2. 手紙と翼竜①
「あ、あの……お二人とも、すみませんでした」
しばらくぴたりと動きを止めていたカレンは大きな青い目を忙しなく動かす。そうしてその青に映すのはアルヴァとルカの顔。カレンは二人を交互に見て、気まずそうに深く頭を下げた。
未だにくふくふ笑うアルヴァが、鷹揚に手を振る。
「良く間違われるんだ、気にしないでくれ。なぁ、ルカ」
「まぁ、似てない姉弟とはよく言われますね」
ふん、と鼻を鳴らすルカは見るからに不機嫌だ。
その不機嫌の理由が『本日二度も女性に間違われたから』であることをアルヴァもカレンも知る由がない。それに付け加えて、ここはルカのテリトリー。外にいるときのように猫を被って取り繕うのもアホらしい。だから、彼は自分の不機嫌を全面に押し出している。
そんなこととは露知らず、カレンは自分のせいでルカを苛立たせていると思ってか申し訳なさそうに上目でルカを見ていて、アルヴァはルカに促すような視線を送っている。
ルカの口から深い深いため息が、地を這うように漏れ出した。
「あー、いいですよ。気にしないでください、慣れてるんで」
ルカが投げやりに伝えると、カレンはほっとしたように肩の力を抜いた。そんなルカの様子に苦笑をこぼす姉を軽く睨んでから、ルカは切り替えるように眉間をもんだ。
――正直、僕の性別間違われ問題よりも重大な問題が、目の前に転がってる。
ルカはそう思いながら、眉間から手をおろしてテーブルに置いく。そして、ふう、と短く息を吐いてから、口を開く。
「……で、問題はこっちですよ」
彼が顎で手紙を指すと、エヴァンの向こうに立つ金髪から声がかかった。
「俺も居て大丈夫なのか?」
ルカが確認するように父であるエヴァンを見ると、エヴァンはアルヴァを見て笑みを浮かべている。ああ、姉上宛ての手紙だから、全部姉上に判断させるのか。ルカはそう思いながら、横の姉へと目を滑らせる。
「アルヴァ。お前への手紙だ、お前が決めていい」
「んん……そうですか。だったら、そうだな、ケネスも一緒に確認してくれ」
「わかった」
金髪は、難しい顔をしているカレンに視線をやった。それからいたずらっぽい笑みを浮かべて彼女に向き直る。
「俺もしっかり自己紹介しとくか。ケネス・ヘイゼル、こいつらの友人で、男だ」
よろしく、とにっこり笑う金髪の騎士見習い――ケネス・ヘイゼルに、ルカは思いっきり顔をしかめてみせた。
「ケネスは性別間違われたことないでしょう」
ルカが間髪入れずに噛みついて睨みつけても、彼はまったく意に介さない様子。そんなケネスはいたずらっぽい笑顔のままルカとアルヴァに近付き、二人の後ろから、これまた堂々と手紙を読み始めた。
それから間もなく、彼の表情が真剣なものに変わる。
「――……これ、少しまずい内容じゃないか?」
ケネスは顎を撫でながら、赤紫の目を眇めている。アルヴァとルカは同時に頷いた。
ルカは再び手紙へと目を向ける。もう内容は頭に入っているが、それでも、この美しい文字が綴る中身をもう一度確認するためだ。
要約すると、『ナナカマドの庭』でおこなわれる“お茶会”へ、一家揃ってのお誘い。
内容からわかるのは、女王陛下はわざわざシレクス村まで視察に来るつもりだったらしいこと。しかし、それは王室魔導士にその場で却下されたということ。この手紙は極秘でも何でもなく、何人かで内容を確認してほしいということ。
それから、返事はアルヴァが竜を駆って『ナナカマドの庭』まで届けてほしいということ。
「な、何かいけないことが書かれていたのですか」
緊張した様子でカレンが言う。それから、使者が内容を尋ねるのはまずいと思ったのか、彼女はハシッと手で口を抑えた。アルヴァはカレンをちらりと見て、んー、と唸ってから答える。
「まあ……あまり、いい状況とは思えないかな」
アルヴァはそれだけ言ってからコップに手を伸ばした。
困惑した表情を浮かべているカレンに、ルカはセリフを引き継ぐようにして続けた。
「竜機大戦から何年経ったか、知っていますか?」
「えっ? えっと、二十年って習いましたが……」
竜機大戦。
カレンが答えたとおり今から二十年前、竜歴五百年に幕を下ろした、アングレニス王国と、アングレニス王国の北に位置するマキナヴァイス帝国の戦争を言う言葉だ。
マキナヴァイス帝国の宣戦布告を発端に、王国は幾度となく帝国の技術の粋を集めた機械兵による侵攻を受けた。しかし、両国を隔てるようにそびえる山々に住む竜と協力して防衛。海からの侵攻も海竜が精霊魔術で沈め、アングレニス王国は防衛に徹底していた。
戦況が一変したきっかけは、再三に渡る和平交渉を突っぱねられた現国王ルウェインが、攻撃に踏み切ったことだった。
竜騎士と数多くの竜による起動の高い精霊魔術攻撃で、機械兵の製造工場を全て破壊。これにより戦力の増強ができなくなったマキナヴァイス帝国は和平交渉を受け入れ、両国は不戦協定を結んだ。
現在のアングレニス王国は周辺国――北のマキナヴァイス帝国と西のヘクセルヴァルト公国とは良好な関係を結んでいる。交流も多く、平和だと言い切れる状態だ。
脳内でさらっと竜機大戦のあらましをなぞったルカは、カレンの言葉に頷く。それから確認するように彼女に尋ねた。
「今、平和ですよね」
「平和だと思いますけど……」
カレンは自分の答えが間違っているのだろうか、と言うように不安そうな顔で、エヴァン、ケネス、アルヴァと視線を移して、最後にルカを見た。
「周辺国と緊張状態にはない、むしろ三国交流会を催せるくらいには良好。加えて、街道を歩く分には、アングレニス王国はかなり安全です。ここ数年、街道を行って賊に襲われた、という報告も来てませんよね? 父上」
エヴァンは頷く。ルカは更に言葉を続ける。
「そういう状況で、女王陛下が視察に向かいたいとおっしゃったのに王室魔導士がだめだと却下したらしいんですよね、手紙によると」
カレンは少し考える素振りを見せたが、ルカが言いたいことは伝わっていないようだった。ルカは机の上の手紙に目を落としそれを軽く叩く。そして、一拍おいてからクッと小さく眉を寄せて、口を開いた。
「陛下ではなく、王室魔導士が、ですよ。いつから女王陛下に否やを言えるほど王室魔導士は強くなったんですかね」
尋ねるように言いながら手紙から上がったルカの目には、目を見開いたカレンの姿が映る。彼女にもルカが何を言いたいのか分かったらしい。
「――使者様」
ルカは少し迷って、カレンにそう呼びかけた。
「カレンで構いません」
「では、カレン。王室魔導士の権限が現状どうなっているのか、あなたは知っていますか?」
「わ、わたしはまだ学生で、あのっ……す、すみません。王室魔導士の方々との接点はなくて……」
そうでしょうね、と呟いて、ルカはエヴァンを見る。父上なら何か知ってるかも、と彼は小さく首を傾げた。
「父上はどのように思われますか」
「……風の噂だが――」
エヴァンは顎を撫でるとほんの少し目を伏せて口を開いた。
「――陛下は、何をするにも王室魔導士の意見を問われるようになったらしい」
アルヴァとケネスが目を見開いてエヴァンを見る。
カレンはわかっているのかわかっていないのか、眉を下げてルカを見ている。
――いよいよまずいだろ、これ。
そう思いながら、ルカは窓の向こう、夜の闇が夕日の赤を飲み込みつつある空を睨んだ。