14. いざ砂漠へ……?①
コルセスカに言われた通りに闘技場から北へと進むと、確かに川があった。
清浄な輝きを纏ってさらさらとゆるやかに流れるその川に、ルカの肩に腰掛けていたフォンテーヌが目を輝かせて飛び込んで、ざぱり、と水面に一瞬王冠を作ると溶けるように川底へと沈んでいった。
しばらくしても上がってこない彼女に、不安そうにしているのはルカの隣に立つカレンだけ。
フォンテーヌが魔力充填のために水に入ったことを知っている精霊魔術師のルカとフィオナは、気にした様子も見せずに何やら話し合っている。フォンテーヌと付き合いの長いアルヴァとケネスだってもう慣れっこだった。
結構歩いたし、少し休憩にしてもいいかもな。
アルヴァは、川底に見えるフォンテーヌが満足そうに目を閉じて微笑んでいるのを覗き込んで、そう思った。
川底で微睡む水精霊を、絵画の題材に良さそうだなぁ、と思いながら静かに眺めていたアルヴァに、影が落ちる。水面に揺らめく影に、彼女は顔をあげた。
「なあ、もう着替えていいか」
森歩きするんだろ、とストールを剥ぎ取りながらケネスが続けた。
「着たままだと、また駄目にするぞ」
これフィオナが買ったんだろ? とケネスは、木漏れ日の中でルカと共に木の葉を揺らす風を見つめているフィオナをちろりと見て、それからアルヴァに目を戻す。
「んー、獣人たちの集落からは十分離れたし、もう大丈夫かな」
言い終える前に茂みに駆けていったケネス――と耳聡く聞いていたらしいルカに、アルヴァは笑みを溢しながら兜を脱いだ。
森を抜ける風が頬を撫でていく。
解放感が増した様な気がしてアルヴァは目を細めながら髪を整えて、カレンとフィオナを振り返った。
「少し、休憩にしようか」
その言葉に、カレンが嬉しそうに目を見張って、それから表情を取り繕ってこくりと小さく頷いた。
「あー、生き返るぅー」
ぷかり、と浮かび上がったフォンテーヌはずいぶんと機嫌が良さそうだった。よっぽど肌に合う水質と魔力だったらしい。
「フォンテーヌ、顔を洗ってもいいかな」
跪いて小首を傾げると、フォンテーヌはぷかぷかしながら「いいわよぉ」とのんびり声を返して、再び川の中へと沈んでいった。
キリッと冷えた清涼な水で顔を洗い、ウエストバッグからタオルを出して水を拭うと、後ろで小さな悲鳴が上がった。
緊急性のある声色では無かったので、特に慌てはせずに振り向いたアルヴァの目に写ったのは、耳を真っ赤にしているカレンだった。
「何かあった?」
アルヴァが声をかけると、カレンは慌てたようにアルヴァの方に駆けてきた。
チラチラと青い瞳が後ろを気にしているのでそちらに目をやると、そこにいたのは上半身裸のケネスで、アルヴァは、ああ、と合点がいったように頷いた。
「ケネス、シャツは」
淑女の前だぞ、と軽く窘めてアルヴァは淑女――自分は数から抜いている。だって慣れているから――を指し示す。ケネスは手に持った脱ぎたてのシャツを掲げて眉を上げた。
「俺のはお前が着てるだろ」
「あー、そうかそうか。そうだった、着心地良くて忘れてた」
上裸のまま、鍛えぬかれた美しい肉を晒して、ケネスが歩いてくる。
「お前のだと肩が張って駄目だ。これで剣の一つでも振ってみろ、弾けるぞ、このシャツ」
ん、と差し出されたシャツをアルヴァが受け取ると、ケネスは耳を掻きながら踵を返した。そろりと目を動かしたカレンが慌てて視線を上に上げて、それから首を傾げた。
何が気になるのかな、と思ってアルヴァも彼女の視線を追って、ケネスのくすんだ金の乗る頭を見つめた。
特に気になるものもなくてアルヴァは隣のカレンに目を落としながら首を傾げる。
彼女は未だに赤い頬で、しかし、じぃっとケネスの側頭を見つめている。
青い目がくうっと細くなって、そして彼女は薄く唇を開いた。
「あれ……ケネスさん、その耳……」
彼女の言葉に、アルヴァとケネスは同時に「あー」と声を出した。
アルヴァは「そのことか」と納得するように頷いて、幼馴染の耳を見る。
彼の耳は、少し歪な形をしているのだ。
「これな、俺が赤ん坊の頃からこうなってたんだよ。切られたらしくてな、遠征でエヴァンさんが俺を見つけたときには、もうどっちの耳も血塗れだったんだとさ」
なんてことはない、と言うような口調のケネスに、頷きかけたカレンがギクッと身を固くする。
「き、切られた? 赤ちゃんの頃に? ……遠征で見つけた、って……」
「ああ」
肯定しながら、ケネスは節くれだった指で耳の縁――耳輪を撫でている。本来なら丸みを帯びているはずのそこは、ハサミか何かで切り落としたかのようにまっすぐになっている。
カレンが気まずそうにアルヴァを見上げた。
ケネスは孤児だけど、生後三か月からシレクス村に住んでるし、ヘイゼル家のおじさんおばさんとも仲良しだし、そもそと本人が全く気にしてないから、そんな顔することもないんだがなぁ。
そうは思ったものの、流石にこれを自分が言うのはどうなのか、と思ったので、アルヴァは柔らかい顔で彼女の頭を撫でるにとどめた。
「な、なんで、そんなひどいこと……」
「さあな、俺を捕まえてた山賊に聞いてくれ」
朗らかに笑うケネスを追って、アルヴァも茂みに向かった。
丁度身支度を終えたらしいルカが、服をたたんでバッグに突っ込んでいる横を通り、適当な木の後ろで、アルヴァは防具をとって着替え始めた。
「なぁ、アルヴァ」
声の感じからしてアルヴァが着替えている木の真ん前にいるらしいケネスに、アルヴァは「んー?」と返す。
「本当に砂漠を行くんだな?」
彼の静かな声に、アルヴァはボタンを留める手を止めた。
「大丈夫なのか」
続けて声が飛んでくる。彼女は小さく唾を飲んで視線を下げた。
砂漠。
アングレニス王国の北に広がる、乾燥した大地。
北に向かうにつれて、砂の海から岩石砂漠へと姿を変えるその場所に、アルヴァはあまりいい思い出がない。
その思い出を知っていて、一緒に体験したケネスには、アルヴァは、普段ならば隠し通す自分の気持ちを、ほんの少し、本当に少しだけだが、吐露できる。
「――……そうも言ってられない状況だろう」
そのセリフに自分の感じる全てを込めて、アルヴァは固い声で続ける。
「今がその時期なのか、わからないのがネックだが……ここを行くのが一番安全だ」
「女王様の命を遂行するにあたっては、だろ。俺が言いたいのは、お前のことだよ。行けるのか、砂漠」
まだ三年しか経ってないだろ。
静かなケネスの声に、アルヴァはぐっとシャツの胸元を握って、それから深いため息を吐いた。
ぷちぷち、とボタンを留め切って、胸当てを身に着けると、アルヴァは目を伏せながら木の陰から出て、ゆっくり顔をあげ――。
「――おっ……と、いたのか、ルカ」
「いましたよ、ええ、いましたとも。あなた、僕の横通って行ったでしょうに」
「もう、向こうに行ったものだと……」
「残念でしたね。……それで――」
ルカが濃琥珀の目でアルヴァを見ている。
あなた、また無茶でもする気ですか?
つっけんどんな言葉の奥に、弟の心配が見え隠れしているのがわからないアルヴァではない。
「何か心配事あるなら、相談くらいしてくださいよ」
腕を組んで、ふん、と鼻を鳴らした弟に、アルヴァは少し迷ってから小さく口を開いた。
誤解されるのを承知で、あえて簡潔に、その分重く呟く。
「――三年前、私は砂漠で友達を殺したんだ」




