シャンセルからフェロウズ西街へ④
「じゃあ俺は帰るからよぅ、あんまりセンセを心配させんなよぅ!」
じゃあなぁ、と手を振って、コボルトはトロッコを逆走させて帰っていった。流石に来るときのようなスピードは出ていなかったが、それでも目眩がしそうな速さで廃坑の奥に消えていったトロッコを見送って、ルカはヒラヒラを左手に、死んだ目のケネスの腕を右手に掴んで、手近な茂みに分け行った。
白衣を脱いでヒラヒラワンピースをつっ被ったルカに、茂みの向こうから声がかかる。
「トロッコの中でも着たままでいたほうが楽だったんじゃないか? また着るの、手間だろう」
アルヴァの声に、ルカはズボンを脱いでたたみながら、げんなりした顔をした。
「精神衛生上の問題ですから。五分でも十分でも、これを着ないでいられるならそれが最優先です」
ルカの言葉に、ケネスが、こくり、と無言の肯定を表している。
「そうか……まあ、そうだよなぁ」
「――ルカ、チャック上げてくれ」
被って前のボタンを留めるだけで済むルカとは違って、ケネスの服は後ろのチャックを上げなければならない。しょっぱい顔でルカに頼んだケネスは、その男らしい背中を彼に向けて、しょんぼり立っている。
同じくらいしょっぱい顔でチャックをあげてやったルカは、悲しい顔をしたケネスを引き連れて、茂みから出ると、アルヴァやカレンに見向きもせずに、のしのしと街の方へ歩き始めた。
フェロウズ東街が『生産の街』だとすると、フェロウズ西街は『商売の街』だ。
東街とは比べ物にならない人でごった返す西街の中を、ルカは髪を下ろしてしずしずと歩いていた。その横を、ルカのヘアゴムで髪を高い位置でくくっているカレンが歩いている。
なぜ、髪を下ろしているのかと言えば――とルカは人混みをさっと見回した。
見えただけで、黒い制服は三人。その中で、胸に銀で『機械の翼と王冠』の刺繍がされているのが見えたのが、二人。
この街には、多くの王室魔導士がぶらついていた。
それにいち早く気が付いたアルヴァの提案で、ルカは髪を下ろしているわけだ。
一応、ルカ以外も軽い変装をしている。ルカはちらりと前を確認した。
二人の前には、小さく縮こまってストールで頭と肩幅を隠すケネスに寄り添うように、凛と背を伸ばしたアルヴァが歩いている。兜をかぶっていることもあり、今のアルヴァはケネスより背が高く見える。
ルカたちの後ろには、同じくストールで顔を覆うフィオナと手をつないで歩くイグニアがいる。彼女は、シャンセルで買った幼児用のマントを身に着けて、フードを被っていた。マントの裾から覗くもこもこのピンクの靴下が、地面を踏みしめるイグニアの足を覆っている。
――なぜ靴下で歩いているのかと言えば、幼児用の旅装備の一式と共に買った大人用――彼女の金の爪と赤の鱗の目立つ足では小さな靴は入らなかった――のブーツを履かせたとたん、彼女がばたりと地に倒れ伏し、金縛りにあったように動かなくなってしまったからである。靴を履かずに歩かせるよりは、と妥協した結果、彼女は靴下で歩いている。
旅するお嬢様とその用心棒。今のルカたちは、そう言った体で街を歩いている。
ああ、こんな状況じゃなかったら、とルカは、港の方角から運ばれてきた荷車に乗る、見たことのない薬草を指をくわえて見つめて歩く。それほど衆目を集めることもなく、ちらほらとすれ違う王室魔導士に声をかけられることもなく、一行はフェロウズ西街を後にすることができた。
――せっかく街では目立たずにいられたというのに、とルカは目の前の光景を見ながらため息を吐いた。
「その手を離せ」
アルヴァが静かに、しかし圧のこもった声で言う。その隣、ケネスが腰の物に手を伸ばし――今はそれをアルヴァに預けていることを思い出したのか、その手をきつく握りこんだ。
街道のど真ん中、そばの馬車の馬が忙しなく足踏みをしている音を聞きながら、アルヴァの前の男たちがゆっくりとこちらに目を向けた。
彼が無理やりに掴んでいるのは、少女の細い腕。
少女は目に涙をためて、大きな犬耳を後ろに倒して震えていた。
「……何? なんて? 俺、この子の保護者なんだけど?」
にっこりと人好きのする笑顔を見せる中年男性たちは、さりげなく少女を隠すように動いた。そのうち一人が馬車の方へとゆっくり後ずさるのを見逃さず、ルカはこっそり鞄に手を入れて、中で休んでいたフォンテーヌの肩に触れた。彼女は小さく頷いたようだった。
鞄の中の彼女が霧に体を変えて鞄から出て行った。霧の端はルカのふくらはぎに触れていて、彼女の見ているものが何となくイメージとして伝わってくる。
「そうは見えないな。とりあえず、彼女から手を離せ」
そのとおり、とルカはアルヴァの言葉に小さく頷きながら、冷たい目で男たちを睨んだ。
フォンテーヌが覗いた馬車の中には、猿轡を噛まされて手足を縛られた少年少女が暗い顔で身を寄せ合っていた。
ルカは小物入れからアクアマリンを取り出して握りこむと、自然に見えるように後ろ手を組む。
彼の行動を、隣のカレンが不思議そうに見ている。逆隣に立つフィオナは、彼の行動から男たちが危険だと確信したのか、前に立つアルヴァに寄り添うように立って、そして彼女の背中にゆっくり指を走らせた。
ルカは静かにゆっくりと、音をさせないようにリングブレスレットにアクアマリンをはめ込んだ。
「――早く彼女を離さないと、君の右手は……君の右手だったものになってしまうが」
それでもいいか?
アルヴァは底冷えのする声でそう言った。これにはケネスも驚いたようで、布の隙間から見える彼の赤紫の目がほんのり見開かれてアルヴァを見ている。
聞きなれない温度の姉の脅しの声に、ルカも内心驚きながら、後ろに組んだ指をすいすいと動かした。
アルヴァの視線の先、彼女に見えて男たちには見えない空に、水で文字を書く。
こいつら人攫いです。
姉の肩が小さく小さく揺れたのを確認して、ルカはすっと手を払った。水の文字はキラキラと輝きながら風に攫われていった。
アルヴァは柄に添えていた手を離し、小首をかしげてバッグを漁りながら男たちに質問を投げかけた。
「ふむ。……君たちが、彼女の保護者だとすれば――馬車の中には、彼女の荷物があるだろう」
馬車、と言う言葉に、男たちの笑顔が一瞬固くなった。馬車に向かっていた男の足が止まる。
「馬車に荷物?」
おそらくリーダー格であろう男が、オウム返しにする。アルヴァは頷きながら、鞄から金属の板を取り出した。
「最近は人攫いが多いとギルド内でもちきりなんだ」
もちろん嘘だ。彼女は冒険ギルドにも傭兵ギルドにも所属していない。しかし、そんなことを知らない男たちは、彼女が取り出した金属の板――傭兵証を見て、笑顔に焦りを混ぜ始めた。
さぁ、とアルヴァは再び冷えた声を出した。
「君たちに後ろ暗いことがないというならば、馬車の中を見せてくれ」
もしも君らが、人攫い、ならば――とアルヴァは強調して言って、ゆっくりと、焦らすように続ける。
静かなのに耐えきれないくらいの重圧を孕んでいる声は、じりじりと男たちを追い詰める。
「……捕まえて、傭兵ギルドに連行すれば――大金貨十枚くらいは、もらえるんじゃないか? なぁ?」
耐えきれなくなった一人がアルヴァにとびかかったのを皮切りに、人攫いの男たちも、ルカたち一行も一斉に動き出した。




