指名手配取り下げの弊害⑨
エシュカを見送って歩き出した一行は、その後、機械兵の襲撃に遭うこともなく、無事にシャンセルへの街道近くまでたどり着いた。
森から出れば直ぐに街へと着くというのに、一行は柔らかな木漏れ日の中で揉めていた。
「嫌です」
凛とした声が、小鳥の羽ばたきに混じって森に小さく響いた。
きっぱり言い切ったルカに、アルヴァが頭を掻く。そんな二人を、カレンとフィオナがそわそわと見ている。特にフィオナは、赤の強い茶色の瞳を不安そうに揺らしていた。
「いやでも、さっきの機械兵、私だけではなくてルカのこともケネスのことも知ってたろう。だから人の多いところに行くときは変装を……」
ルカは、手渡された服を見下ろして呆然と固まっているケネスを見やって、それから、目の前で服を差し出す姉に目を戻した。
濃琥珀の瞳に映るのは、何度見たってフワフワした洋服だ。ルカは鼻に皺が寄りそうになるのを必死で抑えて、にっこり笑って見せた。
「よし、じゃあわかりました。僕は髪を下ろして歩きます。なんなら、白衣も脱ぎましょう。それならだいぶ外見変わるでしょう?」
ハイこの話終わり、とでも言いそうな勢いで、ルカは手早く白衣のボタンをはずし始めた。プチプチと素早く器用にボタンを外すルカの手を、アルヴァの手が掴んで止める。
振り払えない強さで、しかしルカの手首に痛みが走ることはないという絶妙な力加減で掴んでくるアルヴァを睨みつけて、ルカは口を歪めた。
アルヴァが懇願の色を混ぜた金の目でルカを見ている。
その目を真っ向から見返していたルカだったが、数秒も経ってしまえば耐えきれなくなってしまう。
アルヴァの度を越えた美形に目の前に、それも普段のような快活な色を潜めて、ほんのり切なそうな表情を浮かべながら居座られてしまえば、流石に弟のルカでもグラリと揺れて「わかりました」と頷いてしまいそうになる。
慌てて顔を逸らしたルカは、わなわなと唇を震わせて、それからカっと目を見開いて姉が抱えた洋服を横目に睨んだ。
「だからってなんで女物! それも、ふわっふわのワンピースなんか着なきゃいけないんですかっ!」
服に掴みかかって破りかねない勢いに、アルヴァが差し出していた可愛らしい服を――ルカに言わせれば、フリルとリボンで装飾過多の実用性皆無な洋服を片手で庇うように抱えた。
「つーかですよ、なんで、ンなもんがここにあるんですか! あんた、どこから調達してきやがっ……あ、ちょっと待てよそのバッグ見覚えが」
アルヴァの背後に置かれている、まだ中身が詰まっていそうなバッグを見つけ、ルカは一瞬考えたのちにサッと顔を青くした。
『お気になさらず。こちらもこちらで、レベッカさんと一緒に準備を整えることができましたから』
そう言いながら、エクエス家のキッチンでバッグを見つめたのは誰だったか。
可愛いのを選びましたよ、と自信たっぷり微笑んでいたのは誰だったか。
――フィオナだ。アルヴァの向こうで申し訳なさそうに小さくなって、ルカと、未だ微動だにしないケネスを見つめているフィオナだ。
中身をすでに確認して、説明も受けていたであろう姉に中身をしつこく聞かなかったのは誰だったか。
『可愛い服』なら僕には関係ないな、とそう決めつけてしまったのは誰だったか。
僕だ。ちゃんと確認しなかったの、僕だ。
「ご、ごめんなさい。レベッカさんと相談して、きっと変装しなきゃいけなくなる場面もあるだろうからって……て、手っ取り早く外見変えるには女装男装だろうって……」
か細い声でそう言って、フィオナがもう一度ごめんなさい、と頭を下げた。ルカは思いっきりアルヴァの手を振り払って、フィオナに駆け寄った。
「ち、違うんです、違うんですよ! 責めてるわけじゃ……ごめんなさ、最初にちゃんと中身を確認しなかった僕が悪いです!」
「で、でも……」
意気消沈、と言った様子のフィオナに、ルカは慌てた。
「強く言ったのは、姉上がわざわざこれを用意したと思ったからで……!」
そう、その通りなのだ。
ふわふわワンピースを差し出したのがアルヴァだった。だからアルヴァが用意したと、ルカはそう思ったからここまできつい言い方をしたのだ。
僕が女に見られるのが大っ嫌いだと知っていてこれを用意しやがったか、とルカは、だからあんなに乱暴な口調――一般からするとまだまだかなり品のいい言葉遣いだが――でまくし立てたのだ。
よしんば、これを用意したのがアルヴァではないと知っていれば――ルカはもっとオブラートに包んで、そして自分がこれを着なくていいように言いくるめただろう。
それがどうだ。
勝手な思い込みと勘違いの結果、フィオナはがっくりと肩を落としている。
一生懸命考えて、男が着てもあまり違和感がないように、服の方に目が行くようにこんなに派手なものを選んでくれたのだろう、とそこまで想像できてしまえば、もう言いくるめることなんてできない。
自分の失敗に舌打ちしたいのをぐっと抑えて、ルカはやけくそで叫んだ。
「っき、着ます! わかりました着てきます!」
そうやって、ルカはポカンとしているアルヴァの手から、ふわふわガーリーでフリルとリボン特盛のパステルカラーのワンピースをひったくって、茂みへと踵を返した。
その際、呆然としているケネスを引っ掴んで引きずるのも忘れない。
やっと自分を取り戻して、それから引きずられていることに気が付いたケネスは、自分を引っ張って茂みへ向かうルカを見上げてクワッと目を見開いた。赤紫の瞳が恨みがましい色を浮かべている。
「ルカっ! やめろ嫌だ俺は着ない!」
「そのやり取りはもう終わりました」
ルカは、にこぉっと笑みを浮かべる。
「やだなぁ、何年も幼馴染してるのに水臭いじゃないですかぁ。――死なばもろともですよ、ケネス」
君だけ逃がすとでも?
そう言うルカの声のなんと冷たいことか。
ケネスはあきらめた様子で、手に持った服――深窓の令嬢が身に着けていそうなシックで大人びた、それでもやっぱり胸元にはふんわりした大きなリボンをあしらった濃紺のワンピースを抱えて大きなため息を吐いた。




