば、火の魔力が多い場所は火事が起きやすいからです。ピンクプルムは火の中で開花するんですよ。開花して、その火を吸収して花をピンクに染めるんです」
蕾の頃は白い花弁が、開きと共に火を吸収してピンクに染まる様の美しさといったら。
何度か見たことがある光景を思い起こしてルカは目を細める。
「火事が起きなかったら自分から発火して周りに火をつけるので、火事の原因にもなってしまう花ですね」
へぇ、とカレンはピンクプルムを見つめて歩く。
「で、ピンクプルムは種子の発芽にも火が関係しているんですよね。一定以上、最低でも人肌以上の温度で一定時間晒されるか、もしくは超高濃度の火の魔力の中でしか発芽しません」
自然界でその温度って言うと、火ぐらいしかないでしょう? ルカが首を傾げてカレンを見ると彼女はこくりと頷いた。
「だから、もしも自然界から火の要素……火の魔力とか、あとは落雷なんかによる火事なんかが無くなったら、ピンクプルムは絶滅してしまう。こんな風に火を必要とする植物は、結構あるんですよ」
ルカが初めての研究で扱ったのが、この植物だった。
ピンクプルムの種の発芽条件による効能と見た目の変化。ルカが六年前に、初めて着手した研究のテーマだ。
初めてだったから何もかもが面白くて、人肌から精霊魔術の炎、果てはマグマの高温まで試して、結果、人肌で三週間欠かさずに温め続けた種が最も美しく花を咲かせ、最も効果的な薬効を示した。それをつらつらと書き連ねて論文にしてオリバー教授に提出したら、彼がルカを二度見して椅子から転げ落ちて驚いていたのをよく覚えている。
はへぇ、と感嘆の息を漏らすカレンに、ルカは一息ついてから首を傾げた。
「フィオナさんに精霊魔術のこと随分熱心に聞いてましたね」
「わたし、魔術って自分の力で使うものだと思っていて……でも、アングレニス王国では、自分の中の魔力を使わないで行使するっていうのを聞いて、じゃあ、もしかしたらわたしにも使えるのかなって思って」
ふうん、と鼻を鳴らしてルカが口を開く。
「自分の魔力を使うような、そう言った系統の魔術は、主にヘクセルヴァルト公国で用いられるものですね」
ヘクセルヴァルト公国の魔法使いの使う魔術に関して、精霊魔術の授業でさわりだけ学んだことがあるルカがそう返すと、カレンはピンクプルムを見つめながら呟いた。
「わたし、どっちも同じだと思ってました」
「精霊魔術は、自然に敬意を払える人間なら、誰でも使えますよ」
精霊たちは、常若の国から、水面や焚き火のちらつきの隙間を通じて、時折こちらを覗いている。そんな彼らは人間たちの自然への祈りに、気まぐれに、しかし真摯に、対応してくれる。
雨乞いの直後に空に満ちる水でたっぷり太った雲だったり、一晩中消えることなく闇を照らす焚き火だったり、いたずらな風だったり、たっぷり栄養を含んだ土だったり。
そうした彼らの対応に、敬意を払って感謝をしていることができるならば、誰にだって精霊魔術師になるチャンスが与えられるのだ。
「わたしも魔術を使ってみたいなぁ」
カレンの小さな呟きを攫うように、春風が吹き抜けた。