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  いざ砂漠へ……?②



 友人を殺した。


 その言葉に、ルカがほんの少し目を見張った。


「お前のアレは殺したんじゃない、助けたんだ」

 横からのケネスの言葉に、アルヴァはゆっくり首を振る。


「それでも、息の根を止めたのは事実だろう」

 

 春にしては冷たい風が茂みを抜けていった。

 じっと黙ってこちらを見上げるルカの説明を求める目に、アルヴァは深く息を吐く。



「『死のサーカス団』って名前、聞いたことはあるだろう?」

 


 大昔の旅芸人の一座が最初の被害者だと言う言い伝えから、その名で呼ばれる『死のサーカス団』。

 新月の夜の昏い昏い闇を凝縮させたような不定形の体で、不定期に砂漠の東側や沼地を練り歩いては生者を飲み込む、いつから生きているのか――あるいは死に続けているのかわからない、正真正銘の化け物だ。


 取り込まれたら最後、その生き物はサーカス団の一員となり果てて、ゆっくりゆっくりと鼓動を止める。

 生きたまま血肉を腐らせ腐汁を垂れ流し、自分が何者だったのかも忘れて、やがては同じ不定形に身を堕とす。


 そうして質量を増していく死のサーカス団を止める手立ては今の所見つかっていない。なぜなら死のサーカス団は、生者を飲み込めるだけ飲み込んでしばらく彷徨うと、ふっと夜の闇に溶けて消えてしまうのだ。

 どんな時に出てきてどんな時に消えるのかすら研究できていない今、止める手立てなど見つかるはずもない。


 彼らに意思や目的があるのかどうかはわからない。

 しかし、彼らは不定形の体を泡立たせて、時折声を上げるという。今までに取り込まれた生き物の嘆きの声か、はたまたあぶくの弾ける音がそう聞こえるだけなのか、それを突き止めようとした人間は皆、帰ってこなかった。


 討伐を早々に諦めた人々がとったのは、なるべく関わらない、と言う消極的な対応だ。もっとも、そうする他無かったのだから仕方がない。


 関わらないようにするのは簡単だった。死のサーカス団は砂漠と沼地からは出てこない上、彼らがいる地域は色濃い死の気配が満ちる。

 誰だって死の香りと気配に気が付くことはできる――できるが、それを肌感じたときにはもう手遅れだ、と言うのをアルヴァはよく知っていた。


 

 あらましを説明して息をつく。

 ちらりと目を向ければ、ルカは難しい顔をしていた。


 正直これ以上は話したくない、というのがアルヴァの本音だった。


 それはそうだろう、「自分が人を殺すに至った話」を好き好んで肉親に打ち明ける人間はそうはいないし、彼女はそうした種類の人間とは真逆の存在だ。

 

 話したくはない。しかし、ルカは先を促す様にアルヴァを見ている。互いに視線をそらさずに見つめあって、負けたのはアルヴァだった。


「――私とケネスは、その死のサーカス団と遭遇したことがある」

 アルヴァは溜息を混ぜこんで言葉を吐き出した。



 三年前、忘れもしない、合同遠征の最中のことだった。



「いくつかの村の騎士団と合同で、死のサーカス団の消失直後の砂漠の巡回をしていたんだ」


 話し始めてしまったら、脳裏に映像として蘇ってしまう。アルヴァはすっと目を伏せた。


「死のサーカス団の消失の後――特に消えた直後は、砂漠の魔獣たちが凶暴になる。その様子見のための巡回だった」


 目を伏せても追いかけてくる映像はアルヴァの目の奥で、あの時、を鮮明にリプレイしている。

 映像記憶はその他の感覚の記憶すらも引きずり起こしたようで、感じないはずの腐臭と、肌が泡立つ闇の寒さと、倒れる彼らの末期の声を思い出して、アルヴァは無意識に剣の柄を強く握った。



「私とケネスにも声がかかって、村の騎士の何人かと一緒に参加した」

 聖都に呼び出されて一緒に行けなかったエヴァンは、二人がしっかり身を守れるように、と死のサーカス団のことを噛んで含めるように教えてくれた。先ほどルカに説明した内容は、父からの受け売りだった。


 ルカが静かに口を開く。

「何でそんな危険な物が消えてすぐの場所に、経験の少ない若者を……」

「消えた直後だからだ。消えてすぐにまた現れるなんて、()()()()なかったからな」

 ケネスが腕組みをしてぽつりと呟く。アルヴァは小さく頷いた。


「それにな、消えた直後の砂漠には、色濃い死の残滓が満ちているんだ。それを肌で感じさせて、死のサーカス団がどういう物か覚えさせようって目的もあったんだろうな。どこで出くわしてもすぐに逃げられるように……って」


 

 ――でもあたしは強いから全然大丈夫だ! 逃げないで戦って、あいつらを倒してやるんだ!



 にっと笑う顔が脳裏に浮かんで、アルヴァは眉間を押さえながら言葉を続けた。

 

「……で、その遠征で――女の子の友達ができた。同性の、同い年の初めての女友達だった」


 快活な、男勝りな女の子だった。  

 栗毛の長い髪をみつあみで一本にして、可愛い顔を崩してよく笑う子だった。

 

「とても気が合って、いろいろ話したよ。ませた子でな、未来を誓い合った相手が村にいるんだって自慢してきたり、私に好きな人はいるのか、なんて聞いて来たり」



 幼い顔立ちを恐怖にゆがめ、それでも、付き添いで来てくれていた聖都の若い騎士を助けるべくと、死のサーカス団に立ち向かった表情を嫌でも思い出す。



 アルヴァは眉間から手を離し、つばを飲み込んだ。

「巡回二日目の明け方に、その子が……再び現れたアレに首元まで飲み込まれて、体が――」

 

 みつあみをくくっていた髪留めが千切れてアレの中で髪が広がるのを、彼女の銅の防具が腐食して崩れ落ちて、成長途中の体が昏い闇の中で形を変え始めるのを、アルヴァだって黙って見ていたわけではない。


 飛び出そうとした。

 そして抱き止められた。ケネスに。


 大の大人ですら怯え逃げ惑う恐怖。それを、死のサーカス団に首まで喰われている彼女が感じていないわけがない。


 ケネスを振り払って、彼女の、死のサーカス団の目の前に立ったアルヴァは、恐怖に震えながら、確かに聞いた。


 ――頼む、殺してくれ! わかるんだ、こいつに殺されたら一緒になっちゃう! そんなの嫌だ、それじゃあ、あたし、もう二度と……!


 口の中まで死に侵され始めた彼女の悲鳴のような懇願に、アルヴァは恐怖すら忘れて反射的に動いていた。


「……魂まで奪わせるわけにはいかなかった。彼女はその時はまだアレの表面でもがいていたからな」



 肉のはがれ始めた腕を必死に動かして、死に抗う彼女の命の灯は、消える直前だった。



「……心臓を突き刺した」


 魔獣の討伐には幾度も参加したことがあったアルヴァが、柔らかい肉を突き破る感覚を覚えたのはあの時が初めてだった。

 違わず食い破った心臓の、最後の震えすら、彼女の手は覚えている。

 アルヴァは自分の右手に目をやって、それから、か細く息を吐き出した。


「――死のサーカス団は、死んだ肉には興味を示さないから、彼女を吐き出して……ちょうど、夜が明けたんだ」

 


 朝日に照らされて、色濃くなった岩の影に、溶け込むように消えて――そのあとの野営地は、地獄のようなありさまだった。


 

 しん、と茂みが静まり返る。


 アルヴァは一気に暗くなった空気を晴らすべく、笑顔を作って顔をあげた。

「――えー、以上が、私が砂漠を苦手に思う理由だ!」

 ルカがアルヴァの頭に手を伸ばし――。


「ばか」

 

 ぺしり、と叩いた。


「何で言ってくれないんですか。僕、その話全く知りませんでしたよ」

 ぺしぺしと頭を叩き続けるルカに、アルヴァは困ったように笑みを浮かべた。

「変に心配かけるのもなぁ、と思って」

 ルカが叩く手を止めて、ぽふ、とアルヴァの頭に手を置いた。彼が手を置きやすいように、とアルヴァは少し身を屈める。

 ルカは少々乱暴にアルヴァの頭を撫でてから、そっとその手を離した。


「で、本当に大丈夫なんですか? 砂漠、行けるんですか? 何なら今から街道に戻って、どこか街で服を買って、姉上たちも服装を丸っと変えて――僕とケネスはもっと際どくてドギツイ女装します。そしたら、検問も何とかなるかも――」


 本当に優しいなぁ、ルカは。


 そう思いながら、アルヴァはルカの頭を撫ぜた。

「いや、大丈夫だ。行けるよ、砂漠。と言うか、検問をくぐる方がだいぶ怖いよ私は」

 にっこり笑って見せれば、ルカは、姉上がそう言うなら、と頷いて見せた。


 じゃあもうこの話は終わり、と柔らかい表情で言いながら、アルヴァはケネスに右手でシャツを押し付ける。その腕を捕まえた彼は、真剣な目で、ほんの少し首を傾げてアルヴァを見ている。


 隠せないなぁ、と心の中で呟いて、アルヴァは苦笑を溢す。


「――まあ、少し不安だったのは確かだけど」


 伺うようなケネスの赤紫から、まだ心に大きな影を落としている不安を笑みで隠してアルヴァは彼の肩をポンポン叩いた。


「二人に話したら、ずいぶん楽になったよ」

 ありがとう、と目を細めるアルヴァにケネスが口を開きかけた時、茂みの外から声がかかった。



「……アルヴァさん、ごめんなさい。二人じゃないんです」

 柔らかいフィオナの声に。


「んー」

 心配そうなイグニアの鳴き声に。


「あ、あの、えっと、えっと……ご、ごめんなさい」 

 泣きそうな――と言うかスンスンと鼻をすすっているから泣いているのかも――カレンの声。


 三人が近くにいる気配に気が付けなかったアルヴァは、きまり悪そうにぽりぽりと首の後ろを掻いた。


「気にしないで……と言うか暗い話を聞かせてしまって、こちらこそごめん」

 明るい声でそう言って表情を取り繕うと、彼女は茂みの向こう側、光に満ちた川辺へと足を向けた。

  



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