出会い⑤
村の奥の一軒の家に案内されたカレンは、そわそわと落ち着かない様子で椅子に座っていた。
鎧をとってシンプルな綿のシャツとズボンに着替えた赤髪の竜騎士が、少し待っていてくれ、と出ていってからこちら、カレンはキョロキョロと家の中を眺めては忙しなく髪を整えている。
それを台所からのぞき見ながら茶葉を蒸らしていたルカは、そろそろかな、とハーブティーを自分用のマグカップに注いで味見をし、満足そうに微笑んでカップとティーポットをトレーにのせて居間へ向かう。
「ハーブティー、嫌いじゃなければどうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
そっと口をつけ一口飲んだカレンは、少し緊張の抜けた表情で、ほう、と息をついてカップを机に置いた。
とはいえ、それでもまだ少しそわそわしているようだ。じっとしていられないのかカレンは少しシワの寄ってしまった手紙を伸ばし始めている。ルカがその様子を眺めていたところで、リンリン、と玄関の扉につけられている鈴のなる音が聞こえた。
しばらくして、待たせて申し訳ない、と入ってきた赤髪は、似た雰囲気の茶髪の壮年の男と、先ほどの金髪の男を連れていた。ルカは巡回帰りの三人に水を用意するために再び台所に向い、コップに冷水を注ぎながら、ギリギリまで首を伸ばして、カレンたちの会話を覗き見る。
しゃきん、と背筋を伸ばしたカレンの前に壮年の男が腰掛け、赤髪と金髪は壮年の男の後ろに立っている。
「お待たせしてしまって申し訳ない。シレクス村騎士団長のエヴァン・エクエスだ」
壮年の男――エヴァン・エクエスが精悍な顔立ちを柔らかい微笑みで崩しながら続ける。
「後ろの二人が、シレクス村騎士団の騎士見習いで、アルヴァと」
赤髪が整った顔に笑みを乗せて頭を下げた。
「ケネスだ」
金髪もにこりと笑って頭を下げる。
それを見て惚けた顔で頬を染めていたカレンが、小さく頭を振って真剣な顔をした。
その表情とまだ赤いままの頬がなんだかちぐはぐに見えて、ルカはこっそり笑いながら冷たいコップ三つをトレーに乗せる。それから、ふと目についた、食器の水切りカゴに入れてあったペティナイフを手にとる。ルカはそれもトレーに置くと、台所を出てエヴァンたちのもとへ向かった。
「わっ、わたしは、星花騎士団より遣いでまいりました、カレン・アルケミアです」
「遠いところをありがとう。手紙については、まずは私が受け取ろう」
エヴァンの落ち着いた柔らかい低音を聞いて、カレンは肩の重荷が降りたような顔で彼に手紙を差し出した。
エヴァンのゴツゴツとした手がそっと手紙を受け取ったところで、ルカは彼の前に水の入ったコップとペティナイフを置いた。それに気付いたエヴァンは「すまないな、ありがとう」と言うと、ペティナイフを手にとる。ペティナイフが封蝋の隙間に挿し込まれ、封蝋は無理なく剥がれた。
そんな中、ルカがコップが二つ乗ったトレーを抱えながら、立っている二人に渡すのもなぁ、と手紙を開こうとしているエヴァンに目を向けた、その時だ。
封筒を開けて、手紙を取り出すまで静かにエヴァンを見ていたカレンが「あっ!」と叫びながら急に立ち上がったのだ。
何事だ、とルカがカレンを見ると、彼女は大きな目を更に大きくして、顔を青くしていた。
「そ、それは騎士見習い宛の手紙です! この村の騎士団の団長とはいえ、見ては駄目ですっ!」
言いながら、手を伸ばしかけて引っ込めるカレンの顔には「でも奪い取るわけにもいかない!」と書いてあるようだった。
カレンの頭が、どうしようどうしよう、と混乱しているだろうことは一目瞭然。
どうなるのかな、と野次馬根性丸出しで、ルカは首をすくめるようにして白衣の緩い詰め襟で口元を隠ながら、上目遣いで二人の動向を見守っていた。
開いた手紙に目を落としかけていたエヴァンは、カレンを見て手紙を伏せた。
「君の言うことは尤もだ。しかし、中身を見分させてもらわねば、どちらの騎士見習いへの手紙なのかわからない」
エヴァンの静かな低音に、カレンは徐々に落ち着きを取り戻していく。
「君も、どちらへの手紙なのかは知らないのだろう?」
エヴァンの言葉に、カレンは彼の後ろの赤髪と金髪に目を向けて、それから困ったように目を空に彷徨わせた。
「……まあ、そう……ですが」
「だから、まず私に確認をさせてもらいたい。内容は他言しないと、私個人ではなく、シレクス村騎士団の団長として約束する」
もじもじとしていたカレンがほんの少しだけ目を見張ってエヴァンを見た。
おやこれは、と思いながら、ルカは口元を隠したままちらりと赤髪を見る。
赤髪は、ぱっちりとした切れ長の目をほんの少しだけ大きくしてエヴァンを見ていたが、ルカの視線に気付いたようで、ルカをアンバーの瞳の中に映すと、ヒョイッと片方の眉を上げてみせた。
エヴァンは微笑みながら言葉を続けた。
「これでも両陛下に認めていただいた騎士団だ。その団長として約束するということの意味は、君も知っているだろう?」
騎士を目差す者が、いの一番に学ぶのは、剣の振るい方ではない。
己の所属する騎士団の名を出した約束がいかに重いか、である。
アングレニス王国において、騎士団に所属する人間が騎士団の名を出して約束することは、基本的には、まとめられた書状に署名をおこなうより強い効力を発する。
その騎士の矜持と高潔が、そのまま己を縛る鎖になるからだ。
それ故、全く持って効力を発揮しない騎士もいないわけではないが、そもそもそういった騎士は両陛下のどちらからも叙任されていない“自称”騎士である可能性が非常に高い、というのはこの国では常識だった。
エヴァンは小さいとはいえ、国の――陛下のお墨付きをいただいた騎士団の団長。
彼にとっては、この約束を違えることは、主君である両陛下の顔に泥を塗ることも同じなわけである。
カレンがたじろいだ様子を見せながら、小さく頷いて腰を下ろした。
「……わ、わかりました。信じます」
「ありがとう」
エヴァンはゆっくりと、伏せていた手紙を持ちあげた。カレンは緊張したように背筋を伸ばした。
しばらくの沈黙の後、エヴァンは手紙をたたんで振り返った。
「これはお前宛だ」
赤髪はエヴァンの隣に腰掛けて手紙を受け取り、そっと開いてから首を傾げてエヴァンを見た。
「親愛なるハンナへ……これ、母上宛では」
エヴァンが無言で首を振り、読むようにと赤髪を目で促している。
促されるまま、赤髪が手紙を読み始めると、金髪の方の騎士見習いがふっと肩の力を抜いた。それを見たルカはススス、とそちらに寄ってコップを渡した。
その流れのまま、手紙に目を向けている赤髪の騎士見習いの前にコップを置く。と同時に、それとなく手紙の中身に目を向けていたルカだったが、気になる単語を見つけてしまい、取り繕うことなく首を伸ばして赤髪の肩越しに手紙を読み始めた。
その大胆な行動に、カレンは虚を突かれたような表情で固まる。しかし、手紙に夢中のルカは気付かない。
手紙には親愛なるハンナへと書かれている。しかし、確かにエヴァンの言う通り、赤髪の騎士へ向けたものだということは、ルカにもわかった。
それは、一見すると、お茶会へのお誘いの手紙だ。しかし、噛み砕けば――。
「……これ、わかりにくく書かれてるけど要は『招集』ですよね?」
手紙を盗み見た――にしては堂々としすぎていたが――ルカを咎めるでもなく、ぽりぽりと頬を掻いて手紙をテーブルに置いた赤髪は、首肯しながら腕を組んだ。
「んー、まぁ、そうなるだろうな……」
ルカはほんの少しだけ顔を動かして赤髪を見た。吐息の交じる距離で、赤髪もルカを見る。
「何したんですか? 女王陛下に、聖都に呼び出されるなんて」
「うぅん……正直、覚えがなくてな……なんでだろう」
頬を掻きながら、赤髪とルカは同時に手紙に目を戻した。
「そもそも、この『皆さんで』ってところが気に――」
と、その時、バン、と机を叩く音が、ルカの声を遮った。
ルカと赤髪は同時に音のした方――カレンの方を見る。彼女はやきもきしたような表情でテーブルに手をついていた。
「あ、貴女っ! その手紙は気軽に見ていいものではないのですよっ!」
「いや、この手紙は――」
ルカと顔を見合わせてから口を開いた赤髪の声にかぶせるように、興奮に上気した顔でカレンは続ける。
「そもそも! ルカさん、貴女、淑女としての慎みはないのですか!? 男性とそのようにべったりとくっついて話すなんて……!」
ルカの柳眉がピクリと跳ね上がった。
隣でエヴァンが苦笑しながら水をあおった。既に水を含んでいた金髪がむせている。赤髪はキョトンとした顔をしてから、手で口元を覆った。
「……っく、ふふふ……」
こらえかねたような笑い声が、静かだった部屋に満ちていく。
ルカは猫のように目じりの上がった、オレンジ色にも似た濃琥珀色の両眼にカレンの顔を映して、薄い唇を歪ませて薄く笑った。
それが獣の威嚇にも似た笑顔だということに、カレンは気がつかない。
カレンは周囲の反応に困惑したような表情を浮かべてから、気を取り直したようにルカを睨み、もう一度テーブルを叩く。
「聞いているのですか!」
ルカはくふくふと笑いをこぼす赤髪の肩を一度殴ってからカレンに向き直った。
顔に乗った笑みは先程とはうってかわって、ニッコリと温和なものだ。
「もっとちゃんと自己紹介すべきでしたかね。僕はルカ・エクエス」
笑い続ける赤髪の肩をもう一度殴ってから、ルカは彼女を手のひらで指して続ける。
「彼女の――アルヴァ・エクエスの、弟です」
ひくっとカレンの唇がひきつった。
「え、かのじょ……アルヴァさ、えっ!? 女性!? えっ、ルカさ、あな、あなた、男……?」
カレンが声を震わせる。ルカは大きく頷いてみせた。
「ええ、男ですとも」
カレンが愕然とルカを見ている。アルヴァは笑いを堪えるような顔で口を開いた。
「そうとも、ルカはこんなに可愛らしいが、男の子だ」
そう言うとアルヴァは最終的にからからと大声で笑いだした。それを横目で睨んだルカは、姉である赤髪の竜騎士見習い――アルヴァ・エクエスの肩をぶん殴りながらニッコリ笑ってみせた。