シャンセルからフェロウズ西街へ③
ルカたちは顔を突き合わせたまま目を大きくして、そして同時にオリバー教授に目を向けた。ひと塊りになって話していた四人を、遠巻きに見ていたカレンとフィオナが顔を見合わせてからそろりと近づいてきた。
イグニアは話にまったく興味がないようで、アルヴァに手を繋がれたまま、路地の先、大通りを歩く人々を眺めていた。
「教授、詳しく教えてください」
吹き抜ける風にワンピースの裾を煽られながら、ルカが言う。彼の横に並んだカレンが、慌てて彼のスカートを押さえた。
オリバー教授はこっくり頷いて真剣な顔で口を開きかけたが、路地の入口の方で響いた足音にそっと口をつぐんだ。ルカは姉を見上げて、彼女がしっかり兜をかぶり直したのを見届けてから教授に目を戻した。
再び口を開いた教授は朗らかな顔を取り繕う。丁度、一行の横を手紙配達の少年が欠伸をしながら通り過ぎて行くところだった。
「こんなところで立ち話も何だし、ちょっと学校の方へ行こうか」
何が王室魔導士の手足で耳なのかわからない今、外で――いつ何時、誰に話を聞かれているかわからない状態で話を続けるのは危ないと思ったのだろう。グラディシア学校ならば、編入試験準備期間中の今は人も少ない。
教授は、くるりと背を向けた。
そして自分が先ほど取り落とした薬草たちをよいしょと抱え上げると、優しい笑顔で、おいでおいで、とルカたちを手招きして歩き出した。
黙ってついて行くルカの腕を、カレンが抱えるようにして掴んだ。
「……ちょっと! そんなに簡単について行くべきではないです! 貴方たちの知り合いだとしても、王室魔導士と繋がりがないとは言えないでしょう!」
同じく教授の背を追って歩き出そうとしていたアルヴァが、こちらに顔を向けている。ルカは、先に行ってください、と姉に伝えてからカレンを振り返った。彼女の青に不安がちらついている。
遠のく足音を背中で聞きながら、ルカは小さく唇を緩めた。
「大丈夫です」
彼が信頼に値する人間だとルカはよく知っている。アルヴァだってケネスだって、彼の人となりをよく知っているから、何の警戒もなくついて行く。
だが、カレンとフィオナは彼と初対面だ。
精霊魔術に精通していて、裏切りを何よりも嫌う精霊からの揺るがぬ信頼を、彼の雰囲気から感じ取ることができるフィオナは、彼がこちらを陥れようと画策していないことが分かったのだろう。だから彼女は初対面ながらも信頼してついて行った。
だがカレンは、精霊魔術の『せ』の字も知らないような少女。フィオナのように、精霊の雰囲気を感じ取るなんて逆立ちしたって無理なことは明らかだ。何も言わずに彼を信頼しろと言ったって、納得などできないだろう。
だからルカは、もう一度「大丈夫です」と言って、言葉を続けた。
「君は、姉上を、アルヴァ・エクエスを信じればいい。あれで姉上は悪意なんかには敏感ですからね」
今朝の機械兵の襲撃の時の、『死んだふり』に気が付けなかったのは、機械兵が感情と言う物を持っていないからだろう、とルカはそう考えている。
しかし、今、アルヴァがついて行っているのは、生身の人間だ。
自分に関する事と恋愛事以外――少なくともルカは、自分の姉は色恋沙汰には超の付く鈍感だと、そう思っている――には、異常なくらい勘が鋭い彼女が、異を唱えることもなく、静かに従っているというのは十分、信頼に値する。
まあそれを説明しなくても、彼女は姉上を信用するだろう。
ルカは、女王陛下との謁見の際に、カレンがアルヴァに感銘を受けて涙を流していたのを忘れていない。それでも一応、確認しておく。
「それとも、姉上も信じられませんか?」
そう言って小首をかしげてやると、カレンは黙り込んで地面を見て、それから顔をあげた。その瞳からは不安が消えていた。
「……皆さんにかなり離されてしまいました。早く行きましょう! あ、でも大股で、走るようなことはしないで――あっ! ちょっと!」
ルカは彼女の見当違いのアドバイスにスッと表情を落として踵を返すと、こちらを気にしながらゆっくりと歩いていた姉めがけて、スカートをはためかせながら大股で走り出した。
オリバー教授の手引きで入った人気の少ないグラディシア学校は、本当に静かだった。
「今の時間は、ほとんどみんな買い出しに行ってるからね。敷地全体に結界をかけてあって、この蓄魔紙で出来てる教員証で一時解除しないと入れないんだ」
カレンが防犯面を聞いた答えがこれだった。彼女は「へぇー」と興味深そうに周囲を眺め始めた。
一行が歩くのは、校舎を越えた向こう側、よく使用する薬草を栽培している畑や騎乗訓練用の厩がある区画だった。
「そんなに見回したって、見えませんよ。不可視結界なんだから」
一応、この学校の結界構造くらいは頭に入っているルカが言うと、カレンは「そうなんですか」と大人しく前を向いた。
ルカは周囲に視線を走らせて、それから、前を行くオリバー教授の柔らかそうな背中に尋ねた。
「もう人も来ないだろうし、教授の言う『山越え以外でフェロウズ東街を越える方法』を詳しく教えてもらえませんか」
ふむ、と歩きながら小首を傾げた教授は、ルカたちを振り返った。
「それ、実は学校から行ける方法なんだよね。だから、そこに着いてから詳しく説明するよ」
もうすぐ着くから、とそう言ったオリバー教授が向かう方角にあるのは、ルカもよく使う、精霊薬学研究室専用の温室だった。そんなところからフェロウズ東街を越える方法なんてないと思うんだけど、とは言わずに、ルカは静かについて行く。
「さあ、着いたよー」
精霊薬学研究室専用の温室を越えて、森の中をどんどん歩いていたオリバー教授が足を止めて、ルカたちを振り返った。
アングレニス王国を取り囲む山々は、今現在ルカたちが立っている、学校敷地内にある森の端にも例外なくそびえている。
足取り軽く歩くオリバー教授が案内してくれたのは、山にぽっかり空いた洞窟だった。
昔は坑道として使用されていたのだろう、木枠で補強された穴の入り口は、見覚えのある字で『立ち入り禁止』と書かれた札が下がっている。
「これ、教授の字ですよね?」
ルカが確認すると、教授は年齢にそぐわない、しかし彼には異様に似合う照れ顔で、頬を掻いた。
「これ、僕の秘密の通路なんだ。他の教授には内緒ね」
それから、彼はこの穴がどこに繋がっていて、どういうときに使用していたのかを教えてくれた。
――ものすごい勢いで通り過ぎていく岩肌を横目に、普段着に着替えたルカは感心してため息を吐いていた。
「坊ちゃん、どうしたんだい?」
ルカたちの乗る大きく豪華なトロッコの運転手の、二足歩行の小柄な犬が、ヘルメットをひょいと上げてルカを振り返った。
「いやぁ……だから、教授は聖都への出張の時に異様に早く帰ってこれていたんだなぁ、と」
二足歩行の小柄な犬――コボルトは、けたけた面白そうに笑うと、再び前を向いて機械をいじり始めた。
「あのセンセには感謝してるよ、フェロウズの東じゃ俺らおまんま食い上げだったからなぁ。そのお礼に、あの人がフェロウズの西に行く時にゃ、このトロッコを使わせてやってるのさ」
オリバー教授の言う方法とは、地下を行くことだった。
学校の裏山の一部――あの坑道を丸々買い上げて、彼は路頭に迷っていたコボルトに住処――と同時に食も。彼らはどんな鉱石でも食べる――を与えたらしいのだ。
その恩に報いるために、コボルトたちは、彼のために作り上げたこの石炭で走るトロッコ――と呼ぶのも忍びない。屋根あり壁あり、内装はちょっとした部屋より上質だ――を走らせる線路を、もともとぶち抜かれていた坑道を利用してフェロウズ西街まで敷いたのだそうだった。
聖都からフェロウズ東街への距離とフェロウズ西街への距離はそこまで大きく変わらないが、若干西街の方が聖都に近い。その上、交通の便がいいのも西街だ。あそこは、東街には一つしか無かった竜車屋が、十はある。それを引く走竜の足も断然速い。
なので、グラディシア学校からフェロウズ西街へ十分かからずに着けてしまうなら、大幅な時間短縮ができるわけだ。
これには、ルカも「はぁ」と気の抜けた返事しかできなかった。
彼は照れた顔で、よく使ってるんだぁ、と言ってから、顔をきりっと引き締めて、ルカたちにこれを使ってフェロウズ西街に向かうといい、と助言してくれた。
入り口が東西に一つずつしかない東街と違って、フェロウズ西街は入り口がいくつもある。海にも面していて小さな港もあるので、最悪、街の中で追い詰められても、海から逃げられる。
オリバー教授の助言に、ルカもアルヴァも、一も二もなく頷いた。
故に、ルカたちは今、トロッコなんてもんじゃないスピードで運ばれているのだ。
「おう、でっかい嬢ちゃん。後、五分もすれば西街に着くからよぅ、そっちのちみっこい嬢ちゃんを起こしたほうがいいぜ!」
運転手のコボルトがアルヴァに声をかけるのが聞こえる。
ルカは、トロッコが一体どれくらいのスピードで走っているのか考えてしまわないように、備えられたソファでクッションを抱えて、くぅくぅと眠っているカレンへと視線を固定して、一切の思考をやめた。