15. いざ、砂漠へ! ――精霊魔術とは①
ルカは、前を歩いて道を整えてくれている姉の背を見つめながら、リングブレスレットの台座の上のアクアマリンを撫でた。
――家族で、同じ屋根の下に住んでいて。
それなのに、ルカは今の今まで、アルヴァがそんな経験を今の自分と同じ年の頃にしていたなんて気が付きさえしなかった。
本当に大丈夫なのかな。
誰が何を何度言ったって自分は二の次で、その上、「こう!」と決めたら見かけによらない頑固さを見せるアルヴァの「大丈夫」はあまり信用がならない。
十三年の弟生活で、嫌というほどアルヴァの「大丈夫」に騙されてきたルカは、渋い顔で黙々と森を歩いていた。時折隣のフィオナが心配そうに覗き込んで来るので、それには笑みを返すことを忘れない。前を歩くカレンが、チロッとこちらを振り向くのには、しっし、と手を振って前を――じゃないと確実にコケる――向かせる。
そうやって二人をあしらいながら、ルカの深い琥珀はアルヴァの背を映している。
シレクス村の周りの森とはまた違った踏み心地を楽しむことも、周囲の植生を眺めることもできない。
『どうしたの? 何がそんなに心配?』
ルカの頭の上、水のクッションに身を預けながらフワフワしているフォンテーヌがこちらを見ている。
脳内に直接響く声に、ルカは心の中で唸りを返した。
『アルヴァは強いもの、平気よ?』
ルカのため息が、空気を小さく小さく揺らす。フィオナが自分をちらりと見たことに気づかずに、ルカはアルヴァの背中から目を落とし、前を歩くカレンの足元を注視した。
『……だから心配なんだ』
頭に念じてフォンテーヌへとそう伝えて、ルカは目を上げて、ケネスと会話しているアルヴァを見つめた。
心も体も強くて、行動力がある。だからこそ、ルカは姉が心配なのだ。
『大丈夫よー、だって今回はルカがついてるもの! アルヴァも無茶はできないわよ』
ね、と微笑むフォンテーヌに、ルカは唇をもぞもぞさせた。
僕が居たって、無茶するときはする人だ。――その時、僕は姉上の力になれるのかな。
『うーん……』
曖昧に唸ったルカの肩が、とんとん、と叩かれる。顔を上げたルカに、フィオナが柔らかく微笑んでいた。
「ちょっと、おしゃべりしませんか?」
ああ、気を遣わせちゃったか、とルカは反省しながら首の後ろを掻く。
姉上のように不安をおくびにも出さないのはアレだけど、すぐ顔に出るのもなぁ。
ルカは笑顔を取り繕って、小首をかしげながら彼女を見つめて口を開いた。
「さっきの川辺での話の続き、してくださるんですか?」
さっき、と言うのは川辺の木漏れ日の中にいたときのことだ。薬草の類いにはかなり詳しいルカだが、樹木となると知識の質が落ちる。生まれたときから木々とともにあるエルフのフィオナは、そんなルカに先程の数十分でかなりの知識を与えてくれた。
あの木はどんな鳥が好んで巣を作ると言うような可愛らしい話から、どの木の枝で矢を作ると毒矢になると言った実用的な話まで、丁寧にわかりやすく教えてくれる。
フィオナは教え上手な先生だった。
彼女は横結びのプラチナブロンドを風に揺らして首を傾げた。
「うーん、でもこの辺りに生きる木のことはもう話してしまいましたし……別の話にしましょう」
何がいいですかねぇー、と周囲を見回す穏やかな顔のフィオナの長い耳が目に入る。
「――あ。だったら、あなたのことを教えてください」
笑顔のルカのセリフに、フィオナが目をぱちくりさせる。この言い方だと誤解を生むか、とルカは言葉を続けた。
「エルフの方と知り合ったの、フィオナさんが初めてなので。習慣とか、差し障りなければ教えてほしくて」
「ああ、そういうことですね。教えるのは構わないのですが……」
フィオナが困ったように首を傾げた。
「そんなに人間と変わりありませんよ。これと言った習慣もありませんし……何か、エルフのことで面白いこと……」
そこまで言って、白魚のような人差し指を顎に当てた彼女はルカの上に浮かぶフォンテーヌに目を向けて、「あ!」と言うと手を打った。
葉の隙間から注ぐ光を受けて、フィオナはいたずらっぽく笑いながら自分の長い耳に指を触れさせた。
「エルフの長耳は、木々の声を、自然の声を聞くために長いのだ……と、そんなわらべ唄が残るくらい、私たちは自然に寄り添って生きているんです」
エルフの言う『自然』には、自然現象の他に、精霊や妖精――常若の国ではなく現世、つまりはルカたちの住むのと同じ世界を生きる精霊を、アングレニス王国の精霊魔術師は妖精と呼んでいる――を含んでいる。
へぇ、と思いながら、ルカは無意識に自分の耳を確かめた。
指に触れる耳は、特に長くもないごくごく平凡な人間の耳。
その事実になんとなくがっかりしていると、それに気が付いたフィオナが優しく微笑んだ。ルカは思わず照れ笑いを浮かべて耳から手を離した。
「ただのわらべ唄です。耳が長くなければ自然の声が聞けないというわけでは、もちろんありません」
フィオナの白く柔らかい指が、ルカの耳を優しく撫でる。こそばゆさに首をすくめるルカを見つめて目を細くしながら、彼女は続けた。
「ルカさん、あなたはとても良い耳を持っています。小さな小さな自然の声を、聞き逃さない良い耳です」
「えっ、耳を見るだけでそんなことわかるんですかっ」
前を歩きながら二人の会話を聞いていたらしいカレンが、驚いた顔で振り返った。フィオナがにっこり笑う。
「耳を見て判断したわけでは無くてですね……ルカさんに力を貸している水精霊様を見て、です。すぐにわかりました。小さな声をないがしろにする精霊魔術師に、彼女のように力の強い精霊は力を貸しません」
「やだぁ、よくわかってるじゃない! そうよ、ルカはとってもいい子なんだから」
褒められたルカよりも嬉しそうなフォンテーヌが、水のクッションを抱きしめてくるくると宙返りを繰り返す。その下で、ルカはむずむずする口元を袖で隠しながら、ほんのり頬を赤くした。
「そんなに褒められても、いま僕、あげられるような物、何も持ってないですよ」
くう、と目を細くしながら、ルカは平常心を取り戻そうとフォンテーヌを見上げた。
フォンテーヌはうつぶせるようにクッションに身を預け、顔だけルカに向けて優しく笑っていた。
「――『自信』は持っていてくださいね」
静かな声に、ルカは瞠目した。止まってしまいそうになった足で、つんのめりそうになりながらルカはフィオナを振り返った。
彼女はルカの不安がどこにある物なのか察していたらしい。
フィオナは静かな笑顔でルカを見たあと、前に――アルヴァに目を向けた。
「きっと、貴方の力が、彼女を助けます」
私も微力ですがついています、とフィオナが笑ってルカの肩を擦った。
何があっても姉上にはついて行くつもりだったけど、とルカは吐息を溢してから笑んだ。
「――励ましてくれて、ありがとうございます。少し弱気になってました。僕が弱気じゃダメですね、姉上のブレーキになるためについてきたっていうのに」
フィオナは黙って微笑みながら、気にしないで、と言うように首を横に振った。
ルカはしばらくフィオナの優しい赤茶の瞳を見つめて、それから前を見た。ちらちらとルカを振り返っているカレンの向こう側、ほんの少し引き離されてしまって遠くなったアルヴァが、足を止めてルカたちを振り返った。
「この先、少し開けてるから、そこで昼食をとろう」
少し張り上げた、アルヴァの耳障りの良い声がルカたちの鼓膜を揺らす。
その場で立ち止まってルカたちを待ってくれているアルヴァとケネスに返事を投げて、ルカは強く息を吐きだした。そして、シレクス村の周りの森よりも少し硬い地面を楽しみながら、転びそうになっているカレンの横を通り過ぎて、二人の元へと駆け出した。