12. 長剣と舶刀の語らい①
与えられた部屋で眠りについた一行に、朝がやってきた。
微睡むだけでも休息を取れるように慣らされているアルヴァの頭は、誰かが部屋に近づいてきた時点で覚醒していた。同じように人の気配に気付いたケネスが、片膝を立てて座る彼女の横で、胡座をかいていた足をモソモソと動かした。膝を抱えるような体勢で腰を落ち着けたケネスは、扉を見つめている。
白み始めた光を背負いながら、部屋に獣人が入って来た。
昨日、媚薬騒動を引き起こしかけた獣人たちのように戦い向きの様相を呈していない彼女たちに、アルヴァは顔を上げて足先から耳の先まで確認した。
武器のようなものは無し。
柔らかくて裂けやすそうな服を着て、大きく開いた首元と惜しげもなく晒されるくびれには、金のたおやかな装飾がされている。大きな犬耳も煌めくイヤーカフが飾っていて麗しい。
昨日の彼女たちが王の手足となる兵なら、今目の前にいるのは王の目を楽しませるための侍女だろうか。
そう見ると、どことなく毛並みも艶めいているように見えてくるな。
そんな風に考えるアルヴァの視線を感じ取ったのか、線の細い彼女たちが困ったように身じろぎした。美しい布と装飾が小さく揺れてサラリシャラリと囁いた。
先頭に立っていた飛び切りの美人が、こほん、と咳払いをしてアルヴァに礼をする。
「闘技場までご案内いたします。それから、こちら……」
差し出された物に、アルヴァはすっと腰を上げて迎え入れるように両手を伸ばした。
受け取ったのは、取り上げられていたロングソードだった。
欠けも汚れも無く、ロングソードは慣れ親しんだ重さをアルヴァの両手に伝えている。
鞘を撫でて、ほ、と息を吐いた彼女に、もう一振り、剣が差し出されていた。
アルヴァはそれを見て首を傾げかけ、はっとして自分の剣を右手に持ち直した。
アルヴァのロングソードよりも少しだけ長くて幅の広いそれは、今はアルヴァの後ろで膝を抱えているであろうケネスの剣だ。
そうだ、捕まったときはこっちも私が佩いていたんだった。
左手で受け取った剣を見つめてから、アルヴァはちらりと後ろを伺った。ルカもフィオナも起きていて、ルカは一瞬アルヴァの方に目をくれてから、カレンの様子を確認し始めた。一つ頷いたと言うことは、ピンクプルムの効果は抜けているようだ。
それに安心しながら、アルヴァはケネスを見た。
壁にもたれるケネスの赤紫の目が、アルヴァの左手を見ている。
「預かっていたのは剣と、こちらの服の入った袋だけでございます。ご確認くださいませ」
獣人の声に目を上げると、彼女は大きめの袋をアルヴァに差し出していた。受け取って軽く中身を見回すが、何が減っていることもない。
アルヴァが顔を上げて頷いたのを見て、獣人が微笑みながら口を開く。
「それでは皆様、荷物をお持ちになって、着いていらしてください」
そう言って歩き出す獣人たちに、アルヴァたちは顔を見合わせて、ゆっくりと部屋から出て彼女たちの背を追いかけた。
やがて案内されたのは、森に囲まれた集落の奥、木々を組んでつくられた、すり鉢状の闘技場だった。
「朝食は、こちらで用意いたしました。どうぞ、決闘を眺めながらお召し上がりくださいませ」
皆様はこちらへ、とアルヴァを残して五人が連れて行かれるのを彼女は兜の物見の奥から見つめていた。
そのうち三人は獣人の案内に従って、闘技場の向こう、何やら豪華な装飾の見える席へと連れていかれたようだった。
問題は、そのうちの二名。アルヴァはつい、苦笑を溢してしまった。
アルヴァに目を向けて全く動こうとしないケネスとイグニアを、侍女の獣人たちがその華奢な腕で引っ張っている。
しかし、二人はピクリとも動かない。
アルヴァは笑みながら息を吐き、大丈夫だから、と言う気持ちを込めて、二人に大きく頷いてみせた。
ケネスが眉を寄せている。見るに見かねたのか、駆け戻って来たルカが二人に何事か囁きながら自分の左腕を指差している。
アルヴァは、おや、と思った。
ルカの腕から、精霊魔術を封じる腕輪が消えていた。
変わりに、右手のリングブレスレットの台座にアクアマリンが輝いている。
アルヴァを睨むように見据えながら、ケネスはルカの言葉に耳を傾けて、それから小さく頷いたようだった。彼はギリギリまでアルヴァに視線を寄越しながら、イグニアの手を引いて歩き始めた。
ケネスに手を引かれながら、イグニアが何度も何度も振り返る。
それを見送っていたアルヴァの肩に、手が乗った。
振り返ればそこにいたのは獣人の王、コルセスカで、彼女は楽しそうにニコニコと笑っていた。
「何か御用でしょうか?」
低い声を作って首を傾げると、コルセスカはアルヴァの肩をバシバシと叩いて、んふふ、と含み笑いながら彼女に顔を寄せた。
「楽しみにしておるぞ」
「何を、でしょうか」
「あはは、其の方も野暮なことを言う」
アルヴァは少し仰け反ってコルセスカから距離をとる。別段、他人に触れられるのが嫌い、と言うわけではないが、それでもグイグイと来られるのは少し苦手なアルヴァをよそに、コルセスカは更に距離を詰める。
女としてはかなり背が高いアルヴァより、ほんの少しだけ小さいコルセスカはグイグイと距離を詰めてきて、気が付けばアルヴァはほとんど覆いかぶされるようにしながら彼女を見上げていた。
「――余のカトラスはな、強い。ここにいるリィカ族の誰より鋭い牙を持つ」
潜めた声が、アルヴァの兜に滑り込む。
コルセスカの黒い目が、くぅ、と三日月のように細くなった。
「わがままなど言ったことのない、余の――私の可愛いカトラスが、其の方と遊びたいと、珍しく強請ってきたのだ。それくらいも叶えてやれぬとあれば、リィカ族の姉妹の長姉の名折れだろう?」
唇に乗るいたずらっぽい笑みは、獣人の王としての物とは違う笑みだった。
アルヴァは体を逸らせたまま、コルセスカの言葉に耳を傾ける。
たくさん遊んでやってくれ。
小首を傾げたコルセスカが、至近距離で柔らかく笑う。その笑みは、フランキスカの物とよく似て見えた。
「――セスカ様」
拗ねたような声に、コルセスカが王の顔に戻ってアルヴァから体を離した。
「なんだカティ、拗ねた子犬のような声を出して。かわゆい奴、誰もお前から遊び相手を盗りはせんよ」
カトラスが、コルセスカの肩に赤い毛皮のマントをかける。それをふかふかと撫でながら、コルセルカはニイ、と歯を見せた。
「余は、其の方の連れと共に決闘を楽しませてもらおう。安心しろ、余が近くに居れば、手を出して味見をしようなどと考える阿呆は現れんよ」
そう言いきると、コルセスカは楽しそうに呵々と笑い声をあげながら、歩き去った。
残されたアルヴァとカトラスの視線が交じり合う。二人の前に立って一礼した獣人が、こちらへ、と言いながら歩き出す。
それを追ったアルヴァとカトラスは、声援と野次の雨を受け、闘技場の真ん中に立って向かい合った。
カトラスは無表情でアルヴァを見ている。
「静まれ!」
よく響く声に、歓声がぴたりと止まった。
「これより、決闘を始める」
コルセスカがアルヴァたちを見下ろしている。その奥に、険しい顔でこちらを見つめるルカたちが見えた。
「長ったらしいことは言わん」
形の良い唇を笑みで歪めてコルセスカが続ける。
カトラスの手が、腰にくくった舶刀を抜く。アルヴァも自分の長剣の柄に手を添わせ、スラリと抜き放った。
剣を抜いてから、時間がゆっくり過ぎているように思えた。
コルセスカの次の言葉が開始の合図だ。アルヴァは細く細く息を吐きながら、カトラスを観る。
風に舞う葉の葉脈の、一つ一つを数えられるくらいの間をとって、コルセスカが息を吸い込んだようだった。
「余を楽しませてみせろ!」
刹那、舶刀と長剣は、火花を散らしてぶつかり合った。




